
実に久しぶりで自主映画(そんな言い方はもうしないのか?)を見た。別に避けていたのではないが、誰も見ろと、言わないから、自分から見たりもしないし、結果的に見ない、ということになっていた。たぶん、そこには面白い映画はたくさんあるのだろう。でも、つまらないものがわんさかある、はずで、そんなものにあたったなら、時間の無駄だ。
さすがの僕でも、そこまで暇ではない。ということで、今回本当に久々である。短編4本と、長編2本を見た。正直言って疲れ果てた。それは映画がつまらないからではない。体力がないからだ。
昔ならどうってことなかったことが、さすがに50歳にもなると、ツライ。ただし、身体を壊したが、無理して見てよかった。西尾孔志監督の『おちょんちゃんの愛と冒険と革命』という映画が見れたからだ。このバカバカしい話を成立させるエネルギーはそのへんの凡百の映画には及びもつかないことだろう。冗談のような話をリアルに成立させるために必要なことは主人公の切実さがどれだけ伝わるか、という1点に尽きる。それはリアリティーなんかではない。だいたいこの映画のどこにリアリティーなんてものがあるというのか。
レイプされたことで、性に対して恐怖を感じるようになった少女(そりゃぁ、なるでしょ)が、自らの性器をおちょんちゃんと名づけ、日記の中で対話をする。やがて現実の中におちょんちゃんが登場し、彼女を見つめる。
自暴自棄な生き方スレスレの毎日を送る彼女を追いかけながら、やがて終末を迎える世界(この唐突なビジュアルは凄いよ)の中で、彼女が再び生きる姿を描くラストまで、スクリーンに釘付けされる。それはこの映画が(荒唐無稽スレスレのお話も含めて)彼女の切実な姿が心に沁みてくるように作られてあるからだ。
その他の作品はそれぞれ面白い部分もあるが、わざわざ見るまでもない。長編の『ある光』は上手いとは思う。だが、構成も含めてまだまだ改良の余地がある。演技の稚拙さ(でも充分『おちょんちゃん』よりは上手だが)も含めて、演出が甘い。これでは独りよがりの域を出ない。通り魔に殺された恋人のことが忘れられないまま壊れていく男と、彼の周囲の人々のドラマを通して、この映画がどこに行きつきたいのかが、これではわからないからだ。
最初に見た34分の短編『夜を翔ける』は昔ながらの自主映画で思いつきの域を出ない。30分が長い。その点、この日最後に見たパノラマ党ムービー3本(いずれも前西和成監督)は上手い。こういうスプラッターってありそうでない。
さすがの僕でも、そこまで暇ではない。ということで、今回本当に久々である。短編4本と、長編2本を見た。正直言って疲れ果てた。それは映画がつまらないからではない。体力がないからだ。
昔ならどうってことなかったことが、さすがに50歳にもなると、ツライ。ただし、身体を壊したが、無理して見てよかった。西尾孔志監督の『おちょんちゃんの愛と冒険と革命』という映画が見れたからだ。このバカバカしい話を成立させるエネルギーはそのへんの凡百の映画には及びもつかないことだろう。冗談のような話をリアルに成立させるために必要なことは主人公の切実さがどれだけ伝わるか、という1点に尽きる。それはリアリティーなんかではない。だいたいこの映画のどこにリアリティーなんてものがあるというのか。
レイプされたことで、性に対して恐怖を感じるようになった少女(そりゃぁ、なるでしょ)が、自らの性器をおちょんちゃんと名づけ、日記の中で対話をする。やがて現実の中におちょんちゃんが登場し、彼女を見つめる。
自暴自棄な生き方スレスレの毎日を送る彼女を追いかけながら、やがて終末を迎える世界(この唐突なビジュアルは凄いよ)の中で、彼女が再び生きる姿を描くラストまで、スクリーンに釘付けされる。それはこの映画が(荒唐無稽スレスレのお話も含めて)彼女の切実な姿が心に沁みてくるように作られてあるからだ。
その他の作品はそれぞれ面白い部分もあるが、わざわざ見るまでもない。長編の『ある光』は上手いとは思う。だが、構成も含めてまだまだ改良の余地がある。演技の稚拙さ(でも充分『おちょんちゃん』よりは上手だが)も含めて、演出が甘い。これでは独りよがりの域を出ない。通り魔に殺された恋人のことが忘れられないまま壊れていく男と、彼の周囲の人々のドラマを通して、この映画がどこに行きつきたいのかが、これではわからないからだ。
最初に見た34分の短編『夜を翔ける』は昔ながらの自主映画で思いつきの域を出ない。30分が長い。その点、この日最後に見たパノラマ党ムービー3本(いずれも前西和成監督)は上手い。こういうスプラッターってありそうでない。