雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ジェットスキー新商品ULTRA250X

2007-06-20 05:19:16 | ジェットスキー&KAZE
水の上を走るジェットスキー。 ジェットスキーはカワサキの商品名である。

パーソナルウオータークラフトと一般に呼ばれるこの分野で、カワサキは文字通り先駆者である。
ただ、昨今は競合メーカーも頑張っていて、カワサキの独走などとは言えぬ状況が続いていたのだが、

今年3月、「ULTRA250X」という画期的な新商品が発売されて、販売も好調で久し振りにシェアも50%を越える実績を上げているようである。



日本船舶海洋工学会より「シップオブザイヤー」を受賞した、この商品のセールスポイントは、馬力である。
通常ネーミングに使われる数値は排気量が一般的だが、
この「250」は排気量ではなくて馬力なのをみても、如何に「馬力をウリ」にしているかが解る。

この圧倒的な馬力で、
水の上の最高速の制限速度65マイル(105km)などはいとも簡単に出してしまう出足加速がセールスポイントである。
昔の海軍の魚雷などよりはずっとずっと早いのである。



この「ULTRA250X」の開発チームの責任者だった山田浩平君が、
「私が老骨に鞭打ちつつ開発したULTRA250Xの記事とインタビューが載っている」 KAZEの広報誌と、
これに注いだ彼自身の熱い想いを自筆の手紙に記して送ってくれた。

山田君は、以前にこのブログでもご紹介した
サーキット専用のレーシングカーX-11の開発を担当したエンジニアである。




二輪エンジンは、高回転高馬力が一般的で、
「ミスターホースパワー」とあだ名されたZ1の開発責任者、大槻幸雄さんなど有名だが、
やはりカワサキにはその伝統や流れを汲むエンジニアたちがいるのである。

過給機エンジンか何か知らぬが、1500cc、250馬力はハンパじゃない。

開発のコンセプトや、もう少し詳しく知りたい方はどうぞ。)



こんな素晴らしい商品が出たら、この夏は販売も楽だろう。
JJSBAやJJSFのレースの世界も活気づくに違いない。

モーターサイクルやジェットスキーの世界はなんと言っても商品力が第一である。
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2007-06-19 08:23:12 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
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子どもの頃から魚が好きだった。

戦前の話だが、伯父の家にも、母の実家にも池があって大きな鯉がいた。

池を造って鯉を飼うのは夢だった。
20年ほど前から、小さな庭にしては、本格的に鯉の飼える池を造ってずっと鯉を飼ってきた。

鯉は100年も生きると言われているが、数を入れ過ぎたりすると難しい。
現役の頃は、世話も出来ないのにいい鯉をたくさん飼って、沢山死なせてしまった。

今は20匹ぐらいに数を抑えて、極く自然に飼っているので死なすことはない。
5年ほど前に5cmぐらいのを入れたのが今これくらいに育っている。

餌をやると群れてかわいいものである。



自然の川に泳ぐ錦鯉もまたいいものだ。

岐阜、高山の市内の川、岡山の駅の直ぐ前の西田川、伊勢の五十鈴川、札幌市内の繁華街の直ぐヨコの川などに群れる錦鯉は美しい。

植栽などと違って放流さえすれば、手間も費用もかからない。
放流そのものがニュースとして採り上げられる。
日時の設定も、放流する人も自由に選べる情報発信の自由度。

餌に群れる錦鯉などは、美しい光景と思う。



みっきいふるさとふれあい公園の幾つもの川に、よく似合う風景と思うのだが。
私のささやかな夢みたいなものである。

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野池

2007-06-19 08:22:42 | みっきぃふるさとふれあい公園
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昔はこんな感じの池が多かったが、めっきり少なくなった。

家から10分ばかりのところにある野池である。
息子がまだ小学生の頃から、一緒によくへら鮒釣りに来た。

この近くにも幾つもあったのに埋められてしまったのか、今は少なくなった。

自然の池、何もなくても心なごむものである。
静かに糸をたれて浮きを見つめているのが好きだった。

いつまでも残して欲しい風景である。
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親水広場

2007-06-19 08:22:04 | みっきぃふるさとふれあい公園
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三木に住んでいる方で、ここがどこかお解かりの方は多分少ないと思う。

三木山総合公園の奥のあたり、野球場と陸上競技場の奥に造られた「親水広場」と名付けられた場所である。

結構お金も掛かっている造りで、なかなか雰囲気もいい。

スポーツ施設に来る人や、ジョギングに来る人たちが「ほっとする」「一休みする」場所としてはいいと思うし、私は好きな場所である。


ただ、「親水広場」と名付けたからには、
その名の通り水でなごめるような配慮があればと思う。

今のままだと、水とは名ばかりで端のほうをちょろちょろと流れていると言えるか言えないか。 そんな感じである。
残念ながら、折角の立派な造りなのに人の関心も呼ばないし、人も集まらない寂れた場所になっている。



全くの私案だが、水辺や水草や魚の好きな私なら、
写真の奥のほうにちょっとした堰のようなものさえ作れば、水が溜まり池になり水辺になる。
水の深さを調整できるようにすれば、池の大きさは自由に変えられる。

睡蓮や水草、錦鯉など魚や水鳥など、「親水広場」の名の通りのものになるのにと思っている。



欲を言えば、蛍を何とか飛ばせるような努力は出来ないものか。

東京の都内のどこかの水路に蛍を飛ばそうというプロジェクトに比べたら可能性もあるのでは、と思うのは素人考えだろうか。

蛍を飛ばせそうなところは三木には至るところにある。

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コメントありがとう。

2007-06-19 05:31:57 | M/Cレース
松尾勇さんのことを書いたら、
メカニック仲間の藤原良さんと、当時のライダーの山本隆君からすぐコメントを頂いた。

良さんとは先日のZ1会のゴルフで、金谷秀夫や吉田和さんと一緒になり、
その時初めて、ブログを読んでくれているのが解ったのだが、コメントを頂いたのははじめてである。

松尾さんのことはいつか書こうと思っていた。
先日、良さんとゴルフで一緒になったのが、今回書いたきっかけとなった。

こんなレース仲間が読んでくれていることは、励みになるしコメントを頂くと、また書こうと思う。
レース仲間からは今までにも、大槻さん、山本君、田崎さん、ライダーの塚本君などからコメントを頂いたし、今回、藤原良弘君からも頂いた。

ただ、苧野豊秋、安藤吉朗、松尾勇、岩崎茂樹さんと同じ釜の飯を食った先輩や仲間たちが、この世を去られたことも悲しいことである。



山本隆君のコメントには、松尾さんとは芦屋の竹園でのOB会以来会っていなかった。
「早くOB会をやらぬと頭の毛ではなく頭数が少なくなりますよ」とある。


25周年のレースチームのOB会。1988年10月15日に芦屋の竹園で開催した。

その年の10月1日から3度目の国内販社担当となった。
国内対策の一番最初にレースのOBたちと一緒の会合を持って、
レースを重点施策の一つに位置づけてスタートしたいと思ったのである。

山田、苧野、中村、高橋、大槻、田崎さんらの既に会社の幹部になった人たちも、
北村、百合草、岩崎、大西など昔の仲間たちも、西海、松尾さんも平井さんも。
ライダーたちは安良岡、山本、岡部、梅津、金谷、和田から清原、星野の当時の若手から、現役では宗和、塚本など懐かしい連中が全て出席した。

この会のときは、当然私が主催する立場にあったし、お世話も出来たのだが、
山本だけでなく、清さんやいろんな人にOB会やりましょうと言われるのだが、なかなか難しい。

誰か現役に近い連中が、旗を振らぬと具体的に進まぬと思う。
もうあれから20年も経とうとしている、当然レースのOBの顔ぶれも増えている。

誰か、いい案はないですか。
未だ現役の田崎さん辺りが旗を振ってくれればいいのだが、少々偉すぎる。

山本隆君のコメントにそんなことを思っている、日曜日です。
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松坂8勝

2007-06-18 05:11:15 | スポーツ
松坂ー岡島ーパベルポンと三人のリレーで完封して、サンフランシスコジャイアンツに1-0と松坂は8勝目をあげた。

日本なら間違いなく完投、完封を狙っての続投であろうが、中4日100球を守ってシーズンを乗り切ることを最重点に考えるアメリカ野球は、8回から岡島、9回はパベルポンと予定通りの継投で勝利をモノにした。

いい試合であった。
相手投手のケインもラミネスに打たれたホームラン1本だけに抑える好投で、張り詰めた緊張感が続く好ゲームだった。

松坂も、岡島もボンズをノーアウト1,2塁で迎えるピンチで誰もが駄目かなと思ったであろうが、
松坂はセカンドゴロ、岡島はまさかの三振に討ち取って共に後続を絶ちピンチを零点に抑えた。

おおざっぱな打ち合いの多い大リーグで、なかなかこんな試合は観られない。
一発ホームランの可能性のある打者が並ぶ中での投手戦は本当に迫力があり見応えがある。


ボストンのレッドソックスファンは大喜びであったが、テレビで観戦した日本のファンも喜んだに違いない。

2点に抑えながら、連続負け投手になった松坂だが、この8勝目は気分的にも最高だと思う。
大リーグでも十分にエースとして通用する活躍である。

松坂も、イチローもオールスターは多分間違いないと思う。
世界の最高の舞台での活躍が期待できそうだ。


他の打者たちもみな、期待を裏切らない活躍なのだが、
ひとり井川がもう一つである。

田口にも苦しい時代があった。井川も実力は十分と思うので、早く顔を見せて欲しい。
松坂ー井川という当初夢見た対戦を早く見たいものである。
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三木市役所

2007-06-17 16:05:46 | みっきぃふるさとふれあい公園
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三木市役所である。
前の広場は駐車場、広大である。
金物祭りや朝市など、いろんなイベントにも利用される。

以前の旧いまちの中にあった市役所が小さかったので、その比較で言えば、べらぼうに大きい。
50倍、いやもっとあるかも知れぬ。

この周囲にある文化会館などの建物も立派だし、プールや野球場、陸上競技場、テニスコートなども、直ぐ近くの三木山総合公園のなかにある。
今、新しい消防署をこの一角に建設中である。

この一帯が、開発されてきれいにはなったのだが、その分借金で苦しい財政事情にあるようだ。

でもこれは、三木市だけでなく、日本国中そんな風に動いた時代があった。

こんな立派な「ハコモノ」を上手に活かして使うのは、引き継ぐ人たちのの責務だろう。

それにしても、立派だと思う。
鎌倉に住む息子の嫁に見せたらビックリしていた。
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日本一美しいと思うプール

2007-06-17 16:05:25 | みっきぃふるさとふれあい公園
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日曜日、泳ぎに行ったが、日本スイミングクラブ公認の記録会が開催されていて、プールも会場も人で溢れていた。

いつもは勿体ないくらい閑散としていて、水もきれいだし気持ちよく泳げる。

今日は庭園の奥のほうからプールの建物を写しているが、いつもは逆でプールからこの庭園を眺めている。

今の時期は、庭園に出るドアが開放されていて、水着のまま庭園に出ることができる。

あちこちのプールを知っているが、庭園つきで散策できるのはここ以外には知らない。
そういう意味では、日本で一番美しいプールだと自分で勝手に決め込んでいる。

土地の広さでは有数の、札幌のプールを幾つも知っているがこんなにきれいでゆったりしているところはない。

正面の駐車場も、何台置いても大丈夫と言い切っても問題ない広さである。

でも、こんな中に常にいると、
こういう豊かさが当たり前になってしまって感じなくなってしまうのだと思う。

ちなみに、遊泳料は三木市民60才以上は300円である。
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好きな風景

2007-06-17 15:10:21 | みっきぃふるさとふれあい公園
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大陸育ちだからか、ゆったりしていることが好きである。

日本的なこまごまとした繊細さもいいが、どちらかというと広く余裕があるほうがいい。
三木のよさは、ある意味すべてに余裕があることだと思っている。
都会の道には逆立ちしても、こんな余裕を求めても無理である。

丘陵を開いて造られた新興住宅地のわが家の直ぐ裏通りである。
この道の直ぐ右側が人口4万人が住む住宅地である。 
昨年、国体を機にこの道が開通した。

正面に見える山は、丹生山。   山を越えて、その右向こうが神戸である。

左の土手のように見えるのは、吉田住吉山遺跡。
この道を造るために、平成14~16年に発見された南北朝時代の(14世紀)の城跡。
秀吉の三木城攻めの際にも付城の一つとして利用されたと説明文にあった。

いつも通るときに気持ちのいい眺めだと思っている。
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ジェットスキー

2007-06-17 05:33:40 | ジェットスキー&KAZE
KAZE Jet Skiの広報誌が3冊送られてきた。
先日のKMJのOB会で河野社長にお願いしたのである。

二輪車のほうは今でも会費を納入している正会員なのだが、
ジェットスキーの方は登録していないので広報誌も送られて来なかったが、送って頂くようにお願いした。


7月号でVOL.169号。
二輪のKAZEより少し遅れての第1号の発刊だったのだが、なかなかその内容も充実していて、こちらの方は我々の現役時代に造ったJJSBAもARKという正規販売店のネーミングもそのままで懐かしい。

167号にJJSBA(日本ジェットスキー協会)の今年度方針が特集されている。
アメリカに2年遅れて設立されたのだが、
84年11月に初代会長を務められた苧野豊秋さん(故人)に頼まれて、当時KMCの社長をしていた田崎さんにIJSBAとの調整を依頼すべく、アメリカまでご一緒したのを思い出す。



当時国内では、西武自動車にいろいろお世話になってレースなども開催していた。

ジェットスキーを国内にも正規に導入を図ったのは、
翌年85年からで担当する部門がなかったこともあり企画室で旗揚げをした。
発動機からジェットスキーのレースに出場していた福井昇君にきてもらって、9月にオーストラリアから帰任した鶴谷将俊君(現川重商事社長)を専任担当として本格的に活動を開始した。

その創生期に活動をしてくれた人たち、
カワサキでは苧野豊秋、鶴谷将俊、藤田孝明、宇田川勇、福井昇君など、
西武やヤナセの方たち大阪の大南君などにもお世話になって、
JJSBAは徐々にいい形になっていったのである。

その後、近江舞子でのワールドカップ、千里浜での1000台を越えるエントリーがあったりした最盛期を経て、
ヤマハの参入などからJJSFの設立などいろいろあったが、

今尚、JJSBAの活動もKAZEジェットスキーの耐久など特筆できる活動が続いていることは、当初からジェットスキーに関与した一人として非常に嬉しいことである。


特に、広報誌に載っている幾つものレースやイベントが各地域の市町村や観光協会、漁業協同組合、ウオータークラフト安全協会,海上保安署などの後援、協賛などを受けて実施されていることは、レースや遊びそのものが世に受け容れられているとの証しであり喜ばしいことである。


広報誌の載っている幾つもの写真は、二輪以上にかっこいい。
特に、女性ライダーの活躍と、女性ライダーがジェットスキーにはよく似合う。

今から、夏本番レースもイベントっも真っ盛りである。
いい夏を、思いっきり楽しんで下さい。
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Dream Plus-4

2007-06-16 06:55:28 | カワサキ単車の昔話
今朝のGoogleアラートの「カワサキ」のニュースに、
先日来ご紹介したDream Plusのニュースが飛び込んできた。


意外な商品という見出しで、
東京有明の東京ビックサイトで開かれた「ヘルス&フィットネスジャパン」に、
昨年ハンカチ王子も使って話題となった商品、Dream Plusと紹介されている。

作るのは作れたが、どうやって販売したらいいのか解らずに、
カワサキモータースジャパンが販売を担当することになったが、畑違いの商品に少し戸惑いを見せている。



そんなことはない。 新商品の販売方式の設定ほど楽しく面白いものはない。
柔軟なアタマで、いい発想を。 こんなチャンスは余りない。


昔、新商品ジェットスキーの販売方法を巡って、
水の商品だから西武やヤナセのボート屋さんに売ってもらうべきというのを、

新しい商品だから新しい発想で新しい販売網でと、白紙に絵を書いて、
「楽しみながら、遊びながら売る」、JJSBAのレース組織と綿密に連携した今の体制を築き上げたこともある。


「楽しく」と「仕組みで売る」をKEYにして、
夢いっぱいのDream Plusというネーミングに相応しいセールスシステムの構築を是非考えて欲しいものである。

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カワサキ単車の昔話-64

2007-06-16 05:35:03 | M/Cレース
創生期のレースメカニック松尾勇さん


まだファクトリーのメカニックが製造部門に属していたホントに最初の頃、工場のヨコの通路を挟んで、小さなレース職場があった。
よく仕事をサボってレース職場に遊びに行ったものである。

松尾勇、福田弘美(ひょっとしたら下の名前違うかも)それに先日Z1会のゴルフで一緒に廻った藤原良弘君の3人だった。
みんな、松尾さん、福ちゃん、良さんと呼んでいた。

チーフメカニックの松尾勇さんは、カワサキのレースの指導的な立場にあった兵庫メグロの西海社長のところから、カワサキがレースをするということで移籍してきた。
オートレースの現場でたたき上げたメカニックとしての実力は誰もが一目も二目もおいたものだった。

マシンに関することは何でも出来た。
独特の語り口で喋りながらも手は動いて休むことなく、いろんな作業を仕上げていた。

当時の山本、歳森、星野などの若手は松尾さんから多くを学んだと思うし、
三橋や安良岡などのベテランも松尾さんにはアタマが上がらなかった。



一番印象に残っているのは、F21Mのクロモリのパイプフレームを作ったときである。
津軽の岩木山で行われた全日本を前に7台のマシンを一挙に揃えたのだが、
エンジンはB1ベースの238cc、フレームは全て松尾さんの手作りだった。

当時はスズキが久保、小島だけに2台のRHを持っていたが、
一挙に7台のマシンを揃えたのは、レース界の話題となった。
(このリンクした記事に関西オトキチさん、山本隆君がコメントをくれてON ANY SANDAに山本がF21Mで出場することになるのである。)

三橋、安良岡、山本、梅津、歳森、岡部、星野の7人の主力ライダーに7台のマシンが造られた。
1台1台造られたマシンも、この順番に作られたはずである。
当時のカワサキのライダーの序列で、星野一義はまだ新人の域であった。

この頃になると、メカニックの数も増えて、榎本、吉田君などが加わっていたが、最初からの三人がみんな印象に残っているようだ。

松尾さんは私が仙台に行ってからも、東北のレース関係をよく手伝ってくれた。
仙台にも何回も来てくれたし、当時東北のジュニアチャンピオンであった服部謙治君のマシンなどの面倒もみてくれた。

そんな思い出多い、業界でも名物メカニックだった松尾さんも今年亡くなった。
心からご冥福を祈りたい。




ずっと後、カワサキでは宗和、塚本、北川、鶴田の頃のレースチームもよく知っているが、
その頃になるとレースチームも技術部門の管理で、メカニックたちも昔の職場という雰囲気とは全然違ったものになっていた。

考えてみると、我々の時代は、
技術部はマシン特にエンジンの担当とレース現場での監督で大槻さん、安藤さん。

メカニックは生産部門所属で高橋さんや田崎さんの管轄で、
マシンに仕上げるのは松尾さん以下のメカニックの仕事だった。

レース予算やライダー契約、レース運営のスケジュールなどは私や大西健治君の担当だった。

その上には、山田えん明、苧野豊秋、中村治道さんと我々以上にレースに関心のある上司がいて、常にハッパがかかっていた。

まだ当時のカワサキは、商品もシェアも売上も、レース以外はホンダ、スズキ、ヤマハに勝てる、或いは対等に戦えるものは何もなかった、そんな時代であった。


そんな体制が、いい悪いは別にして、
専任ではないがレースが大きな比重を占めて携わっていたし、
何よりもレースが好きな人たちばかりが集まっていた。

そんなことで年をとってもレースを忘れられないし、集まればレースの昔話を楽しんでいるのである。



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田中と桑田と仁志

2007-06-15 05:50:51 | スポーツ
このところ阪神が弱くて、阪神ファンの家内は毎日ぶつぶつ言っている。
熱烈ではないが、まあ阪神ファンの私も面白くない。

そんな中、楽天の田中将大投手が面白い。
素人目だが、松坂に次ぐ素材だと思っている。
早稲田のハンカチ王子には人気で負けても、実力では間違いなく上だろう。

オールスターの中間投票でトップだったり、星野ジャパンのオリンピック候補選手に選ばれたりして注目していたが、
昨日は中日を4-0と完封してチームトップの4勝目を挙げた。

新聞記事などでも特集で取り上げているが、十分にその価値はある。
あのあまり人を褒めない野村監督が、目の中に入れても痛くないような可愛がり方を見ても、抜群の素質だということがよく解る。

期待通りにすくすくと成長して欲しい。 そんな環境が用意されている。



あの年になっても成長があるのか、
人は気持ちの持ち方なのか、周囲の環境がそうさせるのか。

ジャイアンツから戦力外通告を受けて、海を渡り大リーグの門を叩いた桑田真澄投手、念願の大リーグ登板を果たした。

まだ結果は残していないが、チームで用意されたロッカーが主力並の二つであったこと。
ドライだけかと思ったアメリカの大リーグで実績を残してきた人への心遣いが特に印象に残った。

そんなに大活躍は期待できないかも知れぬが、夢を追っかける人に拍手を送りたい。



もう一人、横浜の仁志選手。 オールスターの二塁手のトップを走っている。
これも巨人からの移籍である。

駄目と思われた人でも、心機一転頑張ればいろんな展開があるものだ。



心構えはその人の問題だが、その環境を創りだすことは周囲の人たち、特に上に立つ人の心配りである。

いろんな職場で、そんな心配りがないために表面に出て来れずに埋もれてしまう人たちが沢山いる。

そんな環境の準備だけは、チームで何かを目指すためには必須の条件であると思う。
それは、心配りだけあれば、そんなに難しいことではないと思っている。
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その時だけ、そのことを考える

2007-06-14 05:18:54 | 発想$感想
自分の想いを、きっちりと表現することは意外に難しい。
そんな表現を本当に 「きっちりと表現される」、 服部吉伸先生とはご縁があって現役の頃、直接ご指導も頂いた。

当然のことながら幾つもあるのだが、その中の一つ

「世の中には原因のある問題と原因のない問題との二つがある。
原因のある問題は、原因の追求、把握、対策という思考ステップで課題を解決する。原因のある問題点の解決に必要な能力は創造力とは呼ばない。

創造力の源泉はアイデアであり、思考ステップの特徴は絞り込んで考え続けるということである。」



世の中の会議などで沢山の人たちが集まり議題の検討をする。
普通一般のことではあるが、あまりいいアイデアとかなどは出ないのが普通である。

その時間だけ、その問題を考えるのでは思いつきだけで、 「いい考え」 など出るはずはないと現役のときずっと思っていた。

専門に検討している人たちが集まるとか、雑談的に何度も会合を重ねるとか、
ある一人の考え続けたアイデアに沿った検討をするとか、
とにかく、絞り込んで考え続けない限り 「創造的なアイデア」 とか「差別化された事柄」 は出てこないのである。



然し、現実には沢山のいろんな立場の人が集まって、
その時だけそのことを考える 「思いつき会議」が横行する。
そして会議が終了するとそのことについては忘れてしまっている。
時間と労力の浪費,無駄だと思うが一向に改まる気配もない。

むしろ、そんな風に思う人、例えば私が変っているのである。
私のこんな考えは、会議を絞り込んで考えた末の結論である。



では会議は機能しないのか。そんなことはない。
方針伝達とか現状の共通の理解とか、余り考えなくてもいい事柄の徹底や「会議で決めたという手続き」などには十分に機能すると思う。



大体、世の中には 「創造」 だとか 「差別化」 などには余り関心のない人のほうが一般的なのだと思っている。
なのに 「創造力」 などというと何となく聞こえがよくて、立派なことのように思い過ぎているのではなかろうか。
これは、特殊能力で 「少し変った人でないと発想できない」 種類のもののような気がしてならない。
変った人、絞り込んで考え続けることの出来る人には、そんなに大したことではないのである。


服部先生の仰る通り、
原因のある問題の解決には、普通の人たちが手順を踏んで検討すれば物事は解決するのだが、
原因のない問題についても、同じスタンスで解決しようとするところに問題があると思う。

創造的な事柄については、絞り込んだ人のアイデアに沿って、
そこに何かを加えたり味付けしたりすることにする方が、現実的だと思う。


然し、「その時だけそのことを考える」 会議や会合が多すぎる気がしてならない。
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志染の石室

2007-06-13 14:26:06 | みっきぃふるさとふれあい公園
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家から車で10分ばかり、防災公園の地続きに志染の石室はある。

三木の人口の多くが住む新興住宅地の直ぐ隣に、約1600年前に23代顕宗天皇、24代仁賢天皇の二人が王子時代に隠れ住んだという石室の跡がある。

毎年4月から6月にかけて洞窟の水が黄金に輝く金水現象が有名で、つい先日まで三木市のホームページでも紹介されていた。

はじめて行って見たが、防災公園から歩いてこれるように小道が整備されている。
この写真はその道の方から写したものである。金水の写真はみんなが写すので、敢えてこの写真をご紹介する。


観光協会の説明文を見ていると、鬱蒼と木が茂っていたが、防災公園の工事で木を伐採したら光が差し込んで、「金水現象が復活し、黄金の水が見られるようになった」とか。
この観光協会の説明文はいいのだが、防災公園が完成してもう何年か経つのに、仮称のままで修正もされていないのは、お役所仕事の名残か。 こういうことは、ひどく気になる性分である。


三木は住宅の直ぐ近くに旧い歴史のある史跡などいっぱいある。
そのままの旧い形で残されているのがいい。


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