昨日は夜、5日の『笑いの祭典ザ・ドリームマッチ08』の録画をBGMにリピートしながら仕事していたら、ダウンタウン松本&千原兄の歌『永遠(とわ)にチゲに』が脳内ループして離れなくなってしまいました。
最初にリプレイしたときは演順前のほうのネプホリケン&雨上がり蛍原が思いっきりドン滑った、て言うかドン壊れたのを見たので、「歌ネタはもうたくさん」と思った時点で早送りしてしまったのですが、ちゃんと聴くといい歌だなあ。
♪ともにチゲを ともにチャンジャを
ともにユッケを ともにチャプチェを
ともにナムルを ともにチヂミを
ともにクッパを ともにサンチュ
ともにトッポギ ともにプルコギ
ともにビビンバ ともにサムゲタン
ともに汗をかきながら
元歌(コブクロらしい)を月河、一度も聴いたことがないのですが、“サ~ンチュ”まで来て格助詞“を”の省略を“解禁”、音程の上がる次のコーラスで“~ぽぎ”(〔-ogi〕)というトボけた脚韻を踏んでたたみかける。会場の反応がそのまま物語っていたように、ときには単語の発音だけで笑いどころを捻り出すことができる“しゃべり芸”の可能性の一端をしっかり見せてくれました。
もちろんその下地には“韓国と言えば焼肉”→“焼肉屋のメニューを並べるだけで韓国っぽく聞こえる”と、“会話終わりに「ハセオ!」「スミダ!」付けるだけで韓国っぽく聞こえる”という、審査員の郷ひろみさん(←この人が審査員ってこと自体笑いどころ)も指摘した“(人をくった)着眼点”があります。
しかし大丈夫かな。少なくない“在日同胞”の圧力団体の逆鱗に触れ、放送中からTBSに抗議の電話殺到なんてことにならなかったもんか。「とにかく韓国の、料理とマッコリはうまいよ、大好きだよ」ってことは表現できてたから(できてたか?)、別にいいのか。
2話まで見た『安宅家の人々』は、遠藤久美子さんと小田茜さんがいずれ劣らぬ、衰えぬ明眸皓歯を競っていますが(でもともにチゲ…じゃなく29歳)、どうも、まずはヒロイン久仁子(遠藤さん)の、宗一(内田滋さん)の世話をする動機表現がいまいち曖昧。
幼いころから使用人の娘として安宅家にほぼ住み込み、意地悪で知的障害の兄を何かにつけバカにしからかう異母弟から守ってあげてきたことは回想シーンなどでわかりましたが、1話時点でふたりとも20代中盤に入っており、施設退所・東京行きを怖がる宗一をなだめながら倉庫で添い寝とか、優しいと言うより久仁子側に大人の思慮が無さ過ぎに見えます。
この久仁子、設定では法律事務所に勤務、所属の若手敏腕弁護士と交際中で、彼氏がアメリカ研修から帰国し婚約の運びということなっているのですが、宗一周辺や安宅家をうろうろする場面ばかりで、職場で働いている姿はまったくなし。
吉屋信子の原作が昭和26年作なので、雇用関係とか現代に移し替えるのがむずかしかったのかもしれません。当時は金持ち有力者が私的な使用人の子弟の学資や就職の面倒を見、子弟たちも卒業後お礼奉公的な貢献をすることは普通に行われていたのでしょうが、設定は昭和63年です。久仁子の妹・仁美も安宅家次男の秘書だし、長年同家の運転手をつとめている父親(深水三章さん)も含めて“家族ぐるみで安宅家にぶら下がり”に見える。
だから、知的障害者で精神年齢が幼いとは言え身体は成年の宗一を慈しみお世話することと、いち大人の女性としての自分の恋愛・結婚と、久仁子の中でどう線引きされているのかがますますわかりにくくなっている。ここをはっきりさせておかないと、宗一と(意に反して?)結婚させられて安宅家の嫁となる今後の久仁子の心理の移り変わりが視聴者につかめなくなる。
兄の障害を利して跡目を継がんとする弟・譲二(小林高鹿さん)の見合い相手・雅子(小田さん)は、まずは建設工事現場にひとり勝手に登って、飛び降り自殺と間違えられ「瞑想していたんです」とのたまう、風変わりな女性として登場。
この雅子、高所は平気なくせに、見合い乱入の宗一が「おミヤゲです」と団栗を渡すと、蟻ん子一匹這い出てきただけでギャーギャー悲鳴上げて挙句は失神。設定では心のきれいな、曲がったことの嫌いな気品ある女性ということになっていますが、“雅子”という役名も役名、善意で真面目マッポウゆえに空気読めないトラブルメーカー臭がすでに芬芬。そっち方向にキャラ作りのハンドル大胆に切ってくれたほうが、ドラマとしておもしろくなりそうですがね。
2話はやっと久仁子がアメリカ帰りの恋人と再会して抱擁し合ったところで終わり。「この後降りかかる嵐の予兆を、そのときはまだ知るヨシもありませんでした…」ってな神目線でのナレーションもなし。
このまま“善意の人々が不器用に、でも真っ直ぐにそれぞれ幸せを求めて努力し交流するお話”で進むなら、早めに視聴見切りをつけたほうが時間の無駄が少ないかもしれません。3月いっぱい、長いですからね。