ドアの向こう

日々のメモ書き 

鬼灯

2006-07-25 | こころ模様

 ホオズキが実ると思いだす。
汗疹の顔とハギの花、 お線香の匂い。 お団子、麦茶。
 母の新盆にあわせ、弟は幼子に見せたいからと神奈川で準備するようだ。
  「こういうことは やっぱり、伝えなきゃいけないね」  「文化だよ…」
 ますます電話の声が弾んでくる。 ふたりとも、 遠いあのころを懐かしんだ。
                       
          -☆-

  祖父の号令で、小学生だった私たちは 年に一度、すすけた仏具をぴかぴかに磨いた。 香炉、 花立て、 蝋燭立て、 りん、 ご飯を盛る器、 お茶用も金属なので輝きが戻った。  仏壇のまえに精霊棚ができあがるのも楽しみだった。
 棚のうえに真菰を敷いて四隅に笹竹を立てる。上のほうを藁で仕切って結界とする。 神聖な場所が生まれた。 藁の間に、ホオズキや花を飾ると、赤いランタンのようにきれいだった。

 いつもやさしい祖父があらたまって、厳しい顔で指図していたのも特別な日。 こどもは従姉妹とお祭り気分。 そのひとつひとつに深い意味があることも知らず、知ろうともせず、真夏の暑さばかり気にしていた。

 なんて、もったいないことをした、 と思う。   あたらさん! だ。
 まだ明るいうちにお風呂に入ると、 浴衣を着せられた。 天花粉の白い首で走りまわる。 神妙に提灯を持って、近くの墓地へ仏様を迎えに行ったね。

 ①キュウリや茄子に「おがら」の足をつけて供える。 おがらは麻の皮を剥いだもの。 これは先祖の霊が「きゅうりの馬」に乗って一刻も早くこの世に帰り、「なすの牛」に乗ってゆっくりあの世に戻って行くようにとの願いを込めた 
 ② お皿に蓮の葉を敷いて、その上にナスを賽の目に切ってのせる。これを「水の子」という。 ナスの種が百八つの煩悩にたとえられているらしい。
 ③ 別の皿に蓮の葉を敷いて水を入れ、みそ萩の花束に含ませ、 ②の「水の子」茄子にかける。 これを灑水シャスイといって、 煩悩を鎮めるためだった と知った。 

 昔から続けてきたことを次の世代につなぐ。 全てに意味があることを伝えたい。 今になって祖父の想いも分かってくる。  現在も、精霊棚は守られているのだろうか。 ふるさとでは、伯父の代からだんだん消えていった。
 晩には近所のひとが ご先祖に逢いに来て。 お茶菓子を出して 夜更けまで。 三々五々、お参りが絶えなかったね。 私たちも、 おかしを目当てに、 遅くまで起きていたね。 いつも しんがりはあそこのおじさんで…  決まってたね… 
  こんな話が尽きない年頃だ。    

清少納言ではないが、 できるだけ大きいのを選んで種をもみほぐす。 追い羽根のようになった赤い外殻を引くと、根ごと、 まるまる中味が取り出せた。 よく洗って口に含んで鳴らした。 ギュウ、ギュッ…  鬼灯の音、 ほろ苦い味がする。 
  精霊棚の説明は こちらを 引用した
     
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優しい影

2006-07-22 | 道すがら

   鳩待峠口から山の鼻ビジターセンターより、 いよいよ尾瀬ケ原に入る。 木道を歩くあいだずっと、 後ろから呼ばれている気がした。 聞き慣れたその名に似ていたから…  

   水芭蕉は、 花を終え(じつは花を守る仏炎苞)、 ほんとうの花はグリーンのつぶつぶチップをつけたキャンディーのようだ。 無愛想に立ちあがり、 大きな葉を広げている。     金光花  ニッコウキスゲ  田村草  アヤメ  サワラン  サワリンドウ ワタスゲが出迎えた。  カラマツソウ は 白い糸のような雄蘂が美しい。 

  写真には入らないが、 左奥に 燧ケ岳ヒウチガタケ、 ふり向くと 雪渓が見える至仏山シブツサン。  途中雨だったが、 現地は晴れ、 湿原に爽やかな風が吹く。 未草 も小さな花を咲かせている。 まだ1時半。  

  太陽の下、 水の上、 やさしい影が通り過ぎた。  

    !  大雨の被害に遭われた皆さまに お見舞い申しあげます。

      

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袋の中

2006-07-19 | こころ模様

 それはTVのよこにメガネといっしょに置いてあった。 何が入っているか、そっと開けてみる。
 爪切り、ハンカチ、 メモ、 ボールペン。 ヘアーブラシ、 口紅、コンパクト、鎌倉彫の手鏡など。 入院のとき、こまごましたものを詰めて枕辺に届けた袋であった。 退院後もずっとかたわらにあった。

 中味のことなど きょうまですっかり忘れていた。

 小さなブラシにまつわる白い髪。 その時まで生きていたと、目のまえに現れたような気がしてうろたえた。 ああ、 おかあさんだ…  
  母そのもの。 胸が熱くなった。

  一条の髪の毛が、切ない日々を思い出させた。 

           -☆-

 姪が祖母に贈ったふくろ。 流水文にはなの刺繍。 
  桜を愛した宇野千代の創作品。

     私はさくらが大好き  私にとって さくらは幸福の花 
       咲く姿も散る姿も  さくらが一番      (千代)
  
 あざやかな色味に、母の愁いも染めている。 その懐をのぞくように飽かずながめた。
  昨日も今日も 一日中雨である。

 袋 おふくろ。 主に男性が母親を呼ぶ。 古くは、男女ともに自他の母親の敬称として用いていたらしい。
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綱わたり

2006-07-10 | こころ模様

 むかしから 群れが苦手  たくさん居ると引いてしまう
 どちらかといえば  ひとりが好き  そのくせ寂しがりで 
  留守番なんかしたくない  矛盾だらけ

    ちょっと背伸びし過ぎたかなあ…   このごろ思う 
     毎日が つな渡り  どきどきしながら


   二階にあがると 満月がひとり   綱渡りしてた
    まえの眼鏡屋のライトを浴びて 泰然としてた

   rugは 虹の橋をわたったが  こっちは石の橋さえ 渡れない    


 

みなさまの大切なコメントを、 Wordに残していましたので ここに再現させて頂きます。                                

   コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )

Unknown (sora)2006-07-10 23:36:10 
 ず~っと読者として立ち寄らせていただいています。
誠実でひたむきな気持ちが伝わってきますので、ついお近付きになりたくてコメントさせていただいています。 
 
すみません! (sora)2006-07-10 23:55:49 
 今私のパソコンの調子がいまいち動きが悪くて投稿するところではなく、エンターキーで「変換OK」とするつもりでしたのに「UP」してしまいました。
不備な最初のは削除してください。すみません。
年齢が多分似通っているところや、趣味志向が共鳴するところなど、静かに読者ばかりでは申し訳ないとコメントさせていただいてます。
なんだか今日のラグタイムさんはバイオリズムが沈んでいるみたい。
「石橋」を渡って居られますよ。そのところが出来ない私は、ラグタイムさんを尊敬し応援する気持ちなんです。方向違いのコメントで御免なさい!
 
もしかして私のこと? (boa !)2006-07-11 05:20:12
 そっくりそのままの私です。
こう書くことができたラグタイムさんはすでに「石の橋」を渡られました。
あなたのお書きになるものに惹かれる原点でしょうね。

橋のない水たまりや、かずらの吊り橋は、ひょいと跳んでみたり、遥か下を流れる急流を目に入れても平気で渡る私ですに。・・・・

多分、渡る気になったときは、叩きもせずさっさと行きそうな気がしています。

いつも一人が好きです。それでいいと思っています。
 
 
好きなればこそ (鳩ねず)2006-07-11 09:52:06
 昨夜の満月をご覧になられましたか。
本当に綱渡りをしていますね。
いつかお話した(今思うとそんな話をしてと申し訳なかったのですが・・)エルンスト・バルラハ展に行った時いつものように噴水の前で主婦弁を食べていると少し離れた人だかりの中心は関西訛りを飛ばしながら綱渡りする大道芸人さんでした。下に防護ネットなど無いので落下すると・・・人垣が増えていきました。その人は一つ芸をする前に木戸銭無料の客を笑わせて声援を求めその勢いで怖さをふっきっていました。後ろ向きに歩く時はもう何回も何回も。わたり終えた時こちらの手にも汗。なんか有難うって口をついて出ました。この若い大道芸人さんは満足げでした。
この方も大道芸が好きでしかたがないのでしょう。
ラグタイムさん、昨日の月は海も照らしてチラチラ揺れていたでしょうね。海はお母さんですから。
 
応援ありがとう (ラグタイム)2006-07-11 10:16:52
 soraさん そのまま受けいれられて幸せです。 blogは面白い! NETに記事?を張り連ね、あたかも蜘蛛のように なにか掛からないかなあ… 不謹慎です、ごめんなさい。 じーっと待つような時もあるのです。 どこか似たような人が集まるのも良いし、ちがう感性も良しです。 
 
敲かず推して (ラグタイム)2006-07-11 22:06:22
 boa!さん、意外です。 けれど、 ひとは想像もつかない資質もかさねて、すばらしい魅力になるのでしょうね。 毎日拝見しています。

 こちらは支離滅裂、blogも石橋も叩かず突拍子もなく奔ってしまう、いい加減さも持ち合わせます。
 ひとりの楽しみたくさんあり、とても時間が足りません。  
   

共時性の不思議 (ラグタイム)2006-07-11 22:42:46
 
この月を撮したのは鳩ねずさんがご覧になったちょうどそれくらいの8時28分です。 雲が小さな傘を差し掛けたようでおもしろい。
 母はどのあたり… そう思っていました。波を銀色に染めていたでしょうね。 久々のお月見でした。

 好きなればこそ醍醐味もある。 あれこれぼやきながら続けてきたのか、考えました。

 月のおかげでやっとできた日記が、 鳩ねずさんや皆様の深くてあたたかなコメントですこし広がりをみせ、 別のいいものになっていく。
 ショート・ショート・ストーリーを連ねて一編になるような、蛙も楽しんでいます。さしづめ連歌のような。 つづきを、掛け合いを傍観する気分で。

 いつもよどみないペンの走りを見れば、blogなさいませんかとお勧めしたくなりますね。
  

ほっとひとあんしん (鳩ねず)2006-07-12 05:12:04
 お元気なられたようですね。 励ましと受け留めて頂き実は胸を撫で下ろしています。すぐアンデルセンのお話を思い浮かべたのですが、今のご気分にそぐわないのではないかと大道芸人さんの話題に変えました。
>共時性・・人のつながりは不思議です。生意気な言い方でちと早すぎますが人生の妙味とも言えますか。
>好きなればこその醍醐味
私は、何を言いたいのか分らないまま書き始め100文字以上使ってやっとタイトルが付けられます。よどみないどころかこのモタモタをラグタイムさんがすきっと短く言ってのけさらに膨らませて下さったので、殆ど快感を覚えます。なるほど「連歌」の味わいですか。そう考えるとブログも面白いですね。
其れも念頭においてもう少し遊ばせて頂いていいですか?
 
有難うございました。 (鳩ねず)2006-07-12 15:25:36
  前々から一杯書き込みたい内容の記事を読ませていただいたのですが、如何してもラグタイムさんの生活、ラグタイムさんのシルエットが分らなくて残念な時間を過ごしてしまいました。ゴッホ、ロダン、クローデル、コメントしたくなりました。今日は沢山書き込みました。
あの枇杷の絵はもう完成しましたか? 
 
Unknown (鳩ねずみ)2006-07-12 16:36:13
 
明日から違う生活です。ラグタイムさん、お元気で。違う解決の方策を選ばなくてはいけなくなりました。この次を生きるために私の残された時間は少ないのです。しかたない.


 

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ビバ・ラ・ビダ

2006-07-05 | アートな時間


 一度見たらぜったい忘れない顔、 とびきり個性的な自画像にくぎづけになる。強い意志の現れは一文字の眉だ。 いかなる困難も直視する、おそれを知らぬ大きな瞳。  Frida Kahlo フリーダ・カーロ。 メキシコが生んだ情熱的、伝説的女性画家。

 おどろくようなユニークさと豊かであかるい色彩。 その烈しさについていけない絵もあるが、 数ある彼女の自画像の中でも リベーラに見せる最初のこの絵は好きだ。 

  光沢のある黒い上着、 衿の刺繍は赤で繊細、 彼女の息づかいがする。 痛々しいつよさばかりが目立っていたけれど、 ちがう一面が見えてほっとする。  暗いバックの波のような雲のようなうねり、これも効果的、 個性が際だってくる。
  浮かび上がる肌色、その分量、 手の位置も。 バランスがいい。

  彼女の視線を感じ、 緊張しながら見ていたが、 いつしかファンになってしまった。  ただこの一枚だけで… 
 これは 1926年に描いた初の自画像だろうか。

        -☆-

  溌剌とした少女が、18歳のときバスの事故で、瀕死の重傷を負う。 鎖骨、肋骨、脊椎、骨盤がくだけ、右足は潰れ、人生が一変する。  30数回におよぶ手術をくり返しながら、革命に揺れる当時のメキシコ社交界にあでやかに輝き、イサム・ノグチやトロツキーなどと親交を結ぶ。 

 1939年のパリ個展で、カンディンスキーは心打たれ涙を流したとか、 ピカソが掌の形をしたイヤリングをフリーダに贈ったこともある。  ファッション・デザイナーのスキャバレリもフリーダに会い、作品や色彩に魅了され、やがてショッキング・ピンクと名付けた色を生みだしたと言われる。

  安静を命じられていたが、最後の個展は、会場までベッドに横たわったまま運ばれた。 その一枚には 「ビバ・ラ・ビダ  生命万歳!」 と記されていた。 

  2003年8月、 彼女の生家を映画でみた。 忠実に再現されているらしい。  壁の色や、 家具やテーブルの花、 民族衣装のセンス、 いきいきと魅力的。 メキシコの風が心地いい。
  
彼女はベッドのうえで描きつづけた。
 
  最近、世界遺産の番組で メキシコ国立宮殿の大壁画を映していた。 作者はディエゴ ・ リベーラ。 象と鳩の結婚のようだといわれたフリーダの夫である。
 彼がフリーダの個展について知人に宛てた手紙の、 印象的な一節が胸を打つ。   

 「夫としてではなく、 彼女の作品を心から崇拝する者として あなたにフリーダを推薦します。 その作品は辛辣にして優美、  鋼のごとく硬直で蝶の羽のように繊細かつ気高く、 輝く笑顔のように愛らしく生きることの苦しみを映して 奥深く冷酷です」
     フリーダ・カーロ   引き裂かれた自画像    堀尾真紀子著   中公文庫 

   写真:
映画パンフレットより
 

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天の海

2006-07-02 | こころ模様
 
 降ったり晴れたり。
 義母を訪ねた。 101歳、 何でも自分でこなす。
 長い手紙が届いた。 励ましのなかに毅然と生きるひとの心情があふれだす。

 アガパンサスを育て、掃除、洗濯、炊事。 暑いときだけ頼むよし。
買い物はリュックを背負うんだって。 途中、急な坂だってある。
 家族に気遣われながらゆっくり歩む。 いのち万歳!

          -☆-

 帰るとき 行く手に大海原だ。 車窓から夢中で撮した。
 この大きさ。 深さ。 広がり。 神々しい美しさに息をのむ。
  運転手も黙ったままだ。

   波間をただよふ塵のような存在が、瞬時をつないでかけぬける 
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夜の音

2006-07-01 | こころ模様

 夜気にふれると わずかに昼の暑さをわすれる。 目を閉じれば闇のなかにさまざまな音が聞こえた。 車が走り去る音、エンジンを吹かす音。 近くで雨戸をたてるおと。

 ハイヒールが近づいてくる。 やがて向きを変えコツ、コツ、コツ。 階段をあがる、リズムが変わる…  遠のいていく…
 
 なおも耳を澄ますと かそけき河鹿の声がする。  しーっ! 
 ケロ ゲロ ゴリ ゴリ ゴリ  糸尻をすりあわすような響きだが、より明快なトーン。 この擬声語を正確に文字にはできない。

 犬が去って、にわかに生い繁る猫の額だ。 いままで遠慮していた生き物がもどってきたに違いない。こんな所にと耳を疑うが たしかにこれは河鹿蛙の美声だと思う。 ルル、ゴリ、ルルル、ゴリ ・・☆・!…

 風知草のかげか、増え続ける杜鵑草ホトトギスの下かも知れない。 梅雨の夜、歌声が雫にぬれている。 河鹿は渓流に住むという。 あまり楽しげとは言えない、かよわき声がとぎれとぎれに聞こえる。 こんな環境にとまどっている。
 遠吠えがして ピタリと止む不思議な声の主。 毎年毎年おなじドラマを繰りかえしてきた庭の、新たな主役は河鹿だろうか。 夢なのか、今宵も聞き耳をたててみよう

 晴れると夏の陽をツンツン跳ね返していたテラスに、守宮ヤモリも見つけた。
  あっ!と 声がでない…  ただ、ただ、動悸の音がする。 
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