Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2015年 ヨーロッパ旅行 フッセンからオーストリアへ

2015-10-31 22:07:49 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

バッド・クロジンゲンで次はスイスへと話し合いキャンピングの本を読み準備を始めたら、なんとスイスはEU 圏でないから特に旅行保険・健康保険が必要と書かれて有りがっくり、今年12月まで有効の保険書を家に置いてきた。

がっかりしてスイスは諦めドイツのオーストリアよりからイタリアへ行くことにした。

 

 

 

ライン川の近くからフッセンまでの道筋はスイスの国境と平行にただひたすら東を目指し、広大なボーデン湖の近くを通った。たいへん大きな湖で行けども行けども湖水が見える。ただ残念なことに天気が今一つで霞んでいるから対岸は見えないけれど湖の対岸はスイスなのだそうな。

フッセンはカノ有名なノイシュバンシュタイン城のある所。もう7-8年前にゆっくり回ったから今回は通り過ぎるだけ。キャンピングプラッツのあるフッセンの町は雨が降っていて寒く周囲の山々は雪が積もっている。

バッド・クロジンゲンは水が悪くて電気ヤカンで湯を沸かすと水の表面が白いフィルムを載せたようになる。それで1.5リットル入りの水を6本買ったのになんとこれが炭酸入の水だった。フッセンのリドルへ行って買い戻してもらえるかを聞いたが断られ、初めてドイツのプラスチックボトルには一本25セントづつのデポジットが架かっていることを知った。水は炭酸水では湯を沸かすことができないし、ボトルを返さないと1.5ユーロの損ということでイギリスから持ってきた4リットルいりのミルクボトルやいろいろな容器に炭酸水を入れてボトル5本分を返却して返金してもらった。リサイクルに力を入れているドイツはすごいと思ったがこれには参った。

 

 

 ドイツのローカルバスだがこんなに4桁のバス・ナンバーには思わず笑ってしまった。今まで見たことが無い。ロンドンのバスだって3桁のナンバーで足りているはずだから。

翌朝フッセンを出るときも雨雲が低く垂れ込め寒くて早く温かいイタリアに行きたいと切実に思った。周囲は何処も真っ白で今からこんなに雪だったら、スイスへ行かなかったのがラッキーだったかもしれない。

 

 

 

 雪と霧と雨雲で山越えを心配してオーストリアのインスブルッグから有料高速道路を走った。

 

 

お天気が良ければ素晴らしい景色のオーストリアも低く垂れ込める雲で写真の写りが良くない。

 

 

 

 

 

オーストリア・イタリア間の最高峰ブレンナーパスも看板を見ただけ、高速道路だと問題なくイタリア側へ向かえた。

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2015年 ヨーロッパ旅行ードイツーバッド・クロジンゲン(Bad Krozingen)

2015-10-31 18:48:53 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

 

ドイツには温泉が多い。しかし温泉とキャンピングプラッツが両立しているところは少ない。バッド・クロジンゲンはその少ない温泉場の一つで、スイスに近い南ドイツに位置する。温泉のビルに隣接するキャンピングプラッツは電気もインターネットも場所代の11ユーロに含まれていて、キャンパーの中からEメールもスカイプも出来る。

このバッド・クロジンゲンは1900年の初期にボーリングによって鉱泉がでたことから作られた町と温泉でまだ新しい。

 

  

 

 

 

着いたその夜7時から11時までの夜の入浴は昼よりも割引が有るが、入ってみて随分がっかりした。水温が低くて体が温まらない。多分36度にも行ってないと思う。室内の大きなプールも屋外の大きなプールも水温が低すぎて欲求不満になる。途中に熱いシャワーで温まりまた屋外プールのジャクジーや流れ落ちる水圧でのマッサージを2時間もしたので疲れきって帰ってきた。

 

  

 

翌日は入浴を諦めインターネットで他に水温の40度を超えるところは無いかを調べて見たが、どこもかしこもこの地域では34度から36度しか無い。どんなにがっかりしたことか。

 

 

 だから一日町の散歩へ出掛けた。新しい街だから公園もよく手入れされて綺麗で、駅前の広場も紅葉我素晴らしい。

 

 

 

大きな靴屋で亭主に高級な靴を買った。サイズ12はドイツでも大きい分に入るから、足にあった靴は一足しかなかった。自転車屋の前の看板が面白い。でもドイツでこんな風に自転車に乗ったらいっぺんで警察に検挙されるだろう。

 

 

 

 

ゴミ一つ落ちていないどこにも落書きのない清潔整然とした町はさすがドイツだと思う。

 

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2015年 ヨーロッパの旅ードイツ カールスルーエ(Karlsruhe)

2015-10-31 15:34:45 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

 

今回の旅では、スイスへゆくのがメインの計画だった。それでまた北フランスのコーナーからドイツのドナウ川の辺りのキャンプサイトまでやって来た。10月の半ば、この地方は異常な寒さでキャンプサイトへ着いた夜、内陸に車が動かなくなるほど雪が降った。ここでは雪も霜も降らなかったけれど、翌日カールスルーエの町へ観光に行った。その日の寒かったこと言葉に言い尽くせない。

キャンプサイトから電車の駅まで近道を教えられ30分ほど歩いて道がわからなくなり、通りのドイツ人にバーンホフ(駅)と聞いた所メインの駅をおしえられた。ここまでまた30分以上歩いて、やっとたどり着いた。キャンプサイトで教わった駅とは違うと思ったが、やっとたどり着いてホッとした。 

 

 

マーケットスクエアーで電車を降り、パレスのサインの方へ歩いて行ってすぐに綺麗な宮殿を見つけた。玄関へ行ってみてここが宮殿から博物館へ変わっていることを知ってがっかり。それでもこれ以上外の寒さに震えているわけに行かないから一人10ユーロづつ払って3階建ての博物館内を見て回る。

 

 

 

展示内容は大英博物館とほとんど変わらない。大英博物館のほうが英語で説明がされているし、何しろ無料で展示品も数の多さではこの博物館は比べられない。

ただ片隅にモスリム(回教徒)のコーナーが有り、いつの時点での展示であるかわからないけれど、ドイツには300万人の回教徒が住んでいると書いてあった。

最近のシリアからの大量移民で100万人以上増えただろうと思う。それにしても今年の異常な回教徒大移動は未だに終わりが見えない。

 

 

 

博物館の窓から見える裏庭の噴水の像が真っ黒に汚れていて前庭の真っ白な像と大違い。でも裏庭の群像がよっぽど芸術的だと思う。

 

  

寒い大通りでトリアーの通りで見かけたロシア人のテナーとバスそしてアコーデオン奏者の3人組を見かけた。この寒さの中で一日通りで歌っているのは大変だろうなと気の毒になった。

 

 

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2015年ヨーロッパの旅ーフランス・船が山を登る。

2015-10-31 11:19:53 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

翌日トリアーのキャンピングプラッツから南下、モーゼル河の上流を目指す。残念なことにトリアーから上流は道路が河縁に平行しておらず、見どころも少ない。自転車道は整備されているから自転車だと河淵の古城や、綺麗な小さな村などゆっくり楽しんで回れる。何しろ川淵には高低があまりないから。

 

トリアーで買ったモゼル河の地図・案内書を見れば、この河淵ではもう2000年も前からワインが作られていたという。19世紀に入るまで殆どのヴィンヤードは教会や僧院に付属していた。キリスト教では赤ワインはキリストの血として飲まれていたから、それが回教徒のアルコール厳禁とは大いに異なる。19世紀からヴィンヤードは個人の所有になった。

 

河から離れた山道を走ったり平野のまっただ中を南下しているうちに、フランス国境を通り過ぎてしまった。キャンプサイトは山の中の木々に囲まれたところで陽気な中年夫婦が運営していた。そのサイトの観光ブローシャーで見つけたのがサン・ルイ・アズビレル(Saint-Louis-Arzviller)のプラン・インクレネ(Plan Incline)だった。

 

 

キャンプサイトから西南10kmにある運河で上下の運河の高低差が44.5メートル。昔は17の関門を通って一日がかりで上の運河や下の運河へたどり着くことができた。

山の斜面41度のこの場所にいつからこのような設備をしたのは案内書がなくて判らなかったけど、あまりに雄大な設備にただ唖然。!!!

 

 

下の湖で待機していた長さ39メーター、幅5メーターのロングボートが巨大な鉄の箱の中へ入っていく。

 

関門のドアが降ろされると船が入っている箱の水が密閉される。

 

 

船が上昇してくるにつれ巨大なおもりが2個下がってゆく。

 

 

 

 

  

船が完全に上がってしまうと上の運河と船の乗っている箱の間の関が上がって、水が交流すると船が運河の方に進んでくる。

 

 

次に待っていた2艘の小さな船が下の湖へ降りていった。

 

夏はすごい観光客になるのだろうがこの日風が身を切るように寒くてビデオに撮ったのを再生してみると亭主が寒さで鼻をかんでいる音が何度も響いてきた。

建物の壁には昔の馬に引かれた船の絵とこのプラン・インクレネの絵が描かれていた。

 

 

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