つよい日射しが押してくる
ひくい影伸びて
そちら向いたり こっちを見たり
あくびしながら 地面をゆく薄墨のいろ
☆
みずみずしい鼻を光らせ 耳は天をつく
威厳ある顔つきで 少しまえいく影法師 夜より黒い
ドン・キホーテのお通りじゃ 従者をつれて誇らしく
真昼の夢 …
急にあわただしくなる身辺です。いつものことながら気分だけ。 行きつ戻りつ、あちこちつついては脱線しています。 思い出の渦に巻きこまれ流され、抜け出すひまなく日が暮れる。そのくり返し。
いつの間に、庭の山茶花が咲いていました。そっと見られていたのです。凛とした清らな白さが眩しくて、思わず姿勢を正します。
山茶花のこゝを書斎と定めたり 子規
山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ 楸邨
夜目にもくっきりと。 下手な家事がつづきます
この画像はこよみのページ私的歳時記 サザンカ に掲載されました。かわうそさんありがとうございます。
冷たい風があたる西側で、 まだクレオメ(西洋風蝶草)が咲いていた。 花のつきかたも面白いし、細いひげが舞うようで印象的。 ピンクの小さな花がところどころ白んで縮れ、花の終わりを告げている。
いまだ強い西日に守られてきたのだろう、 よそでは見かけない。 花の下に、八方にひろがる細い刀のような実。 そのふくらんだ莢に触れると、待ってましたとばかりに弾けた。
夏の終わりにたくさん集めたナガミノヒナゲシの種は、 砂粒よりもさらに小さく、さらさらと地面に落ちた。 クレオメは少し大きく、菜種くらいか。
ルーペでよく見れば一粒ずつ、「の」の字にくるっと巻いている。 虫みたいだが、種のじっと待つ姿だと思えばほほえましい。 しかも大きさ1.5㎜。 なんといとしい。 莢の長さ35㎜ みつめながら白秋の詩を思い出していた。
人知れず袖に涙のかかるとき、
かかるとき、
つひぞ見馴れぬよその子が
あらせいとうのたねを取る。
ちやうど誰かの為スるやうに
ひとり泣いてはたねを取る。
あかあかと空に夕日の消ゆるとき、
植物園に消ゆるとき。
「雪と花火」より 「あらせいとう」
どこか哀しくなる。
あらせいとうのたねを取る のフレーズがとくに好き。
「あらせいとう」 竹久夢二の絵のように、なつかしく響く。 これがストックだと知ったときの驚き。
季節の花300さんによれば、 ストック 別名 紫羅欄花(あらせいとう) 葉が、ラセイタ (毛織物の一種(raxa))。ポルトガル語 ではラセイタと呼ぶ) に似ており、 そこから「葉ラセイタ」 →「アラセイタ」 →「アラセイトウ」に変化した。
香道を知らないが、 気分転換にときどきたのしむ。 いま手許にあるのは源氏物語第七帖の紅葉賀。 青海波の形をしている。 本来は五種類の香木を焚いて香りをきく。 源氏の物語を縦に五本の線で書いて (最初と終わりの二帖を除く五二帖)香元が出した香と合うのを当てるらしい。
-☆-
源氏一八歳、 紅葉の美しい神無月に朱雀院で御賀が催された。 身重の藤壺の宮を慰めようとの桐壺帝のはからいで催された試楽に、 源氏は頭中将と青海波を舞う。 その美しさ、みごとさはこの世のものとも思われなかった。行幸当日の、紅葉に映える源氏の舞は、また一段とすばらしかった…
物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや
唐人の袖ふることは遠けれど立居につけてあはれとは見き
源氏物語 紅葉賀
藤壺の宮と光源氏の胸中はいかばかり、 苦しさと楽しさと… 胸にせまる。
-☆-
うれしいお便りをいただいた時、お返しの封筒に一つ忍ばせる。 お相手が喜ぶ顔を想像した。 てがみの移り香が心にのこる。 その手紙のことを、いつまでもわすれない。 何となくうれしい。 青海波は、あと二つになった。 紅葉のきせつ静かなへやで雅な沈香をきく。 絵巻の復元模写もある。 ものがたりの奥ふかく、繊細な色や技をたしかめたい。
-☆-
万葉集の教室に和服の方もちらほら見える。 去年のこと、予備机のうえに丁寧にたたまれたコートが載っていた。 何気なく眺めると裏地に源氏香之図が散らされているではないか。 はっとして熱くなった。 見えないところに遊び心、 粋なおしゃれと感動した。 奇しくも、 その日のうたは 家持の
春の苑紅にほふ桃の下照る道に出で立つ娘女 だった。
ここの「にほふ」は視覚的に、色が美しく映えること。 つや(ひかり)がある美しさ と習う。 平安時代には臭覚に関する意味もあわせ持つようになる。 「にほふ」 と 「かをる」 の違いを楽しく学び、 家でゲーテの詩 「野なかの薔薇」 も読んだ。 ♪童は見たり 野なかの薔薇 … 紅におう、野なかの薔薇♪ と。
講義はコートの裏地が気になって、 よそ見ばかりしていた。 「ここにも かをり があります」 と発言しそうになるのを押さえて、のどがカラカラだったことを思い出す。
日曜美術館 「天平人動物とあそぶ・第57回正倉院展」 をみる。
美しい碁石を辿った日のことが思い出された。
2004年2月10日は
春霞流るるなへに青柳の枝くひ持ちて鶯鳴くも 巻十・1821
を学んだ。
春霞が流れるようにたなびく。 ちょうどその折、 青柳の枝を口にくわえて鶯が鳴いている。 (清川妙の万葉集)
正倉院御物の、紅や紺の碁石に彫られた花喰鳥の模様が思い出されます、と結ばれた。
以前目にしたかも知れないが、さっそく正倉院宝物写真のなかに花喰鳥を探した。 北倉25より 合子(ごうす・碁石の容器)に納められていたという、色鮮やかな愛らしい碁石を見たのだった。
花喰鳥のモデルは八頭(ヤツガシラ)。 冠をつけた鳥のすがたも、やわらかな線でふっくら浮き上がっている。 紅・紺・黒・白の碁子(きし)、合わせて516枚が伝わる。 小さなものにこめられる遊びごころ。 精緻なしごと。 配置も表情も少しずつちがう、手しごとの温かさ。
我が背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しからまし 巻八・1658
あなたとふたりで見たとしたなら、この降る雪も… と詠んだ光明皇后。 聖武天皇とむつまじく遊ぶところも浮かんでくる。 わくわく学びながら、 こちらまでうれしくなる。
その日、コピーの一部をノートに貼り、のこりの碁石は丸くきりぬいて、手紙の封緘シールとして使った。 枝くひ持ちて… 受けとる方の微笑みも想像して。
色もデザインもそっくり釦やイヤリングにしたいと思った。 いつまでも天平の色や風を感じていたい。