・高校3年時「松山商業」の1978年、捕手で4番、主将も兼ねて甲子園に出場。社会人時代「スリーボンド」の1985年、都市対抗で3試合連続本塁打。プロ入りしてからスイッチヒッターに転向し、ポジションも内野ー外野ー捕手ー内野と毎年、目まぐるしく変った。
年俸「87年・480万」「88年・530万」「89年・650万」「90年・650万」
ファーム成績
1989年・54試合、打率197、本塁打1、打点9
1990年・44試合、打率271、本塁打0、打点14
1986年・3月22日・オープン戦・日本ハムー西武「後楽園」
西000000010・1
日00010013・・5
勝ち・津野、負け・串原
本塁打・パットナム2号、沖1号
・日ハムの新人・沖が12球団トップのルーキー・1号アーチをかっ飛ばした。5回から古屋に代わって三塁の守りにつき、第1打席は空振りの三振。2打席目は8回無死1,2塁のチャンスで登場だ。西本の4球目、真ん中高めをフルスイング、打球は左中間スタンドへ飛び込んだ。「ルーキーの中で最初にホームランを打てて気持ちいいですね」とニッコリ笑った。スリーボンドから入団。社会人だった昨年、都市対抗でジャンボ席に特大のアーチを放つなどパワーには定評があった。高田監督は「新人の一発は自信になるよ。とにかくパンチ力があるね。名護キャンプのときは一番悪かったけど、フロリダ・キャンプからオープン戦と調子を上げてきている。ルーキーとしては一番いいパターンだ」と、こちらもニッコリだ。1月には長女・樹莉亜
「じゅりあ」ちゃんが誕生し、それまで住んでいた八王子から合宿所近くの川崎市中原区の3DKのマンションに引っ越した。妻の佳保里さんは、「新居」でテレビの前に正座して夫の活躍を見守った。「前の打席で三振したので、ダメかなと思ったところへホームランでした。うれしくて飛び上がってしまいました」夕食はハンバーグの予定だったが、急いでごほうびのステーキを買いに行った。「25歳になりますので、他のルーキーより厳しい。1年目からガンガン行きますよ」と沖はいい残し、妻と長女の待つ自宅へ急いだ。