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相信会、川崎重工のOB会である。
毎年何回かの例会がある。昨日は春の神戸地区例会があって出席した。
100人ほどのOBが出席して盛会であった。
今年は4年に一度のトップ交代の年である。
田崎会長、大橋社長体制から、田崎さんも引退して、大橋会長、長谷川社長体制になることが既に発表されている。
高橋鉄郎相信会会長は留任されるそうである。
自分が年を取っていることは忘れてしまってどんどん若返りが進むような錯覚に陥ってしまう。
今回の会合は、いつもと違って幾つかの目的があって出席した。
大した話ではないが私なりに目的はあったのである。
すべてOKであった。何事でも目的が達成できるのは気分がいい。
その目的とは、
1.高橋鉄郎さんにNPO The Good Times の相談役をお願いしようと思っていた。
なぜ? 今カワサキの広報に常に出てくるKawasaki,Let the good times roll!
これは1970年ごろにアメリカでスタートしたコンセプトだが、その後長く眠っていた。
それを、高橋さんとのコンビでの国内担当の時に国内だけで復活していたたものを、高橋さんに、お願いして全世界での復活採用が正式に決まったのである。
当時の広報担当が故岩崎茂樹君であった。ゼファーが売れていた時代のことである。
そんな忘れらねぬ思い出があったので、今回のNPOのネーミングを決めたときに、高橋さんには是非お願いしようと決めて、定款にも相談役の席を設けたのである。
会が始まる前にお願いして、快諾して頂いた。
これが一番の目的であった。
『田崎さんにも』と言って頂いたが、彼はまだ現役なので具体的には頼んでいないが、6月には当然話をしたいと思っている。
2.4月のJ'S LIMEの総会時か工場見学のとき、彼らZのカワサキファンが神様のよいうに言う稲村さんの出席を頼まれていたのだが、稲村さんに頼んでみた。
几帳面な彼は以前にもちょっと話していたので、手帳にそのメモがあったが、今回正式にOKである。
具体的には、4月8日のZ1会の日に確定することにした。多分4月13日、工場見学の日になるだろう。
緑亀349さんやカバン屋さんたちの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
3.これも今はひょこむのトモダチ、NPOの仲間の1人だが、大和屋嘉平、東京の村島さんに田崎さんへの頼まれごとがあった。
大した話ではないのだが、頼むほうにしては川重の会長だから大変だったと思う。
田崎さんに頼んだら即答でOKである。
村島君には今回、NPOのホームページやカードの発送システムでお世話になるばかりだったので、一つ借りが返せた心境である。
4.今度の新社長の長谷川さんとは面識がなかったので、是非紹介して貰おうと思っていた。
われわれの年代は知らないという人が多かったが、流石にもう少し若い年代はみんな知っていて、今相信会の世話役をやっている学校の後輩で野球部の後輩でもある原田君が紹介してくれた。
聞いてみると明石のジェットやがガスタービンの出身である。
私が知らないだけで、明石の連中はみんな知っていた。話が出来てよかった。
エライ時期の社長就任だが、頑張って欲しい。
そんな4つの課題は全部OKであった。
いつもは特に目的もなく、旧交を温める意味で多くの方と他愛もない話を数多く話すように努めているのだが、今回は目的をもっていたら、それに時間を取られて挨拶も出来なかった方が多かった。
あっという間の2時間半であったが、
3月末の決算も、来期の見通しも100年に一度の危機と言う割には、大丈夫のようである。
受注事業と量産事業が上手く助け合って全体を支えている。
かってお荷物のように言われた車両事業も何年分もの受注があって好調のようである。
ご同慶の至りである。
相信会、川崎重工のOB会である。
毎年何回かの例会がある。昨日は春の神戸地区例会があって出席した。
100人ほどのOBが出席して盛会であった。
今年は4年に一度のトップ交代の年である。
田崎会長、大橋社長体制から、田崎さんも引退して、大橋会長、長谷川社長体制になることが既に発表されている。
高橋鉄郎相信会会長は留任されるそうである。
自分が年を取っていることは忘れてしまってどんどん若返りが進むような錯覚に陥ってしまう。
今回の会合は、いつもと違って幾つかの目的があって出席した。
大した話ではないが私なりに目的はあったのである。
すべてOKであった。何事でも目的が達成できるのは気分がいい。
その目的とは、
1.高橋鉄郎さんにNPO The Good Times の相談役をお願いしようと思っていた。
なぜ? 今カワサキの広報に常に出てくるKawasaki,Let the good times roll!
これは1970年ごろにアメリカでスタートしたコンセプトだが、その後長く眠っていた。
それを、高橋さんとのコンビでの国内担当の時に国内だけで復活していたたものを、高橋さんに、お願いして全世界での復活採用が正式に決まったのである。
当時の広報担当が故岩崎茂樹君であった。ゼファーが売れていた時代のことである。
そんな忘れらねぬ思い出があったので、今回のNPOのネーミングを決めたときに、高橋さんには是非お願いしようと決めて、定款にも相談役の席を設けたのである。
会が始まる前にお願いして、快諾して頂いた。
これが一番の目的であった。
『田崎さんにも』と言って頂いたが、彼はまだ現役なので具体的には頼んでいないが、6月には当然話をしたいと思っている。
2.4月のJ'S LIMEの総会時か工場見学のとき、彼らZのカワサキファンが神様のよいうに言う稲村さんの出席を頼まれていたのだが、稲村さんに頼んでみた。
几帳面な彼は以前にもちょっと話していたので、手帳にそのメモがあったが、今回正式にOKである。
具体的には、4月8日のZ1会の日に確定することにした。多分4月13日、工場見学の日になるだろう。
緑亀349さんやカバン屋さんたちの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
3.これも今はひょこむのトモダチ、NPOの仲間の1人だが、大和屋嘉平、東京の村島さんに田崎さんへの頼まれごとがあった。
大した話ではないのだが、頼むほうにしては川重の会長だから大変だったと思う。
田崎さんに頼んだら即答でOKである。
村島君には今回、NPOのホームページやカードの発送システムでお世話になるばかりだったので、一つ借りが返せた心境である。
4.今度の新社長の長谷川さんとは面識がなかったので、是非紹介して貰おうと思っていた。
われわれの年代は知らないという人が多かったが、流石にもう少し若い年代はみんな知っていて、今相信会の世話役をやっている学校の後輩で野球部の後輩でもある原田君が紹介してくれた。
聞いてみると明石のジェットやがガスタービンの出身である。
私が知らないだけで、明石の連中はみんな知っていた。話が出来てよかった。
エライ時期の社長就任だが、頑張って欲しい。
そんな4つの課題は全部OKであった。
いつもは特に目的もなく、旧交を温める意味で多くの方と他愛もない話を数多く話すように努めているのだが、今回は目的をもっていたら、それに時間を取られて挨拶も出来なかった方が多かった。
あっという間の2時間半であったが、
3月末の決算も、来期の見通しも100年に一度の危機と言う割には、大丈夫のようである。
受注事業と量産事業が上手く助け合って全体を支えている。
かってお荷物のように言われた車両事業も何年分もの受注があって好調のようである。
ご同慶の至りである。