プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

長持健一

2014-05-24 19:06:58 | 日記
1969年

テスト生あがりの名選手といえば、山内(広)野村(南)土橋コーチ(映)など多士済々だが「ボクも将来は土橋さんのようなエース投手になりたい」と大きな夢を持ってオープン戦に参加しているのが東映の長持。早くも二試合に登板(二十一日現在)三イニングで二安打というかなりの成績を残している。長持はかつて東急ー広島で鳴らした長持栄吉外野手(埼玉県教育委員会)の甥で、昨年東映のテストを受けて合格したばかりの投手だが、東京駒沢中学時代は二塁手、そのあと国士舘高を一年で中退し、自衛隊に二年在籍、さらに小西電機でサラリーマンという変わった経歴の持主。野球の経験も、草野球と自衛隊仲間と軟式を楽しんでいた程度で、投手としてのキャリアも殆どない選手だ。一メートル七五、七三キロと体はまずまずだ。長持は「忍耐力では誰にも負けない自信がある。堅いボールにも馴れたし、将来は速球で勝負できるピッチャーになるのが夢」と張り切っている。松木監督は、この長持をオープン戦メンバーに組み入れた当時はバッティング投手として考えていたそうだが、今では第二の土橋として注目している。みっちり鍛えれば面白い投手になるだろう」と第二の土橋長持に目をかけている。
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岡田光雄

2014-05-24 18:51:05 | 日記
1969年

藤井寺の秋季練習で、中原コーチの下で、岡田、五十嵐、芝池、水谷、半田の五投手が、Aグループとして、シゴかれている。この中で筆頭の岡田投手は、今シーズン有望視されていた芝池、水谷を抜いて、いち早く第一線に躍り出て九勝をあげ、鈴木、清、佐々木につぐ四本目の柱に成長したルーキーで、来シーズンは十五勝は固いとみられている。ノンプロ・松下電器から近鉄に迎えられた今シーズンの初めは、速球とドロップだけが武器であったため打ちこまれることも多かったが、半年でシュートをマスターしてからは勝星もふえてきたのである。そこへ、さらにパームボールを覚えてピッチングの幅を一段と広げようというわけで、いま中原コーチの指導で落ちる球の習得に余念がない。パームボールといえば、ロッテの小山投手が、その一人者といわれているがこの岡田投手の体格も、小山の一八三センチ、七三キロに比して身長は同じ、体重は七五キロと似ており、持前の制球のよさに加えて、この体格を生かせば、小山投手同様の落ちる球の名手になれるとみられている。「ことしは、よいピッチングをしているときでも、六、七回になるとくずれることがあった。これは球種のすくないこともあったが、力の配分がうまくやれなかったからだ。来シーズンは、パームボールを覚え、力の配分さえ考えたら、九回中に一度くずれるというようなことはなくなると思っている。二年目のジンクスなんて、このパームボールさえ覚えたら、なんでもありません」こう語る岡田は、入団当時「右の鈴木投手になる」といっていたが、その鈴木は入団の年に十勝、二年目には二十勝投手となっているだけに、来季は十五勝どころか、二十勝を狙いたいところ。投手としては、小さな尻の持ち主で比較的弱い下半身を鍛えるために、ピッチングの外に、人一倍のランニングで汗を流している。
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