プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三橋豊夫

2014-05-06 18:43:36 | 日記
1971年

一軍の善戦に刺激されたか、このところ首位の座で頑張るヤクルトにまた明るい材料が一つ。それは大型左腕と期待をかけられているルーキー三橋が、巨人戦で初完封をやってのけたこと。巨人五回戦(浦和)で先発した三橋は、一回、阿部の二塁打と二つの四死球などで一死満塁のピンチをつくったが、ここを切り抜けてから立ち直り、以後は大きなカーブをコーナーに決めて巨人打線を散発の三安打に押え、初勝利(通算一勝一敗)を見事な完封で飾った。一メートル八二、七五キロと大型新人の三橋は「第二の金田」と言われる注目株。まだ荒けずりなため、一軍入りは会田、大木らに先を越されてはいるが、将来性なら三橋が上といわれている金の卵だ。埼玉・鴻巣高から日通浦和を経てプロ入りしたもので、この地元での初勝利は「故郷へ錦を飾った」というところ。三橋は「行けるところまで行こう・・と投げているうちに完封になってしまって・・。この前負けた巨人に、それも地元で勝ててこんな嬉しいことはありません」と大喜び。「一日も早い一軍入りが目標」という三橋に、案外チャンスが早く回ってくるかも知れない。
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川口孝秀

2014-05-06 16:57:31 | 日記
1968年

韓国ブームにあやかったわけではないだろうが、川口孝秀投手(PL学園三年生)=右投げ右打ち、一メートル八二、七〇キロ=の入団がアッという間に決まった。入団前にほとんどマスコミに騒がれなかったのは、PL学園が甲子園にも出場せず、在学中は目立たぬ存在であったからだ。「大阪にいい投手がいる」との情報をキャッチした球団は長谷川、高木時雨コーチをすぐ派遣し、実地に投球をやらせてみたところ「これは将来性のある逸材だぞ」と折り紙をつけ、すぐ入団の運びになった。川口のことをいち早く知りながら、一足出遅れた広島が「してやられた」と口惜しかったというおまけもついている。
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小金丸満

2014-05-06 16:32:02 | 日記
1971年

「一軍入りが目標だったのにピンチヒッターにさえ一度も出られなかった。この口惜しさを来年は必ず晴らしますよ」こういう小金丸(ロッテ)は、いま長崎県壱岐津島の郷里で毎日走り込んでいる。電電四国から前田康と一緒に今年ロッテ入り。入団発表の席では足を組み、平然とタバコを吹かして「なんとズブトイ新人。いい根性や」と、永田オーナーや報道陣を面食らわせたが、キャンプから公式戦に入るにつれて、だんだんおとなしく?なって、結局はイースタン暮らし。憧れの一軍戦には一度も出場出来なかった。イースタンでは二割一分七厘の三振三十七。せめてもの救いはイースタン一位の九本塁打(イースタンは十本以上でないとタイトルの対象にならない)をマークしたこと。「一軍にはとうとう上がれなかったけど九ホーマーで自信はついた。オフの間は当分走り込んで体の切れをよくしたい。そして腕力ばかりに頼らない、変化球を打てる確実性のあるバッターが来年の目標」と意欲的で、左の手の平には直径二センチぐらいの素振りの副産物のタコが出来ている。矢頭コーチは「まともに当ればスタンドへほうり込む長打力には魅力がある。しかし、今年は体の切れが悪く、変化球について行けなかった感じ。来年は不足している右の代打として台頭してくると思う」と大きな期待をかけている。
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里見進

2014-05-06 16:23:21 | 日記
1971年

プロ野球にも変りダネがいる。縁の下の力持ち役を認められた選手、意地を通す男・・その中から来季、面白い話題になりそうな変わりダネ選手を拾ってみた。トレード会議の結果、ロッテから南海への移籍が決まった里見進捕手(二七)は考える野球を推進してきた野村南海の頭脳プレーの網にかかった選手だ。三十七年群馬県の高田高からロッテ入り、以後の九年間、わずか八十六試合に出場しただけで、打率も二割に満たず、今季は一試合、それもあて馬という、目につかぬ下積み選手だった。トレード会議はチーム保有選手の五分の一をリストアップすることになっている。ロッテは員数を合わせるためにこの里見の名前を名簿に乗せた。それを南海が指名、かっさらって行ったときには、情報網の確かさにアッと驚いたものである。里見は、球団幹部、選手の間で信望があり、頭もよかった(ロッテ・田村営業部長の話)ので合宿寮長兼ファームのコーチ補佐をしていた。縁の下の力持ちとして、ロッテは里見の存在価値を認めていたのである。そんな里見に目をつけ、しかもロッテ野球の秘密を里見からカギ出そうとした南海のねらいに、ロッテ関係者は「まさか指名されるとは思っていなかった。正直いって出すのは惜しい」(田村営業部長の話)とくやんでみても後の祭りだった。
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高橋二三男

2014-05-06 16:14:53 | 日記
・福本「阪急」、弘田「ロッテ」と並ぶ小男大プレーヤーの1人。米国の野球留学時代、コマネズミのような俊敏な動きを見せることからミッキーの愛称で親しまれた。選球眼もよくチャンスづくりの名人、又、流し打ちを得意とする。

年度別年俸「1978年、320万」「1979年、320万」

1979年ファーム成績
63試合・214打数53安打・打率248・本塁打1・打点11

1971年
・山椒は小粒でも・・を地で行くハツラツとしたプレーを見せているのがルーキー高橋二「西鉄」だ。3月16日、阪神とのオープン戦「岡山」。背丈の高い田淵と肩を並べることになった打席では、後ろにミットを構える田淵の184センチの体が高橋二を覆いかぶさっているようで、いかにも心もとない。阪神ベンチの村山監督からも思わず「小さいなあ」と声がもれたほどだが、上田投手に4回まで無安打に抑えられていたこの試合、高橋二は遊ゴロを足で内野安打にして気を吐いた。この打球を処理した藤田平が「あいつの足が速いのにはおどろいた」とびっくり顔するほどだったが、「新人王がダメなら盗塁王へ挑戦してみますか」と口の方は体に似合わずデッカイ高橋二である。
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