パーソナルコンピュータ、略して“パソコン”。
この略称が定着してどれくらいになるんでしょう。
少なくとも、『太陽にほえろ!』に石原良純さん扮する水木悠刑事が参入した時分は、あくまでも“マイコン”刑事であって、“パソコン”刑事ではなかった。
当時月河は中心街のオサレな洋服屋さんで働いていて、隣接のメンズウエア店・グッズ店と恒例の前倒し忘年会兼歳末商戦がんばろう会を盛大にやり過ぎ、二日酔い紛れの高熱とカラオケ歌い過ぎの喉痛で休んだ金曜日だったので、結構鮮明に覚えているのですが、1984年(昭和59年)11月からの登場だったはずです。
当時は“マイコン”という一語で“理系”“高学歴”“でもアタマデッカチの現場音痴”みたいなイメージをじゅうぶん喚起する力があり、08年のいま現在ほどバラエティや報道番組で揉まれていない、無論演技経験も浅い、言うなれば“ボス(石原裕次郎さん)のリアル甥っ子”という以外なんの取りえもなかった頃の良純さんにある意味ふさわしいキャッチではありましたが、「それを言うなら“パソコン”だろ」とは誰も思わなかった。
接頭辞として人物のキャラを想像させたり規定したりする力において、“パソコン”という語はまだ“マイコン”に何枚も劣っていたのです。
なぜそんなことを考えたかというと、最近、職場の若年チームと会話していると、“パソコン”をさらに略して“パソ”と言っているのが耳についてきたからです。
あるアイテムに興味を持って携帯で当該サイトにアクセスしたがつながらない、と誰かが言うと「パソでやってみれば?」、あるいは「うちのパソ昨夜フリズっちゃって(=フリーズしちゃって)さ」「夜は旦那がいっつも遅くまでパソ使ってるからワタシ使えないんだ」など。
なんとなく文脈からたどると、彼ら、彼女らの中では“ケータイ”こそが何をさておきファーストコミュニケーション・検索ツールであり、そこにさらに“わざわざ”あるいは“オフィシャル”“大仰”なニュアンスが加わったセカンドが“パソコン”であるという序列がある様子。
いま“パソコン”という単語に“刑事”でも、あるいは任意の単語“少年”“少女”でも“主婦”“代議士”“ヤクザ”“女優”でも、何を付けてもさしたるイメージ規定力は無いでしょう。
日本人の誰であれ、パソコンを持っている、日常操って使用している、ということ単体では何の珍奇さも有難さもなくなった。
“パソ”という略し方には、“パソコンあるのが、使えるのが当たり前”の時代に育ってきた世代独特の、距離感と言うか飽和感と言うか、とにかく乾いた感じが漂っているように思えます。
しかしおもしろいのは、やっぱり“パソ”ですかね。そうなりますか。
“パコ”にはならないんだ。“パーソナル・コンピュータ”なのにね。
再放送『真夏の薔薇』は第42話まで来ました。脳梗塞で倒れ言語障害の戻らないまま亡くなった巴お祖母ちゃん(鳳八千代さん)の、最期の力を振り絞ったダイイングメッセージ“うそ”が怖かったなあ。特に“そ”。麻痺した手でチカラいっぱい書いてるから、紙も突き破れる勢い。なんか“怨”の字に似てましたよ。夢に出てきたら前後関係なくてもあの字だけでうなされるな。字だけの夢ってのもないだろうけど。
「昨日からしきりに、書くものが欲しいって」って看護師さん、その意思はどうやって聴取したんだ。麻痺して書けないのわかってるんだから、看護師なら指差し示せる50音ボードみたいのあげるだろうによ、って話ではあるんですが。
『偽りの花園』での瑠璃子・ユリエの呪い暗示におびえて突然死、『麗わしき鬼』での留美・生霊となって憑依→失踪など、中島丈博さんは中世の絵草子や伝承物語を思わせる超自然モチーフをひとつまみ取り入れるのも得意ですな。
巴さんがどうしても碧に言いたくて言えずにしまったすべての意味を、ただひとり知っている郁子さん(姿晴香さん)の「意味なんてあるのかしらねぇ、さっぱりわからないワ?」ってな平然っぷりも別な意味で怖い。某大物女性占い師さんなら速攻「地獄に落ちるわよ!」攻撃来るね。
ところで先週、40話で巴さんが倒れて搬送された病院の担当医役が、この枠でおなじみの沼崎悠さんでしたが、同じ週の本放送中『安宅家の人々』第10話では宗一母・綾子(一柳みるさん)の担当医役も演じておられました。本放送ベースでは足かけ13年。いずれもヒロイン“親より上世代”担当のお医者さん役というのもすごい。
もちろん別枠のドラマや再現VTRでもよくお見かけするベテラン俳優さんですが、『女優・杏子』では杏子に隠れ家レストランレポートを依頼するTVディレクター、『偽りの花園』では露子にちょっかいを出すお節介な酔客…この人が“1シーンも出演してない東海昼ドラ”を挙げるほうが難しいかもしれません。1シーンで“こういう人いそう”と思わせる普通さが貴重なんでしょうね。