イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

杉たるは及ばざるが如し

2007-05-03 15:11:44 | CM

昨日のNHKBS‐2衛星映画劇場(20:00~)は78年公開『女王蜂』この作品は内容どうこうよりも、大手化粧品メーカー同年春のキャンペーンとのタイアップCMのほうが記憶に残っていますね“女王蜂のくちびる”というキャッチコピー、本作がデビュー作となった中井貴惠さんがイメージガール♪ミステリアス クイーン 女王のように 眩しいよ きらめくよ というCMソングは誰が歌っていたか忘れましたが、このとき発売された同社の口紅が、月河の人生初・自分の小遣いで買った本格コスメ。いやー懐かしい。いまも化粧台の中ガサ入れればどっかに入ってるんじゃないかな。

1本のリップが単色ではなく、スティックの外側が濃色で、内部にシャイン効果のある色がルックチョコレートのように“仕込み”になっているという触れ込みの新製品でしたが、結局大ブームにはなりませんでしたね。ライナー・“中身”部分・グロスの三位一体がリップメイクの定番となる10年以上前のことです。

金田一シリーズに欠かせないレギュラー「よし、わかった!」でおなじみ磯川警部役・加藤武さんが「口紅に…ミステリー?」と首をひねる場面が挿入されたヴァージョンのCMもありました。本編中にもこのセリフ、シーンあったのかな。終盤しか観られなかったので見逃したな。録画でゆっくり確認しましょう。

恵まれたデビューだった中井貴惠さん、表情・立ち居ともにいかにも硬く、「ワタシが女優?演技?」という戸惑いがそのままフレームに表れてしまっていますが、それが期せずして役柄の“巻き込まれ翻弄被害者感”につながってラッキー。まだ磨かれざる原石的ながら、お父上・佐田啓二さん譲りの清潔感のある美貌は際立っています。オリジナル『君の名は』で佐田さんと伝説の悲恋カップルを演じた岸惠子さんとの共演は、当時ちょっとした話題になっていた記憶もあり。

貴惠さんのこの後の出演作の中では、監督開眼前のビートたけしさん主演85年公開『哀しい気分でジョーク』での“「(たけしさん扮するコメディアンと)デキてる」と噂の女性DJ”役、86年のTV2時間ドラマ版『波光きらめく果て』の、従姉に夫寝取られる役が印象深い。文句なし美人なんだけど、なぜか“女の色香匂い立たない”のが一貫した持ち味の人でした。

24:00~の『怪奇大作戦セカンド・ファイル』は最終第3話『人喰い樹』に来て、やっと『怪奇』テイストになりました。何と言っても、人間植物化研究にのめり込む女性科学者役・木村多江さんが余人を以て代え難い嵌まり役。オリジナルの製作年代にキムタエさんがいれば、後世に残る名作エピがもう1本できたんじゃないかと思うほど。ホラー顔とか薄幸顔とよく評される多江さん、演技力もさることながら、内なる“知性”と“情念”のシーソー表現が抜群なんですよ。

人類を滅亡に追い込むほどのすさまじい怨念を秘めながら、なおかつノーベル賞級に頭もいい、というキャラを演じ得る、特に男優ではなく女優さんは稀有だと思います。『セカンド』1・2話が、デキは悪くないのにもうひとつ食い足りなかったのは、こういう悲しき“マッド・サイエンティスト”が登場しなかったことも原因だったよう。

植物生態系と人間との共存を夢見て研究に打ち込みながら、愛する郷里の自然破壊を食い止められず「樹の悲鳴が聞こえる…」と苦悶の果てに自殺した、多江さんのかつての恋人役に、『紅の紋章』で惜しまれつつ(?)フェードアウトした身請けマン相川役・眞島秀和さん。今度はメガネなし。この人は、メガネかけないほうが頭よさそうに見えますね。

人間の体内に入ると赤血球を喰い潰して分裂を重ね、血管を根にし葉脈に変えて人体を植物化してしまう殺人花粉の毒性を殺す最後の切り札は、自殺した学者がこよなく愛し研究室で流し続けていた『G線上のアリア』のメロディーだった、という謎解き。うーん、鉢植えのそばである種の音楽をかけると生育がいいとかいう話は聞いたことがあるし、『G線』は確かに気分を沈静させイライラや攻撃性を殺ぐ効果もありそげな曲調ではあるけど、ちょっと牽強付会な気も。…でも、この、わかったようなわからないようなモヤモヤさもオリジナル『怪奇』譲りと言えなくもないか。

殺人花粉に侵され顔の静脈まで隈取りのように植物化しながら、亡き恋人の遺伝子を閉じ込めた思い出の杉の樹と一体化しようとする女性学者に「死ぬな、生きて罪を償うんだ」と牧。これは、オリジナルの牧なら絶対言わないセリフなんだけどなぁ。「死ぬな」は言っても「償え」は言わない。言うとしたら法の番人である町田警部の役割だったはず。この辺り、やはり牧というキャラの解釈の、『セカンド』シリーズ中での振れが露呈していますね。複数回の1話完結TVシリーズでは、複数の脚本家さんが同じキャラを書くので、こういうことはよくあるんですが。

彼女は結局志を翻すことなく、天恵のように落ちた雷で燃え崩れる杉の樹と運命をともにします。鑑識が現場を検証したが、彼女の焼死体は発見されず。残されたのは樹の燃え殻ばかり。みずから予言していたように、彼女は恋人の樹と一体化して、彼らの遺伝子を載せた花粉が、今日もどこかで散布され続けているのでしょうか。

謎が解かれても、事態が収束しても何かが解決され切れていないような、うそ寒い後味が残る。このへんもオリジナルをよく継いでいる。鼻水・くしゃみ・目の不調など、軽重さまざまな花粉症に悩む人は月河の周りにも多く、「死ぬような病気じゃないから」と冗談を言って慰めあったりしていますが、これだけ広汎に日本人に被害を及ぼしているスギ花粉に、もし“死ぬような”毒性があったらという着想はすばらしい。肉眼レベルでない微粒子が空気に乗り風に乗って地上を覆い尽くし、呼吸とともに否応なく体内へ、というイメージも、鳥インフルエンザや新型肺炎を想起させてリアルな恐怖。

マクロでは人間の文明による地球環境破壊、ミクロでは細胞・遺伝子レベルの生命のはかなさ危うさ、思うに任せなさを深く痛感すると、人間はなぜか“森”に思いが及ぶようです。かつて人間は海のプランクトンレベルの単細胞動物から徐々に進化して、多細胞となり脊椎を持ち肺を持って、両棲類、爬虫類、哺乳類と海を離れ陸を生息の舞台としてきましたが、海中をうごめき出すよりさらにはるか前には、動かざる植物細胞の長い歳月がありました。

多江さんの女性学者も劇中で触れていた、樹齢3000年と言われる屋久島の縄文杉を前にすると、あくせく動き回って最期は病や痴呆に苦しみながら数十年の人間の生に比べて、一つ所に深々根を下ろして千年その地を潤す樹木の生のほうが、よっぽど命として上等にも思えてくる。

植物の生の成り立ちを研究し尽くし、植物と人間との共存の道を探しあぐねてあれもダメ、これもムリとどん詰まりに陥った科学者が「人間が地球上に存在する限り、環境破壊はなくならない」→「ならば人間は人間であるのをやめ、植物になるべき」という奇想に走る意味、決して共感はできませんが、少しはわかるような気がしないでもありません。

生命の発祥の淵源、その神秘を“森”と、森に固有の植物に求める発想は、85年春の単発SPドラマ『受胎の森』を久しぶりに思い出させました。当時のビデオがモノラルで画質も悪過ぎたので保存していない上、再放送もすでに事実上望み薄(一社提供だったセゾングループがいまや…)なのが残念ですが、記憶を頼りに、後ほどこの傑作も振り返ってみましょう。

コメント
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