ドアの向こう

日々のメモ書き 

何のはな?

2007-06-27 | 自然や花など
 雨間アマアイ の 梅雨らしくない公園で 先日咲いていた花です。 鳥の嘴みたいな蕾、 やはり デイゴ(梯梧)の花でしょうか 沖縄にたくさんありました。

 こちらは 雨が少ないです。 雨のつく字を集めてみました。 

 雲 霞 雫  曇 霉カビ 濡 漏 霧 雷 露 靄  零れるコボレル  霖雨  霤アマダレ 雩アマゴイ    

冬になれば  雪  霜  霰アラレ 

「雨足」 「雨音」  聞いただけで 情緒を誘う 

 歌舞伎の舞台のすぐそばの席を かぶりつき 「雨落ち」 というのですって。

 「雨皮」アマカワ アマガワ   雨天の際、牛車や輿コシ に かけた覆い。
 「雨宿り」は「雨隠れ」アマガクレ とも。  「雨霧」アマギリ に 濡れそぼちつつ…
  
 「雨注ぎ」は 雨だれ。雨のしずく。 「雨垂れ拍子」 想像できる…  パラ・パラ・パラッと 太鼓の音
 兜の目庇マビサシの表面を 「雨走り」 …むべなるかな
 
  洋服のポケットの上から下がった蓋は  「雨蓋」アマブタ
 「雨夜」の品定め…  「雨霰」。 
 
  雨のつくことば、雨を含むことば、雨でおえる詞、 たくさんある。

  「甘雨」は「慈雨」ね   「黄身時雨」で お後がよろしいようで…
 あなたの好きな 雨のなまえ教えてください。 

 (あめりかデイゴらしいと 教えて頂きました。ありがとうございます)

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極楽

2007-06-25 | アートな時間

 

   雨障り、 雨つつみして…  なんと奥ゆかしくて いい言葉だろう。 
   去年、万葉の友に教えてもらった。 

  雨障アマツツみ常せす君は久かたの昨夜キゾの夜の雨に懲りにけむかも      大伴女郎   巻四・519                          
  久かたの雨も降らぬか雨つつみ君に副タグひてこの日暮らさむ                四・520

  降り籠められる日々、 せめて、 やわらかに発想したい。

               -☆-

  ようやく 大回顧展 モネ 印象派の巨匠、 その遺産 へ。 

 モネというだけで、 これまでよく見てこなかった、 知ったつもりでサラッとみるだけ。 モネがそこに在れば、 ただ、モネの絵ね、 好き、いいね、 とか。 その世界に浸るだけ、 雰囲気に満足して、 うわべしか見えないし分からなかった。 こちらに用意がなく、 伝わらなかったのである。

 今回は どうだろう。 
 まるで、 モネの隣りにいて、 制作するその手元を、 穴のあくほど見詰める、 どん欲な自分が居た。  筆の勢い、 置いてゆく色のハーモニー、 タッチはスタッカートで、 あるいはレガートでリフレインする。 交響曲が鳴り響く。  微妙な階調もちいさな音色だがよく聴こえる。  臨場感をもって情感もたっぷりに味わえる、 そんな気がする。  この線の…  強さ、 はかなさ…  はにかむようなピンク…      薔薇色とブルーのあはひ…  それらを確かめて、 共感していた。

  かつて、 これほどこまやかに鑑賞したことがあるだろうか。 きっと、 久々のスケッチのせいだ。  水面を追ったばかりで、こころも高揚しているのだ。 イメージもはっきりと、 まだ掌の中にある。 
 「睡蓮」 のまえで、 しぜんに腕が動いた。 画家のそばで 息をあわせ筆をとるように、 ゑのぐを弾く、 なぞる。  臆面もなく 夢をみていた。
  ほんの少し 巨匠の気持ちも分かったようだった。

 ギリシャ神話から、 パリのシャンゼリゼ通りは、日本風に言うと 「極楽浄土通り」または「極楽通り」(Wikipedia) なのだそうだ。

 アルカディアの続きに戻れば
 オランジュリー美術館の「睡蓮」の大画面をみて 
  「パリの極楽浄土」 は モネの「睡蓮」 の世界にこそ存在するのだ といおう。(芳賀 徹) とある。

  まさに、 これほど多くのひとが 睡蓮の絵のまえに佇み、 浄福をうけているとさえ思われた。
  仕合わせである。    (上の画像は カタログから)

               -☆-

     

  国立新美術館  どこを撮っても面白い   
           

 

 ここから 10分程歩くと ル・コルビュジエ に会える   

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もう一枚の絵

2007-06-20 | アートな時間

 1976年の夏、 三越で  第2回 ロシア・ソビエト国宝絵画展 が開催された。 なかでも 
 イヴァン・クラムスコイの絵は印象深く、 以来忘れえぬ画家になっていた。   
  彼の絵が チケットを飾った。

  馬車の座席の背に凭れた、 美しく上品な若い女性は、 高慢にも見えるまなざしをこちらに向けている。  帽子の羽根飾りやパールに呼応する白は、アイボリーか オフホワイト。 
  胸元に幅広の、 紫紺のリボンを結び、 襟やカフスにあしらわれた毛皮は、柔らかくつやがある。 マフに覆われる手の、 その甲だけがほんのり明るく覗いて…      薄い手袋に透けている。
 ジョーゼットの質感が、 極寒をさらに感じさせた。 誇らしげだが、何処か淋しげな女性、 そのことを、 モノトーンに映えるロイヤルブルーがしみじみ伝える。 

  物語りを感じるタイトルにも惹かれた。   忘れえぬ女 (ヒト)
  画家が忘れられぬひとだろうか、 今はもう逢えないひと。 遠く離れた人を思い出しているのか。  背景は、 寒い冬のペテルブルク、 ネフスキー通り。  靄の向こうの街と、 屋根の淡雪、 まるで
映画の回想シーン。  一瞬、 音が消える。
   

   人物を単に写すのではなく、 内面を描写することを教えてくれた。

  当時の図録から引用する
  クラムスコイの肖像画は、心理的肖像画。 人間の複雑な精神的世界、意志と知恵の極限の働きを熱烈に表現した 忘れえぬ女には秘められた愁いの影がうかがえる。 …ドラマチックな人生の葛藤や時代の流れが潜んでいる。  多くのひとが、 アンナ・カレーニナのイメージを見いだしたがったのは偶然ではない… N.M.サハロワ
              
                 
-☆-

  さて、 きのうの  
  サンクトペテルブルク 国立ロシア美術館展 ロシア絵画の神髄 東京都美術館  に 

   この イヴァン・クラムスコイの絵が三点あり、 ドキドキさせた。
  娘を描いたという 「ソフィア・クラムスカヤの肖像」 (写真左) と、
 「ミーナ・モイセーエフの肖像」(写真中央)。 「虐げられたユダヤの少年」。いじめられひとりでいる少年。 どれも、人物の内面まで鮮やかに写している。 
  その深い分析は 小説におけるトルストイやドストエフスキーの人物描写に匹敵すると言われている。 と。  

   ソフィア・クラムスカヤの肖像       ミーナ・モイセーエフの肖像       クラムスコイの肖像

  ニコライ・ヤロシェンコによる  「イヴァン・クラムスコイの肖像」  (写真右)も見られた。 画家本人を初めて見た。 やはり、 目に力がある。  

 

  彼女に会えるか期待したが、 今回は来ていなかったので、 イヴァン・クラムスコイの もう一枚の絵 「忘れえぬ女」を 図録よりお目にかけます。  

忘れえぬ女

   他、 ヴァシーリー・ポレノフ の 「モスクワの庭」 は二度目の来日。 
             レーピンの 「何という広がりだ!」 勇気と未来への期待、浪が視線を誘導する。   

 「セリの草むら」  シーシキンが好き
  何気ない日常や、 見落としそうな風景、 弱者へのまなざしなど、 柔らかな筆づかいで、ありのままに細密に描いてある。
  意図されたように、 絵画や彫刻、工芸を通じ 千年にわたるロシアの文化、芸術、社会、歴史がわかる展覧会。  ほかの作品はこちらへ。    NEXTをクリックして、 ほとんどの作品が見られます。

 

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おとぎりそう科?

2007-06-20 | 自然や花など

金糸梅 
金糸梅 うめに似た五弁の花びらが壺型に咲く 
  
ヒドコート 
② 金糸梅の園芸種 ヒドコート 花はひとまわり大きく開いている。よく見かける。     

 美女柳、未央柳
美女柳、未央柳  長い雄蕊が立ち上がる 
     

 巴草
巴草 トモエソウは ささ舟さんが教えて下さいました。 
    この画像は Botanical    Gardenさんから。

 ヒペリカム・アンドロサエマム 
ヒペリカム・アンドロサエマム  赤い実がなる(写真:季節の花300さんから)

 ぜんぶ おとぎりそう科   
  でも…    「おとぎりそう」 って? 
 調べてみると 花図鑑さんにありました。 「弟切草」 名前の由来を知って驚きます。 蕾に縦縞。 やはり 蕊が目立ちますね。

               オトギリソウ

 

 

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こんがらかっちゃった

2007-06-18 | 自然や花など

 写真は 今まで金糸梅だと思っていた花。 
 マンションや舗道の植え込みで見事に咲き誇る。
 あでやかさが目立つし、 印象もつよい。

 睡蓮の公園で見たのは 明らかに小さくて壺型、 風情も愛らしく、どことなく素朴(下写真)。 これまで金糸梅だと理解した花(上写真)とは 全体の雰囲気の違いも明白です。 
 それで お尋ねしましたが…

 調べていくと 上掲の 花が大きな種類は 園芸用の改良種 ヒペリカム・ヒドコートじゃないかしら。
 そして、 睡蓮の水辺近くにあった下の写真が 元来の金糸梅でしょうか。 boa!さんのコメントで何となく分かったつもりですが いかがでしょうか
 どちらも 金糸梅と呼ぶのでしょう。 仲間ですね。 でも、はっきりさせたい性格です。
 
 ヒペリカム・ヒドコート と  金糸梅 
 
こちらが金糸梅?
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モネに逢う

2007-06-18 | 自然や花など

  次回の風景 何処にしよう。 それぞれ候補をあげる。

  いいね、 水辺、 睡蓮、 さざ波、 映る翳も

     

   この花なあに? 調べたけれど分かりません。  口をすぼめて3㎝くらいの黄色  
   ふっくら丸い  刺のない薔薇のような~  薫りが全くしない 

  モネの絵のようなグラデーション…   素敵な和紙をありがとうございます。    

  これから モネを見に行きます。  コルビュジエにもあえるかな

                    

 

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たいせつな時間

2007-06-18 | こころ模様
 

   先生のイメージをかさね 5.29に撮した花。
   色合いも風情も好き。

    その名前がようやく分かった。   京さんのところで 
    アスチルベ と知った

   花言葉は   落ち着いた明るさ
   年を重ね  いきいきとアクティブ  ますますかがやいている… 

   凛としてすがやか、  花そのものに見えていた。

                     -☆-

 

  「 学んで楽しんで 86歳、こころ若く生きる 」
             清川 妙著  あすなろ書房

を読んだ。  blogを書く身になると どうしても文章の良さに惹かれる。 なんていいんだろう! この表現、 展開、  声高でなく むしろやわらかな言葉なのに、 明るく、 勁いメッセージを贈る。
 エッセイとして楽しんだ。

  元気が湧く。 エピソードもそれぞれ胸を打つ。

  生き甲斐は…  人生をいかに生きるか。  コツを教えます 式の本は 巷にあふれているが。

  翻訳小説でも 古典の解説書でも訳者の個性がはっきり出ている。  直訳でない、  深く豊かに広げて見せてくれる。 そういう方が、 蛙は好きである。 磨かれた感性とユーモア、 ていねいに紡がれたエッセイを 心を響かせながら愉しく読んだ。  学ぶ方法、 ながれを学んできたと思う。

  梅雨空に  爽やかな風が吹いた。  
  ファン度は 寺田寅彦に負けないぞ。 続けることの愉しさは体験済みである。 
 これからも心の貯金を増やしていこうね。 

 

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むらさき露草

2007-06-13 | アートな時間
 
         
         二番目に言いたいことしか
         人には言えない       
         一番言いたいことが  
         言えないもどかしさに
         耐えられないから
         絵を書くのかも知れない
         うたをうたうのかも知れない
        
         それが言えるような気がして
         人が恋しいのかも知れない

                   「むらさきつゆくさ」   星野富弘
 
 

 絵は見たようにではなく 心で描くのだなあ と改めて思います こころに感じたように… 
同時に 自身の胸の内をのぞく作業、ありのままの自分を映し出すもの
    
 Iさんからの絵はがきをようやくみつけました。 消印もうすれて読めないのですが、貼ってある二枚貝の切手は41円。 どの絵を見て下さったのだろう。 

「 県展へのお誘いありがとうございました。
  早速、初夏の陽差しと新緑にさそわれ、一七日に行ってまいりました。
 まっすぐ 貴女の絵のまえに…
 力強さと自信とが今回の絵には加わったように感じました。
 たびたびの入選 本当におめでとうございます     …後略 」

 うれしい言葉を沢山戴いていた。 ありがとうございます。
 ご無沙汰しています。

             -☆-
  
 星野さんのつゆくさの絵を見たのは この時が初めてでした。
 なにより 添えられたことばにふるえました。 

   二番目に言いたいこと… 一番言いたいことが言えないもどかしさ…

 その頃の気持ちをズバリ代弁していると 感じたから。 絵はがきはだいじに仕舞いました。

             -☆-

 散歩がてら今年の県展、久々です。 顔ぶれもだいぶ替わって。新しい波が起こっている。 その中に 古くから馴染みの何人か。 変わらず挑戦している、難しくても続けて力をつけている。
 全く幽霊会員となった蛙は恥ずかしく大いに反省。けれども楽しく… が モットーだから 今はこれでいいと思っている。

  以前の日記はこちら
 
   
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今日の友だち

2007-06-11 | 夢見鳥

 
  コースをはずれてみたら、 奥は畑になっていた。 
   季節には一面シャガが咲いていたり、 桜の花びらが舞った。
  ほとんど人が来ない  とっておきの場所     

   アニマル模様が行ったり来たり  ことしの花を見て回る

     そっと近づく…   もしもし 
               ツマグロヒョウモンさんですか? 
          黙っているけど そうらしいですね。

   
                           -☆-

    わっ!   姿勢いいね  ムクドリ

     
   口笛吹いて  さっそうと

  
    大股歩きで キュル キュル  

          リャーリャー 

  空が広くなっている。 ヒマラヤスギの枝がすっかり
整理されて。
 あの、 とてつもなく大きな傘が好きだったのに。   
 「むくどりのゆめ」 も 身に沁みた。  

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妻籠アルバム

2007-06-07 | 道すがら

  門ごとに飾る季節の花が涼しげ。
  みずみずしい芍薬、アザミだけを甕いっぱい溢れるほど活けている。 うきうきと楽しんだ。  

  

 約800Mある妻籠の通り

 両側にびっしりと木造建築が並んでいる。  竪繁タテシゲ格子に、 出し梁造り、防犯用の人見格子など眼を奪う、

 細部まで江戸時代そのまま。 

 

 妻籠宿は1601(慶長6年)、江戸から42番目の宿場として定められた。 今でも景観を守る。 

 アンテナは見えないところに。 防火用水も、公衆トイレも、 色を統一し辺りにとけ込んでいる。
   

 

  「熊笹あります」の張り紙。  

  五平餅、 クルミと味噌の味が良く合う。 栗のソフトクリーム

栗こわめし、 とてもおいしい。

 

 耕地も少なく 生活は森林に 頼った。 木地師が多い
 
檜木笠、めんぱ(弁当箱、 割籠)、お六櫛、下駄を売る。 
 工芸品を扱う店が軒を連ねて。
  
  変化に富んだ木曽路を歩いた。 文豪・島崎藤村が生まれ、
少年時代を過ごした場所。
 街道筋をいくだけでも、 心に響く。 思い出は充分できた。

 かならず、もう一度来よう。 


  あとから思う。
    
 黒船来航から長州征伐、 王政復古へと続く幕末の激動は、 山深い木曽路の宿場にも確実に及んでくる。 平田派の国学を信奉し、 政治運動への参加を願うが、 木曽11宿の総代として街道の仕事は多忙を極め、思いは果たせなかった
  
  彼は五十余年の生涯をかけても、何一つ本当につかむこともできないそのおのれの愚かさ拙なさを思って、明るい月の前にしばらくしょんぼりと立ち尽くした  

 そして、 舞台大詰め、 乱心する半蔵は大まじめに蕗の葉をかぶって、 万福寺の障子に火をつけたのである。  
   彼の無念。 まわりの者の葛藤、 苦しみ。  若い日の記憶はまだ新しい。
                                              

引用  島崎藤村  「夜明け前」 「嵐」 「海へ」より
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アルバム馬籠

2007-06-06 | 道すがら

  甃がつづく坂道、 古い家並みと旅籠。 要所には枡形が造られ(直角に設けられた二つの城門と城壁とで囲まれた四角い空き地。 馬で突っ込むとすんなり曲がれない、勢いを鈍らせる)、 とくに傾斜もきつい。 
  写真: 馬籠バスターミナルから入ったばかり。 藤村記念館の標識、 かならず、もう一度来よう。

 ・本陣、 脇本陣。 
 ・水車塚(写真は前の日記に。 小屋は再建され、水車は当時のまま)。 
 ・馬籠峠。  ・樹齢 約300年の椹サワラの木  胴回り5.5M 高さ  41M

 ・木曽の森林資源を取り締まった「一石栃の白木改め番所跡」 
   このことは 「夜明け前」にもでてくる。
 「昔はこの木曾山の木一本伐ると、首一つなかったものだぞ。」
   陣屋の役人の威オドし文句だ。 

 領主の尾張藩にとって重要な森林資源、 檜の小枝に至るまで許可を示す刻印を調べた番所。

 ・宮本武蔵がお通に出逢った場所。 女滝、 男滝、 思ったよりも小さな滝だ。 
 ・蛍の里の 大妻籠。  

                                    

 
 中山道馬籠宿
  
 
   江戸へ  八十里
   京へ    五十二里半

  山の斜面に造られた宿場町  急な坂がつづく
  皇女和宮… 文久元年(1861.9.26)、徳川家茂との婚儀のため京都を出発。 攘夷派の妨害を避けるため、 東海道でなく中山道を経由して東下した。
 芭蕉、 十辺舎一九、 良寛も
  旅した

     

 陣場跡
  
  碑面にあるニーチェの言葉
  心を起さうと思はヾ
     先づ身を起せ

  藤村は紀行文 「海へ」の
  副題にこれを添えた。

 雲間に 恵那山 海抜2192M

 一里ごとに塚を築き、榎を植えて 道のりの目安とした。 馬方や牛方で賑わった。

  一里を36町(3.9㎞)とし、輸送荷物の引き継ぎや駄賃計算のもととした。

木立のなか、 昔ながらの急な
甃を登る。 
この辺りを十曲峠という。

美濃路と木曽路の境を超え  

 馬籠峠頂上に着く。

 標高801M

向かいに茶店あり

         

  この先旅籠がつづく。

 木曽川を渡ると 

   いよいよ妻籠宿に入る。
 

                                                                                      
           つづく
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(馬&妻)籠

2007-06-06 | 道すがら
水車塚

  木曾路はすべて山の中である。 あるところは岨ソバづたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の…  
  島崎藤村 「夜明け前」 の、こんな書き出しが思い出された。
   (写真:水車塚 水にうもれたる蜂谷の家族四人の記念に  島崎藤村しるす)

  長編すべてを読んではいない。
  馬籠宿の本陣、庄屋、問屋を兼ねる第17代当主 青山半蔵は、 劇団民藝の俳優、 滝沢修になって、 声も姿もはっきりと脳裏にある。
 彼は父の吉左衛門に似て背セイも高く、青々とした月代サカヤキも男らしく目につく若者である… 
  風貌もぴったりで、 熱演だった。

  名優は厳しい鍛錬のすえ主人公を演じきった。 完璧な舞台にかける情熱は、 半蔵の志に重なるところもあるように思われた。 
  若き日、 観劇は快い緊張感をともなって、 原作や俳優、装置、音楽、照明、演出。 どれも魅了し、 暗転の虜になっていった。
  小さな旅へ。  移りゆく風景が心をほぐす。 石をのせた板屋根、 栗の多い林(渋皮のむけし女は見えねども栗のこはめし爰ココの名物 十辺舎一九) 
  … 舞台がもう目の前にある。 
 
                  -☆-

  6月2日、 誘われてウォーキングに参加。  資料館も記念館も表から見るだけ、 ところどころガイドの解説はあったが拝観もしない。 ただひたすら歩く旅。  なにしろ片道4時間半もかかるのだから。 バスに揺られて馬籠マゴメに着く、 そこから徒歩ホで妻籠ツマゴまで、 歴史の道をゆく。 行程8㎞余り、 所要2時間30分。 妻籠にて自由行動約1時間、 渋滞を避け直ちに乗車、 とって返す強行軍だ。 

                   -☆-

  急な上り坂をいくつか超えると、 馬籠峠に出た。 青山半蔵が仰いだ恵那山は頂を雲に隠している。 吹きわたる風が、 汗を冷気に変えてくれた。 遙かな山並み、 眼下の棚田、 森、 パノラマが藤村の語る風景そのままに広がっている。 あそこに深い谷がある、 あそこに遠い高原がある…  

  お民、来てごらん。 きょうは恵那山がよく見えますよ。 妻籠の方はどうかねえ、木曾川の音が聞こえるかねえ。」
 「えゝ、 日によってよく聞こえます。 わたしどもの家は河のすぐそばでもありませんけれど。」
  「妻籠じゃそうだろうねえ。ここでは河の音は聞こえない。そのかわり、恵那山の方で鳴る風の音が手に取るように聞こえますよ。」
  「それでも、まあよいながめですこと。」
  「そりゃ馬籠はこんな峠の上ですから、 隣の国まで見えます。 どうかするとお天気のよい日には、遠い伊吹山まで見えることがありますよ――」
  林も深く谷も深い方に住み慣れたお民は、 この馬籠に来て、西の方に明るく開けた空を見た。 何もかもお民にはめずらしかった。 わずかに二里を隔てた妻籠と馬籠とでも、 言葉の訛りからしていくらか違っていた。この村へ来て味わうことのできる紅い「ずいき」の漬物なぞも、 妻籠の本陣では造らないものであった。

  
美濃の平野が遠く見渡される。 天気のいい日には近江の伊吹山までかすかに見える…  妻籠から嫁いできた妻、お民。

  

                 宿場らしい高札場コウサツバは、 広報を掲示したところ。

  遠くの斜面にミズキが雪崩るように咲いている、 白い花の階段があちこちに見られた。  ヤマボウシは乱舞する蝶のようだし、 花びらの真ん中に緑の粒がかわいらしく固まっている。 これが花だよ、 ようやく分かった。 

 叢に入るとマムシ草が首をもたげ、 こちらを窺う。 今にも動き出す風情で不気味だ。 街道沿いに、 レンゲ、赤詰草 ・ 白詰草、 キバナコスモス、キンポウゲ。 朴が大輪の花をつけ、 つよい芳香であっと言わせる。 ほら、あそこ! 指差して知らせる。  エゴノキのシャンデリアもニセアカシア(針槐ハリエンジュ)もまっ盛りだ。

 つづく

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薔薇の下で

2007-06-03 | 自然や花など

毎朝 散り敷く花弁を掃き寄せる  向かいの家やお隣りにも くるくる舞いながら薫りをまき散らす。 遊びにいった花びらを少しだけまとめ。 全部は追いきれない。  アブラムシの退治…

 やれやれ さっぱりしたと振り向けば すでに高い枝の花が はらはらこぼれ、ばっさり落ちるのさえある。 またも掃き寄せる… いつになっても埒があかない。 鼬ごっこにほとほと飽いて苦笑いする。
 薔薇が揺れる…

 家中の瓶に活け、器に浮かべる。 それぞれの水を替え、 内も外も 崩れる花を摘んだ。 薔薇狂騒曲もどうにか終わる。

 たった1本の蔓薔薇でさえこれだから 薔薇園ではどれほどになるだろう…
 薔薇の下で さまざまの会話をした。 通りすがりの方と、友人と、お向かいさんと。
 剪った花は切り口の養生をして。 ①ペーパータオルに水を含ませ巻き付けて。②銀紙で覆いラップで包む。③短い手紙を添えて大きなビニール袋に入れる。④お宅の雨戸が開かないうちに、門扉に下げて。 待つ間も愉し…   気づくかな…
    
     夕風や白薔薇の花皆動く         子規
     薔薇剪キって短き詩をぞ作りける    虚子
     壺に薔薇フランス詩集翻訳す      占魚?
  
 どれも実感する。いい芳香と貴婦人の装い。 誰しも心に詩や歌が生まれる 
   …さて 
      ⑤粋なお礼状が舞い込んだ!! 薔薇の歌も添えてある。
 薔薇の下に、かならず微笑みがある。

     雷すぎしことばしづかに薔薇を撰エる   波郷 

 大雨や突風に痛んだ薔薇を摘む 棘が近くの葉を傷つける まるで緑に書いた狂おしきラブレター。 支柱を立て直す。
 花が教える人のドラマ。  うれしいことも 哀しいことも。
   
     薔薇崩る激しきことの起る如        多佳子

 こころに深くきざむ想い…

              -☆-

 英国の諺「薔薇の下で」、ラテン語の“sub rosa”を英訳したもので「内密に」と言う意味。由来はローマ神話まで遡る 恋の神キューピッドが母である愛の女神ヴィーナスの情事を口外しないように沈黙の神に頼んで、お礼に贈ったのが薔薇だったそう。(新編 人はなぜ薔薇を愛するか 熊井明子 千早書房) 

 いつも覗いてくださってありがとうございます。 お礼に薔薇のお茶をどうぞ!
薔薇が終わると、らっきょう漬けをする。 新しい薫りに出遭う。
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目に染みる

2007-06-01 | こころ模様

   
     蝶の羽のどつと流るヽ雷雨かな      茅舎  

  曇り空も、 始まるころには快晴となった。  スカイブルーが眼に沁みる。 新都心にどっと、どっと人の波、 渦にもまれ流されて、 待ち人をようやく迎えた。 
 ジャパンフラワーフェスティバルさいたま2007。  初日、午後7時現在24,000人とあった。 そのうちの一ぴきだったわけです。 

      

    スモークツリーも  目にしみる              ハッとする色…

   
  
    葯をはずす…   花弁が汚れるのは分かるけれど 
    何故か…  落ち着かない   絵にならない

  花の洪水  何やかやと 目に沁みました。  たった一輪でも こころが動く。 

  たくさんあり過ぎて  怖いくらいだ。  天の邪鬼ね 

   風になりたいさんに沢山の写真があります。 

 

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