想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ビンボー性な脳みそ

2010-06-04 15:23:27 | Weblog
(4月末頃の庭、昼下がり、親分とアルファ親分カメが疲れを癒すの図)


(そして5月、新緑の庭)

肉体は栄養素を取り込んで活動する、ということは取り込むだけで活動させないと
余った分が脂肪になる。老廃物も毒も増える。酸化スピードが速まり、老化促進。
使わない筋肉は、即衰える。
ジムで鍛えた身体は都会を離れたらどうなるか? 田舎では車ばかり乗って歩きも
しないからすぐに脂肪化する。厳しい荷重をかけた肉体労働をやるなら別だが。

そこで話は筋トレでなく脳トレのこと。一時期はやったDSでの脳トレ、今もやってる人
いるんだろうか。計算問題で間違うとどんどん年齢が上がっていくのでショックを受け
さらにハマってトレーニングしつづけるあのゲーム。
あれで実年齢より若くて喜んだ人がけっこういるかもしれない。
脳みそは使わないとタルタルソース、にはならないが、弛むことは間違いない。
鈍くなる。だから川島教授(だったっけ?)の脳トレは一理あるけど、だから何?って
領域を出ない。あれは子供のゲーム、大人の暇つぶしにはよいだろう。

真に受けてはバカである。いや、バカにすんじゃねー、と言わねばならんと思うのだ。
でもその脳と、ここで言う脳はちょっと違う。
計算など算数の得意な人、そろばん上手はたくさんいるんだからお願いすればよし。
しかし「考えるために使う脳」、「哲学できる脳」「感じる脳」はそこここに転がってはいない。
なぜなら、なるべく考えないようにスルーする技術(つまり処世術)を身につけていくのが
間違えない生き方と思い込んでいる人が多数派である。
考えたりしたら苦しくて生きていけん、ということなのだろう。

ちらと思ってはみても、その先をさらにつっこんで考えれば夜は昼の続きのように長くなり
すぐにまぶしい光の朝がやってくる。
会社へ行っても仕事が手につかず、はたまた家で洗濯してても槽をじっとみつめていたり
しかねない。日暮れて晩飯も喉を通らず、またもや寝付かぬ長い夜を引き継ぐ、を繰り返し
答えを出すまえに、心身のバランスを壊す、ということになりかねない。
そう思うと考えないほうがいいへ傾く。考えすぎは身体に悪いよ~とよく言われるし、
(自分にではないのに、そういう声はよく聞こえ、すばやく我が物とする凡人の常である)
深く考えることをやめ次の問題、課題へと移行し、先へ先へとつき進む。なんとなく充実
してるカンジ~? と錯覚して日を送り歳を取っていく。

哲学することは専門家に任せておけばよし、下手に考えるのが好きなんて言ったりすると
変人のレッテルを貼られるので用心用心、そういう人は地下へもぐる。(いや、地下では
暮らせないので押入れか? いや、黙っているだけだろうな、いやネットでバーチャルか?)
考えることを去勢することによって、またあたかも専門家され分業化されたようにみせかける
ことによって資本主義社会が成り立っていると言っても過言ではないだろう。
愚衆と言われたとしても誰も自分を指しているとは思わぬくらい、それは浸透している。
考えない、つまり脳は鍛えられていない。
(つづき次)

ビンボー性の脳みその場合はどうか。
コメント
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