習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『すべては海になる』

2010-08-08 07:45:20 | 映画
 山田あかねの傑作小説をなんと本人自らの手で映画化した作品。過去にも村上龍が『限りなく透明に近いブルー』を監督してひんしゅくを買ったこともあったし、作家が映画監督に挑戦したことは、ないわけではない。だが、大ベストセラーでもない小説が、一応メジャーな商業映画として制作されるなんてかなり希なことではないか。しかも、それが作家の独りよがりになることもなく、成立しているのである。これはちょっとした奇跡だ。

 痛ましい話である。20代後半になったひとり暮らしの女性(佐藤江梨子)の日々が描かれる。書店員として働きながら、自分の仕事にそれなりの誇りと満足を抱いている。でも、なんだか寂しい。特定の恋人は居ない。出版社の男性とつきあっているが相手はただの遊びだ。自分も熱くなっているわけではない。しかたないと想いながら、クールに距離を置いてつきあっている。誘われたならついていくが、それ以上は求めない。職場である書店では、自分のコーナーを持たせてもらい、そこにお気に入りの本を並べる。手書きのポップで飾り付け、けっこう人気がある。ささやかなお誇りだ。

 ある日、ひとりの女性が万引きをするのを、目撃し捕まえるのだが、その女性の鞄からは万引きしたはずの本は出てこない。店長とその女性の家に謝罪に行く。この女性と、その家族との関わりからドラマは動き始める。

 彼女と、万引き女の息子である高校生の男の子(弥楽優弥)との恋が描かれる。2人の節度を保った関係がいい。ただのラブストーリーではない。居場所のない2人が求め合うのは擬似恋愛ではなく、姉弟のような2人による、人間同士の関わりだ。男女がいればなんでも恋愛に結びつけるが、そうではないものもある。それは、もっと深い根元的な関係性だ。孤独な魂がお互いを必要として、求め合う。この映画が描くのはそんな関係である。これがデビュー作とはとても思えない完成度で、この「特別な2人」(本人たちにとって)による魂の彷徨が描かれる。たわいない、と関係ない人間には見えるそんな関係が、とても丁寧に描かれた時、これは僕たち観客にとっても特別なものとなる。





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