
よくある英語版リメイク。フランス映画『エール!』が元ネタ。聾唖者の家族の世話をするけなげな女の子のお話。オリジナル版は以前見ている。結構好きな映画だったけど、それほど印象には残っていない。だから、今回のアメリカ映画(カナダとの合作)としてのリメイクに期待はしてなかったし、見に行く気もなかったのだが、信頼できる友人から勧められて、それではまぁ、見ましょうか、という気になった。見てよかった。
こんなにも甘いしお涙ちょうだいのお話なのに、嫌ではなかった。それどころか、とても好き。凄い映画だ、とかいうつもりはない。感動を押し付けてきそうなこういうヒューマンドラマには何度となくげんなりさせられている。でも、これはそうじゃない。この適切な距離感は素晴らしい。お話で見せるのではなく、彼女の日々のスケッチを見せる。家族がみんな聾唖者であるという「特別」を見せるのではなく、ここで生まれここで生きている17歳の女の子の日常をそのまま切り取っただけ、というスタンスがすばらしい。冒頭で描かれる漁のシーンが素晴らしい。彼女たちの日々の暮らしをしっかり描くところから映画は始まる。
天才的な歌の才能を見出されて、それをみんなが応援して成功を収めるとか、そんな話ではない。彼女の指導に当たる高校の音楽教師は、彼女だけを特別扱いするわけではない。彼女の抱える事情に配慮するわけでもない。彼女が求めるなら支援する、というスタンスなのだ。さらに家族はみんな彼女に依存している。そのことを当然のように享受する。でも、彼女に甘えるのではない。仕方ないから、そうしている。すまないとは思うけど、そうしなくては家計や生活は成り立たない。まだ子供なのに、けなげに家族の犠牲になる、とかいうのではない。彼女は自分の意志でそうしている。家族はそれを受け入れる。可哀そうというのとは少しわけが違う。これは彼女たちの現実なのだ。それだけ。言い訳もしないし、悲壮になったり、恨んだりもしない。
音楽大学に行く、という決断を家族が応援して送り出す、という感動の結末も、決してそこから暖かい家族愛を謳うわけではない。見送る姿が感動的なのは、純粋に彼女がここから旅立ち自分の人生を歩き出す姿が感動的だからだ。人生は誰かが誰かの犠牲の上で成り立つわけではない。自分の力で生きていくのだ。そのとき、助けてくれる人たちがいる。それが家族や友人、そして先生であればいい。これはそんな当たり前のことを丁寧に描いた映画だ。そして、それは奇跡でもある。そんな小さな奇跡に僕らは感動するのだ。