・入団1年目「1973年」のシーズン、小気味いいノーワインド・アップ投法で6勝をあげたときは大変な投手が現れたと騒がれたものだったが、その後、思ったより伸びない。今後は中継ぎに活路を見いだすが、変化球が低めに決まれば期待できそうだ。カーブが武器。
年俸「1977年・280万」「78年・360万」「79年・360万」
1981年
・三浦政基投手「南海」は6月4日の日ハム戦「後楽園」で、1球も投げないのにセーブを稼いだ。9回ウラ、日ハムは二死後、クルーズが本塁打を放ち7-8と1点差につめ寄り、さらにソレイタが右前安打したところで南海の4番手に三浦が登板してきた。三浦は打者・古屋に投げる前に、ソレイタに代わる一塁走者・井上晃のリードが大きいの見て、けん制球でアウトにし見事ゲームセット。これで三浦の「0球セーブ」が記録された。この三浦は5月6日の西武戦でも、2球投げただけでセーブを記録している。
年俸「1977年・280万」「78年・360万」「79年・360万」
1981年
・三浦政基投手「南海」は6月4日の日ハム戦「後楽園」で、1球も投げないのにセーブを稼いだ。9回ウラ、日ハムは二死後、クルーズが本塁打を放ち7-8と1点差につめ寄り、さらにソレイタが右前安打したところで南海の4番手に三浦が登板してきた。三浦は打者・古屋に投げる前に、ソレイタに代わる一塁走者・井上晃のリードが大きいの見て、けん制球でアウトにし見事ゲームセット。これで三浦の「0球セーブ」が記録された。この三浦は5月6日の西武戦でも、2球投げただけでセーブを記録している。