きのう搬入を手伝った。若い劇団員といっしょに、車から降ろした大道具や小道具を、舞台上手、下手と指示されるままに、えっちらおっちら運んだ。何に使うのかと思うようなものもある。分解された大道具は2~3人がかりで、大きな物は台車に乗せれば軽々である。その後、折り込みをした。
きょう真夏日の観劇。前から6列目で、ちょっと近すぎ。全体が見えにくいし、音量も最大で声が割れてとても聞きにくい。
なにより近くの座席からただよう香水に妨げられた。仄かなかおりは好きだが、かなりきついにおい、その源はちかくにあるらしい。鼻についてしかたがない。そのことばかりがすべてになり、気もそぞろ。ストーリーもだいじな台詞もあやふやになった。
かおりに人柄がでる。上品になるか下品になるか。時、場所、香りの種類、よくよく考えてつかいたい。
『僕 もう あんな大きな 闇の中だって こわくない きっと みんなの ほんとうの さいわいを さがしに行く どこまでも どこまでも 僕たち一緒に 進んで行こう』(ジョバンニとカムパネルラ)
本当の幸せってなんだろう… 銀河がきらめき、サソリ座のアンタレスの赤い火がうつくしく燃え、人は何のために生きるのか問いかける。『ほんとうのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい』と。宮澤賢治の科学者の目が、宗教者のこころが、多彩に織り込まれていた。賢治の作品は1986年にこまつ座公演「イーハトーボの劇列車」を観て以来。
装置のおもしろさ、限られたスペースが無限の宇宙になり、客車にもなるし、ながい坂道になる。
照明が舞台をさらに大きく見せる。美術・衣装 朝倉摂
闇に映える彩り、コーラスがいつまでもこころに残る。
写真:パンフレットより