1991年
11月27日、トップをきって入団が内定した7位指名の金子貴博投手(船橋法典高)。船橋法典高といえば、7年前、三沢編成部長が、ドラフト外で松浦を獲得した。4年後、松浦は最多勝利投手のタイトルを獲得。そんな実績のある船橋法典高から、入団する事になった。各チームから1位指名を受けた萩原(大阪桐蔭ー阪神)、石井一久(東京学館浦安ーヤクルト)、そして上田といった選手に、「他の人は関係ない」と、入団内定の際に金子は言っていたが、二度対戦して、二度とも逆転負けを喫した石井だけには特別の感情がある。期待していた、夏の甲子園予選で対戦の夢が叶わず、悔しさを抱えていた。三沢編成部長によれば「腕が巻きつくような投げ方は、台湾時代の郭泰源に似ている」と絶賛。「僕が石井に負けているとは思わない」と、石井に挑戦状を叩きつけて、プロの門をくぐる。
11月27日、トップをきって入団が内定した7位指名の金子貴博投手(船橋法典高)。船橋法典高といえば、7年前、三沢編成部長が、ドラフト外で松浦を獲得した。4年後、松浦は最多勝利投手のタイトルを獲得。そんな実績のある船橋法典高から、入団する事になった。各チームから1位指名を受けた萩原(大阪桐蔭ー阪神)、石井一久(東京学館浦安ーヤクルト)、そして上田といった選手に、「他の人は関係ない」と、入団内定の際に金子は言っていたが、二度対戦して、二度とも逆転負けを喫した石井だけには特別の感情がある。期待していた、夏の甲子園予選で対戦の夢が叶わず、悔しさを抱えていた。三沢編成部長によれば「腕が巻きつくような投げ方は、台湾時代の郭泰源に似ている」と絶賛。「僕が石井に負けているとは思わない」と、石井に挑戦状を叩きつけて、プロの門をくぐる。