プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

永田利則

2023-10-25 20:13:16 | 日記
1979年
広島がドラフト2位に指名した広島商高の永田利則内野手(18)=171㌢、70㌔、右投げ右打ち=の入団が四日、正式に決まった。契約金二千三百万円、年棒二百四十万円(いずれも推定)。木庭スカウト部長は同日午後四時半、広島市本通の「アンデルセン」で父親徹登さん(44)を交え二度目の交渉を行った。すでに広島入りを表明していることもあって話し合いはスムーズに進み、約三十分で契約書にサインした。あこがれの広島入りが決まった永田は顔を紅潮させ、さすがにうれしそう。「目標の選手は先輩の三村さんと衣笠さん。山本浩選手と高橋慶選手をミックスしたような選手を目指したい」と力強く決意を話した。父親の徹登さんは元広島の選手で、プロ球界では昨年の香川(近鉄)に次いで二組目の同一球団親子選手が誕生したことになる。徹登さんは「本当は進学してノンプロでやってくれるのが一番よかったんだけど」と言いながらも「私と比べれば、足も肩もバネも段違いにいい」と二代目に大きな期待をかけていた。永田は名門広島商高で一年からレギュラー。強肩強打の内野手として呼び声が高く、早くからプロに注目されていた。最大の売り物は百㍍11秒5の足。また小柄の割にはパンチ力もあり、今夏の広島大会では3試合連続本塁打の県記録を作ったほか、三年間で通算26本塁打を放った。通算打率は4割1分。広島は高橋慶、山崎に続く第三の男として期待している。

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木頃博巧

2023-10-23 20:18:06 | 日記
1955年
チームの中心は投手木頃だ。重い豪速球、アンダースロー、オーバースロー、サイドスローと各種の球質で投げ分けるとき、高校球界ではちょっと手が出ない位の威力を示す。この木頃が山陽大会の準決勝、決勝の連投以来、肩をいためたが、最近復調、大会までにはまた豪快な速球が期待される。

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松並和視

2023-10-23 20:05:43 | 日記
1958年
高知高捕手として活躍、強肩強打をうたわれた松並和視(かずみ)選手(高知高三年生、十八才)はパ・リーグ阪急ブレーブス入りが決定、十日球団から正式入団が発表された。同選手は身長1㍍74、体重70㌔で右投右打、昨年夏全国高校野球選手権大会の優秀選手に選ばれたことがある。阪急には同校から昭和二十六年に大崎投手が入団している。なお同校は国鉄に入団した土居、西岡についで四人目のプロ野球選手を生んだわけ。


松並和視選手の話 阪急入りの話は七月ごろからありました。自分も阪急のチームカラーが好きだし、同球団が毎年高知にキャンプインしている関係で親しみもあるので入団することに決めました。プロに入ればつらいこともあるだろうが、一生懸命にやり、南海の野村捕手のようになりたい。


上瀬高知高監督の話 松並選手は肩もあり、そのうえ俊足なのでプロに入っても十分に使えると思う。阪急は城東商時代に大崎が投手として入団したことがあるが、きびしい勝負の世界に入るからにはこれに耐えるような強い意思を持ってもらいたいと望んでいる。


藤井阪急代表代理の話 松並君は阪急が高知でキャンプを行うようになって初めての入団選手で、体格はがっちりしているし、強肩で走力もあり、とくに馬力があるので将来が期待できる。

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李来発

2023-10-22 15:30:14 | 日記
1980年
「目標は王さん」-。南海が獲得した台湾の大物の李来発捕手(23)=178㌢、78㌔、右投げ右打ち、台北体育大出=は、四日午前十時半から中モズで初練習を披露した。同捕手は外人ワクの関係上練習生扱いだが、球団では早ければ来季後半から現役登録を考えている期待の捕手。半年間のブランクもなんのその、鋭い打球に王二世の片りんがチラリとのぞいた。ウォームアップ、キャッチボールの後、鳥カゴに入ってマシン打撃。これは「台湾にはピッチングマシンなんてない」ために、空振りの連発だったが、小池コーチに投げてもらってのフリー打撃では、さすがに台湾の三冠王らしさを見せつけた。約20球、最初はボテボテのゴロが多かったが、目が慣れるにしたがって快音も、ついに九十㍍の左撃フェンスをはるかに越え、その後方の木立に消える号砲一発も飛び出した。台湾ではことし六月、空軍を除隊後、一緒に南海入りが決まっている高英傑投手とともに練習をしてきた。といっても一日三十㌔のランニングと、200本の素振りをしてきた程度。生きた球を打つのは六ヶ月ぶりだが、鋭い振り、球を捕らえる的確さは並の選手ではない。ケージ横で見ていた元田打撃コーチ補佐は「ちょっと前へ突っ込むようだが、スイングの速さはすごい。確かにいいものを持っている選手だ」と、一目ぼれ。昨年十一月台湾へ野球教室におもむいたことのある穴吹二軍監督も「楽しみだね。李と高でドラフト一位を二人とったようなものだと思っている。即戦力といかなくても、一年間みっちり鍛えたら戦力にはなってくれるんやないかな」と笑顔を浮かべた。台湾では英雄扱い。南海入りが決まった時は、台湾の新聞で大きく扱われており、謝国成棒球協会名誉会長の「この英雄を日本へ送り出すことは非常に残念だが、後進の励みにもなるので、あえて踏み切った」というメッセージも載っている。とはいっても、異国の日本では一介の練習生。心細さは相当なものだろうが、それに耐え抜くハングリー精神も十分にかね備えていたそうだ。三歳の時、父親・薫路さんが病死。その後は母親・桂花さん(66)の女手一つで育てられ、生活の苦労はいやというほど味わっている。日本で「尊敬している王さんのようになって…」母親に楽をさせてやりたい夢を持っている。「緊張しているから、きょうは疲れました。日本はちょっと寒いですね。でも思いきりがんばります」たどたどしい日本語ながら、もう日常会話はちょっぴりできるようになった。南海では和田コーチ、小川二軍マネの捕手出身の二人がつきっきりで今後指導していく方針。大リーグのレッズからジョニー・ベンチの後継者として勧誘され、一度は契約したことのある李。今後に大きな楽しみを抱かせてくれる男が、日本球界に乗り込んできた。


家族 母親・桂花さん(66)、兄・錦男さん(35)が嘉義市国華街の実家で、日本での活躍を楽しみにしている。
身長、体重 178㌢、78㌔、脅威100㌢、太モモ三㌢、中指19㌢、足27・5㌢。
好きな女性 日本的な人。「ぜひとも日本で花嫁さんを見つけたい」
足、肩 百㍍12秒0。遠投百㍍。この日、キャッチボールの相手をした醍醐コーチは「肩は強そう。球の回転が抜群」
長打力 ことし五月、オール台湾の一員として来日した時、愛知・瑞穂球場での三菱名古屋戦でバックスクリーンへ一発。「完全なセンターライナーと思ったら、簡単にオーバーフェンス。びっくりした」と、李を連れて来た杉浦スカウト。

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松畑佳明

2023-10-21 21:40:13 | 日記
1982年
北陽高時代、槍投げで高校生歴代7位の公認記録を持つ投手が、阪急の二軍にいる。松畑佳明投手。昨年ウエスタンで2試合、計2イニングを投げた実績しかないが、今季首脳陣の注目を浴びており、異色の投手である。北陽高時代は陸上部で槍投げの選手。54年9月、高校3年の時、大阪の長居競技場で行われた大阪私学大会で62㍍96を投げ、全国ランキング第七位の公認記録を出した。「野球は小学校5年の時から始めた。高校も野球をやるために入学した」しかし北陽高に入学して1週間とたたないころ、練習中に右足脛骨の骨を折った。2週間ほどギプスをはめ、とれたと思ったら、練習に駆り出された。しかし完治していないので、思い切った練習が出来ず、松畑はレギュラーをはずされてしまった。北陽高の野球部は当時100名近くおり、レギュラーになれそうもない連中は、淀川の堤防にいってはランニングばかりやらされた。タマ拾いすらさせてもらえない。2年の終わりに野球部を辞めて、陸上部へ入部。槍投げを始めた。「高校で野球は諦めたが、野球への夢を大学に賭けよう。大学へ行ってもう一度野球をやりたい。そのためにも高校生活最後の1年間は槍投げをやって、十分に足腰を鍛えたいと思った」体に天性の強靭なバネがあった。ぐんぐん力をつけて高校陸上界で注目されるようになった。長居陸技場で高校歴代7位の公認記録を出した。「いつの間にか、槍投げでオリンピックに出てやろう、オリンピック出場は夢ではないと考えるようになりました」高校を出る頃には同志社大・京都産業大から入学の勧めがあり、陸上で頭角を現している京都産業大への入学する意志を固めていた。その際にブレーブスから話がきた。10日間近く迷ったが、野球への未練がふくらんできた。「現在、宝塚市で鉄工所を経営している父親・欣治さん・47歳)も、高校・大学時代を通じ硬式野球をやっていた。父にも野球への夢があった。それも野球に賭ける一つのきっかけとなった。55年、ドラフト外で阪急入りをした。一軍の梶本ヘッドコーチが松畑のピッチングを見て、目を見張る思いをしたのは昨年の秋期練習の時。「ピッチングモーションに天性のリズムがある。体のバネも素晴らしい。未完の大器だと思った。確かに野球はよく知らないが、鍛えれば将来のブレーブスを背負ってたつ投手になる逸材だ」松畑は3年目を迎えようとしているが、ファームの実績はほとんど無い。一昨年は1試合に登板し2イニング、昨年は2試合に登板し1イニングを投げただけ。その彼を梶本コーチが抜擢した。「高知に行ったら紅白戦第一戦に先発させる。」2月11日、彼は紅白第一線で紅組先発投手として登板した。この時、山森、大橋、島谷、松井、藤本らに投げた。立ち上がり、山森、大橋にいきなり連続ホームランを打たれた。が、後はきっちりと抑えた。島谷、松井、藤本と三振にしとめていった。高知キャンプから帰った今、天保コーチが松畑にコーチしている。「ウエスタンには今季どんどん登板させる。夏以降には絶対上で投げられるようにしてみせる。ブレーブスの秘密兵器になることは間違いないだろう」

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吉田征人

2023-10-21 20:50:08 | 日記
1986年
今年ドラフト外で阪急に入った吉田征人外野手。明石から船で25分、島の中でもっとも本土に近い淡路郡岩屋の生まれ。津名高のときはよく打ち、俊足を生かして走りまくった。その足と肩の強さを見込まれた異色のテスト生。岩屋の人たちの期待を背負ってのスタートだ。

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鳥谷元

2023-10-20 22:15:51 | 日記
1967年
順調に仕上がっている中日投手陣のなかで、いまいちばん調子がいいのが二年生の鳥谷だ。特設ブルペンで毎日目を光らせている西沢監督も、そのスピードとコントロールのよさに驚きの表情。近藤ピッチング・コーチは「現段階では小川とともに抜群。この調子で伸びてくれれば、紅白戦、オープン戦でどんどんテストする」と期待している。鳥谷は昨年、福岡県立築上中部高から中日入り。九州では本格派の剛球投手として知られ、中日吉江代表も村山ばりの力投にほれ込んだが、松山キャンプではパッとせず、ついに公式戦のマウンドを踏む機会を一度も得られなかった。そんな鳥谷がやっと頭角を現してきたのは昨年、中日球場で行われた秋季練習のとき、球質が重く、えげつないシュートがよく決まって若手打者を大いに悩ませたものだ。秋季練習で自信をつけた鳥谷は、一月十日から十九日までの十日間、大分県中津市で門岡、豊永、秋元らの九州組と合同トレーニングし、からだづくりに専念。そしてキャンプインと同時にビュンビュンとばした。好調の原因は、こんなところにあるようだ。昨年に比べてよくなった点は、ストレートのコントロールがよくなったことだと、鳥谷は言う。確かに内外角低めにタマがよく決まっている。あとは、このキャンプで決めダマシュートのコントロールをよくすることだろう。「まだシュートが思い切って投げられない。打者のアゴにぶつけるような気がしてこわいんです。でもぼくが一軍ベンチにはいるには、やはりシュートのマスターが先決だと思う。キャンプの課題にします。若いんだから、これからもビュンビュンとばしますよ。ベテランに追いつかれないだけの自信はあります」と、一軍入りのチャンスにヒトミを輝かせる。「球質が重いだけでなく、切れもいい。シュートを武器にする投手はウチにも少ないだけに、鳥谷が出てきてくれたら大助かりだ」と、西沢監督が鳥谷の成長にひそかな望みをかけるのも無理はない。はたして昨年の北角のように思わぬ戦力になりうるかどうか。ことしの鳥谷は楽しみな存在だといえる。

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田中辰次

2023-10-20 17:01:53 | 日記
1967年
田中辰は下半身が安定してきた。バッティングも腕だけでチョコンチョコンと当てていた昨年までに比べると思いきって振りきるように変わってきた。田中辰の打撃をみた中西監督は「ようやく一軍のバッティングになってきたな」と満足そうだった。田中辰の特徴はタマに食いついていく根性だ。「ズルイ野球をやるよ。ひとの練習をじっと見ていてなにか盗んでやろうとしている」と仰木コーチは苦笑いする。河野コーチも「カンはいいし、大胆な野球をやるところがいい。思いきったことをやるねえ」と野性味を高く買っている。守備ではいまのところ二塁、三塁、遊撃とどこでもこなすように訓練されているが「ニガ手だといっていた二塁も、ちょっとコツを教えるともうのみ込んでいる」(仰木コーチ)器用さも持ち合わせている。現在の田中辰は「オープン戦につれていってもらえるだけでうれしいのに、中日戦ではスタメンから出ろといわれてびっくりしました。出たからにはしっかりやらないとねえ」根性男はますますファイトをかきたてている。

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坂野日出一

2023-10-20 15:39:47 | 日記
1961年
シーズン終了後のトレーニングに参加し、テストを受けたノンプロ播磨造船の坂野日出一遊撃手が入団した。1㍍73、63㌔、ノンプロ二年間の通算打率三割六分、とりわけ百㍍11秒6、ベース一周14秒6の俊足が見ものだ。テストした西村コーチは「守備だけなら、いますぐでも第一線で通用するが、問題はバッティング」とのこと。坂野自身も「守備と足には自信があるが、打撃はノンプロ時代のようにいかないと思う」と語っている。

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村田清美

2023-10-20 15:21:57 | 日記
1967年
寒さには弱いほうだが、練習で頭がいっぱい。前日につづいての冷え込みも気にならなかった。卒業試験でキャンプ参加が遅れ、まだ三日目だ。みんなに早く追いつきたいと思うが「あわてずに、じっくりいけ」というコーチの注意をしっかり守っていかねばならない。だから調子のいい悪いはまだわからない。きょうは重松コーチに二塁けん制をみっちり鍛えられたが、基本の一つ一つをがっちり身につけていこう。プロ野球のキャンプは高校の合宿練習に比べるとはるかにすばらしい。選手たちは親切に教えてくれるし、西鉄に入団できてほんとうによかったと思う。稲尾さんを目標にがんばる。

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三浦方義

2023-10-20 15:06:40 | 日記
1957年
連続七の三振は金田、大友、小山、河村の四投手が記録しているが、三浦はこれの五人目になりかねない出来栄えだった。二回中田から四回の増田まで打者六人に二十六球投げて六の三振、左打者の岡本に1-2後のカーブを一、二塁間に初安打されてタイ記録を逸した。その投球は球に勢いがあり、しかもシュート、カーブはよく効いていた。とくに外角低目へギリギリに入るのと、はずれるカーブを使い分けて阪急をシャット・アウトした。

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浜口春好

2023-10-20 14:59:56 | 日記
1965年
電電近畿の四番打者でことしの社会人大会優勝に貢献した浜口選手は「野球をやる以上、プロでやってみたいと思っていました。東映に決まったそうですが別に特定の希望球団はありませんでした。いろんな人と相談してみます」とプロ入りの希望をほのめかしていた。

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末森法典

2023-10-20 14:50:20 | 日記
1954年


三割八分六厘の末森は超高校級の強打者。


1955年
高校を出たばかりだが、五尺八寸、十九貫五百の体格は堂々たるもの、まだまだ大いに鍛えられなければならないが、大物打ちとして期待がかけられる。


1957年


ウエスタン・リーグの本塁打王末森法典外野手(山口高出身、三年生)など立派な実力を持っている。

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高野慎哉

2023-10-20 11:41:38 | 日記
1991年
日本ハムから8位指名された高野慎哉捕手(18)=浪江町幾世橋字・六反田32=は今春、原町高を卒業したばかり。小学三年から野球を始め、高二の夏まで捕手として活躍。その後、投手に転向して三年の夏には1試に登板、完封勝ちを収めた。昨年、セ球団からドラフト外で誘いを受けたが、六大学を夢みて野球浪人していた。知人の紹介で十月六日、日本ハムの一次テストに捕手として挑戦。今月四日から七日にかけては、千葉での秋季キャンプにも参加して高い評価を得ていた。「指名されてうれしい。一日も早くプロの体をつくりスピードに慣れて、一軍でプレーしたい」と闘志を見せる。この日は夕方五時に球団から電話連絡が入ったが「朝から気が気でなかった」と笑う。高野捕手は、四月から双葉高野球部員とともに練習に汗を流し、毎晩の素振りを日課にして体を鍛えている。母親のトシ子さんは「夢にみたプロになる以上、一生懸命頑張ってほしい」と、息子の門出に熱いエールを送っている。


日本ハムから八位で指名された高野慎哉捕手(18)=浪江町権現堂字六反田27-1は自宅で「プロ野球選手になることが子供のころからの夢でした。感激しています。田村選手(日本ハム)や村田選手(巨人)のように打撃もいい捕手になりたい」と喜びを語った。浪江小三年のときに双子の兄直哉さん(専門学校生)とともに少年野球を始めた。浪江中でも野球部で活躍し、原町高では二年まで捕手、三年の夏の大会は投手、中堅手で四番だったが、県大会は3回戦で敗退した。昨秋にはヤクルトからドラフト外で誘いがあったが、大学進学を希望していたため断った。今春、目標だった明治大の受験に失敗。それからは親せきの鉄工所でアルバイトをしながら、午後からは双葉高野球部に混じって練習する日々が続いていた。知人の紹介で十月に行われた日本ハムのプロテストに挑戦し、遠投でプロも驚く114㍍をマーク、約百人受けた中でただ一人合格。二次試験になる千葉県加茂川での秋季キャンプにも参加していた。母親の団体職員トシ子さん(46)と二人暮らしの自宅には祝福の電話が鳴りっ放し。高野捕手は「日本ハムに行きます。一軍に上がってバリバリ打ちたい」とニコニコ顔。トシ子さんは「ドラフトに指名されて本当にうれしい。息子は自分の夢がかなって良かったと思います」と話していた。184㌢、85㌔、右投げ右打ち。


1992年


去年10月、多摩川グラウンドで入団テストを受けた末、晴れて日本ハム入りを果たした8位指名の高野慎哉捕手。高野の売り物は、背筋力300㌔という強さを生かした肩。遠投は120㍍という鉄砲肩。高校(福島・原町高)時代は盗塁阻止率8割という実績を残しているだけに、「引退するまで、盗塁されない捕手になりたい」と強気。活躍が見ものである。

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岡本龍二

2023-10-20 11:07:33 | 日記
1989年
大洋球団は六日、ドラフト外で山北高・岡本竜二内野手(18)=184㌢、91㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。契約金二千五百万円、年棒三百六十万円。交渉は江尻スカウトと本人、池田公平・山北高野球部監督が立ち会った。池田監督は「本人の希望通りの進路でよかったと思っています。全体的に馬力のある選手で、三、四年後に出番をつかんでくれれば…」と語った。江尻スカウトも「強肩の大型内野手。少し太めだけど筋肉の量が多いのでパワー十分です」と太鼓判を押している。岡本は今夏の神奈川大会では山北高の四番、三塁手。同高のベスト4進出の原動力となった。6試合で25打数16安打7打点、打率6割4分でベスト8以上のチームの中では首位打者となっている。本塁打は公式戦で5本、練習試合を含めると25本。


岡本竜二内野手の話 横浜大洋は地元のチームですし、入団できてうれしい。セールスポイントは長打力です。小田原の先輩、田代さんのような大砲になることを目指します。

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