新人監督によるスタジオジブリの最新作である。例によって宮崎駿が企画、脚本を担当する。宮崎印のジブリブランドは信用のマークだ。たとえそれが若い監督を立てた映画であったとしても、彼の後ろ盾があるだけで大ヒットが約束されている。幾分期待薄で劇場に入った。いかにも宮崎駿が好きそうな話だが、それを自分が演出しないとどうなるのかは先のたくさんの映画が証明してきた。どれも悪くはない。だが宮崎駿の強烈な個性には当然及ばない。『ゲド戦記』のようなどちらかというと失敗でしかない映画もある。だが、今回は違った。
この小さな映画に感動したのだ。『崖の上のポニョ』以上に凄いと思った。気負いのない新鮮な感動がここにはある。14歳になった少女アリエッティ(声は志田未来)と、12歳の病を抱えた少年(神木隆之介)が交わす友情の物語は、小人と人間という違いを越えて、恋物語ですらないのに、深いところでつながった絆を感じさせる。
君たちはやがて滅びていくしかない種族なんだ、と話す少年は悲壮な覚悟で小人も未来を憂うのではない。本当は、自分の未来のことをそこに投影している。滅びていくのはまず自分であり、人間の方なのかもしれない。アリエッティは自分たちの未来を憂ったりはしない。ただ生きることを望む。自分たちの種族はもう自分たち家族だけしかいないと思っていた。だが、そうではない。初めて同じ小人と出逢い、彼に導かれて新しい家を目指して旅に出るラストは感動的だ。
単純な構成の映画である。ささやか過ぎてあっけないほどだ。今時94分なんていう上映時間の大作映画はない。(というか、この映画は大作なんかではないのだが)ここにあるのは、ほんのささいなドラマでしかない。だが、この小さな話のなかには、とんでもない大冒険が用意されてある。初めての借り(狩り)のシーンにはドキドキさせられた。角砂糖と1個とたった1枚のティッシュペーパーを取ってくるということが、こんなにも危険を伴う大冒険になる。父に導かれてアリエッティが初めて人間の暮らす家の中に入っていく。驚きの連続だ。小さな体が人間の住む家の中ではどんなことになるのかが、これだけのスリルを産む。ロープを伝って滑るように降りていくシーンが心地よい。
最後に、少年とアリエッティの別れのシーンにも言及したい。この定番のシーンがまた爽やかで素晴らしいのだ。こんなにも素直に感動したのは久しぶりのことだ。なんでもないドラマだが大事なものがすべてそこに詰まっている。少女は旅立ち、少年が見送るという図式がなんだか、ジブリらしい。男より女の子のほうが凛々しい。がんばれ男の子!と、声をかけてあげたくなる。
この小さな映画に感動したのだ。『崖の上のポニョ』以上に凄いと思った。気負いのない新鮮な感動がここにはある。14歳になった少女アリエッティ(声は志田未来)と、12歳の病を抱えた少年(神木隆之介)が交わす友情の物語は、小人と人間という違いを越えて、恋物語ですらないのに、深いところでつながった絆を感じさせる。
君たちはやがて滅びていくしかない種族なんだ、と話す少年は悲壮な覚悟で小人も未来を憂うのではない。本当は、自分の未来のことをそこに投影している。滅びていくのはまず自分であり、人間の方なのかもしれない。アリエッティは自分たちの未来を憂ったりはしない。ただ生きることを望む。自分たちの種族はもう自分たち家族だけしかいないと思っていた。だが、そうではない。初めて同じ小人と出逢い、彼に導かれて新しい家を目指して旅に出るラストは感動的だ。
単純な構成の映画である。ささやか過ぎてあっけないほどだ。今時94分なんていう上映時間の大作映画はない。(というか、この映画は大作なんかではないのだが)ここにあるのは、ほんのささいなドラマでしかない。だが、この小さな話のなかには、とんでもない大冒険が用意されてある。初めての借り(狩り)のシーンにはドキドキさせられた。角砂糖と1個とたった1枚のティッシュペーパーを取ってくるということが、こんなにも危険を伴う大冒険になる。父に導かれてアリエッティが初めて人間の暮らす家の中に入っていく。驚きの連続だ。小さな体が人間の住む家の中ではどんなことになるのかが、これだけのスリルを産む。ロープを伝って滑るように降りていくシーンが心地よい。
最後に、少年とアリエッティの別れのシーンにも言及したい。この定番のシーンがまた爽やかで素晴らしいのだ。こんなにも素直に感動したのは久しぶりのことだ。なんでもないドラマだが大事なものがすべてそこに詰まっている。少女は旅立ち、少年が見送るという図式がなんだか、ジブリらしい。男より女の子のほうが凛々しい。がんばれ男の子!と、声をかけてあげたくなる。