ドアの向こう

日々のメモ書き 

不思議な魅力

2007-09-12 | アートな時間

         

      赤いテーブルの上の果実 1944  53.6×72.6  KISLING (1891-1953)

 はじめて この絵を見たとき
 なんて幸せな果実だろう…  あたたかな色彩と、 柔らかな筆づかい、 赤いテーブルの上で いきいきとくつろぐ果実たち。  楽しそうなお喋りが聞こえ、 光の反映のなかに浮かび上がるフルーツは、 群集として重なってきた。 かがやくような命、 集う人たちのざわめきがする。
  ふしぎな感覚で、 立ちつくした。
  デフォルメも心地よく。 籠の中に くねり、踊るような葡萄は、 暗いバックに妖しく幻想的だ。 いつか、このように、 静物を描いてみたいと夢見たのだった。 

  下の写真は 「リタ・ヴァン・リアの肖像 1927」 、 二点とも、 埼玉県立近代美術館にある。 常設でお目にかかれるのも、うれしいこと。

 

           

  黒と赤の対比、 アクセサリー、 ショールの柄も人物のだいじな要素、 大きな瞳、 もの悲しさ、 透明な白い肌。  ちらっと見ただけでも 忘れ得ぬひと。

 
       背中を向けた裸婦 1949 (吉野石膏株式会社/山形美術館寄託)

           

  キスリングの人物は  どれもフルーツのように丸みをおび なめらかな筆致と、 明るい色が特徴である。 画家の喜びが、 まっすぐ伝わってくるのもいい感じだ。 喜びのなかにひそむもの、 その瞳には かすかな憂いが漂っている。 そこがまた魅力的だ。

  ある雑誌のインタビューに答えたキスリングは
    同時代の作家の作品は自分に何の影響も与えることはない 」 と豪語し、キュビスムですら装飾的な幻想に過ぎなかった と切って捨てた。
  が、 「新聞紙のある静物 1913(名古屋市美術館)」(下写真)を見れば ピカソやブラックの雰囲気もある。 やはり影響を受けている。
  生きる喜びを歌い上げていた 後年の姿は片鱗すら見あたらない。

         

                     -☆-

  15年もまえ、 広尾(有栖川宮記念公園のすぐ近く)のレストランひらまつのロビーで、 100号以上のキスリングに出会った。 あれは本物だったのか。 どなたかご存じないでしょうか。 絵の内容も覚えていません。
 若いふたりの祝宴で、やはり、 幸せな日であった。
 快活で開放的、 多くの友人に囲まれ、信望も厚く…  絵は どうしようもなく内面を伝える
  boa!さんのblogに呼ばれ、 思わず書いたきょうの日記です。             

 (写真は、
  豊作のことしか書かなかった 「巴里憧憬」 図録 及び 絵はがきからお借りしました。 )

コメント (6)
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