ドアの向こう

日々のメモ書き 

花の雲

2008-03-29 | こころ模様

    いざけふは春の山べにまじりなむくれなばなげの花のかげかは   素性 

  3月29日 道造忌  午後4時半を回るころ、
連れだって、 池之端から公園をぬけ広小路へ。 群衆に混じる。 ものすごい人である。

           花の雲鐘は上野か浅草か         芭蕉

 たなびくは霞か雲か…  その向こうに  ちょうど雲海が覗いている。 
 天蓋を仰いではよろめき、 ひしめきながら歩く。 花は白々と浮かびあがり、 喧噪をよそに、 幽かな情趣を漂わせた。 幹も黒々と屏風の景で、 誰もがカメラを向けている。
  さまざまな言語が飛び交うけれど、 こころはひとつ。  桜に酔った。 

 

  

  花越しの 寛永寺五重塔 (1639(寛永16)年建立)。 
   桜がこんなに良く似合う。 
 
  上野東照宮に詣でると 銅燈籠が待ち受けていた。 

  

  

        人気ない舞台にも  桜 

 

 

 

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兎追いし

2008-03-24 | こころ模様

  21日。 お墓参り

  ここの時間は いつもゆったり流れる。  母によく似た伯母は白髪を光らせ、 見晴らしの良い部屋で元気にしていた。  ともに暮らした月日を思う。  祖父や祖母の顔。 事業に明け暮れた伯父。 柔和な写真が呼びかける。

      -☆-

 樹齢600年の松は ほとんど空洞、 皮だけで生きているそうだ。
 樹医の手当を受け、 勢いを取り戻したようにみえる。 はじめは黒松と五葉、 二本だったのが長い間にもとのほうで、 くっついて仕舞った。 二本は互いを労り抱きあうようにしている。 根方に茣蓙を敷いて遊んだこともある。 記念写真は、 かならず松もいっしょに収まった。

  遙かな時の流れ…  家族の出入りをずっと見つめてきた黒松と五葉。 年輪を重ね風格を増している。 幹は、檜のポールをあてがわれ、いくつもの柱を添えられてなんだか痛々しい。 それでもなおよく見れば、 年月の味を加え堂々としている。 緑もすがすがしい。 大樹に畏れをなして、 蛙も無意識に頭をさげている。 

             

 いつのころか、 伊奈の領主が立ち寄った折、 枝振りを眺め、ちょうど鶴が羽根を広げたようだ と讃えられた。 そう碑文にはあるらしい。 詳細を解いてみたいが、 読めない漢字ばかりである。 ところどころ風化もしている。

   蓮の実を拾い、 タニシを集め、 ザリガニや鯰を捕まえた河や田圃は鼻の先。 何処までも見渡せたのだが。  現在は、 2㎞ほど向こうに レイクタウンができている。 すでに新駅も開業し、 ショッピングモール、 マンションまで建設中である。

 見守ってくれた黒松も、 おじいちゃんも  さぞかし…  全くもって
   どんなにか驚いていることだろう。   

 
  サンシュユ  花大根  水仙  木蓮が盛りだった。

  山茱萸サンシュユ  
    

 
 
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アルバム

2008-03-19 | 道すがら

 ③ 出島資料館  出島の歴史 貿易の拠点  国際交流の舞台
   ・出島遺構  ・復元 ・ 出土品 ・水門(南側 輸入用・北側 輸出用) ・オランダ商館長(カピタン)の部屋 ・乙名オトナ部屋(日本側の貿易事務や管理を担当していた出島乙名の拠点とした建物) ・一番蔵(輸入品 砂糖を収めた蔵) 二番蔵(蘇木(染料)を収めていた蔵) 三番蔵(その他の輸入品) ・蘭学館(帳簿などの筆記を行うオランダ人書記が住んだ) ・表門 ・船長の部屋 ・オランダ商館員の部屋 
 ・風習 生活 食事  ・蘭学を発展させた平賀源内、杉田玄白、大槻玄沢  ・出島を通して広まった西洋の陶器  輸出品  輸入品(織物 植物) etc.展示

   写真 唐紙に魅せられて 

  

出島模型縮尺約15分の1  

 ④ オランダ坂 で 小降りになった。 傘も差さずにそぞろ歩く。 甃がぬれて光っている。 角を曲がれば異人さんに会える。 東山手十二番館ちかくの落椿

    

   

  ⑤ 孔子廟 彩り鮮やか  (常設展) 北京故宮 宮廷文物所蔵品展 で ・清代の「青玉 蝶耳 四環 龍紋 尊」 や ・清乾隆帝代の 「五彩雲龍盖豆ガイトウ」など鑑賞。

儀門  大成殿

72賢人像  

  異国情緒あふれる美しい街で、 思い出に中国の硝子の金魚(縁起物)を買った。  あっという間の旅だった。  平和を願いつつ あわただしく終える。           
  

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長崎の鐘

2008-03-19 | 道すがら

 チンチン電車に揺られながら、 気ままな旅の仕合わせを思う。 忘れえぬ記憶。 平和への祈り。 
 TVは  高校生平和大使、 核廃絶の署名を国連へ         

  唐門をくぐると真っ先に迎える椿       

  各ポイントは徒歩で五、六分の距離にある。 離れたところでも路面電車で二駅という近さである。 三回利用してスムーズに廻れた。 高い寺町にくると、 眼下にむせぶような街が広がる。  
 永井博士を思うと、 雨脚も強くなってきた。  
 
  ②崇福寺  
    三門(竜宮門)重要文化財… 日本人の棟梁が、中国人の指導を受けて造った。 石段を登ると 
    第一峰門  国宝である  軒裏が複雑(組物) 大雄宝殿(本堂) 国宝 正保三年(1646) 創建 
   大釜 天和年間の飢饉では禅師が書籍什物を売って施粥をした。四石2斗を炊くと伝えている。

三門  第一峰門

大雄宝殿(本堂)  大釜

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雨の長崎

2008-03-19 | 道すがら

  案の定雨である。 雨がよくにあう街… 長崎。
 
  そろそろ 自由に散策したい。  以前、オランダ坂やグラバー邸、大浦天主堂、平和公園など訪れたので其処は除けて。 見るべき5ケ所を選ぶ。

   ①興福寺 ②崇福寺  ③出島  ④再びオランダ坂を経て  ⑤孔子廟へ。 

  集合時刻に少しの余裕をもって戻れるよう、 距離や時間など計画した。
  まず、 最も遠い寺町へ向かい、 最後のポイントは集合場所の近くにする。

  長崎駅前から路面電車も便利。  距離に関係なく 一回100円。 待ち時間もほとんどなく、 土地の方とも話しが出来た。  
  出島の門を出ると中華街は目の前。 昼食も滞りなく、 雨のオランダ坂へ。 

  小雨は降ったり止んだり。 それより風が出てきた。 

 ①興福寺 詳しくは
  かつて日本の中の中国だった東明山・興福寺。 朱色の山門が目を惹く。開祖隠元禅師がインゲン豆を伝えた、と其処ばかり覚えて。 幕府のキリスト教禁令から逃れるため、 長崎在住の中国人が仏教徒であることを証明するために唐寺が建てられた。 次に向かう 崇福寺のほか福済寺、聖福寺などある。
  

山門  本堂  

媽祖堂マソドウ  庫裏・けつぎょ

 黄檗天井と呼ばれる蛇腹型(アーチ型)天井と、 氷裂式組子の丸窓…氷を砕いたような文様が珍しい。 ・(下写真 )庫裏の入り口。 全国一の魚板(魚鼓)は雌雄ある。 大瓶に桃、コデマリ、菜の花。 三江会所門の高い敷居は豚よけ。 大きな画像で   

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トンカジョン

2008-03-18 | 道すがら

  昨日は20度以上あったかもしれない、 暑かった。
 別府の朝、 湯布院から いよいよ全長52.4㎞ やまなみハイウェイに入る。 九重(久住)の山々が近づいて、 別世界が開けた。 なだらかな起伏が重なり合うように、 果てしなく続いていた。  バスは丘陵地帯を縫うようにひた走る。 
  野焼きの後で、 辺りは黒々としていた。  枯草と焦茶のモダン、 残雪もアクセントである。 豪放な筆づかいで、 ダイナミックな風景が展開する。 
  この光景を、 どこかで見た…  と思った。  

  黒を基調にした「横山 操」の絵だ。 あの日、 心を烈しく揺さぶったのは、 「炎炎桜島」など、 日本画の型にとらわれないものである。 10年前の感動を 徐々に思い出していた。 5年間シベリアで抑留生活を送った画家のほとばしるような激情と、 深い寂寥感に惹かれた。 
  まえに見たと思わせたのは、 彼の色遣いに似ていたからに違いない。

    

  芽吹きはなくとも心は躍る。 山焼の微妙な色がある。 櫨色ハジイロ、鳶色、媚茶… いくら見ても飽きなかった。 幸い窓際である、走行中もシャッターを押した。   写真は 瀬の本高原への途中に違いない。  終点まで 阿蘇の外輪山を下る。 (拡大写真

 アルバム… 湯布院 金鱗湖 (朝霧がベールを懸ける)    阿蘇 ・ 草千里(冷たい風のなかで武満徹の「風の馬」も聞こえそうだ。 チベットの草原を馬が走る… 幻をみた)  
 草千里の写真をもう一枚 どうぞ 深呼吸してください  聞こえるのは風の音…

    

             -☆-

  私の故郷柳河は水郷である。 さうして静かな廃市の一つである。 自然の風物は如何にも南国的であるが、 既に柳河の街を貫通する数知れぬ溝渠ホリワリのにほひには日に日に廃れてゆく旧フルい封建時代の白壁が今なほ懐かしい影を映す。 ……  
 水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である。  (「思ひ出」  北原白秋)

 旅の目的は 白秋の故郷 柳河にある。 油屋のトンカジョンに会いに来た。 
 柳川は白秋へのおもいを、 一層深めるものとなった。  

 

   

       帰去来    北原白秋

    山門(ヤマト)は我が産土(ウブスナ)、
    雲騰(アガ)る南風(ハエ)のまほら、
    飛ばまし、 今一度(イマヒトタビ).。

    筑紫よ、かく呼ばへば
    恋ほしよ潮の落差
    火照沁(ホテリシ)む夕日の潟。

    盲(シ)ふるに、早やもこの眼
    見ざらむ、 また葦かび、
    籠飼(ロウゲ)や水かげろふ。

    帰らなむ、いざ、鵲(カササギ)
    かの空や…… 

   望郷の詩の つづきはこちら
 
  トンカジョンとは 「思ひ出」 によれば 
   私はTonka John (大きい坊ちやん、弟と比較していふ、阿蘭陀訛りか。) である。  
 

 おまけ  長崎市 稲佐山ホテルからの 1000万ドルの夜景です 
        小雨が降っていました。 
       昼なら 長崎市内 雲仙 天草や五島まで望めるらしい

                                 

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遠の朝廷

2008-03-17 | 道すがら

  富士も琵琶湖も跳び越えて、 九州までツアーに参加。  移動にくらべたら見学は短い、 長くても1時間ほどで、とても心残りであった。
 丹念に見たかったと、 諦めもつかないが、 お任せのお手軽では仕方なし。
 
  福岡~太宰府~日田~別府~湯布院~瀬の本高原~阿蘇・草千里~柳川~長崎~福岡空港。 たった三日の韋駄天走りにて。  

  大宰府政庁跡、 水城など車窓から窺う。 筑紫万葉五十一首。 機内に持ち込んで読んでいると、 いっそう心が逸った。 とくに、 梅見の宴で詠まれた歌が好きで、 古代のロマンに誘われた。  
  水城の 児島と旅人の別れの歌なども思う。  児島は 
  
    大和道は雲隠りたりしかれども我が振る袖をなめしと思ふな 
   
  と 涕ナミダを拭ごひて自ら袖を振る。   旅人は返した。

    大和道ヤマトヂの吉備の児島コシマを過ぎて行かば筑紫の児島思ほえむかも 

   さらに   ますらをと思へる我れや水茎の水城の上に涙拭はむ 

  別れの易きことを傷み、その会ひの難きことを嘆き…  時間半で飛んできてしまった蛙にも ふたりの心は切々と胸に迫るのだった。 
  菜の花や木蓮が咲いている。  旅の始まり…  うらうらと快晴である。 土手の黄色な点々は 
     
  
たんぽヽ花咲けり三ヽ五ヽ五ヽは黄に… 蕪村の曲もこのような空のもとであったかも知れない。 
  平野はほとんどが麦畑、 若草色に染まっている。 粉っぽい緑はタマネギ畑。 写真は菜の花
           

               -☆-

       

 太宰府天満宮へ  参道を行くと、 梅ヶ枝餅や煎餅を焼いている、 芳ばしい香りが漂った。 
 飛梅は終わっていたが紅梅は咲き残っている。 梅林の方は見頃で、 天神さまが宿ると伝えられる 「梅の種」をたいせつに納める場所や、 筆塚、 包丁塚などみる。 

  みごとな夫婦樟、 大樟、 神牛(菅公は丑年生まれ 頭をさすると知恵が付くという)。 心字池。 写真を撮りすぎて整理できません

        

 

               -☆-

  大分県北西部に位置する日田市、徳川時代、幕府の直轄地「天領」に編入され、代官所の所在地として重要な位置をしめていた。 当時、九州随一といわれるほどの繁栄をもたらす。「小京都」と呼ばれるほど、京風文化が発達していた。 豆田町のおひなまつり。 商家の多い街並みを散策した。 
  廣瀬資料館については もののあはれさんが ご紹介されています

  草野本家 首屋は18世紀の建物、300年の歴史をしのばせる雅やかな雛人形を拝見。 1セット、
 40体の御殿雛に能舞台まである。 ほかの画像はこちらへ

   

                               

                 -☆-

   別府地獄      

   

  
 湯の花小屋

                         別府市明礬の 湯の花小屋見学                 

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万感交到る

2008-03-11 | こころ模様

  一気に春めく。   18℃

  高層ビル一階の水槽。 アクア ・ アートと呼ぶらしい。 なるほどアート。 そして変幻自在の構図、 よく動く彩り。 プラティー(赤・大) コリドラス(赤の小形 腹部に黒い線がある)、ネオンテトラ、 エンゼルフィッシュなど涼しげだ。  

  かえりの車内は、 西日が当たって暑いくらい。 早くも冷房が入っていた。

                -☆- 

   万葉講座で馬酔木が出てきた。  大伯皇女の挽歌

   磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに   巻2・166

    

  
  我が身にかさなる。 身にしみた。 好きだった花大根も、 楽しみにしていたミモザも見せられず…

  折しもTVは  「老いてひとり…  どう備えるか…」 などとやっている。  自分はどうだろう。  
ひとりは気楽…   もし、 病気になったら…
  そんなに煽らないで とも思う。
  
  看取られながら、 きっぱりと逝った母を想うと俄に胸が熱くなる。 母はあれで良かったんだ。 
  くまなく旅行も出来たのだし。 仕合わせだった。
   
  挽歌を読んで、 さまざまな思いに駆られた。 来月は三回忌である。

 

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河津桜

2008-03-08 | 自然や花など

  南伊豆まで見にいったのは ずいぶん前になる。 あのころの仲間3人。  花は小さくて、 白っぽかったように思う。 屋台の、 煙と匂いに巻かれ気勢をそがれた。  人出の多さも驚きだった。

  数年まえ、 近くのお宅で河津桜をみつけた。 以来、 拝見してきたが、 ここしばらくは行かれなかった。  久々に気づいてみると、 樹はかなりな大きさになっている。

  通るひとも、 釣られて見あげる。 
  「写真 撮らせてください…」 独り言ともつかず、 輪の中に入った。 塀に寄って表にはみ出したところを写す。 晴れ渡った青空に、 花が映える、 濃い紅色の天蓋のようである。 花灯りに照らされて、 見知らぬ同士が笑顔になった。
 

   「ありがとうございました… 」  声は お宅の中まで届いたかしら。 
     ヒヨドリが 首をかしげている。 

   

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調べ

2008-03-07 | こころ模様

   
              門が奏でる  調べを聴こう

                                  (撮影 市中にて)


                                                 

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小村雪岱

2008-03-04 | アートな時間

  常設展がおもしろい  小村雪岱 コムラ・セッタイの江戸モダン

  キャプションに 1918年(大7) 開設間もない資生堂意匠部に入社。 資生堂デザインの基礎を作った 1923年退社 とある。
  子供のころ雪岱のなまえを知った。 おとなが町の化粧品屋さんで貰ってくる冊子を楽しみにしていた。 モダンな「花椿」。 いま思えば、 レトロな銀座の匂いと、 流行の最先端が載っていた。
  確かでなかった記憶が、 雪岱の展示に結びついてほんとうに良かった。

    

  この MATCH LABELS のなかに 雪岱のデザインもあるのかしら

  ・白と黒の美学- 挿絵の世界
  はじめはビアズリー風や西洋的な挿絵が、 次第に浮世絵や日本画の静謐なものにかわっていく。 ミレイのオフィーリア風(川口松太郎作 「女師匠」大正15年)もある。 墨 木版など   

  ・月夜の三馬  ・おせん 1941年頃 没後の後摺り
  ・西郷隆盛 (挿絵原画)
 
  代表的日本人  内村鑑三  岩波書店 によると  西郷は…
  人を訪ねていっても、中の方へ声をかけようとはせず、その入り口に立ったままで、だれかが偶然出てきて、自分を見つけてくれるまで待っているのでした  西郷の生活は地味で簡素でありましたが、その思想は、聖者か哲学者の思想でありました…    

  雪岱の洗練された絵は、 犬を生涯の友とするほど、 たいへん寂しがりやだった西郷の、 純粋な意志に迫るものだった。 連載最後の絵が 絶筆となる。

  ・情細やかな意匠- 舞台装置の世界 
  大菩薩峠 源氏物語 一本刀土俵入りなど  背景は役者の邪魔をしてはならず  袖に入った時は 細部まで情趣ある景色を見せなければならない と。 舞台装置ながら、 繊細な写実で観客は臨場感もたっぷりだった。 なまこ壁のリアルさ。 蝶がとまっている。 まるで現場に立っているような感じがするほど。 役者の特徴や照明効果まで配慮された。 1/50縮尺の原画は彩色されていますがモノクロで。  拡大

       一本刀土俵入り
 序幕第一場 取手の宿・我孫子屋の前

         
         序幕第二場 利根の渡し

 
       大詰第一場 布施の川べり  


          大詰第二場 お蔦の家

 

 
 ・雪岱調の源泉-古典絵画と鏡花文学への憧憬 
  見立寒山拾得  ふつうは隠者がふたり ここでは 女性ふたり 落ち葉に筆で詩でも書いているのだろうか 

  鏡花と雪岱   雪岱の作品を使った現代の出版物   

                 
 

       

    ・青柳  ・落葉  ・雪兎模様着物 帯など
  
おせん挿絵 見立寒山拾得・原画は彩色

   ○「視覚への挑戦-近代から現代へ」
 新しい表現への道を切り開いたピカソ、デルヴォー、モホリ=ナジ、マン・レイ、マルセル・デュシャンらの作品をはじめ、近代から現代へと続く「視覚への挑戦」の諸相を紹介します。  (美術館の案内より)
  
  デュシャンの回転すると立体になる作品 興味が湧く  

 

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雛会

2008-03-03 | こころ模様
享保雛 遠山美術館

  
  毎年 みやびな雛に誘われた。 美術館で最高のおひな様に出会う。 
  時代を見つめてきた人形の呟きも聞こえるようだった。 近衛家の雛道具は銀細工。 茶道具も思い出す。  

  余所のおひな様で遊んでくる。 陶製、 木目込み、 紙雛、 芥子雛など多彩である。 装束の模様の色目、下襲。 指貫、 束帯。 笏シャクは象牙だろうか。 精緻な冠、 その瓔珞も揺れて。  

                     -☆-

  子をなくした両親の嘆きはいかばかりであったか。  兄は2歳だった。
  その後、 なにも知らない私たちは、 長男の立派な節句飾りで遊んでいた。 幟や毛槍など振り回し、 馬にまたがり調度をおもちゃにして走り回った。
  いつしか端午の節句は消え、 お雛様など最初からなかったのである。

       雛の軸 睫毛向けあひ 妻子睡ネムる     草田男    

  軸の雛は立雛であろうか。 雛は仕合わせな親子に よく似合う。

                     -☆-  

  母の里に若宮様が祀ってある。 寛政8年1月27日(旧暦) 事件は起こった。 仔細を伝え跡取りが守ってきた。  巻きぞえになった小児(女子)のことも不憫である。 

 訳ありて  

  米を煎って砂糖をまぶす、 大豆を入れて、 祖母がつくる雛あられ。 その記憶はあるが  従姉妹たちにも雛かざりはなかった。  

        手にうけて雪よりかるし雛あられ        万太郎  

  市松や抱き人形くらいはあったかも知れない。  
    桃の日の思い出…   わずかである。  そして哀しい。  

            
   遠山家の雛は こちらへ   ほかの人形は こちら

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