1975年・年俸300万
「南海時代」
・39年に産経アトムズに入団したが、ほとんど代打生活。47年、ホークス移籍後も相も変らず代打ひと筋に生きている。気は滅法強い。
1970年
・「毎日野球をやるのが、こんなにも楽しいとは思わなかった」トオルこと大塚外野手が7年目でつかんだレギュラーの生きがいを明るい表情で語った。この男、400勝投手・金田が在籍中たわむれの相撲で「金田天皇」をズッデンと投げ飛ばした怪力と度胸の持ち主。野球センスもあり歴代の首脳陣にも期待をされていた。ところが、入団後数年はどうも落ち着かず、私生活で再三のルール違反を犯した。あるときはコーチにこぶが出るほど殴られ、又あるときは数ヶ月も自宅謹慎を命じられるほど脱線が多かった。1番ショックだったのは飯田監督のころに命じられた自宅謹慎で「ふるさとの川でつり糸をたれながら自分の将来を考えました。でも、もう一度野球がやりたくでどうしょうもなかった」そうだ。その後、謹慎が解け大塚は再びヤクルトのユニフォームを着ることができた。捕手から外野へポジションは変ったが、いつかレギュラーになってみせると努力したのであった。
「南海時代」
・39年に産経アトムズに入団したが、ほとんど代打生活。47年、ホークス移籍後も相も変らず代打ひと筋に生きている。気は滅法強い。
1970年
・「毎日野球をやるのが、こんなにも楽しいとは思わなかった」トオルこと大塚外野手が7年目でつかんだレギュラーの生きがいを明るい表情で語った。この男、400勝投手・金田が在籍中たわむれの相撲で「金田天皇」をズッデンと投げ飛ばした怪力と度胸の持ち主。野球センスもあり歴代の首脳陣にも期待をされていた。ところが、入団後数年はどうも落ち着かず、私生活で再三のルール違反を犯した。あるときはコーチにこぶが出るほど殴られ、又あるときは数ヶ月も自宅謹慎を命じられるほど脱線が多かった。1番ショックだったのは飯田監督のころに命じられた自宅謹慎で「ふるさとの川でつり糸をたれながら自分の将来を考えました。でも、もう一度野球がやりたくでどうしょうもなかった」そうだ。その後、謹慎が解け大塚は再びヤクルトのユニフォームを着ることができた。捕手から外野へポジションは変ったが、いつかレギュラーになってみせると努力したのであった。