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映画・演劇のレビュー

カメハウス『骨のない魚』

2013-07-23 07:11:16 | 演劇
 1時間40分の芝居なのだが、最初の30分を見ていない。別の用事があって間に合わなかったのだ。(HPFとバッティングしたのだ!)
こんないいかげんな状態での鑑賞を許可してもらえてとてもうれしい。もう絶対に見れないだろうと諦めていたのだが、ダメだと言われると、意地でも拘りたくなるのが、人間で、諦めきれず走って劇場に駆け込んだ。

 途中からなので、まるで話がわからない。大丈夫か、オレ、とかなり心配しながら必死に見た。事前に何の情報も入れずに見るのが、僕のやり方なので、余計にこういうパターンは拙い。5人の男女がここにはいる。ここは宇宙船の中で、彼らはコールドスリープから覚めたら、順に業務に就く。艦での業務は単純作業で、ひとりで出来る。だから、彼らは交代のために、言葉を交わすが、しばらくすると、また、ひとりになる。本当は6人だった。だが、ひとりがいなくなった。どこでどうなったのかは、わからない。本来なら非常事態なのだが、通常業務をこなしている。長期間の旅で、何よりもまず、本務を優先する。

 ひとりで過ごす時間は、孤独で、長時間の業務には耐えられない。だが、そういうシステムになっているようで、その勤務形態を変更できない。長期の宇宙の旅である。いろんな面で、制約がある。それをまずちゃんと運用しなくては職務を全うできない。

 ミステリ・スタイルなのだが、犯人探しだとか、事件の概要、それが今後の展開にどういう影響を及ぼすのか、とか、普通のドラマなら大切にする部分をわざとスルーするような作り方になっている。淡々と彼らの時間が流れていくだけだ。どこまでが現実でどこからが妄想なのかすら定かではない。閉ざされた狭い艦内で、ひとりぼっちで、刺激のない毎日で、そんな中、彼らの思念は内へ、内へと籠らざる得ない。ストーリーを追いかけることを重視するのではなく、ここにいて鬱屈していく彼らひとりひとりの内面の想いこそが、追いかけられていく。だから、芝居はきっと最初から見ても、わかりずらいものだったのではないか。観客は、説明なしにこの世界に放り込まれて、あれよあれよと思う間もなく、彼らの日常と寄り添うことになる。

 芝居の最後になってこの旅の最初のシーンが描かれる。6人がここにきて、ともに宇宙へ旅立つシーンだ。これはお話の謎解きではない。確認ですらない。そこまで描かれたドラマの発端をここに示すことで、永遠に続くような時間が強調される。

 この観念的な芝居は、宇宙を舞台にしたSFではない。それは、あるシチュエーションのなかで、人が何を思い、何を感じるのか、をシュミレーションするための仕掛けでしかない。艦内がなぜか、緑で覆われ、たくさんの骨がそこに置かれてある。本来なら無機的な空間になるはずの場所が、芝生を敷き詰めた緑と、薄青い骨に彩られた迷路の趣を呈する。これは艦内であると同時に人の心の中なのだ。そして、彼らはたったひとりでいることに耐えられないから、誰かに見られていると思う、ことにする。ここにはないはずの視線を感じて、ひとりで行動する。宇宙と深海がひとつのイメージで結ばれる。心の中の他者が形を作り、そこに現れる。ひとりひとりの6人(死んでいる1人含む)が、ここに一同に会して、旅立つラストシーンが心地よい。

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