イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

発送したのに停戦だぁ?

2008-01-03 16:30:19 | CM

年賀状のやりとりも、来たら読んで出し、また来たら出しの五月雨式では松の明ける間ずっと落ち着かないので、もうここ数年はスタンスを決めて、1日に届いた賀状にだけはもれなく、できるだけ当日のうちに返事を書く、2日は配達がお休みなので、3日以降に届いたのは、ありがたく読むだけ読んで放っとくと決めたのですが、なんか最近は2日も普通に配達があるのね。

もう日本郵便、民間会社だからね。年中無休・元旦初売りの流通業も多い中、「元日は配達してやっから、その代わり2日は休みだよ」なんて公務員思考はもう通用しないわけだ。ここだけ見れば改革はいいほうに向かってますな。

まぁ1日遅れだけで出す出さないの線引きってのも、なんか冷血なような気がするじゃありませんか。25日までに投函すれば元日配達セーフだよってCMされたって、クリスマスイブ含みの三連休明けが〆切りって、書くのもタイヘンなんだよね。わかるわかる。いずこも同じ。

 結局元日も2日も誤魔化し誤魔化し返事を書き続けて落ち着かないのなんの。

年賀状と言えば決まり文句の「あけましておめでとうございます」。

月河が小中坊主の頃までは“新年”と“明けまして”を重ねるのは重複だから正しくない、「明けましておめでとう」か「新年おめでとう」かのどちらかにせよ、と学校でも教わり、モノの本にも書いてあったものですが、いつの頃からでしょうか、月河より社会人先輩の年代の人からも新年あけましておめでとうございます」と堂々と印刷した賀状がぞろぞろ来るようになりました。

気がつけばTV番組でもCMでも、若手の女子アナとかならともかく、ベテラン級の司会者が「新年、あけまして…」とにこやかに挨拶していますね。

月河には世の中の事象を何でもプレバブル/ポストバブルに分けたがる悪い癖があるのですが、「新年明けまして」が正々堂々、多数派として罷り通るようになったのは、どう贔屓目に見積もっても、月河が社会人になった80年代前半よりは後のことだったような気がします。

重ねる重ねない、別にどっちが正しくても、そのときそのとき正しいとされてるほうにつけばいいと、月河なんかは滅法適当に考えているんですが、それでも、もののわからない子供の頃「間違いだから使っちゃいけないよ」と教え込まれたことが、いつの間にやらどこでもオッケーになっているうえ、教え込んでくれた先生や先輩と同年代の人たちまでが何食わぬ顔で使ってよこすというのはあまり気持ちのいいものじゃありません。

昔の年賀状を時系列で保存しておけば、「新年明けまして」が何年頃から版図を広げて来たか特定できるのですが。

 昨日は月河のセレクトでDVD『ワールドトレードセンター』『ロード・オブ・ウォー』とニコラス・ケイジ2連発。

『ワールド~』は救出に向かったケイジら港湾警察隊が、勇ましくカッコよく被害者を救出する痛快な場面はひとつもなく、簡単に生き埋めになって救出“される”側になり、後半3分の2ぐらいはもっぱら安否を気遣う妻や家族の焦りと葛藤、下半身瓦礫に潰されて動けず外界との連絡も途絶えたまま、いつ来るとも知れない救出を待つ身となった隊員たちの“あきらめない”精神力と家族愛、危険な現場で偶然協働することになったレスキュー隊員とボランティアを志願した海兵たちとの、使命感に基づく信頼関係などに焦点が当てられるので、イイ話ではあるんだけどドラマ的カタルシスとなるとちょっとね。

『ロード~』のほうがアンブローズ・ビアース『悪魔の辞典』的ブラックユーモアに満ちていて、シャレにならない深刻なテーマなのに突き抜けて笑えました。「こうして私は天職(=武器商人)に戻った。」という終盤のくだりは、スタンリー・キューブリック監督『時計じかけのオレンジ』のラストに似た味。最後に自分の国に潰されるなよ個人営業。

コメント
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