想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

森暮らしの意味

2010-06-23 09:05:12 | Weblog

それは悪から遠ざかること。



ヒトの知能は悪を覚えてしまう。
生きものすべてがそうではなくて、ヒトは他人の領分を浸食するために知能を
使うのである。境界を越えるとき悪が生まれる。

悪に平気になれるのはヒトの中にいてたくさんの悪にまぎれているからである。
ヒトッコヒトリイナイ場所では悪は浮き上がる。
地図が盛り上がるように、ヒトの場所、悪の場所が盛り上がって目立つ。
森に飲み込まれてまぎれたりはしないのである。

だから森のなかで悪は長続きできない。
ここにいれば、悪を生じなくてすむのである。
あるとすれば己の頭の中の妄想。妄想を現実へ持ち出したとしても意味をなそう
としてもせいぜい一ヶ月。風が吹いて季節が変わるころには朽ち始める。

ヒトが複数やってくると、脅威である。森の脅威。森ではなくヒトの場所になり
そこに悪が生まれる。

*最近、悪をテーマにした物語をいくつもみかけます。昔からあるけれども人間性
として描くのではなく悪を取り出して追究してみるという試みは今の時代だから
ではないか。ドストエフスキーが読まれた時代と異なる気がしています。
でも、悪は今も昔もヒトのいるところ、どこにでも栄えているのです。
悪ではございませんわ、という顔をしてすましているヒトなんか、免疫力が強く
自前の繁殖力で増殖させているわけですから。
せめて他に感染さない良識もあわせもたねば、人の道に劣るというもの。

うさこは悪人にときどきなって犬に諭されたり、森と世間の境界では必ず急ぎ禊いで
それから森の道へ踏み込みます。
神聖なる森に穢れを持ち込みたくない、これ、古来からの信仰であるとふと気づき
そうだ昔の人は本で学んだのではなく、こうやって生きるなかで実感として知って
きたのであるなあと思ったことでした。
コメント
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