昨夜はNTT東日本のフレッツ接続トラブルに全面的に巻き込まれてしまいました。17:00頃夕食の支度のために一時PCを眠らせ、19:30過ぎに再び起動させたら、IEが「ページを表示できません。」ばっかり。PCの不調なのか回線上の問題か、判断がつかないだけに本当に困りますね。
IE以外のプログラムには一応問題がないようなので、プロバイダOCNの会員向けテクニカルサポートにかけてみましたが、案の定「混み合っております後ほどおかけ直しください」のみ。そもそも、ここ21:00までしか受け付けていないのでした。トラブルってこういう時間帯を選んだように起こりがちですよね。
それでもしつこくかけ続けて、やっと20:43、「しばらくお待ちください」のあと、お待たせメロディ・『エリーゼのために』までこぎつけ、そのまま延々待っていたら、21:00を過ぎてしまいました。しかし、このエリーゼのためにが流れてる間は回線生きてるはず、絶対ひとこと聞くまで切らないぞ!頑張れエリーゼ!(?)と根性で保留しっ放しにしていたら、21:15、やっと女性サポートスタッフが応答してくれて、初めて北海道・東北・甲信越にわたる広範な障害が起きていることを知りました。
そこからまたひと騒動。スタッフさんが「地域からみて、接続障害の影響を受けている可能性が高いですが、それ以外の原因も考えられないではないから、接続状況を調べてみましょう」と〔ファイル〕→〔開く〕からネットアドレスで入るガイダンスをしてくれましたが、ルーターの接続パスワードを、月河、思いっきり忘れてるの(恥)。スタッフさんと電話越しに「どうしましょう」「どうしますかね」「どうしようかな」と花いちもんめ。
結局、「回線障害だと信じて、復旧を待ちましょう、明日の朝まだ復旧しないようなら、9:00以降もう一度この番号へお電話を(←また「混み合っております」になるに決まってる)」という結論で終了。あきらめてお風呂掃除と入浴を済ませ、23:00過ぎにダメもとでもう一度起動させてみたら、何事もなく復旧していました。
ちょうどこのブログの下書きの途中でPCを眠らせたところだったので、切るべきじゃない何かを切っちゃったかな?それともレンタル1年5ヶ月にしてルーターがいかれたか?等といろいろ取り越し苦労してしまいましたよ。
後でいろんな地元関係サイトや掲示板を渉猟すると、20:00頃にはTVでニュース速報テロップも流れたらしいですね。ネットの障害を調べるのにTVをつけてみることはまったく考えませんでした。テレフォンサポートにかけ続けながらも、ラジオはつけてたんだけどなぁ。FMだからかしら。AMだったら、何か速報アナウンスあったかな。
ともあれ、やはり、ネットの世界では、特に何かイレギュラーな操作をして惹起したものでない限り、「時間が解決してくれる」と考えるのがいちばんストレスの少ない対処法のよう。
昨日は“萌え(る)”という言葉の掴めなさについていろいろ考えてみましたが、古語の世界にはいろんな選択肢がありますね。「をかし」(=普通の状態と異なるものに対して強く興味をひかれるさま、感覚的にすぐれていると判断して賞美するさま)、「床(ゆか)し」(=対象に心が引かれるさま)、「あはれなり」(=しみじみとした情趣がある、感にたえない、かわいい、いとしい、りっぱだ)………
「をかしき君達あまたありて」「山路来て何やらゆかしすみれ草」「よろづのあはれを思し捨てて、ひたみちにいで立ち給ふ」「この人は、何心なく若やかなるけはひも、いとあはれなれば」…古文の先生は、「“をかし”は知性や審美性に訴え、“あはれ”は情動や官能を揺らめかせる感覚である」と説明してくれましたが、こういう多彩な語彙が、山本夏彦さんの言を借りれば“時代の変遷に耐えて生き残って”くることができず、美しい、愛おしい、はかない、妙なる…などあらゆる対象を「かわいー」「かっこいー」で片付けてしまうようになったことが「萌え(る)」という表現をここまで蔓延させた一因なのかもしれません。
古語が古語でなく、読み書きできる人なら普通に使う日本語であった時代には、をかしもゆかしもあはれも、そんなに難しい言葉、難しい概念ではなかったと思いますが、たぶん、人間は“何の実利にも快楽にも結びつかないのにむしょうに心惹かれる”ものに出会ったとき、それを表現すべく“既存の語彙を引っ張り出してきて適切なものを選び出す”という主知的な作業をする余裕がなくなるのではないでしょうか。
とことん架空で、虚構で、一般性も具体性も希薄で、それゆえに人の心をつかみかき乱してやまないものには、“長く使われ読まれ親しまれてきた、力のある言葉”はかえってふさわしくなかったのでしょう。
“萌え(る)”という言葉は、いまだに月河には未消化ですが、このこなれにくさこそが“萌え”の本質なのかもしれません。
『麗わしき鬼』、悠子がお腹の子を失ったショックで、洵子の言葉の真意(=私たちは異母姉妹)を知らぬまま失踪し、CM明けて一気に12年経過。眉川の先代夫妻はすでに亡く、「お義母さんも晩年はすっかり打ち解けてくださって」なんつって啓子さん、ちゃっかり英矢の3人めの奥さんにおさまってるし、連れ子の太郎は医者にしてるし、女史メガネやめてコンタクトにしてるし、なんだかひとわたり見る限り状況は万事啓子の思うツボになってますよ。
みちる、洵子、啓子、太郎が喪服で揃った食卓で「我が家はまぁ他人の寄せ集まりのようなものだけど、こうして家族としてまとまって、おふくろの葬式を出し親父の法要を一緒にできたんだから、結構なことだと思わなくちゃな」と英矢。中島脚本はとかくトンデモ台詞の印象が先行しがちですが、昨年の『偽りの花園』でもそうだったように、“家族の食卓”シーンでいろんなことをチョコチョコ総括して先に進めていくのも得意だと思います。昨年ならここで、三味線お婆ちゃまの乱入が恒例だったけど、今年はまだそういう飛ばしはなし。
洵子も一人前の産婦人科医師に。悠子が消息を断った後、振り切るように勉強に打ち込んだのかな。小児科医師・水上が洵子に関心を持ってる様子。同僚とは言え院長令嬢で跡取り娘ですからね。狙わない手はないよね。『555』以後、動いて喋ってる唐橋充さんを『さんま御殿』以外では初めて見ました(懼)。『555』ではライダーズの敵怪人兼ズッコケ担当でもあったので、声のキイかなり上げてたのね。キャラとしてはオルフェノクより今作のほうがブラックそうです。