1968年
ドラフト会議で第一番目に指名した国学院大・小谷正勝投手(21)=1㍍79、74㌔、右投げ、右打ち、明石高出=の入団が決まった。小谷投手は東都野球リーグの二部随一のエース。右腕から投げ下ろす速球とカーブは一部専門家の間で高く評価され、巨人前川スカウト部長もたいそうご熱心だった。ところが、東部二部の悲しさ、その名前すら知らない人がほとんど。大洋はドラフト会議ができてから昨年の松岡(明大出)といい、ほぼ無名に近い選手をトップにランクしてきた。小谷もその例にもれないわけだ。しかし、いざ交渉してみると、本人の「自信がない」ということにプラスして、ノンプロ日立製作所(日立市)に誓約書を提出しているほど。父親の浪蔵さん=牧畜業=をはじめ周囲はほとんど反対。別当監督が説得をしても駄目で、一時は絶望と思われていた。それを入団に向けさせたのは藤井二軍監督(前スカウト部長)らスカウト陣の総力の結集といえる。十二月も押し迫った二十四日に、「日立側の了解さえ得られれば」の態度軟化をみせると、関西駐在の高松スカウトが日参。一方、小谷は七日に上京すると日立側に働きかけ、十日、十一日、十二日と迫畑顧問、多賀人事部長、先輩の渡辺氏らに了解を求めにいくといった熱心さに、日立側もついに折れて入団となった。
ドラフト会議で第一番目に指名した国学院大・小谷正勝投手(21)=1㍍79、74㌔、右投げ、右打ち、明石高出=の入団が決まった。小谷投手は東都野球リーグの二部随一のエース。右腕から投げ下ろす速球とカーブは一部専門家の間で高く評価され、巨人前川スカウト部長もたいそうご熱心だった。ところが、東部二部の悲しさ、その名前すら知らない人がほとんど。大洋はドラフト会議ができてから昨年の松岡(明大出)といい、ほぼ無名に近い選手をトップにランクしてきた。小谷もその例にもれないわけだ。しかし、いざ交渉してみると、本人の「自信がない」ということにプラスして、ノンプロ日立製作所(日立市)に誓約書を提出しているほど。父親の浪蔵さん=牧畜業=をはじめ周囲はほとんど反対。別当監督が説得をしても駄目で、一時は絶望と思われていた。それを入団に向けさせたのは藤井二軍監督(前スカウト部長)らスカウト陣の総力の結集といえる。十二月も押し迫った二十四日に、「日立側の了解さえ得られれば」の態度軟化をみせると、関西駐在の高松スカウトが日参。一方、小谷は七日に上京すると日立側に働きかけ、十日、十一日、十二日と迫畑顧問、多賀人事部長、先輩の渡辺氏らに了解を求めにいくといった熱心さに、日立側もついに折れて入団となった。