イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

イトミミズみたいな血管

2007-05-16 21:51:43 | アニメ・コミック・ゲーム

昨夜はNTT東日本のフレッツ接続トラブルに全面的に巻き込まれてしまいました。17:00頃夕食の支度のために一時PCを眠らせ、19:30過ぎに再び起動させたら、IEが「ページを表示できません。」ばっかり。PCの不調なのか回線上の問題か、判断がつかないだけに本当に困りますね。

IE以外のプログラムには一応問題がないようなので、プロバイダOCNの会員向けテクニカルサポートにかけてみましたが、案の定「混み合っております後ほどおかけ直しください」のみ。そもそも、ここ21:00までしか受け付けていないのでした。トラブルってこういう時間帯を選んだように起こりがちですよね。

それでもしつこくかけ続けて、やっと20:43、「しばらくお待ちください」のあと、お待たせメロディ・『エリーゼのために』までこぎつけ、そのまま延々待っていたら、21:00を過ぎてしまいました。しかし、このエリーゼのためにが流れてる間は回線生きてるはず、絶対ひとこと聞くまで切らないぞ!頑張れエリーゼ!(?)と根性で保留しっ放しにしていたら、21:15、やっと女性サポートスタッフが応答してくれて、初めて北海道・東北・甲信越にわたる広範な障害が起きていることを知りました。

そこからまたひと騒動。スタッフさんが「地域からみて、接続障害の影響を受けている可能性が高いですが、それ以外の原因も考えられないではないから、接続状況を調べてみましょう」と〔ファイル〕→〔開く〕からネットアドレスで入るガイダンスをしてくれましたが、ルーターの接続パスワードを、月河、思いっきり忘れてるの(恥)。スタッフさんと電話越しに「どうしましょう」「どうしますかね」「どうしようかな」と花いちもんめ。

結局、「回線障害だと信じて、復旧を待ちましょう、明日の朝まだ復旧しないようなら、9:00以降もう一度この番号へお電話を(←また「混み合っております」になるに決まってる)」という結論で終了。あきらめてお風呂掃除と入浴を済ませ、23:00過ぎにダメもとでもう一度起動させてみたら、何事もなく復旧していました。

ちょうどこのブログの下書きの途中でPCを眠らせたところだったので、切るべきじゃない何かを切っちゃったかな?それともレンタル1年5ヶ月にしてルーターがいかれたか?等といろいろ取り越し苦労してしまいましたよ。

後でいろんな地元関係サイトや掲示板を渉猟すると、20:00頃にはTVでニュース速報テロップも流れたらしいですね。ネットの障害を調べるのにTVをつけてみることはまったく考えませんでした。テレフォンサポートにかけ続けながらも、ラジオはつけてたんだけどなぁ。FMだからかしら。AMだったら、何か速報アナウンスあったかな。

ともあれ、やはり、ネットの世界では、特に何かイレギュラーな操作をして惹起したものでない限り、「時間が解決してくれる」と考えるのがいちばんストレスの少ない対処法のよう。

昨日は“萌え(る)”という言葉の掴めなさについていろいろ考えてみましたが、古語の世界にはいろんな選択肢がありますね「をかし」(=普通の状態と異なるものに対して強く興味をひかれるさま、感覚的にすぐれていると判断して賞美するさま)、「床(ゆか)し」=対象に心が引かれるさま)、「あはれなり」=しみじみとした情趣がある、感にたえない、かわいい、いとしい、りっぱだ)………

「をかしき君達あまたありて」「山路来て何やらゆかしすみれ草」「よろづのあはれを思し捨てて、ひたみちにいで立ち給ふ」「この人は、何心なく若やかなるけはひも、いとあはれなれば」…古文の先生は、「“をかし”は知性や審美性に訴え“あはれ”は情動や官能を揺らめかせる感覚である」と説明してくれましたが、こういう多彩な語彙が、山本夏彦さんの言を借りれば“時代の変遷に耐えて生き残って”くることができず、美しい、愛おしい、はかない、妙なる…などあらゆる対象を「かわいー」「かっこいー」で片付けてしまうようになったことが「萌え(る)」という表現をここまで蔓延させた一因なのかもしれません。

古語が古語でなく、読み書きできる人なら普通に使う日本語であった時代には、をかしもゆかしもあはれも、そんなに難しい言葉、難しい概念ではなかったと思いますが、たぶん、人間は“何の実利にも快楽にも結びつかないのにむしょうに心惹かれる”ものに出会ったとき、それを表現すべく“既存の語彙を引っ張り出してきて適切なものを選び出す”という主知的な作業をする余裕がなくなるのではないでしょうか。

とことん架空で、虚構で、一般性も具体性も希薄で、それゆえに人の心をつかみかき乱してやまないものには、“長く使われ読まれ親しまれてきた、力のある言葉”はかえってふさわしくなかったのでしょう。

“萌え(る)”という言葉は、いまだに月河には未消化ですが、このこなれにくさこそが“萌え”の本質なのかもしれません。

麗わしき鬼』、悠子がお腹の子を失ったショックで、洵子の言葉の真意(=私たちは異母姉妹)を知らぬまま失踪し、CM明けて一気に12年経過。眉川の先代夫妻はすでに亡く、「お義母さんも晩年はすっかり打ち解けてくださって」なんつって啓子さん、ちゃっかり英矢の3人めの奥さんにおさまってるし、連れ子の太郎は医者にしてるし、女史メガネやめてコンタクトにしてるし、なんだかひとわたり見る限り状況は万事啓子の思うツボになってますよ。

みちる、洵子、啓子、太郎が喪服で揃った食卓で「我が家はまぁ他人の寄せ集まりのようなものだけど、こうして家族としてまとまって、おふくろの葬式を出し親父の法要を一緒にできたんだから、結構なことだと思わなくちゃな」と英矢。中島脚本はとかくトンデモ台詞の印象が先行しがちですが、昨年の『偽りの花園』でもそうだったように、“家族の食卓”シーンでいろんなことをチョコチョコ総括して先に進めていくのも得意だと思います。昨年ならここで、三味線お婆ちゃまの乱入が恒例だったけど、今年はまだそういう飛ばしはなし。

洵子も一人前の産婦人科医師に。悠子が消息を断った後、振り切るように勉強に打ち込んだのかな。小児科医師・水上が洵子に関心を持ってる様子。同僚とは言え院長令嬢で跡取り娘ですからね。狙わない手はないよね。『555』以後、動いて喋ってる唐橋充さんを『さんま御殿』以外では初めて見ました(懼)。『555』ではライダーズの敵怪人兼ズッコケ担当でもあったので、声のキイかなり上げてたのね。キャラとしてはオルフェノクより今作のほうがブラックそうです。

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変身…できない

2007-05-16 00:45:54 | アニメ・コミック・ゲーム

週刊新潮の写真コラムなどで知られるエッセイスト故・山本夏彦さんが、「言葉の選択に迷ったとき、古くからある言葉と昨日今日流行り出した言葉とだったら、私は必ず古くからあるほうを選ぶ。先人の時代から使われ読まれ親しまれて、時代の変遷に耐え生き残ってきた言葉のほうが力があるから」という意味のことを書いておられたことがあります。「生き残れずにすたれた言葉も、ときどき思いつきで復活させてみる」と付け加えていたことも。

「文に新しさを出そうとして、その時の流行りの語彙や言い回しを使うと、そこから文は古びる」という言もあったと思います。

月河は、ファッションや食べ物はともかく、読み物や言葉に関しては目新しいもの浮わっついたもの基本的には大好きなのですが、ときどき山本さんの、これら一連のフレーズを思い出すことがある。

いまいちばん切実な例をひとつ挙げると“萌え(る)”という言葉、耳にしたり活字で見かけたりし始めてからかれこれ10年近くになりますが、いまだに月河、この言葉を消化しきれずにいます。

他人が書いた文章の中にあれば、“大体こういうことを指しているんだろうな”と意味をとらえることはできる。しかし、自分で似たような意味合いのことを書く段になると、「ここは“萌え(る)”がピッタリだ」と思う場面がまず無いのです。

月河がいちばんコミック、アニメなど二次元世界に親しかった昭和40年代にはまだ成立していなかった概念、言葉だからかもしれません。

ある作中人物やキャラクターなり、複数のキャラクター同士の関係性なり、それを演じている役者さんなり、彼らの声やルックスなりに甘く危うく心揺らめくものを感じたとき、「惚れた」「ときめいた」ではいけないんでしょうか。「目がハートになる」とか。

やっぱり「萌える」でなければならないのかな。

生身の俳優やアーティストやアイドル、特に異性のそれに「ときめく」ときには、かすかにでも必ず「彼氏(彼女)にしてデートしてみたい」「同性の友人に見せつけて嫉妬させたい」「ハグ、キス…(以下略)その他親密な行為をしたい」…など、“彼(彼女)と接点を持つことで、自分のいま現在の生活を華々しく心湧き立つものに変えたい”という願望がひそんでいるものです。フィクションのキャラでも同様で、「○○のファンになっちゃった」と思いクチにするときには、たとえモンスターや無生物キャラであっても擬人化して「彼氏だったら」「夫だったら」の地平に翻訳して引き下ろす思想が一抹混じっています。

そこで月河は“萌え”=「“ときめき”から自分の実生活に結びつく要素を全排除した感情」ととらえることにして、“純粋鑑賞”モノを要さないフェチ(<フェティシズム)”などと言い換えることがあるのですが、違うかな。

たとえば、例がわかりやすいかわかりにくいかわかりませんが(ってこの時点ですでにわかりにくいが)、昨年の月河のメガヒットドラマ『美しい罠』で、沢木槐役を演じた高杉瑞穂さんにときめいた、というのは普通に“ファン”でしょう。以前の出演作を求めてネット検索しDVDやビデオを観て、「全然違う役を演じてもカッコいいし演技うまいわ」とさらにファン体温が高まっていく。「ナマで見たい」「イベントに参加して握手や記念撮影をしたい」「こっちを向いて声をかけてほしい」…こういう感情は“萌え”ではないと思います。

一方、高杉さんが他の作品でどんな役に扮していたかにはまったく関心がなく、ひたすら“沢木槐”という複雑な心理模様を持つキャラにはまるという角度の惚れ方もあり、こちらは若干“萌え”度が高い。

その中でも「類子になって槐の関心や視線を浴びてみたい」「類子でも澪でもない第三の女になって、槐を引っ叩いて諌め真っ当な人間に変えたい」あるいは「自分が槐になって素直に類子に真情を吐露したい」などと、自分と槐の生息空間を接続した空想をするのはあまり“萌え”でないような気がします。

槐に対する関心の寄せ方でもっとも“萌え”に近いのは、「類子や澪やその他あらゆる登場人物に向かう槐の感情すべてを忖度し逐一見守る」、そこから転じて「物語に描かれていない架空の状況(たとえば江戸時代、現代の男子校、大戦末期の日本陸軍など)に槐を放り込んで見て、どんな心理や言動をとるかを想像して、想像した光景や会話を鑑賞する」という態度ではないでしょうか。

さらには、『美罠』中の、槐より主役度が低く、あらかじめ“視聴者のときめき視線を得にくいように作られている”人物、たとえば川嶋さんや能瀬、女性キャラならば千津さんや編集者桑田などに上記のような関心を寄せたら、それはかなり高度で高密度な“萌え”ではありませんか。どうでしょう。

対象が架空であればあるほど、具体性や一般性が薄ければ薄いほど、かき立てられる情動の揺らめきが現実との接点を持っていなければ持っていないほど、萌え”度数は上がっていくらしい。…ならば“純粋鑑賞”でいいんじゃないかと思うんですが。

なんだか、“先人の時代から親しまれ生き残ってきた、力のある”既存の語彙でどうにかしようとして、かえって自分の表現の力なさを露呈してるだけのような気もしてきましたが、月河、“萌え(る)”と言う言葉の含むところは、好きか嫌いかで言えば圧倒的に好きなんです。「“萌え”なんて幼稚だ」「くだらん」てな方向に難癖つけようとはまったく思いません。

“萌え”の感情には何ら実用性がない、人が社会的生物学的に生存を続けていくことに全く資さない。だからこそ人間が持ち得る感情の中で最も尊いとも言える“無用の用”とでもいったニュアンスがありますから。

昼ドラと言えば『麗わしき鬼』、こちらは、主役も脇役もかなり“一般性ある催ときめき性”の低いキャラの集まりなので(←褒め言葉)、逆に“純粋鑑賞”の余地がたーっぷりあります。

明日33話からは一気に12年後に物語が飛び、ヒロイン2人も大人の女性に。今日の予告フラッシュからすると、貴重な“ときめき担当”?と思われる唐橋充さんが医師役で参入されるようですが、これで『仮面ライダー555(ファイズ)』のライダー側・オルフェノク側3人×3人はめでたく全員東海昼ドラ経験者となった…(半田健人さん>『愛のソレア』、溝呂木賢さん>『新・風のロンド』、芳賀優里亜さん>『美罠』、泉政行さん>『冬の輪舞』『偽りの花園』)と思ったら加藤美佳(よしか)さんが唯一まだ昼ドラバージンでした。年齢的にそろそろ昼の空気感になじむお年頃のはず。『555』での最期のシーンは悲しくも衝撃的でしたよねぇ。ぜひカモン。お待ちしています。

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