プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三浦和美

2015-03-24 06:40:23 | 日記
1963年

広島カープでは五日同球団事務局で、明大三浦和美外野手(22)の入団発表を行った。同選手は昭和16年10月16日生まれ。右投右打、身長1㍍78、体重78㌔。広陵ー明大。同選手は今春のリーグ戦では二割五分二厘だったが、秋季リーグでは大型トップ打者として活躍、二割九分二厘をマークしてベスト・テンの9位に入った。(出塁率三割七分六厘)広島カープには左の外野手は豊富だが、右は二人しかいない。同選手の強打・俊足には球団も大きな期待を寄せている。

三浦選手の話 第一線に早く出るように努力したい。ベース1周は14秒1か2くらいです。とにかくがんばりたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビル西田

2015-03-23 20:20:53 | 日記
1963年

元大毎のビル・西田投手がこの日国鉄のキャンプに参加してテストを受けた。さる二十四日まで大洋のキャンプに加わっていたのだが、不採用となったため友人の宮本を頼ってこんどは国鉄を訪れたもの。小山コーチの61番のユニホームに着かえると浜崎監督の見守る中に片岡を相手にさっそくピッチング。「二十四日までやっていた」だけあって変化球もまじえて約百球ほど全力投球を行った。「スピードは無理としてもカーブ、スライダー、チェンジ・アップなどで十分やれると思う」と自信満々。浜崎監督は「二、三日見てから」と採用を後日にのばした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後藤修

2015-03-23 20:19:17 | 日記
1963年

西鉄の第一次整理者となった後藤は十年間に8チームを転々、七転び八起きの旅路だった。しかし彼はボールへの情熱を燃やし続けている。さて球界のジプシーの異名を背負ったまま後藤は再び新天地をもとめている。二十九日夜の納会では後藤は契約更改の交渉日時の通告を受けなかった。玉木マネからただ三十日、会社にくるよう…といわれただけだった。後藤は「まさか…」と不吉な思いにかられた。三十日藤本球団課長から後藤へ言い渡されたのは自由契約選手の通告だった。昭和二十七年十七歳のとき松竹ロビンス入団のプロ生活第一歩から同二十八年洋松ロビン酢ー同三十年東映ー同三十一年大映ー同三十二年巨人ー同三十四年近鉄ー同三十六年南海ー同三十八年西鉄が二十九歳の今日までの球歴。「今季は自分の力を出し切れないままでした。若林コーチの指導でフォームを変えてスライダーをマスターしかけのテスト生の年だったんです。登板の機会は少なかったが、それでも好調のときは三振の数が多かった。ボクはまだまだ投げられるんだと希望がわいてきましたね。だから藤本課長へ西鉄のトレード・ルートである広島か中日へ紹介して下さいといっておいたのです。それがだめならどこのチームでもけっこうです」後藤は再び球界行脚をどこかのチームに求めているのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丸山完二

2015-03-22 23:45:35 | 日記
1961年

丸山完二内野手…立大、西脇高出身、経済学部四年、1㍍75、70㌔、右投右打

丸山は三十五年春からレギュラーとして活躍、同年秋には三割六分五厘を打って首位打者になっている。西垣国鉄球団重役が「先輩高林(巨人)以上の選手」というほどの逸材。最上級生になってからは主将兼四番打者として立大の支柱となり、芹沢新監督とともに立大再建のため尽くしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泉嘉郎

2015-03-22 23:40:48 | 日記
1963年

泉嘉郎投手…1㍍76、77㌔、右投右打、三重県菰野高

泉投手の話 上手投げで武器は速球とシュート、夏の大会は三回戦まで残ったが、敗れた。湯ノ山温泉の近くの高校であまり知られていないが、県下ではかなり実績を残してきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石川陽造

2015-03-22 23:39:33 | 日記
1961年

石川陽造投手…立大、高松商出身、法学部三年、1㍍73、73㌔、右投右打

石川は立大入学早々の三十四年春の東ー立二回戦にデビュー、そのシーズンは三試合に投げ、うち完封1(対東大)を記録、一年生ながら16イニングス無失点の好成績を残し、今年の春はわずか三試合しか登板しなかったが、0・75の防御率は第一位となっている。

石川投手の話 学生生活に花を咲かせて出たかったのですが、家庭の事情で、今季を最後に東映入りしたいと思っている。しかしまだ母親と相談していないので郷里(四国)へ帰って具体的な話し合いをし、正式に決めたいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太田利文

2015-03-22 23:31:46 | 日記
1963年

太田利文投手…右投右打、1㍍75、75㌔、小倉工高

太田利文投手の話 ほかの先輩に負けないようにしたい。春の選抜で中堅手として甲子園に出たが、夏には投手をやっては博多工に負けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高尾正広

2015-03-22 13:18:11 | 日記
1963年

高尾正広投手…右投右打、1㍍77、67㌔、天竜高

高尾投手の話 とにかく監督コーチのいうことをよく聞いてやっていきたい。春の信越大会では松商を破って優勝したが夏にはその松商に一回戦で負けた。投球はスリー・クォーターだが外角低目のストレート、スライダーに自信を持っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中原薫

2015-03-21 22:52:41 | 日記
1963年

中日ドラゴンズは二十日、中学生の中原薫(14)=福岡県糸島郡前原中三年=の入団を発表した。身長169㌢、体重62㌔。同選手は前原中の野球部で中堅手をつとめ、百㍍を12秒1ていどで走る。入団後は名古屋市内の高校へ進学しながら練習を行う。なおドラゴンズの高校選手はこれで四人となる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緒方勝

2015-03-21 22:35:18 | 日記
1961年

社会人野球日鉱佐賀関のエース緒方勝投手(22)は、九日大分鉄道との定期戦終了後、大分県営球場選手控え室で、国鉄スワローズに入団すると正式に発表した。同選手は十三日上京、国鉄事務所で、スワローズと正式契約書をとりかわす。同選手は宮崎県高鍋高校から三十四年日鉱佐賀関に入り補強選手として後楽園出場三回、ことしの都市対抗野球でも、大分鉄道の補強選手として活躍した。右投右打。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金村清

2015-03-20 22:49:54 | 日記
1961年

金村清選手…膳所高、同志社大、二十二歳、右投右打、身長1㍍77、体重74㌔

金村選手の話 二年まで遊撃をやっていたが、三年からは三塁に回った。打順は四番で、足もチームでは速い方だ。今年の秋のシーズンは三割四分六厘でベスト・テン六位、春は三割七分八厘で第二位だった。三年のときもベスト・テンに顔を出していた。プロ入りした動機は自分ながらプロでもやれると思ったからだ。肩の方も自信がある。高校のとき臨時で投手をやったこともある。とにかくまずレギュラーになることに目標をおいてこれから努力していきたい。そのためにスロー・ボールに弱い欠点を早く直していきたいと思う。まあ一本調子の投手ならばなんとか打てるだけの自信はある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻本泰直

2015-03-20 19:57:35 | 日記
1961年

大毎オリオンズに入団の内定していた近畿電電の辻本泰直遊撃手(25)=関大出=は、十三日午前十一時電話で東京の青木チーフ・マネージャーあて正式に入団の意思表示を行った。辻本選手は1㍍65、62㌔と小柄だが、社会人球界では俊足、好守の遊撃手として評判をとっていた。今夏の都市対抗大会では全鐘紡に補強されてトップを打ち、産別大会でも近畿電電の文字どおりリード・オフ・マンとして活躍した。大毎は青木チーフ・マネが早くから勧誘に乗り出し、産別大会終了後、入団の内諾を得ていた。正式入団の発表は二十三日午後千代田区有楽町の球団事務所で行われる予定。

大毎・松浦代表の話 会社の方の了解をとるため発表がのびのびになっていたが、きょうはっきり辻本君から電話をもらい正式に入団がきまった。辻本君は一口にしていえば阪神の吉田君に似たタイプの遊撃手で、実によく動く選手だ。内野の強化をはかっているうちにとっては大いにプラスとなるだろう。

大毎オリオンズでは二十二日球団事務所でかねてから入団の決定していた社会人近畿電電の辻本泰直選手(二十五歳、関大出)の正式入団の発表を行った。辻本選手は関大卒業後三十三年春に近畿電電に入社、都市対抗野球で活躍した。今夏の大会でも全鐘紡チームに補強され、これで連続四年後楽園のヒノキ舞台に出ている。ことしはベスト・ナインにも選ばれた社会人球界きっての俊足好守の遊撃手。関大先輩の青木チーフ・マネージャーが夏以降スカウトに乗り出し、獲得したもの。身長1㍍65、体重61㌔、右投右打。

辻本選手の話 プロ入りするなら大毎と考えていた。青木さんはじめ中西ら関大の先輩、同輩がいることだし、またレギュラーになる上で早道ということもあって大毎を選んだのだ。だれを目標ということなしにプロ一流の遊撃手である各選手を手本にして今後も努力していきたい。

宇野監督の話 非常に動きのいい内野手だ。ちょうど阪神の吉田、阪急の本屋敷といったタイプの選手で大毎のようなどちらかというと大ものぞろいで、従ってゲーム運びが大まかなチームにあっては彼のような小細工のきく選手はプラスとなると思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮下陽吾

2015-03-19 23:08:48 | 日記
1962年

国鉄スワローズはかねてから投手陣強化のため社会人野球日本ビールの宮下陽吾投手(20)=栃木商出、身長1㍍79、体重70㌔、右投右打=の獲得に乗り出していたが、十九日、本人の同意を得ることに成功した。宮下投手は同日砂押コーチに「国鉄入団」を表明、日本ビールを円満退社したうえで近日中に国鉄から入団発表が行われる。宮下投手は、昨年は城之内(現巨人)ことしは角谷両エースのカゲにあって目立たなかったが、入社当時(三十六年)から社会人球界随一の速球投手の折り紙をつけられ、二、三の球団から注目されていたほどである。国鉄はすでに昨夏からその素質に目をつけ、さらに今秋選抜の新潟大会の対新潟コマーシャル戦で連続8三振を奪う快投を演ずるに及んで積極的に獲得工作をはじめた。そのとき宮下自身プロ入りの意思を固めていたようだが、日本ビール側の必死の慰留にあって国鉄入りを一時断念した。だが去る十日、日本ビール野球部が突然一年間休部を発表したことから国鉄は勧誘を再開、宮下は去る十三日に砂押コーチの訪問を受け同コーチの熱意にうたれ十五日夜「プロでやってみたい」旨の意思表示した。十六日に家族の同意を得るために栃木に帰郷、翌十七日午後父親新八郎氏が秋葉原弘済会に北原代表をおとずれて入団条件を話し合い最終結論が出された。

宮下投手の話 また会社(日本ビール)の許可をもらっていないが、きょう(十九日)国鉄に入団の返事をしました。以前プロ入りが決まりかけたころ、会社から慰留されましたが、いまは休部中なので円満に退社できそうです。どこまでやれるかわかりませんが、野球をするなら一度は自分の力をためしてみたい気持ちです。

高校(栃木商)時代は松本(栃木=立大)とともに栃木県下で好投手として呼び声が高かった。三十六年日本ビールに入社、同年は城之内(現巨人)のカゲにかくれ選抜、都市対抗、産業各大会には登板の機会にめぐまれなかった。三十七年選抜大会準々決勝対西濃運輸戦に先発投手としてヒノキ舞台にデビュー、以後角谷、五代らとともに日本ビール投手陣の一角をになって今夏の都市対抗でも対東圧大牟田戦に登板した。夏から現在にかけてマウンド度胸、球質も一段と向上得意の快速球にもみがきがかかってきている。社会人球界屈指の速球投手として注目をあびていた。身長1㍍79、体重70㌔、二十歳。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石田二宣

2015-03-19 21:40:20 | 日記
1962年

社会人野球東黎工業の石田二宣(つぐのぶ)捕手=宇都宮学園出身、十九歳、1㍍80、78㌔、右投右打=は巨人、大洋、中日、大毎から勧誘を受けていたが、二十二日東京都大田区馬込西2-26の同野球部合宿で「大毎入り」を表明するとともに、この旨を片岡大毎スカウトに伝えた。同選手は高校時代から強打の大型捕手として評判が高く昨夏の甲子園大会で活躍、今夏の都市対抗都予選では三番を打って神宮で2ホーマーを記録、熊谷組の補強選手として本大会にも出場しており、激しい争奪戦が演じられたが、片岡スカウトの熱心な勧誘が実って大毎入りとなった。なお正式契約はあす(二十四日)石田選手及び真田東黎野球部長と片岡スカウトが話し合ったあと行われる。

石田捕手の話 プロに入るなら大毎ときめていた。一部の新聞で巨人入りを報じていたが、ボクの気持ちは大毎一本にきまっていたので驚きもし、当惑もした。ボクのプロ入りに関しては会社側も幸い同意してくれて思い切れた。プロ選手として恥ずかしくないように今後すべての面で勉強しなければならない。バッティングには自信があるので早く出場のチャンスを得て第一線に出たい。契約は一週間後ぐらいになるのではないか。

片岡スカウトの話 巨人入りのニュースもあって心配したが、きょう(二十二日)「お願いします」という返事を受けとった。石田君は肩もよく、インサイド・ワークにもすぐれている。とくに打力はいい。攻守兼備の大型捕手として期待している。

巨人・内堀スカウトの話 条件の点では中日が一番よく、むずかしいなと感じてはいたが大毎がやっぱり強かったのか、とれないとなると残念だ。うちは大橋とか宮寺が入ったので本人も迷ったのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大橋勲

2015-03-19 21:16:16 | 日記
1962年

大橋勲捕手…慶大、土佐高、1㍍72、79㌔

大橋選手は幼少のころ生地の兵庫県から、一家とともに高知市へ移り、土佐中を経て土佐高へ進学、遊撃手として二年生からプロ・スカウトの目にとまる逸材だった。当時の高知商には尾崎(後に大洋)小笠原(立大ー三協精機)宇賀(住金)柿本(鐘化カネカロン)といった俊足ぞろいがいて、この足を封じるために肩のいい大橋捕手に転向したというエピソードがある。

大橋選手の話 小さいときからあこがれていた巨人軍に入団でき、これほどうれしいことはない。自信はまだないが、監督さんの教えを守って一生懸命にやる。巨人には森さんというりっぱな捕手がいるが、ボクも森さんを目標にやる。ウエイトがすぐふえるのがボクの欠点だが、商売に野球をやるからには相当な覚悟で減量するつもりだ。

高橋社長の話 大橋君はうちの第一号補強選手だし、人間的にもしっかりしている。捕手としてはめずらしく打撃がよいので大いに期待している。巨人というチームに早くなれて活躍してほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする