2045年。ひとりの老婆が回想する1990年代のある夏の日々。とある高校の演劇部、夏合宿でのできごと。話自体はまるでリアルじゃないけど、多少脚色された想い出の中の風景としてなら、こういうドラマチックな展開もありかもしれないと思い、受け止める。女子高生を妊娠させる高校教師(演劇部の顧問)とか、いくらなんでもありえないだろ、と思う。しかも、あんなにけろっとしている。(匿名劇壇の福谷圭祐がふてぶてしく演じる。)20年以上前の話だとしても、いくらなんでも、これはないわぁ、と思う。
芝居自体はとても丁寧に時間をかけて作られてあり、好感が持てる。確かに、これは大学生による演劇学校の作品だなぁ、と思わされる。それが鼻につくのではなく、なぜだかとても新鮮だった。みんな一生懸命真摯に芝居と向き合い、先生たち(演出は松本修)からいろんなことを学ぼうとしている姿勢が伝わってくる。これを見ながら思い出したのは、先日見た劇団大阪シニア演劇大学公演『楽園の終着駅』だ。あの芝居に取り組むシニアの人たちもこの大学生たちと同じようにとても一生懸命でキラキラしていた。芝居をすることが楽しくてならない、そんな気分が確かに伝わってくる。大学生とシニアが同じ、というのが面白い。というか、こんなにも真剣に舞台と向き合っている人たちを目撃することが出来たということが、なんだかうれしい。もちろん、ずっと芝居を続けている人たちがマンネリ化している、なんていいたいわけではない。そうじゃなく、今しかない、という切実さが、なぜだかとても今の僕の胸を突くのだ。だから、これは個人的な感想でしかない。そう受け止めてもらいたい。
ただ、この芝居の話に戻るけど、そんな彼らの姿がこの芝居の今しかないかけがえのない時間とシンクロして、とても胸に痛かったのも事実だ。長い時間が経った後、あの頃を振り返ったとき、どうして自分たちはあんなにもバカだったのだろうか、と思う。でも、そんなバカさが何故か誇らしくもある。そんな想いがこの芝居からは溢れてくる。この台本(竹内銃一郎)は若い彼らにとってとてもぴったりの題材だったのだろう。