プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

野上俊夫

2014-05-13 20:45:18 | 日記
1967年

第二試合で甲府商の望月投手が果たせなかったノーヒット・ノーランを、つづく第三試合で市立和歌山商の野上投手が三重相手になしとげた。この野上を近畿地区大会準決勝で16安打を浴びせてノックアウトした近大付属が、左腕サブマリンという風変わりな甲府商・望月投手の魔球にあやうくノーヒット・ノーランの瀬戸ぎわまで追い詰められたことを思うと、なにか因縁じみた気もする。「ひのき舞台で不名誉な記録だけは残したくなかった。それだけに白石がよく打ってくれました」と近大付属の豊田監督が語っていたように、三重の榊原監督もそうした気持でいっぱいだったと思う。その願いも空しく三重はついに一本のヒットが出せなかった。三重の打者が技術的に未熟だったことは否定できないが、高校選手は総体的に野上のような左腕でカーブを巧く使い分ける投手は苦手である。しかもこの日の野上はストレートの威力があり、内角低めにビシビシと決まっていた。このために得意の上から落ちるカーブが非常に効果的だった。三重はこのカーブにタイミングをはずされ、内角の速球につまっていた。しかし野上が最高のピッチングを示すことができたかげには、井田という好捕手がいたことを忘れてはならない。井田は一か月前、右足首にヒビがはいり、つい最近ギプスをはずしたばかり。ビッコをひきひきのプレーは痛々しい感じだった。この傷ついた井田が、六回に先制のホームランを左翼へかっ飛ばしたのだから驚きである。「内角をねらえ」のベンチの指示どおり、内角低めにきたストレートを打ったものだが、腰がよくはいり、打った瞬間にホームランとわかる豪快な当たりだった。この一撃が野上をどれほど元気づけたことか。 野上が「井田のサインどおりに投げたのがよかった。やはり井田が受けてくれると投げやすい」といったことばが、バッテリーは一心同体であることをあらためて痛切に感じさせた。井田はキャプテンで攻・守のかなめの重責を、負傷しながらもよく果たし、市和歌山商に勝利をもたらすとともに、野上に快記録を達成させた。
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小野坂清

2014-05-13 20:32:35 | 日記
1967年

東映は一回一死後、連安打の岡嶋、毒島をおいて張本が中越えに二塁打を放ち、大杉の右前打で張本もホームをふんで3点、二回には敵失で1点を追加して優位に立った。だが、ねばりの出てきた近鉄は四回二走者をおいて土井が嵯峨の初球真ん中へのスライダーを中堅左へたたき込んだ。近鉄は五回にも代わった田中を二死満塁と攻めつけ、高木が押し出しの四球を選んで試合をふり出しに戻した。好リリーフした近鉄の左腕小野坂は、カーブをうまく混ぜた軟投で東映をかわしていたが、八回二死後に直球がタマひとつ真ん中へ寄ったところを大杉に本塁打(二試合連続)され、九回に疲れたところを連打されたが、外角のシュートとスタミナが今後の課題だ。
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