赤いテーブルの上の果実 1944 53.6×72.6 KISLING (1891-1953)
はじめて この絵を見たとき
なんて幸せな果実だろう… あたたかな色彩と、 柔らかな筆づかい、 赤いテーブルの上で いきいきとくつろぐ果実たち。 楽しそうなお喋りが聞こえ、 光の反映のなかに浮かび上がるフルーツは、 群集として重なってきた。 かがやくような命、 集う人たちのざわめきがする。
ふしぎな感覚で、 立ちつくした。
デフォルメも心地よく。 籠の中に くねり、踊るような葡萄は、 暗いバックに妖しく幻想的だ。 いつか、このように、 静物を描いてみたいと夢見たのだった。
下の写真は 「リタ・ヴァン・リアの肖像 1927」 、 二点とも、 埼玉県立近代美術館にある。 常設でお目にかかれるのも、うれしいこと。
黒と赤の対比、 アクセサリー、 ショールの柄も人物のだいじな要素、 大きな瞳、 もの悲しさ、 透明な白い肌。 ちらっと見ただけでも 忘れ得ぬひと。
背中を向けた裸婦 1949 (吉野石膏株式会社/山形美術館寄託)
キスリングの人物は どれもフルーツのように丸みをおび なめらかな筆致と、 明るい色が特徴である。 画家の喜びが、 まっすぐ伝わってくるのもいい感じだ。 喜びのなかにひそむもの、 その瞳には かすかな憂いが漂っている。 そこがまた魅力的だ。
ある雑誌のインタビューに答えたキスリングは
「 同時代の作家の作品は自分に何の影響も与えることはない 」 と豪語し、キュビスムですら装飾的な幻想に過ぎなかった と切って捨てた。
が、 「新聞紙のある静物 1913(名古屋市美術館)」(下写真)を見れば ピカソやブラックの雰囲気もある。 やはり影響を受けている。
生きる喜びを歌い上げていた 後年の姿は片鱗すら見あたらない。
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15年もまえ、 広尾(有栖川宮記念公園のすぐ近く)のレストランひらまつのロビーで、 100号以上のキスリングに出会った。 あれは本物だったのか。 どなたかご存じないでしょうか。 絵の内容も覚えていません。
若いふたりの祝宴で、やはり、 幸せな日であった。
快活で開放的、 多くの友人に囲まれ、信望も厚く… 絵は どうしようもなく内面を伝える。
boa!さんのblogに呼ばれ、 思わず書いたきょうの日記です。
(写真は、
豊作のことしか書かなかった 「巴里憧憬」 図録 及び 絵はがきからお借りしました。 )