・松本、竹田に次ぐサウスポーとして期待されている。中継ぎ候補だ。
1976年「年俸220万」
・敗戦投手の目にさわやかな喜びの涙があった。「久しぶりにいい汗をかきました。ほんとに・・・」その声は震えがちだ。5月9日のウエスタン南海戦、村上はリリーフで2イニングに登板、昨年4月12日「阪急戦」以来のマウンドに立った。結果は打たれたものの再起へ十分に見通しのつくピッチングだった。1年前、プレー中に起こったアクシデント。投手にとって生命線ともいえる軸足首の複雑骨折。「もう二度とマウンドに立てないのでは・・・」本人だけでなく、周囲もそう思わざるを得なかった。モンモンとした日々。入院生活が続いた。だが、村上は耐えた。「せめてもう一度・・。ボクから野球を取ったら何が残るか」1ヵ月後には歩き始め、引きずるようにして散歩の距離を伸ばしていった。そして軽いランニングからダッシュ・・。思い切って走れるようになったのは、今年もキャンプが始まろうかという時期だった。遠かった再起への道のり。マウンドの感触が、村上には懐かしくてたまらなかったに違いない。初勝利はもうすぐそこに来ている。
1976年「年俸220万」
・敗戦投手の目にさわやかな喜びの涙があった。「久しぶりにいい汗をかきました。ほんとに・・・」その声は震えがちだ。5月9日のウエスタン南海戦、村上はリリーフで2イニングに登板、昨年4月12日「阪急戦」以来のマウンドに立った。結果は打たれたものの再起へ十分に見通しのつくピッチングだった。1年前、プレー中に起こったアクシデント。投手にとって生命線ともいえる軸足首の複雑骨折。「もう二度とマウンドに立てないのでは・・・」本人だけでなく、周囲もそう思わざるを得なかった。モンモンとした日々。入院生活が続いた。だが、村上は耐えた。「せめてもう一度・・。ボクから野球を取ったら何が残るか」1ヵ月後には歩き始め、引きずるようにして散歩の距離を伸ばしていった。そして軽いランニングからダッシュ・・。思い切って走れるようになったのは、今年もキャンプが始まろうかという時期だった。遠かった再起への道のり。マウンドの感触が、村上には懐かしくてたまらなかったに違いない。初勝利はもうすぐそこに来ている。