ドアの向こう

日々のメモ書き 

現代音楽と運命

2005-10-30 | こころ模様
 突然のお誘いで、夕刻サントリーホールへ出かけた。
2階席1列、舞台上手はオーケストラに手がとどく。 俯瞰できる申しぶんない場所。 指揮者や演奏家の表情、息づかいなど心の動きまでわかるようだ。今、どの楽器がこの音で、と、まさに臨場感をもってながめることができた。 見ると聴く、ふたつの喜びにわいた。 現代音楽は分かりにくい、 絵画だってと思ったが… 

指揮 岩城宏之  演奏 新日本フィルハーモニー交響楽団  合唱 東京混声合唱団
① 武満徹:「風の馬」より
  混声合唱 チベットの遊牧民族が移動すべき次の土地を決めるために占う。高原の広い空間に一条の縄を張り、民族衣装の切れ端が結ばれる。 やがて風が吹く。 澄んだ冷たい空気の中ではたはたと音をたてる、とりどりの色。その布のたなびく方へ移り進んで行く。「風の馬」とはその布が結ばれた縄を言う。 武満徹、唯一の合唱曲である。 とにかく広い草原と、さわやかな風を感じた。牧歌的な風景がうかぶ。

② クセナキス:誓い 
   トレモロや音程のない叫び、フ、ふ、と吐く息、吸う無声音など。天上の声か。 ラスコーの壁画は、こんな音楽で生まれたかしら、などと重なる。
 現代音楽は難解?  いいえ、 深くて遠いせかいの音楽だ、と つくづく考える。 

③ 三枝成彰:六声のためのマドリガル (後述) 彼のファン、 トークも聴けた。
④ 中田喜直:夏の思い出/雪の降る街を  
   緊張していた耳がほっとしている。 訓練された合唱は 楽器にも勝る 
⑤ 一柳 慧(とし):インタースペース  ピアニストとしても活躍中。世界的作曲家。 FMでなんども聴いた。
⑥ 権代敦彦:84000×0=0 オーケストラのための作品88
阿弥陀如来のはたらき(0)により風が84000の煩悩の炎を吹き消す。 =0、そこは浄土、そこは無限。
作曲のおふたりも紹介された。 現代音楽も よく聴けばたのしい。 受け手の姿勢いかんだとわかる。絵画においても。
 絵画は 有名なラスコーの壁画(仏)やアルタミラの壁画(西)など1万5千年前から辿ることができる。 それはもう気が遠くなるほど、はるか昔のことだ。 それに比べると音楽の歴史は
  クラシックにおいては、かのビバルディでさえ1678 ~1741、「四季」を作ったころ、日本では徳川吉宗が将軍となり、尾形光琳が亡くなっている。 
 江戸時代なら、 つい今し方のことになってしまう。
 きょうの三枝成彰作曲 「六声のためのマドリガル」 を聴きながら、 しきりにそのことを思った。 現代音楽の中にいにしえをみる。 6人の歌い手は 壁ぎわ出入口まえに、 闇のなか額に灯りを着け現れる。 対角に配置され、伴奏のない歌というより、声を発する。 それが会話するようにあちらこちらから響く。 歌声は追いかけ、もつれ、ほぐれつつ、やがて混じり合う、音のスペクトル。 やがて歌いながら客席中央に集まると、 声と声はぶつかりあい、対決する。 今まで聞いたことのない不思議な音楽となり、ホールにとどめく。 たのしき試み。 三枝成彰27歳のとき創られた。

 現代音楽から、石器時代や古事記が見える。 銅鑼や太鼓、弦楽と 叫ぶようなコーラスが遠く近くひびきあう。 神々の宴を想像したり、 明日香のうたびと達の影もよぎる。 現代音楽とは、なんとあらたしく神聖、火炎土器を目の当たりにする感覚。 九博のもようを見たばかりのせいかもしれない。   
 普段使わない感覚や細胞も目覚める心地。 女4人、年賀状の話からおせちへ。 果ては介護に行き着いた。 夜風に吹かれながら テラスで食事。 それぞれ何かを負って。 
⑦ ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 op.67「運命」
  現代音楽と運命 すてきな取り合わせ。 
  おもしろく、心にのこる いいコンサートだった。
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秋深し

2005-10-26 | 自然や花など

 急に肌寒くなって参りました。 たくさんある晩秋の季語から。

 朝寒(あささむ)、夜寒(よさむ)、暮の秋、行く秋、秋惜む、冬近し、秋時雨、露時雨、露寒(つゆざむ)、草紅葉、苔紅葉、黄楽(こうらく)、末枯(うらがれ) 

  どうぞお風邪を召しませぬように
 テンプレートが涼しすぎるので ホットなカラーで。 
 先日、 丸ビルで見かけましたハロウィーンの飾りです。
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あたらさん

2005-10-25 | こころ模様

 
 本日発売  「あたらさん」 暮らしの手帖 別冊 2005.autumn vol.1 
 耳慣れないが、 あたら=(可惜) とは古語で 「もったいない」 のこと。 つまり、 もったいない と 太陽SUNの恵みをプラスした、 書名だそうである。  明日をたいせつに思う気持ち とあった。

 記念すべき巻頭対談 吉沢久子さんと清川妙さんの うつくしい暮らし を読む。  人生の達人おふたりが もったいないもの について語りあう。 手紙であったり、命の時間、友情… 等々、 どれもうなづき、教わることばかり。 いいことばを聞きました。  それにしても良い写真、 活き活きとアクティブなおふたりに元気と勇気をもらいます。 書斎にも潜入した気分、 ファンならずとも必見です。 達人の日常が見えました。 もっと話したいけれど 著作権が…

「あたら」について調べた。
 
  旺文社 古語辞典 
 あたら【惜】美しいもの・すぐれたものが過ぎ去り、失われていくことに対する愛惜の感じを表す。惜しむべき。もったいない。せっかくの。
 あたらし【惜し】おしい。もったいない。残念である。
 あたらしぶ【惜しぶ】おしがる。おしく思う。
 あたらしもの【惜もの】(感動的に)おしいもの。もったいないこと。
 あたらよ【惜夜】 明けるのがおしい夜。いつまでもながめのよい夜。 良夜。
玉くしげ明けまく惜しきあたら夜を衣手離(か)れて独りかも寝む (万9/1693) 
  あたら夜を伊勢の浜荻をりしきて妹恋しらに見つる月かな  (藤原基俊 千載集)
あたら夜の月と花とをおなじくはあはれ知れらん人に見せばや (信明・後撰集103) 

  岩波国語辞典
 あたら ①【副】おしくも。もったいないことに。 ② 〈「身」「物」「夜(よ)」などの上に連体詞的に付け〉惜しむべき。もったいない。 「可惜」と書くことがある。
 あたらし ①あたらしい ②惜しい、もったいない。 
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顔見知り

2005-10-24 | 犬のブロンコ・ダン
 それまで、何処の家に犬が居るか、どんな種類かなど考えることもなかった。全く目に入らない。 犬を飼いはじめ、人生が変わった。 大げさだろうか。 

 飼ってみていろいろわかる。見えてくる。 混雑していても、すれ違う犬に目がいくから、不思議。 それは子育てに似ていて、幼稚園にあがれば、ほかの園児に。 中学生になれば高校生にもしぜんと目がいく。 それも男の子ばかりだ(我が子は男子のみ)。 頼もしく、活気とあかるさをまぶしくながめ、観察し、子の行く末を重ねてみる。幸せなひとときだ。
 
 犬と散歩のある日、追い越しざまに「こんにちは。元気がいいわね…」 と親しみをこめ挨拶された。40代の女性、自転車のひと。どこであったかなぁ、 子どもが同級生だったのか、 絵のひと、 家族の知り合い 友だちの友だち? 思いめぐらし、見覚えのないその方に、うわべの挨拶を返す。 
 
 大分たって、 ビーグル犬とすれ違った。 顔見知りの犬。 若い彼はやんちゃ盛りでいつも rugbyに向かってくる。「遊ぼうよ」 ぴょんぴょん跳びはね嬉しそうだ。飼い主は、逃亡して大変だったことなど話した。  じゃ、またね。
 あ! 追い越しざまの、あのひと。いつぞやはたいへん失礼しました、とも言えず呑み込んだ。
 
 雨の日、久しぶりであの人に会った。こちらは、しっかり、お顔をおぼえている。にこやかに会釈した。 しかし、腑に落ちないようす、とまどいが見える。 きょうはお互い犬なしdayだ。 犬がいっしょで 飼い主の顔がわかる。 主人は犬で、飼い主は付き人、舞台の黒子。 目立たないのだ。 ワンセットの、お互いさま。
 rugbyの友だちは蛙の友だち、楽しい仲間。 時を経て飼い主だけでもわかるようになる。
 いまは、お嫁さんくらいの女性と、小学生に目がいく。みんな女の子ばかり。 やさしい笑顔が浮かんでくる。
   べつに、飼い主というわけではないけれど。 

 日曜日、かのビーグル犬と出会った。 きょうは男性が付きそう。「やんちゃ君」に無言で挨拶した。この男性が君のご主人で、かつあの人の旦那さん、と合点がいく。 やんちゃが取り持った。
  男性は前を向いたまま通り過ぎた。 愛犬が、おばさんと目配せしたのも知らずに。  
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まだ、カモメ 

2005-10-23 | こころ模様



  たこさんのお勧めもあり、全文を載せます。 スキャナーには長すぎたので分割しました。 各地から寄せられたカモメの声も、お聞きください。  (朝日夕刊 2005.10.21より)

  室生犀星 「かもめ」の詩は こちらに 
  ジョイスの 「フィネガンズ・ウェイク」 は  カスタマーレビューを読んだだけでも面白そうです。 rugbyが寝ころんで皺くちゃ、 記事を拡大して全文をどうぞ  画像拡大

 

 

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琳派と

2005-10-20 | アートな時間


 文化祭に枇杷の絵を搬入・ 展示し、 30分で終える。 すぐさま電車に跳び乗った。 目的は、出光美術館と東京ステーションギャラリーにある。 五日ぶりの晴。 後の月見もかなわなかった.。 心にもようやく晴れ間、気持のいい日。  家族の昼食も用意して、 ちいさな羽ばたきである。

 出光では 「京の雅び・都の人びと-琳派と京焼-
 併設 仙展 
 洛中洛外図屏風にはじまり、 赤と黒の楽茶碗を九点、
 光悦赤楽兎文香合」 
 光琳/乾山銹絵秋草図角皿」 「銹絵竹図角皿  兄弟競い合い、みごとに調和している。
   写真:出光美術館絵はがきから

  宗達扇面散貼付屏風」  線書きの薄、かすかに見える。 扇面に切り取られる花もおもしろい。 はみだすところにあそび心、 見る側に想像させる。 たのしくデザインされた絵柄がモダン。 
   伝宗達  「月に秋草図屏風」  遅ればせの月見をしてよろこぶ。 月明かりに萩も桔梗もあざやかだ。 虫の音も聞こえてきそう。   

 野々村仁清 色絵芥子文茶壺」   華やかな色絵。
 
柳宗悦は 「器にも活きた人の姿がある」 と言う。 頭部 ・ 耳 (時として耳を添えたものがある)・ 肩 ・ 胴体 ・ 手(手がある場合も)・高台は足… と。 なだらかな肩や 胴の肉づけ、皮膚とも言うべき器の面。 それらをなぞり眺めると、 ますます楽しくなる。 
  仙  「堪忍柳 
 気に入らぬ風もあろふに柳かな  
何でも受けとめて… あるがまま               

       加守田章二展  東京ステーションギャラリー 
10年以上も前、東京国立近代美術館工芸館で初めて見た。 いままでの陶芸の概念を超えた作品にショックを受けた。 美しくダイナミック。  好もしく思い、もう一度会いたいと願っていた。
 まさに彫刻、 トルソー。
 おさえた色、 おおきな形にも惹かれる。 一点、一点、 ドキドキの連続。 つぎは何を? 期待しながら進む。 芸術を、 歩きながらスケッチした。
 いかにして生まれたか、   この か・た・ち 

「自分の外に無限の宇宙を見る様に、 自分の中にも無限の宇宙がある」 
加守田章二
  
ずんと 心にひびいた。 はみ出した芸術から、 創造のほんとうの姿を見たような気がする。 すでにあるものを壊すところからはじまる、 とこのごろ思う。

コメント (6)
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風立ちぬ

2005-10-14 | 道すがら
 小さな旅は、 やはり車と決めていた。 免許がないので管理人のご機嫌しだい。 母もrugbyも置いてゆけない。 ところがきょうは、 何もかもそろった。 皆の体調良く、天気まで味方につけて、こんな日はめったにない。 ようやく夢がかなった。

 晩秋の信濃路をドライブした。 薄の群も歓喜して、浅間もあざやかに出迎えた。 3時間余りで堀辰雄文学記念館に着く。 門の辺りは改修中だ。 少しまえを、ちいさな赤い蛇が行く。 こわがると 「蛇は縁起がいいんだ!」 と、相棒はカメラを向ける。 なにかいいことあるのかな。
 入り口にも前庭にもたくさんの水引草。 
 水引草に風が立ち…  しづまりかへった午さがりの林道を… と 道造の声がした。

 堀や立原が常宿していた 御宿 油屋 の看板もすぐ近く。 追分宿に吹きはじめた秋の風は、なにもかも懐かしく揺らした。 木漏れ日のなかにアララギの赤い実が熟れ、口にふくむと甘くせつない。
 風立ちぬ  「二人の人間がその余りにも短い一生の間を、 どれだけお互に幸福にさせ合えるか… 」 と。 

 管理棟閲覧室は整理中でパネルも斜めに立てかけられたままだ。 書庫、 展示室、 旧宅で、手紙や自筆の原稿、 蔵書や遺愛品など興味ふかく見る。 愛用の机、椅子。 床の間に、川端康成から新築祝いとして贈られた直筆の書 「雨過山洗如」 がかけられている。  

 広い庭に出ると  風立ちぬ いざ生きめやも (ポール・ヴァレリー 「海辺の墓地」より) と また静かなそよぎが心を揺らす。 

 「それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に繪を描いてゐると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たへてゐたものだった。   (略) 

 そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。
 …まだよく乾いてはいなかったカンヴァスは、その間に、一めんに草の葉をこびつかせてしまっていた。」 (「風立ちぬ」より抜粋)     

 洒落た映画のようだ。 倒れたカンヴァスの描写は臨場感をもってせまり、 ふたりの前途を暗示するよう。 ぬれた絵の具と 草の匂い。 とくにスケッチは風のない日がいい。 実感している。 
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編む

2005-10-07 | こころ模様

 金木犀の香りをめでながら母のつきそい。 遅い歩みで カフエカロチャ のまえにくると、濃い黄色が揺れていた。 大きく枝を広げるその先に、 散房花序のこぶりな花をつけている。
  花の名は  カッシア   別名  アンデスの乙女  ハナセンナ
近寄ってみたが香りはない。  
 たまの外出、 母のこころに留まる、 きょうの模様          

            -☆-  

 月刊「清流」11月号  季節(とき)のことのは 「毛糸編む」  清川妙
 毛糸編む季節の、遠くなつかしい情景。  編みこまれる美しいことば。  
 編み物は ひと針ひと針、 一目ひとめに心をいれること。 これがあたたかさの秘密かな。
 母から娘へのしあわせな応援。 温かなスープの匂い。 紹介される太平記のリズムにも惹かれた。       
    「落花の雪に踏み迷ふ。 片野の春の桜がり… 」  続きを読もう。

            -☆- 

 毛糸編む…  ひとも心にいろいろの模様を編みこんでいく。 そこに、 うす暗い糸もあれば、かがやくような赤もある。 他人とちがう模様をつけて、 それぞれの人生だ。 思い出をほどいたり、あしたを紡いだり、 知らずにときは過ぎていく。 

 外出して何かに出会う。 新鮮な気持ちになる。 母の喜びはちいさなものだ。 すこしでもちがう色を編み込んで、 あじわい深く日々をかさねる。 
 彼女も、 心のセーターを編んでいる。
地味な彩りにも、 きらっとひかる模様をつけたい。 たとえばカッシアの黄色で。
  こころのセーターも  blog も、 思いをこめて編んでます。 
   季節のことのは過去記事  「良夜」  「栗」  「夏帽子」
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魔法の草

2005-10-02 | 犬のブロンコ・ダン

                 どなたかいらした?     よく見えません…

   調子がわるいと、草を噛んで吐く。 ミントの葉だったり、 庭の隅の雑草をかんたんに噛んで呑みこむ。 いつだって、 教わらないのにこっそりと、このやり方で直してきた。 朝のうち具合悪そうでも 「みどりの毒消し」  さえあれば、昼頃にはすっきり元気、 魔法のようだ。 
  よかったね、心配したよ… 決まりの台詞にウインクする。 

  餌は17年間、変わらない。 毎朝、鶏のささみをゆでて2本 夕方ドッグフードを専用のカップに1杯、最近は2分の1ほどを食べたり食べなかったり。 
 ひとが食事をするときは、 今はきちんと正座で待っている。 以前はこうはいかなかった。 くんくん鼻をならして、 文字に直せないが 「ブゥ」 だか 「ぐぅ」 だったか複雑な音色。 
ターシャが言う 「豚の鼻」で大騒ぎした。

 ときどき膝に手をかけ上目遣いで  「ねぇ、ねぇってば! ここにいるんだけど」 とアピールする。 無視すると、ひときわ高く 「ワン!」 とだめ押し。

 アイスクリーム、おせんべい。 特にキュウリ、林檎、焼き海苔がすき。 なぜか麺類には目がない。敵討ちでもあるまいが スパゲティ、 そうめん、 ラーメン、 うどん、 そば、 細いものなら何でもござれ。 つるっと成敗する。
 家族の一員として一口ずつのつもりが、 じっと見つめられると蛙は勝てない。
  
「これだけよ」  は何の意味もないことを rugbyはとっくに学習している。

コメント (2)
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