
映画としては題材に対する突っ込み方が浅く、中途半端な仕上がりになったと思うが、このテーマで誰もが素直にこのテーマと向き合っていくためには、こういう作り方は仕方がないことかもしれない。昔よくあった学校でみんなで見る教育映画のような作品である。(というか、それ、そのまま)
映画の解説にはこうある。
1959年、米軍のジェット戦闘機が墜落、炎上しながら宮森小学校へ激突し、学童11名、近隣住民6名の尊い命が奪われ重軽傷者210名という大惨事になった。俗にいう「石川・宮森ジェット機墜落事故」である。さらに2004年8月13日、米軍大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落、幸い民間人に負傷者は出なかったが、これもあわや大事故となるところで「沖国大米軍ヘリ墜落事件」として記憶に新しい。実際に起きたこの二つの米軍機墜落事件をモチーフに、オプスレイ配備に揺れる今の沖縄・日本に平和とは何かを問いかける問題作。
1959年、宮森小に米軍のジェット機が墜落し多くの死傷者を出した事件を中心に据えて、50年以上経っても変わらない沖縄の真実を伝える。沖縄には基地はいらない。そんな当然のメッセージが、50年の歳月を経ても癒えることのない傷とともに描かれる。事故のときにたくさんの友達を亡くした男(長塚京三)が主人公だ。大学生である彼の孫(須賀健太)が、ゼミの授業の課題として、その事件を調べるところからドラマは動き出す。
沖縄の米軍の人たちと、現地の人たち、その関係性をあらゆる視点から切り取ることで、いろんなことを考えてもらいたい、という作り手の意図はしっかりと伝わる。だが、平和コンサートに批判する人たちのような心ない人たちにも何かを伝えるためには、この映画は力を持つかというと、いささか心許ない。とても真面目で素直な映画だから、ひとりでもたくさんの人たちに見てもらいたい。でも、難しいだろうな。
あの須賀健太がなんと大学生を演じる。もうそんな年齢になるのだ。この映画の彼のような、かわいくて、正直そうでピュアな大学生を映画の中で見たのは、初めてだ。今時、どこにもいないような(でも、いて欲しい!)そんな素直な青年を須賀健太が一点の曇りもなく演じている。それを見るだけでも、ちょっとした感動がある。
映画の解説にはこうある。
1959年、米軍のジェット戦闘機が墜落、炎上しながら宮森小学校へ激突し、学童11名、近隣住民6名の尊い命が奪われ重軽傷者210名という大惨事になった。俗にいう「石川・宮森ジェット機墜落事故」である。さらに2004年8月13日、米軍大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落、幸い民間人に負傷者は出なかったが、これもあわや大事故となるところで「沖国大米軍ヘリ墜落事件」として記憶に新しい。実際に起きたこの二つの米軍機墜落事件をモチーフに、オプスレイ配備に揺れる今の沖縄・日本に平和とは何かを問いかける問題作。
1959年、宮森小に米軍のジェット機が墜落し多くの死傷者を出した事件を中心に据えて、50年以上経っても変わらない沖縄の真実を伝える。沖縄には基地はいらない。そんな当然のメッセージが、50年の歳月を経ても癒えることのない傷とともに描かれる。事故のときにたくさんの友達を亡くした男(長塚京三)が主人公だ。大学生である彼の孫(須賀健太)が、ゼミの授業の課題として、その事件を調べるところからドラマは動き出す。
沖縄の米軍の人たちと、現地の人たち、その関係性をあらゆる視点から切り取ることで、いろんなことを考えてもらいたい、という作り手の意図はしっかりと伝わる。だが、平和コンサートに批判する人たちのような心ない人たちにも何かを伝えるためには、この映画は力を持つかというと、いささか心許ない。とても真面目で素直な映画だから、ひとりでもたくさんの人たちに見てもらいたい。でも、難しいだろうな。
あの須賀健太がなんと大学生を演じる。もうそんな年齢になるのだ。この映画の彼のような、かわいくて、正直そうでピュアな大学生を映画の中で見たのは、初めてだ。今時、どこにもいないような(でも、いて欲しい!)そんな素直な青年を須賀健太が一点の曇りもなく演じている。それを見るだけでも、ちょっとした感動がある。