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『s850m さんと高岡鉄道』
ホンダが最初に出したスポーツカーはs600だった。
後s800になったが、更にそれを850ccにボアアップして、自分のハンドルネームとして使っている。
自分の店にこんな特別の車庫を作って、s850mは収まっている。
エンジンルームは新車よりも綺麗に整備されている。
四輪だけではない。ホンダの二輪CB250もなかなかのものである。
自宅の裏庭に、というがわざわざ土地を購入して『高岡鉄道』なるミニSLが走れる鉄道が作られている。
これも趣味の範疇である。
s850m さん、福井昇君、結構な身分であると思う。
元川重の従業員だった、ご縁があってアメリカ以外の国内やヨーロッパの市場開拓をやろうとした時に、発動機から単車へ強引に引っこ抜いたのである。
彼は当時、西武自動車が逆輸入していたジェットスキーのレースをやっていた。
ジェットスキーの新事業展開にどうしても『乗れる人』が欲しかったのである。
当時、単車事業部にはジェットスキーに乗れる人は1人もいなかったのである。
当時のジェットスキーは、発動機事業部でエンジンが作られ、リンカーン工場で製品になってアメリカのKMCだけで売られていた。
これをちゃんとした事業にすべきだと主張したのは故武本一郎君である。
そしてオーストラリアから戻ってきた鶴谷君と福井君やカワ販の藤田君ら数人で新事業として企画室担当でスタートしたのである。
単車のテストライダーからジェットスキーに転じて、世界チャンピオンにもなった金森君は彼の教え子でもある。
ちなみに、金森君は大阪の月木レーシングにいた。それを川崎につれてきたのは平井稔男さんである
ほんとに人の人生も、会社の事業なども、ひょんなことで変わるものである。
先日、zosanとカバン屋さんと一緒にs850mさんを訪ねた。
zosanが鉄道に興味があって高岡鉄道が見たかったのである。
お陰で、私も始めて噂の高岡鉄道を見せて貰った。
裏庭ではなくて、そのためにわざわざ造られたスペースである。
立派な格納庫ならぬ建て屋もあって、何台ものミニSLが置いてあったが、
私はこれに目が行った。
このKAZEのトレーラー、福井君が現役時代の私にプレゼントしてくれて、私の部屋に飾られていたものである。
なぜか今里帰りしてこんなところに飾られている。
KAZEに一生懸命だった時代の思い出である。
彼もいい時代に生きたと思う。
カワサキのジェットスキー一時無茶苦茶に会社も店も儲かった時代があった。
金くらいは儲かることもあるだろうが、このような趣味の世界はその人だけの宝物である。
誰でも出来ることではない。
福井昇君をジェットスキーの事業に引きずりこんだのは私だが、
昨年1月、福井君に鉄道の世界に引き込まれた。
いろいろあって、今NPO を立ち上げるようなことになっているが、そんなきっかけを与えてくれたような気がする。
私の変わった人脈の中でも特に変わった面白い男、s850mさんである。
当日訪ねたところの写真です。
『s850m さんと高岡鉄道』
ホンダが最初に出したスポーツカーはs600だった。
後s800になったが、更にそれを850ccにボアアップして、自分のハンドルネームとして使っている。
自分の店にこんな特別の車庫を作って、s850mは収まっている。
エンジンルームは新車よりも綺麗に整備されている。
四輪だけではない。ホンダの二輪CB250もなかなかのものである。
自宅の裏庭に、というがわざわざ土地を購入して『高岡鉄道』なるミニSLが走れる鉄道が作られている。
これも趣味の範疇である。
s850m さん、福井昇君、結構な身分であると思う。
元川重の従業員だった、ご縁があってアメリカ以外の国内やヨーロッパの市場開拓をやろうとした時に、発動機から単車へ強引に引っこ抜いたのである。
彼は当時、西武自動車が逆輸入していたジェットスキーのレースをやっていた。
ジェットスキーの新事業展開にどうしても『乗れる人』が欲しかったのである。
当時、単車事業部にはジェットスキーに乗れる人は1人もいなかったのである。
当時のジェットスキーは、発動機事業部でエンジンが作られ、リンカーン工場で製品になってアメリカのKMCだけで売られていた。
これをちゃんとした事業にすべきだと主張したのは故武本一郎君である。
そしてオーストラリアから戻ってきた鶴谷君と福井君やカワ販の藤田君ら数人で新事業として企画室担当でスタートしたのである。
単車のテストライダーからジェットスキーに転じて、世界チャンピオンにもなった金森君は彼の教え子でもある。
ちなみに、金森君は大阪の月木レーシングにいた。それを川崎につれてきたのは平井稔男さんである
ほんとに人の人生も、会社の事業なども、ひょんなことで変わるものである。
先日、zosanとカバン屋さんと一緒にs850mさんを訪ねた。
zosanが鉄道に興味があって高岡鉄道が見たかったのである。
お陰で、私も始めて噂の高岡鉄道を見せて貰った。
裏庭ではなくて、そのためにわざわざ造られたスペースである。
立派な格納庫ならぬ建て屋もあって、何台ものミニSLが置いてあったが、
私はこれに目が行った。
このKAZEのトレーラー、福井君が現役時代の私にプレゼントしてくれて、私の部屋に飾られていたものである。
なぜか今里帰りしてこんなところに飾られている。
KAZEに一生懸命だった時代の思い出である。
彼もいい時代に生きたと思う。
カワサキのジェットスキー一時無茶苦茶に会社も店も儲かった時代があった。
金くらいは儲かることもあるだろうが、このような趣味の世界はその人だけの宝物である。
誰でも出来ることではない。
福井昇君をジェットスキーの事業に引きずりこんだのは私だが、
昨年1月、福井君に鉄道の世界に引き込まれた。
いろいろあって、今NPO を立ち上げるようなことになっているが、そんなきっかけを与えてくれたような気がする。
私の変わった人脈の中でも特に変わった面白い男、s850mさんである。
当日訪ねたところの写真です。