プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

池辺巌

2015-03-19 20:22:26 | 日記
1961年

大毎オリオンズでは十二日午後三時千代田区有楽町の球団事務所でかねてから入団の決まっていた池辺巌投手(17)=長崎海星高=の正式入団の発表を行った。池辺投手は今年春夏と甲子園のマウンドを踏み、九州球界では門岡と並んでその速球が評判されていた。昨年九州大会の優勝投手となって最優秀投手と、首位打者になっている。大毎のほか巨人、東映、大洋、阪神、広島から入団の勧誘を受けていた。1㍍77、74㌔、右投右打。

池辺投手の話 他球団からも話はあったが、私は大毎が好きだったし、はじめからプロ入りするなら大毎と決めていた。プロへ入ってからこれといった目標は立てていないが、力と並行した頭のピッチングができるように勉強していきたい。

宇野監督の話 池辺君は今年プロ入りした尾崎、柴田、門岡、山中と並んで高校球界五指の中に入る好投手。青木君が早くから入団の交渉をしていたが、スムーズに大毎入りが決まりよかったと思っている。素質のある速球投手なので早く第一線に押し出していくよう指導に当たるが、大毎の投手陣にあって毒島、池辺両君は来年度のホープといえる。
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石戸四六

2015-03-18 23:47:16 | 日記
1961年

国鉄スワローズは二十一日午後四時から丸の内の球団事務所で、日立製作所の石戸四六(イシトシロク)投手(21歳=秋田商)の入団を発表した。同投手は身長1㍍74、体重74㌔で右投右打、スリークォーターからの速球と、シュートを武器としている。三十三年の夏は二年生ながら甲子園のマウンドをふみ、徳島商の板東(現中日)と投げ合って惜敗している。三十五年に同社に入り、今夏の都市対抗野球大会には、日鉱日立に補強されて出場、倉レ岡山を5安打に押えて3-2で降し、二回戦の山陽特殊製鋼戦にはリリーフで好投している。秋田商では先に大洋入りした佐々木吉投手の二年後輩に当たる。二十四日から公式戦に出場できる。

砂押監督の話 未完成だが、それだけにまだまだ伸びる可能性があるわけだ。体格もいいし期待してもいいだろう。

石渡投手の話 大毎、大洋球団からも話がありましたが、国鉄が一番熱意を示してくれたし、私の力を認めてくれたので、国鉄を選んだ。どこまでやれるかわからないが、一生懸命にやるつもりです。武器はシュートなので、その効果を生かすためにもなお一そうのスピード・ボールとカーブをマスターしたい。
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遠藤浩司

2015-03-18 23:22:38 | 日記
1962年

阪急ブレーブスでは六日午後四時から大阪梅田の航空ビル九階シルバーで、東北高の遠藤浩司(こうじ)投手(18)=身長1㍍78、体重75㌔、右投右打=の入団を発表した。同投手は二年生のころからプロ・スカウトの目にとまった本格派投手。今夏の予選(宮城県)決勝では育英学園に敗退したが、遠藤投手はリリーフとして活躍。予選4試合を無失点におさえている。阪急では同投手を米田二世として大きな期待をかけている。なお遠藤投手は39年度の入団選手のため、研修100試合は来季から適用される。

遠藤投手の話 阪急を選んだのは投手を育てるのが上手だからです。武器は速球とドロップですが、とにかく一生懸命がん張り、米田さんのような投手に早くなりたいと思います。

阪急丸尾スカウトの話 昨年村上君をとりに行ったとき、遠藤君をみたのだが、球が速いので一ぺんにほれ込んだ。東映、近鉄からも誘いがあったらしいが、ウチへきてくれた。球が速いのが第一の魅力で、ウチの米田君に似たピッチングをする。体も大きく、将来が楽しみな投手だ。
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漆畑勝久

2015-03-18 22:58:37 | 日記
1961年

漆畑勝久選手…明大、清水東高出身、1㍍78、74㌔、右投右打

同選手は清水東高時代から大型遊撃手として定評があり、甲子園大会では持ち前の長打力と軽快なフィールディングをみせて注目された。当時からすでにプロ球団のスカウトがマークしていたが、その将来性をみこんだ島岡監督(現総監督)が熱心に勧誘、明大入学の運びとなった。入学後は西村選手(現拓殖銀行)のあとガマとして二年生の春からレギュラーの位置を確保、大型にありがちなもろさはあったもののつねに明大の主軸として活躍。とくに今春は三割六分七厘を記録して打撃四位、ベスト・ナインには満票で選ばれている。春以来プロ各球団はその素質をみこんで獲得にのり出した。広島、大洋、東映、阪神、中日、近鉄などがあるが、なかでもっとも積極的だったのが広島で、同選手の長兄が広島カープの出資元である東洋工業に勤務しているところから交渉をすすめ、本人はもちろん、島岡監督にもぬかりなく手を打つ一方、清水市の同選手の実家に両親を訪ねて入団を嘱望した。一方、内野陣に悩みを持つ東映も激しい追い込みをみせ、大洋もまた積極的に勧誘したが、同選手は早くから長兄のすすめる広島を意中の球団ときめており、また広島では条件的にも他チームに見おとりせぬ額を提示して意欲的な勧誘につとめ、これが実ったものである。長兄が十一月二日上京し、明大島岡総監督と最終的な話し合いを終えたのち、シーズン終了後正式契約をかわすもようである。

漆畑選手の話 兄もすすめる広島が自分としても働きやすい球団と思ったから、お世話になることに決めている。細かい話は来月二日に兄が上京するから、そのときに島岡さんにもよく相談して最後の結論を出したいと思っている。

明大・島岡総監督の話 本人は広島に決めているようです。漆畑君の兄さんが来月上京するそうですから、このときにはっきりすると思う。
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永易将之

2015-03-18 21:40:25 | 日記
1961年

東映フライヤーズでは二十三日午後三時半、東京京橋の球団事務所で永易将之投手(21)=大工大付属高出身、1㍍76、71㌔、右投右打=の入団を発表した。永易投手は三十五年近畿電電に入社、三十六、三十七年の都市対抗に出場、三十七年の都市対抗に出場、三十七年の第33回大会では日本ビールを相手に21回1/3を投げ切ったほか、昨年秋に行われた大阪大会の日本新薬戦でノーヒット・ノーランを記録した。速球を武器とするタフな本格派投手で西鉄、南海、阪急、大洋からも狙われていた逸材である。

永易投手の話 高校卒業時をはじめ、これまでに三、四の球団から誘われたが、自信がなかったのでことわりつづけていた。しかしいまは自信らしいものがついたのと、東映が熱心に入団をすすめて下さったのでプロ入りに踏みきった。球威、制球力ともまだまだ不十分で、これからみっちり勉強しなくてはいけないが、稲尾さんのような投手になりたいと思っている。

水原監督の話 ことしの夏西下したとき永易君のピッチングを見たが、そのときひと目見てこれはいけると思った。ボクが見たかぎりではカーブはまだ甘いが、スピードがある上、シュート、スライダーがいいので、多田コーチらにみっちり鍛えてもらえば、近い将来にデビューして貴重な戦力になってくれると思う。
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吉田定敬

2015-03-18 21:29:38 | 日記
1961年

吉田投手は33年泉陽高から関学大に入学、当時エースだった柴山(現阪神)を助けてその年の春季リーグ戦からベンチへ入り、第一週の対神大一回戦では先発投手として登板、七回投げて無安打奪三振12というあざやかなデビューぶりで注目を集めた。そして翌34年には柴山にかわってエースの座に君臨、関学の春秋の連パの原動力となった。そのころ南海は藤江マネージャー、阪急は矢形投手(現マネージャー)を介してかなり積極的に勧誘に乗り出し、中退を勧めたが、吉田投手は「大学選手権さえとればプロへいく」といったことで藤江、矢形両先輩も手を引いた。ところが、35年春のリーグ戦での関学は四位に転落、秋季リーグ戦では当の吉田投手が右ヒジを痛め一時は再起不能とさえいわれたことから、自然プロからの話も立ちきえとなった。しかし、その後も吉田の素質を高く買う阪急の西村コーチ(現東映)一人だけは熱心に勧誘をつづけた。一方吉田投手は今春ごろからももと通りのピッチングができるまでに回復するとともに、今夏の休みを利用して別府へ温泉治療にいってヒジの痛みを完全に治した。今秋のリーグ戦では好調時に比して、全くそん色のない速球をビシビシと投じて再び脚光をあび、阪急、大洋、大毎、東映、阪神などが積極的に動き出したが、東映は西村コーチがガッチリと食い込んでいたため、東映入りは動かないものとなった。

吉田投手の話 主将として最後まで全力でリーグ戦を乗り切らなければいけないときだけに、いまはまだ何ともいえません。リーグ戦もあと一試合残っていますから…しかしヒジの痛みも全然なくなったし、専門医に見てもらった結果もう大丈夫だといってくれたのでプロへいく決心がつきました。どの球団にするかは4球団ほど話がありますので、リーグ戦の全日程が終ってから両親とも相談してきめたいと思います。
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西村宏

2015-03-17 07:07:26 | 日記
1961年

同投手は崇徳高のワンマンとしてこの三年間活躍、今夏の甲子園大会広島予選では長身から速球をビシビシ投げ込み、県下ファンの注目を一身に浴びていた。さらに同予選決勝では名門広陵を破って初の檜舞台に進出、一躍クローズ・アップされた。球歴わずか八年の同校野球部が甲子園初出場、その上武生高、新発田農を破ってベスト8に残ったのだから、同投手の力量は相当高く評価されていた。広島カープでは地方予選のころから彼をマークし、球団首脳部は再三会合を開いては同選手獲得の下準備をしていたが、西村投手は夏の大会前までは「とうていプロで投げる自信がないから、ノンプロへでもいきたい」と家族にもらしていたそうだが、今夏大会で自信をつけ「プロで投げてみたい」の心境にいたったようだ。(同校久保監督の話)同投手はさらにさきごろの国体で秋田商今川投手と延々十八回を投げ抜き(奪三振21)零点に押え、引き分け再試合となったが、その実力はいよいよ高く評価されるところとなった。広島カープは国体終了と同時に同選手の勧誘に本腰を入れ始めた。西村投手の父親は昭和二十年に戦死、長兄勲氏(30)が父親代りをつとめて今日まできている。同選手の去就はこの勲氏がカギを握っている。(山口県岩国市津町在住) 西村投手は右投右打、1㍍74、67㌔。

西村投手の話 プロに行くということだけはたしかですが、ぼくのことはすべて久保監督、兄に一任しているので、なんとも申し上げられません。

崇徳高校久保監督の話 私は西村君ならプロで立派に通用すると信じている。私個人の立場上、正式決定まではなんともいえないが、地元カープに入ってくれればと希望している。

実兄勲氏の話 宏は五人兄姉(四男一女)の末っ子です。性格的にみてうまく野球がやれるのかと思っていたが、ぐんぐん成長したようで、私たちが驚いているほどです。甲子園で自信がついたのか、最近はプロへ行って投げたいとも話しています。この間から二三回親族会議を開き、宏の問題で話し合いましたが、進学を強調する人もありましたが、宏は野球も好きなことだし、同じやるならプロへと、私も賛成です。まあ二、三日中には正式に決めたいと思います。
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吉田定敬

2015-03-17 06:39:31 | 日記
1961年

東映フライヤーズは23日午後1時から大阪市北区の東映会館8階の東映関西支社で関学吉田定敬投手(21)の正式入団を水原監督立ち会いの上で発表した。吉田投手は30年泉陽高に入学、33年関学入学とともに一年からエースとして活躍、34年には春、秋のリーグ戦に連続優勝をなしとげる立役者となって秋の最高殊勲選手となり、その功績で関西スポーツ賞を受賞。春の学生野球結成記念大会では東京六大学の覇者立教を破って王座を獲得。このころからプロ球団の勧誘が始まったが、35年にヒジを痛めたことから各球団も手をひいたが、東映はじめ、水原監督は巨人時代から熱心に交渉をつづけていた。36年春には肩の故障も全快、全盛当時の球威をとり戻し、不振のときにも変わらぬ態度で誘ってくれた東映に入団したもの。長身から投げおろす快速球は関学入学当時から定評があり、東映にとっても大きなプラスとなるだろう。180㌢、74㌔、右投右打、昭和15年3月1日生まれ。

吉田投手の話 痛めた肩は完全に治っているし、もう大丈夫です。東映に入団した動機はボクが好調なときばかりでなく、肩を痛めて調子を落としている時でも熱心に誘ってくれたこと、水原さんのような立派な監督の下で働けることなのです。プロ野球はあまり見たことがないが、やれる自信はある。安藤君、尾崎君などライバルが多いが、目標はまず第一線に出場することです。

関学・江里口監督の話 今年のピッチングをみるともう肩の故障は全然ない。34年の全盛時の球威を取り戻している。吉田の決め球は外角をよぎる快速球だが、この球はプロに入っても立派に適用するだろう。シュートもいいが、これはカウントのいい時にゆさぶるためのもので、勝負球はあくまで速球だ。下半身のやや弱いことが欠点だが、これはキャンプでみっちり鍛えてもらえばいいだろう。日本一の監督さんにバトンを渡すのだから私も非常に喜んでいる。

水原監督の話 34年の吉田君の全盛時代に目をつけていた。一時肩を痛めていたが、その間も交渉はつづけていた。ウチの内野陣も弱体ではあるが、野球は10の中投手力が七割までを占める。その意味で今年は投手力を強化した。この吉田君をはじめ、安藤、尾崎、石原、長南とすぐれた投手を獲得、大いに期待している。
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菱川章

2015-03-16 21:54:38 | 日記
1964年

高校球界の逸材として注目されていた倉敷工高三年菱川章外野手(18)は二十一日、岡山市上石井の自宅で義父の芳三さん(43)小沢馨倉工監督、中日の柴田スカウトらが立ち会い、中日ドラゴンズへ入団すると発表した。正式契約は二十五日名古屋の球団事務所で行う。同選手は戦後初の混血児選手で、身長183㌢、体重86㌔、右投右打。一年生の夏と三年生の春の二回甲子園に出場。打球の速さはプロ選手なみといわれた。通算打率三割八分、ことしにはいって本塁打3本を打っている。大型打者として早くからプロ野球各球団の注目を集めていた。

義父芳三さんの話 章がいちばん希望し、働きいいところをと思って中日を選んだ。大いに努力し、じゅうぶん力を発揮してくれるものと思う。

菱川選手の話 柴田スカウトの人柄にひかれ、また中日には江藤選手をはじめ好きな選手が多いので中日入りを決意した。職業としてこの道を選んだからには江藤選手を目標にがんばりたい。
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中村武敏

2015-03-16 21:05:13 | 日記
1961年

中日ドラゴンズは二十一日午後零時から名古屋市中区西川端町の球団事務所で中村武敏選手(20)の契約発表を行った。同選手は津久見高校から日鉄二瀬を経てことしの九月から母校の津久見高校のコーチをしていた。また日鉄二瀬には三年間在籍して、ことしは一塁手として活躍していたが、昨年までは捕手をつとめていた。身長1㍍76、体重74㌔、右投右打、二瀬の四番打者として通算打率は常時三割をマークしていた。なお背番号は森がつけていた7番をつけることにきまった。

富田代表の話 吉沢が抜けて大アナだといわれるが、とにかく吉沢がいたときでもこと捕手に関してはアナだった。それだけに期待するというより、このアナをどうしても埋めてもらわなければ困る。

中村選手の話 中日の他近鉄、阪急、東映からも誘いを受けたがプロでやるなら中日と決めていた二瀬時代に鍛えられた濃人監督のもとでやれるという魅力はもちろんだが、権藤さんとも社会人野球時代を通じてよく知っている。特に昨年の都市対抗に二瀬が出たときバッテリーを組んだこともあるからお互いに気ごころもわかっている点が強い。もっともノンプロとプロでは力に大変な差があるからボクの考えかたは甘いかもしれないが、技術的におよばないところは気力でカバーして常時出場を狙う。とにかくキャンプで早く投手陣の球質を覚えたい。
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岩郷泰博

2015-03-16 20:29:41 | 日記
1961年

高校野球随一の強打者として去就が注目されていた今夏の選手権大会出場校、高知商、岩郷泰博一塁手(18)=1㍍74、78㌔、右投右打=は、このほど日本シリーズ優勝チームの巨人入りが決定した。同選手は現在後輩のコーチを行っているが、今月中旬上京して正式契約を行う。同選手がスカウトに目をつけられだしたのは昨秋、新チームの編成で四番を打つようになってからである。本格的なスイングでスケールの大きい打撃をいち早く見ぬいたのは西鉄だった。その後岩本コーチが先輩にあたる広島、大洋、阪急、阪神が土佐市高岡東町の自宅を訪れ、父親英俊さんを口説いた。今春には西鉄と先輩尾崎のいる大洋がうかび上がっていた。巨人が交渉を始めたのはこのころで完全な立ち遅れだったが、伊藤スカウトが十日間、高知にこもって自宅に日参する誠意に父親英俊さんは動かされ、また同選手の伊藤スカウトの努力と巨人にあこがれをもち、西鉄、大洋の本命が一気に巨人にかたむいた。選手権大会後、西鉄はまきかえしに松田監督をだきこみにかかったが、時すでにおそく、実家、本人は巨人にふみきったあとだった。三年間の通算打率は三割四分台。オープン試合をふくめて19本の本塁打を放っている。典型的な長距離打者である。

伊藤スカウトの話 交渉の時期がおくれたので一時はダメだとあきらめた。西鉄、大洋広島が相当くい込んでいたので逆転の材料がなく、自宅と本人に当る正攻法をとった。これがよかったらしい。少しずつこちらの熱意をくんで具体的な話に耳をかたむけてくるようになった。そして選手権大会後、あらためて話を進めた。正式な契約はすませていないが、巨人に来てくれることは間違いないだろうと思う。
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田中裕康

2015-03-16 00:59:42 | 日記
1961年

田中裕康外野手…同選手は東都大学一部リーグ戦の経験は今秋のシーズンだけ。40打数9安打、打率は一割五分、172㌢、65㌔、右投右打、福島常盤高出。

中日ドラゴンズは二十九日午後、名古屋市中区西川端町の同球団事務所で、かねてから中日入りが内定していた田中裕康外野手(23)と正式契約した。同選手は身長1㍍73、体重69㌔、右投右打で中大では三番を打っていた。小がらだが足腰の強じんさをかった中日では内野に使う意向である。

富田代表の話 二部リーグに長い間いたため、中央球界にはクローズ・アップされなかったが、頭脳的プレーヤーであること、そしてバネがあり、肩がいい、三拍子そろっている点が魅力だ。器用な選手だけに河野のあとガマに育てようと思っている。

田中選手の話 中日からは先輩の村野さんを通じて話があった。内野手としてやるようにいわれているが、高校時代は投手、大学では外野で、内野の経験はない。ただ一生懸命にやってみる。
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山尾孝雄

2015-03-16 00:27:00 | 日記
1962年

山尾孝雄投手…同投手は明星高から三十四年に同大に進み、大学のデビューは同年秋のシーズン。その後主戦投手として活躍、三十五年春同大優勝の原動力になった。同年夏の大学選手権で二年生ながら健投して優勝戦まで進出したが、法大の山崎(現巨人)-新山(現南海)のリレーに敗れた。その後不振だったが、ことしの秋にはカムバックし、大学選手権で活躍したあとスカウト攻勢が激しくなって巨人、大毎、南海、阪神などから中退による入団を勧められたがプロ入りの意思をもたなかった。武器はシュート、スケールの大きい本格派投手。打撃もいい。1㍍78、78㌔、右投右打。

山尾投手の話 阪神は関西大学出身の先輩が多いのでやりやすいと思う。シーズン中のプロ入りは考えていなかった。二年生の大学選手権の前後が一番調子がよかった。その後は身体の故障もなく調子も悪くないと思うのに芳ばしくなかった。大学時代は巨人入りした関大の村瀬さんをライバルにやってきた。これからは村山さんを目標にし、すべての人をライバルにしてがん張りたい。投手でやっていきたいが、スピードとコントロールを十二分に研究したい。研修制度で50試合は出場できないがその間に技術的な勉強をみっちりやりたいと思う。
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堀込基明

2015-03-15 22:33:29 | 日記
1961年

東都大学きってのスラッガーとして定評があり、常に強打をふるってきた専大堀込基明外野手(小諸商出身、二十一歳、1㍍75、70㌔、左投左打)は、プロ球団から誘いを受けていたが、このほど南海入りが決定。シーズン終了後正式契約をかわすことになった。

小諸商時代から好打者として評判の高かった同選手は、専大入学後いち早くレギュラーの位置について好打を発揮した。するどく踏み切るスイングから、目のさめるような好打がしばしばみられたものだ。したがってプロ球団は早くから目をつけていた。今季四割四厘の好率で首位打者となり、争奪戦が開始されたが、大洋、南海、阪急、国鉄などのうち中でも大洋は田村スカウトが中大でマネジャーをつとめ、東都球界の結びつきが深かった関係から交渉にのり出し、一時は大洋入りのうわささえあったくらいだ。しかし学校の先輩でもあり、野球部の先輩でもある杉山選手を介して勧誘にのり出した南海が、これを上回る積極的な交渉に出て、同選手の気持ちを強くつかんでしまった。本人はシーズン中のため、意志表示を避け、専大野球部高橋監督も「私の口からはなんともいえないが、意中の球団は決めているはずだ」とのみ語り、スカウト間の情報を総合すると、南海との間に暗黙の了解がついているようだ。したがってシーズン終了後ただちに契約発表となるものと思われる。

堀込選手の話 南海、大洋、国鉄などからさそわれましたが、まだシーズン中だし、はっきりいえる段階ではありません。シーズンが終わり次第監督さんともよく相談して、できるだけ早く決めるつもりです。

南海橘代表の話 選手権で忙しかったので、くわしいことはまだスカウトから聞いていない。二、三日中にいろいろ話を聞こうと思っている。
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矢野晃・木田優

2015-03-15 22:07:02 | 日記
1963年

中日ドラゴンズでは三十一日名古屋市中区西川端町の球団事務所で福岡県八女高バッテリーの入団をつぎのとおり発表した。

矢野晃投手…身長1㍍78、体重76㌔、右投右打
木田優捕手…身長1㍍68、体重70㌔、右投右打

両選手は中学時代からバッテリーを組み、三十七年の第31回九州大会で優勝。三十八年夏の予選では準々決勝で修猷館をノーヒット・ノーランに押えている。高校時代の通算打率はともに三割台をマークしていた。

富田代表の話 矢野投手はスピードもあり、コントロールもよい。木田捕手の強肩は九州高校球界では定評があるので、研修あけになったら、大いに働いてくれると期待している。

矢野、木田両選手の話 プロ野球は西鉄の試合をよくみる。自分たちの力が通じるかどうかわからないが、仲のよい二人がいっしょに入れたので一生懸命はげましあってやる気だ。
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