←←左の柱に、スティーヴン・ギャラガーStephen Gallagherの作品『赤い影』『戯れる死者』を載せてありますが、もう1作(て言うか4作しか邦訳が出てない)、『扉のない部屋』(角川ホラー文庫94年刊)という大好きな作品があります。
一応、当時ブームになっていた“ホラー”のくくりで紹介したほうがわかりやすくて売りやすいということで同文庫からの刊行になったのでしょうが、読中・読後感は、モンスターやゴーストや、祟りや呪いの出てくる典型的なホラーとは大幅に異なるもの。
思い切りざっくり広く言えば巻き込まれ型のサスペンスです。
ジム・ハーパーというイギリス人青年が、アルバイトでインターナショナル・スクールのスキー教師の職を得てスイスの高級リゾートへ。セレブ子弟の生徒たちを率いる巨大製薬企業の、青い瞳の令嬢ロシェルに一目惚れ、口説く機会を狙っていたある日、スキー場で転倒し負傷、応急処置を求めて社の研究所に辿り着くが、秘密実験用の犬を監視していた地下室に誤って踏み込んでしてしまったため、警備員に電気警棒で昏倒させられて心停止になってしまう。
本社の責任追及を怖れた所員たちの手で、開発途上の新薬を注射されて心拍蘇生、深夜ひそかに宿舎に運び戻される。部屋の前で意識不明のところをバイト教師仲間に発見され、(所員の偽装工作で)麻薬のオーバードーズと思われて救急搬送、処置を受けて意識は回復したが、事故当時の記憶は途切れ、深刻な睡眠障害と、繰り返す悪夢・幻覚に悩まされる。
母国イギリスに送還されて精神科医の治療を受け、どうにか社会復帰の第一歩に与えられたのが、さびれた海岸の町の、倒産したIT社長邸の留守管理人の職。町で美人図書館職員リンダと知り合い互いに好感を持つが、彼女にしつこく言い寄りストーキング中だったスティーヴと、その事業仲間でコンピュータ・ハッカーのテリーとも顔見知りになり、IT企業の撤退で事業が頓挫し鬱気味だったスティーヴがリンダとジムの仲を曲解、酔った勢いで車ごと海中ダイブし自殺するという事件が。その現場で無惨な水死体を目の当たりにしたのがきっかけで、原因不明のあの悪夢と幻覚が再び襲ってくる…。
もちろん原因は、スイスでひそかに投与された巨大企業製の新薬です。
物語は、ふとしたことから自分の身に起こった出来事を知り、真相を糾明すべく、悪夢の苦しみと戦いながら手負いの身体で徒手空拳、巨大企業の闇に挑むジムの視点からおもに語り進められますが、彼に気のある素振りをしながら、企業の経営権をめぐる財閥一族骨肉の争い(昼ドラか!)の切り札に使おうと画策するロシェルの食えない女っぷり、次第に彼女の本心を窺い知って心をタフにしていくジムの“傷だらけのヒーロー”的成長、図書館員→実は企業からジムの監視要員として派遣された研究員リンダが次第にジムに惹かれ、共闘のパートナーになっていく過程など、コレを“ホラー”に片付けたヤツ三遍回ってワンと吠えろ、って言いたくなるくらい盛り沢山で熟味濃厚な味わいです。
←←左の『何度読んでも新しい』にギャラガーのこの作品を入れなかったのは、パトリシア・ハイスミスの流れを汲む“後味エグ・ニガ路線”からはちょっとはずれると思ったからです。ギャラガーは骨の髄まで雨と霧と湿気の国イギリスの作家ですから、USエンタメミステリ的な、派手にドンパチエロエロの後急転直下豪快に大団円というわけにはいきませんが、ある種「やったね!」と言いたくなる、映画的爽快感を伴うあざやかな幕切れで、彼の邦訳あり他3作とはひと味違った余韻があります。
邦題『扉のない部屋』は、一読すればラストシーンからとられたことがわかりますが、作中繰り返すジムの悪夢のイメージの一バリエーションでもあるのです。
………と、ここまで長々書いてきたのは、ただ、『○○のない△△』というタイトルには看過しがたい吸引力があるものであるな、ということと、その吸引力だけが動機で14日スタートの月9ドラマ『薔薇のない花屋』第1話を見てしまった、ということを言うための前フリだったのでした(盛大に爆死)。
野島伸司さん作のドラマとは過去まったく相性がよくありません。93年『高校教師』も94年『人間・失格』も95年『未成年』・98年『聖者の行進』も軒並み序盤脱落。放送前の紹介記事ではアモラルそうで食いついたんだけど。
唯一、途中はどうでもラストだけ突き抜けて気持ちよかったのは94年『この世の果て』ぐらい。
野島さんのドラマに必ず出てくる“性格悪そう美女”に竹内結子さん。これは意外。いまだ元気で笑顔の似合う朝ドラ出身女優のイメージしかなかったもので。雫(しずく)ちゃんを産んで死んだ“彼女”(それこそ笑顔の似合う朝ドラ姫・本仮屋ユイカさん)への思いを秘め男手ひとつで8年子育てしてきた香取慎吾さんを篭絡し破滅させるべく、三浦友和病院長に送り込まれた看護師。眼の見えない演技、香取さんの心を翻弄する悪女演技があまりにうまくて、本当にただの看護師かどうか。
“可愛い子役と、若く貧しい二枚目シングルファーザーの辛酸”で泣かせる路線?と思うからますます気持ちが引いちゃったのかもしれない。北風と太陽のたとえ話は王道だけど、「お母さんは太陽で、雫を抱きしめると焦がしちゃうから、遠くから温めてあげようと思った」ってのはコジツケ過ぎ。野島さんのホンって、いつもこういうイメージがある。さもさも含蓄深そげに見せて、遠回しで思わせぶりで、いつまでたってもピリッと核心をついてこない。純文学体質とでもいうのかな。それで毎作脱落しちゃうんですよね。
ちょっとおもしろいなと思ったのは、香取さんの隣人の世話好き老婦人池内淳子さん。「亡きお母さんの命日と、自分の誕生日が同じなのはおかしいと思うのは当たり前」と雫ちゃんに本仮屋さんの亡くなった原因(心臓が悪かったのに無理して産んだこと)を喋っちゃう、料理がとことん苦手なのにバースデイケーキ(=しょっぺぇ)を作って来ちゃう、ありがた迷惑通り越して、迷惑迷惑。自分でもわかってるくせにそのたびに「ねえ、責めてるの?責めてるのワタシを?」とねちねち託ちごとを言う。迂回した自虐なのか、“感謝されたい症候群”なのか。昭和の数々のドラマで“日本の母”、それも男勝りで気がきいてシャキシャキ勝ち気で、かつ着物美人で色気もあり…というキャラを得意としてきた池内さん、73歳にしての新境地開拓なるか。
釈由美子さんのデモシカムード担任教師、松田翔太さんのホストくずれグネグネいまどき若者は、演技的には意外なくらいの健闘ですが“イロを添える”感じの起用で若干紋切り型。寺島進さんの喫茶店マスターがコメディリリーフ兼“ハラにイチモツ?”含みでちょっと期待をもたせるかも。
ところで『○○のない△△』というタイトルの吸引力…なんて言っても、ふと考えると、『名前のない馬』(アメリカ)と『花見のない森』(松本清張)と『橋のない川』(住井すゑ)と『題名のない音楽会』(テレ朝系)、あとは『過去のない男』(アキ・カウリスマキ監督)『水のないプール』(シェケナ内田裕也)ぐらいしか思い出せないことに気がつきました。
特筆するほどでないことを、手前勝手に一般性ある重大事のように思いこんでいることって多いものだ。……なんだオイ。野島伸司さんの批判してる場合じゃないではないか。