7月11日にポールが息を引き取ってからお葬式までの30日間、いったいどうしてこんなに長くと誰もが思うだろう。これもコロナウイルスのせい。亡くなった最初の一週間は家庭医(GP)に全部をゆだねられた。一週間後にGPからはポールを一度も見ていないから、死亡診断書が書けないといわれた。
次の一週間は検視官に一任され、2週目の終わりに検視官からの死亡診断書が発行された。この死亡診断書は政府機関に連絡され、年金や運転免許の取り消しなどが行われる。その後死亡診断書は私たちが決めた葬儀社に送られ、やっと葬式の日取がきまった。それがポールが亡くなった日から30日後の8月10日だった。
コロナのせいで普通には病院で亡くなる病人たちも、自宅で亡くなった人たちが多いのだろう。GPも検視官も葬儀場もどこも満員。
このお花は近所の人がポールの死を知って、私を慰めるために持ってきてくれたもの。
そしてケントの親しくしている日本人の友達が自宅の庭で咲いているお花をたくさん持ってきてくれた。
高さが2メートルにもなるユリの花だそう。
ダリアもコスモスも全部彼女の庭で咲いているそうだ。
とうとう置き場所が無くなってキッチンに飾ったお花。
これは日本人の友達から送られたアリストメリアの花束。
通常こちらのお葬式には親せきや友人、近所の人達からお花とカードが送られてくる。しかし有り余る多くのお花も葬儀場の広場に置いて枯れていくのを見るともったいない。
それでポールの死後、娘がセント・クリストファー・ホスピスへのチャリティの一環として、葬式にお花はいらないから、その花代をホスピスに上げてほしいとホスピスの寄付ホームページを立ち上げた。
たくさんの弔辞のカードにホスピスの寄付も1500ポンド(21万円)近くになっている。本当に有難いことだ。
昨年は9月に咲いた月下美人が7月末に3つも咲いた。ポールは見てくれなかったけれど近所の奥さんに来ていただいて、夜10時過ぎまで花が満開になる間、おしゃべりした。
ポールの死後2週間ほど娘の家で食事をしたり泊まったりしていたが、彼女の家では眠れない。だんだん睡眠不足になって、それ以降は自宅で眠れないときは真夜中に起きてテレビやDVDを見ていたり朝寝坊しても誰にも気兼ねすることがないと分かった。それでもポールは葬儀社の霊安室(冷暗室)で眠っている。
お葬式が終わるまでこの世にいるポールのことを思い、友達や知人からのたくさんのe-mailのメッセージに涙していた。
毎晩夜遅くから過去の旅行の写真を開け、ポールのファイルを作った。その写真集も500枚近くになった。その写真集を見ると昔二人で楽しんだことが思い出され、もう2度とあの楽しみは帰ってこないと胸が痛くなってくる。
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