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映画・演劇のレビュー

角田光代『タラント』

2022-04-28 08:42:43 | その他

今年読んだ100冊ほどの小説の中で、これが一番心に沁みた。4月なのに早々に今年のベストワンに暫定で決定。400ページ以上の長編で、パラリンピックの話みたいなのに、なかなかその本題には入らない。それどころか、クライマックスはパラリンピックではない。東京五輪が1年延期になり、パラも同様に。スポーツものなんか、というミスリードだったのだ。もちろん、作者にはそんな気は一切なかったのだろう。2020年7月から新聞連載されているから、書いているうちに方向転換がなされたわけではない。(その段階で延期は決まっていた。)

帯には3人のお話にように書かれてある。「あきらめた人生のその先へ」というコピーはなんだかカッコいい。すべてをあきらめたように見える義足の老人。学校に行けなくなった中学生。もう仕事に情熱を傾けられない40代の女性、みのり。老人と少年は彼女の祖父と甥っ子だ。だから、彼女が主人公だ。

お話は2019年から始まり、20年前に遡る。1999年。彼女は大学に入り、香川から東京に上京する。大学に入り、ボランティアサークルに所属する。そこで出会った仲間との日々。そのサークルのスタディツアーでネパールに行く。学校を作る事業に(ほんの少しだけど)かかわる。自分に何ができるのか。自分は何がしたいのか。カメラマンを目指す友人がいる。ジャーナリストを目指す友人がいる。では、自分は? 大学時代の想い。就職してからの軌跡。2019年から2020年という時間と並行して1999年から2009年が描かれる。(さらには、さりげなく東日本大震災を描く空白の2010年から19年も。)コロナ禍の今に至るドラマは自分のことを中心にして描かれるが、祖父の謎を(甥っ子をワトソンにして)探し出すミステリでもある。

この世界にはさまざまな人たちが、さまざまな状況の中で生きている。貧困や諍い。戦争はなくならない。平和な日本では考えられないようなことが、今も起きている。TVや新聞での報道でなんとなくわかった気になっているけど、現実はそんなものではない。想像はできるけど、そんなのはただの想像でしかない。彼女たちは(ほんの少しだけど)自分の目でそれを見る。固く口を閉ざしていた祖父のお話は身近な現実だ。実はこの小説は彼の戦争体験からお話がスタートしていた。祖父と孫である彼女。この小説は、そのふたり(と、甥っ子)を中心としたお話なのである。祖父がかかわったバラを目指す少女のお話が後半で出てくる。そこにお話の全体が集約される。単純なお話ではない。主人公であるみのりを中心にしたそれぞれのドラマが交錯していくことになる。無気力に陥っていた彼女の再生のドラマになる。

それだけではない。これはみのりだけではなく、たくさんの登場する人たちの、さらには僕たち読者も含めての、自分の『使命』についての小説なのだ。自分が、この世に生まれてきた「わけ」について。そんなのはわからない。でも、そんなことを考えさせられる。小さな「使命」を信じて、邁進する。何ができるか、ではなく、何をしなければならないのか。大それたことではなく、ささやかでもいいから、それを自分の使命だと信じて、生きること。心の中に秘めて、突き進む。才能のあるなしなんて、わからない。出来るか、出来ないかも、わからない。でも、信じることこそが才能だ。


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