楽しみな万葉の日。 オープニング 執筆中の枕草子について伺う。 文章を書く楽しみ、 仕上げるまでの発酵、 熟成まで。 86歳の先生が現役で 書き続けること、 その意義、 とても身にしみた。 いいお話だった。
雑誌 「いきいき」の清川妙さんの「枕草子」を読んだが、 かつての、 どの枕草子より素敵だった。 気魄のこもった文章、 柔らかな言葉でふくよかに、 かつ鮮やかに広げてみせる。 中宮定子や清少納言がいきいきとして、 身近に感じられる。 清少納言の語りを目のまえで聞くような錯覚で。
これは先生の筆の冴え、 今も育ち盛りの証しである。 やさしい言葉が文章になるといっそう輝きを増している。 いいなあ… また、 元気をいただいた。
教室に、 あたたかい春の日が祝福するように降り注いでいる。 ことしも楽しみになった。
(文藝春秋 2008年 季刊冬号の特集 眠られぬ夜のために 黒羊羹をきったような
セルフケアについて)
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102歳の義母を見舞うため寄り道をした。
途中、 経路もおなじ寺田さんと肩を並べて歩いた。 息子より若い学友は才色兼備、 いつもまぶしい人である。 そんな寺田さんと 鬱は、 結びつかなかったけれど、 いろんな状況に追い込まれるのが人の一生。 鬱は複雑な社会に生きる私たちに隣り合わせでつきまとう。 人ごととは思えない。
読書によって快復していった寺田さんの、 心の軌跡を追ってみたい。 ほのぼのとした表紙にもひかれて、
「うつの世界にさよならする100冊の本」 を
はじめはエッセイとして読もうと思う。
まぶしかった学友に しばらく寄り添ってみよう。
落ち込みがちなひとにも役立ちそうである。
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義母は思いのほか元気で身の回りはこなしている。 耳は大分遠くなったが。 「謹賀新年 ○○喜久」 渾身の力をこめた書初めが、 誇らしげにかかっていた。
彼女はまめに手紙を書いた。 それらの良い文章をたいせつに取ってある。
桜の花が咲くころ、103歳になる。