斎藤茂吉の挽歌「死にたまふ母」を読みました。 「今甦る茂吉の心とふるさと山形 短歌研究社」もあわせ。 59首の絶唱をうなずき、感動しながら読んだ。 気持ちにぴったりかさなる歌もある。
写真のまえで朗読すると、なぐさめられ、いつしか肩の力がぬけていました。
死に近き母に添寝ソヒネのしんしんと遠田トホタのかはづ天テンに聞キコゆる
実際、添い寝しながらこの歌が浮かんでいました。 夜中とくに、不安にかられ何度も目を覚ます。 起きあがってのぞき込み、変わりないのを確かめます シンシンと寂しい こころが凍るような深いおもいにとらわれます しんしんと…
それは天にまで聞こえるような 蛙カハズの合唱でますます高まってくる
寄り添へる吾を目守マモりて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば
何か分からないが 口をもごもごさせている。 言いたいこと 言っておきたいことたくさんあった。 ごめんね ふりしぼる声 聞きとれなくて
みちのくの母のいのちを一目ヒトメ見ん一目見んとぞいそぐなりけれ
吾妻アヅマやまに雪かがやけばみちのくの我が母の国に汽車入りにけり
弟もおなじ思いでかけつけたのだろう 離れてくらす彼には母への格別な思いがある それを思えば せつなくなる
死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
ツツジが咲いた 鉄線が咲いてる、薔薇がとどいたと見せ 顔に近づけ薫りをかがせた
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我ワを生まし乳足チタらひし母よ
のど赤き玄鳥ツバクラメ ふたつ屋梁ハリにゐて足乳タラチねの母は死にたまふなり
星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
さ夜ふかく母を葬ハフりの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
寂しさに堪へて分け入る我が目には黒ぐろと通草アケビの花ちりにけり
遠天ヲンテンを流らふ雲にたまきはる命イノチは無しと云へばかなしき
皆さまのたいせつなコメントをワードより再現いたします。ありがとうございました。
交響する調べ (boa !)2006-05-26 21:21:35
詩歌にもその出会いの時があります。 今のラグタイムさんは、茂吉の「死にたまふ母」の最高の読み手であり、鑑賞者でしょう。
”のど赤き玄鳥”と、”母に添寝”の歌が好きです。 「慰められ、肩の力が抜けた」とおっしゃるのがよく解ります。あなたの悲しみの深さとはかけ離れたものでしたが、私も確かに茂吉の歌に気持が洗われました。
悲しい時には悲しみに浸るのがいいようです。
かならず抜け出せるもので。
九州南部は、もう入梅です。今日は一日中雨と風でした。
レクイエム (ラグタイム)2006-05-27 15:26:27
boa!さん こちらもきょうは冷たい雨です。 CDを聴きながら ゆっくりお返事を書いています。
思いあふれる歌に、共感します。boa!さんがお好きな歌も 「のど赤き」にどきっとします。 そこに母の死… 赤の 強い印象的な色が、鮮やかな絵になります。
茂吉のお母さんは5月25日になくなっている。 蛙の大合唱は 田植えのころ。
ツバメの巣作りも季節の先取りをしていると指摘していました。
fictionだと… 歌も絵も文章も創ることに変わりはありませんね。
それで、 もっと感動するのです。 実写、写実そのままではないと思いました。
このblogは そのママで。
ご冥福を・・・ (虚庵)2006-06-01 12:00:47
久方に訪えば、つとにご母堂様ご逝去とのこと、大変遅ればせながら、心からお悔やみを申し上げます。誰に取りましても母は特別な人、我が事ながら一首を詠みて、ご冥福を念じ上げます。
ははゆきてはやよそとしをへぬれども
ゆめわすれめやほほえむおもかげ
いつまでも (ラグタイム)2006-06-01 22:24:41
虚庵さん ありがとうございます。 父であり、母であったと折々に思い出します。
母もまた 見守っている気がします。
お母様への思いの深さも心に沁みました。
何年経っても忘れません。