雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

野球  雑感

2019-08-17 06:28:45 | スポーツ

★学生時代には野球漬けの生活を送っていた私だが、

サッカーを観るようになって、『野球は自分がする』のはオモシロいが観るのはどうも『かったるい』というかスピード感に欠けるなと思うようになったのだが、野球も自分が興味・関心のあるチームの試合を観るのはオモシロい。

今日は昼から、そんなオモシロそうな野球を観るためのスケジュールを組んだ。

お目当ては2試合、
 三木山総合公園で行われるという『明治大ー関西国際大学のオープン戦』 と
 『甲子園の明石商業の試合』のテレビ観戦である。

 どちらも開始は1時からなのだが、多分明石商業戦は少し開始が遅れるだろうと、
いつもは8時半からのジムを11時にして、12時半から『明治と関西国際大学』の試合を炎天下ナマで観ることにしたのである。

 明治大学は今日本の大学ではまずトップと言っていいようなチームで、春のリーグ戦はダントツの優勝だったのである。

  

  

関西国際大学も昨年秋の優勝チームだし、家のすぐ近くにグランドもあり、地元の大学で、一時はその応援団のメンバーにもなっていたので、家にこの試合の案内も頂いたのである。

この関西国際大学の鈴木監督さんは、未だお会いしたこともないのだが、
こんな華々しい野球経歴をお持ちの桑田・清原のPL黄金時代の1年先輩なのである。
神戸製鋼でも活躍され監督を経験されたのち関西国際大学の監督になられている。

   

  
 
 近くのグランドでの関西国際大学の野球部の練習を観に行ったりするのだが、グランドのスミのほうで観ていても、それが選手の眼に止まったら、練習している野球部員全員が、プレーを止めて私に向かって『お辞儀をされる』そんな礼儀正しさを身につけているチームなのである。
そんな躾を指導されている監督さんは『どんな方なのかな』と調べてみたので、知っているのである。

神戸製鋼にもおられたようだが、神戸製鋼には私の明石高の同期の溝畑圭一郎が10年近くエースとして君臨していたチームなので、そん亜ことで身近に感じて『ファン心理』みたいなのがはたらくのだろう。


★明治と関西国際大学がどんな試合をするのかなと非常に関心があって、炎天下での野球観戦となったのである。
同じみるなら試合前のノックの段階から観ていて、こんな動画も写真も撮ってきた。



   


 


 仲田三木市長が始球式をされたのだが、これが稀に見るいいボールが投げられた見事な始球式だった。 動画の中に写っている。

 選手紹介があったが、両チームとも甲子園でおなじみの名門チーム出身の選手たちなのである。
 試合は関西国際大学が先制したが3回に満塁ホーマーを打たれて逆転された。
 そこまで見て戻ってきたのだが、結果は6-2で明治が勝ったようである。



★家に戻ったら、ちょうど明石商業ー宇部鴻城の試合が始まるところで、テレビ観戦していたが、1点を争うゲームだったが延長10回、明石商業が3-2で勝利する劇的展開の好ゲームであった。

 明石高校からの分校独立校でもあるし、公立校でもある明石商業を応援したいと
思ってみているのだが、このような関心のあるチームの試合は野球もなかなかオモシロいのである。

   

 明石商業は投打ともなかなかいいチームだが、中学校の大会ではあっても全国制覇4回の実績を持っている明石商業・狭間善徳監督がなかなかいい運をお持ちだし、その采配も見事だと思っている。

準々決勝の相手は 『八戸学院光星』と決まったが、これも好試合が予想される。

 是非、頑張って欲しいものである。


 
 

   

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ツイッターが突如戻った。

2019-08-16 14:14:14 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ ごく最近、全く身に覚えはないのだが、『ツイッターが凍結されてしまった』というブログをアップしたばかりだが、
 なぜか、何もしないのに、『突如復元した』のである。

 


ただ、こんな風に『フォローとフォロワー』の数になっていて、
 フォロワーは1万人ほど減ったのだが、
 フォローは50万人以上も一挙に減って、20,000人ほどになってしまったのである。


これだと当方はフォローもしないのに、有名人のように50万人以上の人がフォローしてくれたことになる。

 なぜか不思議な感じだが、殆ど諦めていたので『まあ、いいか』と思っている。
   


 いつまた、どうなるか解らないので、ツイッターは今後、しばらくはあまり何もせずに眺めていることにする。

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終戦記念日    雑感

2019-08-15 05:15:37 | 発想$感想

★ 8月15日は終戦記念日である。

74年前、 私は朝鮮京城(今のソウル)にいて中学1年生、城東中学校の校庭で直立不動の姿勢で、天皇陛下の玉音放送を聞いたのである。


 

 

よく聞こえなくて、何を言われているのか解らなかったが、
何となく『戦争が終わった』と言うことだけは解ったような気がしたのを覚えている。

当時の朝鮮は日本だったし、戦時中も空襲も食糧難も一切なくて普通の豊かな生活を送っていたが、内地(日本のことをそう呼んでいた)は空襲で大変だったことはよく解っていたのである。

 その玉音放送の詔の内容を実は初めて見るのである。
 確かによく聞こえなかったのだが、若し聞こえていてもなかなか理解するにはムツカシイ文章である。


朕(チン)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑(カンガ)ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ココ)ニ忠良ナル爾(ナンジ)臣民ニ告ク
 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ抑々(ソモソモ)帝国臣民ノ康寧(コウネイ)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(トモ)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(ケンケン)措カサル所曩(サキ)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ユエン)モ亦(マタ)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(モト)ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已(スデ)ニ四歳(シサイ)ヲ閲(ケミ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々(オノオノ)最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之(シカノミナラズ)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻(シキリ)ニ無辜(ムコ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真(シン)ニ測ルヘカラサルニ至ル而(シカ)モ尚交戦ヲ継続セムカ終(ツイ)ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ヒイ)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(カク)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(セキシ)ヲ保(ホ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ悲命ニ斃(タオ)レタル者及其ノ遺族ニ想(オモイ)ヲ致セハ五内(ゴナイ)為ニ裂ク且(カツ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(コウム)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(シンネン)スル所ナリ惟(オモ)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(シンイ)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情(ジョウ)ノ激スル所濫(ミダリ)ニ事端(ジタン)ヲ滋(シゲ)クシ或ハ同胞排擠(ハイサイ)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道(ダイドウ)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確(カタ)ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏(カタ)クシ誓(チカッ)テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ
    


 現代語訳は次の通りだという。
     
 私は、深く世界の情勢と日本の現状について考え、非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い、ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える。
 私は、日本国政府に、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して、それらによる共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。
 そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない。
 しかしながら、交戦状態もすでに4年を経過し、我が陸海将兵の勇敢な戦い、我が全官僚たちの懸命な働き、我が1億国民の身を捧げての尽力も、それぞれ最善を尽くしてくれたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。それどころか、敵国は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。
 それなのになお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、さらには人類の文明をも破滅させるに違いない。そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)にわびることができようか。これこそが私が日本政府に共同宣言を受諾させるに至った理由である。
 私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。日本国民であって戦場で没し、職責のために亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。さらに、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建については、私は深く心を痛めている。
 考えてみれば、今後日本の受けるであろう苦難は、言うまでもなく並大抵のものではない。あなた方国民の本当の気持ちも私はよく分かっている。しかし、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。
 私は、ここにこうして、この国のかたちを維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共に過ごすことができる。感情の高ぶりから節度なく争いごとを繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである。
 まさに国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、任務は重く道のりは遠いと自覚し、総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない。あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動してほしい。

 
天皇陛下の玉音放送の内容を、終戦後74年目にして初めて知るのも、不思議なことだが、昭和20年8月15日からの数年間は私の人生にとっても激変の時代だったのである。

 世の中がどんなに変わったのか?
 体験したことを簡単に並べてみる。

● 玉音放送を聞いてすぐ、家に帰ろうとしたのだが、京城の市電は歓喜した朝鮮の人たちに占拠され、日本人は乗れなくて、家まで歩いて帰ったのである。

● 日本に引き揚げたのは12月10日なのだが、それまでは特に何もなく平穏無事だった。
家は米軍将校が買ってくれたのだが、現金は1000円以上は持ち帰られなかったので、どうしようもなかったのである。
我が家は売ったりしたが、他の方たちはどうされたのだろう?

● たった1000円か?と思われるかも知れぬが、当時の一般の方の給料が月80円ぐらいだったから、そんなに無茶苦茶な金額でもないのだが、引き揚げて見ると朝鮮では1斗100円だったお米が1升100円と闇米は10倍もしたのである。

● 12月10日はソウルから釜山までは貨物列車で、釜山から博多までは日本の船でそこから明石に引き揚げたのである。 北朝鮮でなくてよかったと言えるだろう。

● 明石の上ノ丸の本家は爆撃で消滅していて、伯父一家は伊川谷に疎開していてそこに一緒に住むことになったのだが、明石に着いた時のことは全く覚えていないのは不思議である。

● 戦後の日本の食糧難は半端なものではなかった。 コメなどは殆ど口に出来ず、上ノ丸の焼け跡に芋やトウモロコシを植えていたりした。

● 私は翌昭和21年4月から神戸一中に入学したのだが、伯父が上ノ丸に家を建てるまでの半年間は伊川谷から明石駅まで歩き、灘から通称『地獄坂』という急坂を登って通っていた。 今思えばよく通えたものである。
2時間以上は掛かっていたと思う。

● 旧制中学だったが翌22年度から新制中学が出来て後輩は入ってこなくて、ずっと最下級生だった。 3年生からは県一女との男女共学となった。

● 中学2年生の頃に、天皇陛下の神戸行幸があったのだが、お泊りになるホテルがなくて神戸一中の校舎の教室を改造して泊まられたのである。 私のクラスは『天覧授業』を受けたりした。

●中学3年生の頃に、小さな家を建てたのだが、その資金は母が隠して持ち帰ったダイヤの指輪を売った金だったという。 高校時代はその家から通学していた。

● 高校入学の時に学区制が始まり、明石高校に転校した。
中学から野球部に籍を置いたが、当時の神戸一中は春の選抜大会に明石と共に選ばれたりした野球でも名門校だった。 
高校2年生の昭和25年の夏、明石高は県大会で優勝し甲子園出場を果たした。

● 阪神の吉田義男さんが、昭和25年、京都の山城高校から甲子園に出場していた。
 金田正一投手や阪神の吉田監督がが同期、野村監督・長嶋が2年下という年代なのである。



★そんな私の戦後なのだが、『戦後というのは昭和25年ぐらいまで』かなと思う。
 当時は地方に遠征などに行くと、お土産にお米を貰ったりしたし、夏の合宿では『米が食える』と喜んでいた。

 そんな時代に生きたので、小学生の時も、中学生の時も『修学旅行』などはなかったし、明石高校の時に初めて修学旅行があったのだが、その期間は野球部で山陰地方の遠征があったりして、私は『修学旅行』は未経験なのである。

 子どもの頃の生活とはまさに一変した終戦後の生活ではあったが、
 父母は大変だったとは思うのだが、
 私自身は『全く新しい経験』を結構楽しんで生きていたなと思っている。

 そんなことで『新しい事柄・新しい環境』に出会っても、自然に対応できるようになったのかなと思っている。

 終戦の日、74年も前になった。
 よく生きたものである。


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ネットのシステム

2019-08-15 04:57:51 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★昨日、突如ツイッターが凍結されてしまった。

 こんな表示が出る。
 


 『プロフィールを表示する』 をクリックすると、このように表示はされるのだが、
具体的に使えないのである。

 


 別に使えなくても、
    特に『どうということ』はないのだが、気分的にオモシロくないのである。
 Googleで『ツイッターの凍結』と検索すると、こんなのが現われた。

 『身に覚えがない凍結が多発?』とある。






そして、このような文章が続いていて、その対策なども書かれているのだが、
『面倒なので』 それをやる気にもならず、放置している。


普段、当たり前のように使っているTwitter。ある日突然、何の前触れもなくアカウントが凍結されてしまったらどうしますか?
実は今年8月辺りからそういった人が増えています
もちろん規約違反をしていたり、公序良俗に反するような投稿を繰り返したりしていれば、凍結されてしまっても不思議ではありません。
しかし今、問題となっているのは、違反行為をした覚えのない方のアカウントが次々と凍結されてしまっていることです
そこで今回は、なぜ今、Twitterアカウントの凍結が頻繁に起きているのか? 凍結されてしまったら解除することはできるのか? そして凍結されないためにはどうすればよいのかについてご紹介します。



★ 自分でいろいろやってもいいのだが、
 来週にはちょうど『ネットに詳しい孫』がやってくるので、孫にやって貰おうという算段なのである。

 実はツイッターだけではなくて、Instagram も突如こんなことなってしまった。

 

 


ホントに突如こうなるのである。
 ツイッターのほうは未だ対策方法が載ってたりするのだが、Instagram のほうが元来『スマホ』がメインで、パソコンでやってること自体が異例のようだから、余計にムツカシイのかも知れない。

  どちらも、器械的にやっているような節があって、
こんなシステムを『悪用する』人たちが現実にいるようなので、
 そのとばっちりを受けてしまうのである。

 多分、どちらも来週になって、孫に頼めば『復活する』可能性が大いにあると思っているので、あと4・5日待つことにしよう。

そういう意味では、同じネットでも『ブログ』は10年以上にもなるが問題は皆無と言っていい。
 『Facebook』も特に問題が少ないなと思っている。




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我が家の台風対策

2019-08-14 07:07:07 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★超大型の台風10号はこんな進路で、西日本を横断するようだ。

 今回は、この三木も台風の右側に当たるので、相当の風が吹くことを覚悟しないといけないのかなと思っている。






風だけでなく、雨についても、こんな情報である。

台風が通過した後も、本州付近に湿った空気が流れ込み、九州から東海では雨が降り続く見込みです。特に、太平洋側の南東斜面を中心に、降り始めからの雨量が、多い所で1000ミリを超えるような大雨になる恐れがあります。土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水や氾濫に厳重な警戒が必要です。』

 
ただ我が家の辺りは、緩やかな昔の丘陵地を開拓しているので、幾ら雨が降っても、水の溜まりようがないので、その点は大丈夫なのだが、

 一般に『台風対策』としては


○家の外の台風対策
  • ・窓や雨戸はしっかりと閉める。必要に応じて外から板を打ち付けるなどして補強する。
  • ・排水溝や側溝は掃除をして水はけをよくしておく。
  • ・鉢植えやゴミ箱など風で飛ばされそうなものは、飛ばされないように固定したり、家の中へ格納したりする。
  • ・庭木や塀など風で倒れそうなものは、補強をしておく。

○家の中の台風対策
  • ・窓や雨戸をしめ、窓ガラスが割れたときの飛散を防ぐために飛散防止フィルムを貼っておく。
  • ・外からの物が飛んできた場合に備え、カーテンやブラインドを閉めておく。
  • ・停電時に備え、携帯ラジオ、懐中電灯、ローソクなどを用意しておく。
  • ・避難が必要になったときに備え、防災グッズや水、食料などを用意しておく。

 などと書かれているが、いずれも大丈夫だと思っている。

 こんな水の危険は皆無なのである。







★ 庭木なども大丈夫だが、パラソルだけはたたんでこのように寝かしておいた。

   

 
 いま、一番気になっているのは、ヨコにあるメダカの入った『たらい』なのである。

 7月から毎日生まれた1ミリから1cmぐらいのメダカの仔が100匹以上入っているので、大雨で水が溢れると、メダカが流れ出してしまうかも知れないのである

 そんなことで、『こんな対策』をした。
 
 『小さな穴を5つ開けて』そこから水が流れるようにしたのである。
 5つも開けておけば、幾ら大雨でも、水が溢れることはないだろう。

 

 
ツマラヌことが気になるのだが、正直それが一番気になっている事柄なのである。

 ずっと昔の、あの阪神大震災の朝のことを想いだす。
 地震はひどかったが、別に家が倒れたりするような被害はなくて、『停電』になってしまって、テレビなどの情報は皆目入らないので、阪神間があんなことになっているとは夢にも思わなかったのである。

 いつもの通り明石の会社に出たのだが、家を出る際、
 一番気になったのは『熱帯魚の水温』なので、
 家内に『水が冷えたらお湯を足して』と頼んで出社したのである。

 不思議なもので、『つまらぬこと』でも、それが一番気になったりするのである。
 台風10号対策で『メダカのたらいの水対策』もそれに類するが、
 今のところ一番気になっていて、それが『我が家の台風対策』なのである。

それと蔓バラの新しい枝が折れないように、針金を貼って固定した。

  
 

 10号が来るのは明日のようだが、大したことにならぬことを祈るのみである。



 

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  目指せ! 甲子園での公立校優勝を!

2019-08-13 06:24:09 | 発想$感想
★昨日は 公立校の明石商業が昨年の優勝校花咲徳栄に勝利した。
 
県内公立勢の夏の大会勝利は2013年の西脇工以来、6年ぶりと新聞記事に書かれているが、

1950年ごろの兵庫県は公立高校が甲子園の常連校だったし、1951年は芦屋高校が全国優勝を果たしているのである。
 当時の甲子園出場校は順不同に、神戸1中・神戸2中・兵庫県工・鳴尾・明石・芦屋・尼崎など、その殆どが公立校であった時代が懐かしい。

 
それにしても明石商業は強かった。
春の選抜でも実績を残したし、今年は芦屋以来の兵庫県公立校の優勝を目指して頑張って欲しい。

  


最近は野球の強豪校といえば資金が潤沢で、全国から強豪選手を集めやすい私立というイメージが強いが、今年は広島商、熊本工など伝統ある公立校が甲子園出場を次々と決めて、14校にもなっている。

明石商業は私たちの時代は、明石高校の商業科だったものが、分離独立して、明石市立の公立校となったのだが、急激に強くなったのは、
明石市の強力なバックアップ』があったというのである。

明石市は
野球を通じて学校の質を上げ、甲子園に出場してまちの活性化につなげる
をかかげ、全国的にもユニークな取り組みを始めたとか。

その一つは『 監督の公募』で2005年に市の職員として全国初の「野球指導者の公募」を実施し、全国から何百人という受験者が殺到したが、
明徳義塾中学での6年間に「4回の全国制覇」の実績と、地元明石の出身者ということで、現在の狭間監督が選ばれ、2006年コーチ着任を経て、
2007年明石商業監督に就任したというのである。

そのほか、『推薦制による有力選手の募集』についても、2008年度から、全県から生徒を受け入れる制度に変更されたため、県下全体から有力選手が集まるようなったというのである。
練習環境としては、ナイター設備付き野球部専用グラウンド、屋内練習場もあり、内野の土も、マウンドの高さや勾配までも甲子園と同じにしてあるという『拘り』なのである。

★私自身が生まれも本籍も明石だし、明石商業が出来たころのことはよく知っているのだが、『明石商業の野球部』が急激に強くなった理由を初めて知ったのである。

元々明石は
●『中京―明石の25回戦』で明石高校は名門と言われ、戦後も春・夏の甲子園にも出場していたし、
●戦前から巨人の長嶋・王が新人時代までは、明石球場で毎年巨人のキャンプが行われていたこともあって、
野球には熱心だったのだが、明石市がこれまでやっているとは知らなかったのである。


★そんな経緯を知るにつけ、
明石商業』には
公立校の夏の大会・全国制覇』を目指して頑張って欲しいのである。

中学野球で、『4回の全国制覇』経験をお持ちの狭間監督だから、
いい運』もお持ちだと期待しているのである。


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遺産相続  雑感

2019-08-12 04:54:06 | 私の生き方、考え方&意見

★ 突然『遺産相続』の話だが、

 先日ダイワハウスからこんなパンフレットが届いたのである。


 

 
曰く『遺産相続トラブルの回避策』とある。

 こんな堅苦しい話は、私が最も苦手とするところだが、
   中身を読んでみると、想定通りなかなかムツカシイ話である。


  
 
 遺産相続でもめたりするのは、金持ちの世帯のことかと思ったら、そうではなくて
その7割以上が『遺産価格5000万円以下の普通の家庭』で起こっているというのである。



 その対策がいろいろ書かれているが、書いてあることは解るが、
  その通りにやるのはなかなか面倒で、私は多分やらないとは思うが、・・・

  

 
考えて見ると、我が家も近いうちに『直面する』ことは間違いない。
夫婦二人暮らしで、一応は家を持っている。
 
金は兎も角、固定資産の相続がややこしいようである。


★ 私自身も今まで何度かはこんな遺産相続の場面に出くわしているのだが、
  別にそこで『もめたり』はしなかった。
 
 確か、『昔は長男が相続する』ということになっていて、祖父の遺産は全て当然のように伯父が相続していたが、
ちょっと調べてみたら、昔はそれでよかったようである。

 こんな記述に出くわした。

明治政府が始まった頃華族や士族には長男相続制が規定され、その地位も長男によって世襲された。さらに、平民にも長男の家督相続制が規定された。明治31年の民法制定により家制度が確立すると、家督に当たる戸主権の制度が成立した・・・

 なるほど、そうだったのである。

 
その後もいろんなことがあったが、私の周りでは何となく、明治のこの制度の通りのことが続いている。
 母が亡くなったのは最近のことだが、大した遺産ではなかったが、私が全て相続というか頂いて、4人の妹たちは何にも云わなかったし、私自身相談する気もなかったのである。
家内の母が亡くなった時は、家も預金などもあったと思うが、
家内は一切何も要求せずに、弟にすべてを任していた。

これは、今の法律で言うと、分割などが当然で『オカシイ』のだとは思うが、それで通ってしまっているのである。


★ 我が家は家内と二人で、息子と娘がいるのだが、私と家内とどちらが先に逝くのかは分からないが、関係者は今のところこの4人のはずである。

 昔流にいえば、息子が相続するのが当然だが、
そう決めてしまう気にはなれないが、じゃどうするのか? 
と言われると、『まさに、困ってしまうのである。』

 頂いた文章を読んでると、『自筆の遺書を正規に書いておけばいい
 などとあるが、それも叉面倒なことである。

 息子と娘は、何故か不思議なほど仲がいいし、妹は兄貴に何でも率直に言える関係だから、『まさか揉め事』になったりすることは、間違ってもないとは思うが、

私は何もせずに、『勝手にやれ』でいいのだろうか?

億の財産』がある訳ではないが、揉めているその殆どが『5000万円以下の普通の家庭』というから、ちょっとだけだが気になるのである。
息子とも、娘ともこんな話はしたこともないのだが、現金というか預金はそれこそ分割したらいいと思うのだが、問題は固定資産である

 『三木のこの家』は私自身は愛着もあるのだが、
 私たち夫婦の他には、『ここに住む』という人は今のところいない。
 いま、アメリカにいる娘一家も、将来日本に戻ってくる気があるのだろうか?

 もし、その気が少しでもあるなら、『この家は娘夫婦に上げたい』と思ったりしているのだが、そんなことも話したことがない。
 
 一般のご家庭で、私のような環境の方は沢山おられるのではと思ったりする。
 突然来た『ダイワハウスのダイレクトメール』で、思ったことを突然書いているのである。

 多分、息子も娘も、娘婿も、孫たちも このブログを読むとは思うが、
 今後何か話をする『きっかけ』にでもなればいいなと思っているのである。

 
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サッカーリーグの 『月間ベストゴール』投票

2019-08-11 08:20:37 | 発想$感想

★アメリカで孫の門野真也の所属しているリーグで、今7月の月間ベストゴールの投票が行われている。

 そのチームには7月末に3ヶ月のレンタル移籍になったばかりだが、7月末の週の『週間ベストゴール』に選ばれて、今度は7月の月間ベストゴールの投票なのである。



 こんな感じで、日本からでも投票できるのである。

 


 お蔭様でいま全体の39%を確保して、ダントツのトップなのである。

 
  


 私は結構真也のサッカーのゴールシーンは見ていて、中学生の時代からずっと得点には絡んできたし、大学の最終学年では得点王にもなったのだが、
 そんな数々のゴールの中でも、これは1,2を争うと言ってもいい素晴らしいゴールなので、この投票期間がいつまであるのか解らぬが、多分大丈夫『月間ベストゴール』に選ばれるだろうと期待している。


 日本からでもどなたでも投票できるので、
 私のツイッターにアップしたら、何人かの方が投票頂いて票が伸びたようである。

 ツイートした時は34%だったのだが、いまは39%までアップした。

  

 
そんなことでちょっと調子に乗って、このブログにもアップしてるのである。

 ひょっとしたら、またどなたかが投票してくださるかも知れない。
 動画をご覧になれば、『真也のゴール』の良さがお解りになると思う。
 
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Facebook の『いいね』 いろいろ

2019-08-11 06:18:22 | 発想$感想

★Facebookでも、ツイッターでも、『いいね』を推すシステムになっている。

 私のFacebook の投稿は原則gooのブログ雑感日記の転写だから、Facebookの投稿としては、至って長文だから『いいね』を下さる方も、全部読まれてからの『いい』は大変だろうなと思ったりする。

 長文でも沢山の『いいね』を頂けることもあるのだが、
 『いいね』を沢山貰おうと思ったら、むしろ写真中心の短いもののほうがいい。



そんなFacebookの『いいね』で、最近、ちょっと気になってることがある。

 先月日本に遊びに来てた、孫の哲也だが、

  


 

最近は私のFacebookの『いいね』の常連さんに交じって、
 Tetsuya Kadono の名前が並んでいることが多いのである。
 今まではそんなことは滅多になかったのである。


 
  

 
 
 哲也は3歳の時にアメリカに行って、日本語もそんなにちゃんと喋れなかったのだが、英語はまさにちんぷんかんぷんで、大いに苦労したようである。

 それが15年経った今は英語は母国語のように『ぺらぺら』で、日本語も喋るのはそんなに問題のないレベルだが、文章を読むのは苦手なようで、娘が好きなサッカーの本を買ってやっても、なかなか最後まで読破するのは大変なようである。

 それが結構長い私のFacebook に『いいね』をくれたりするのは、
 『ホントにちゃんと読んでの「いいね」かな』 と思ってしまうのである。

 


9月からは大学生で、ごく最近サッカー部の練習が始まって、寮生活が始まっているようだが、独り暮らしになって、『時間があり過ぎるのかな?』などと思ったりもしているのである。

 まあ、それでも日本人であることは間違いないのだから、日本語の文章もちゃんと読めたらいいなと、思っているのである。

 その勉強材料としては、私のブログぐらいが、そんなにムツカシイ言葉も使っていないし、適当かな?  と思っている。

 是非、このブログも、『哲也のこと』を書いてるので、是非『いいね』をお願いしたいものである。
 
 こんな字読めたのかな?

 常連   じょうれん

 滅多に  めったに

 読破   どくは


 

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旨い鰻

2019-08-10 06:03:55 | 発想$感想

★昨日の晩飯には『旨い鰻』を食った。

  

 
 正直、最近は鰻など食ったことがないのだが、この鰻は旨かった。

 息子の『古谷大治』の名前で我が家に送られてきたのだが、大治がそんなことをするわけがない。
 これは嫁の『のんちゃん』が送ってくれたのに間違いないのである。

 千葉県成田市の有名なうなぎ屋『川豊』のものである。
 ノンちゃんの実家は千葉県だから、成田山の有名なうなぎ屋のこともよく知っているのだろう。

 明治43年創業というから、もう100年を越えた老舗なのである。
 
  

 



有名店らしく、ネットで検索するといっぱい記事が並ぶ。
こんな別館もあるらしい。
  
       


★鰻など、あちこちに有名店があるが、
 それぞれ特徴があって、 どこの鰻も『旨い』と思う。

 戦後の食糧難の時代に育ったので、『何を食っても旨い』と思うのだが、日本の料理はそれぞれの店独特のものを持っていて、『世界で一番旨いモノ』が食えるのは日本ではないかなと思っている。

 この『川豊のうなぎ』も、関西の鰻とはちょっと違った独特のものを持っている。
 『鰻の味』としては生まれて初めて食った『独特の味』なのである。
 よく『どちらが旨いか?』などというが、そんなことを言うこと自体が間違っている。

 いろんな味があることが、いいのだと思う。
 多分、この味は忘れられないだろう。

 『ノンちゃん、ご馳走様でした。』

 
 
 
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続・金魚とメダカ

2019-08-09 06:55:40 | 発想$感想

★ 金魚とメダカで結構1日の何時間を過ごしている。

 ガレージの下をこんな小さな池にしている。
 金魚とメダカと小エビなどがいるのだが、

  

 
    今年もどうやら金魚は何匹かの仔どもを産んだようである。
 少なくとも3匹は見つけたから、10匹ぐらいは産んだのかも知れない。

 
    水は一応滝になって落ちてくるようになっている。
 


何故か新しい水を入れると金魚は活発に泳ぎだす。



 
 そんな姿をヨコに座ってみていると、時間の経つのも忘れてしまうのである。


 エビはこの時期何匹いるのか解らないほどの小エビを産む。
 柄杓でどこをスクっても10匹ほどの小エビが入るから、1000匹以上いることは間違いない。

 メダカも昨秋50匹ほど入れたので、何匹かは冬を越して元気なのだが、子どもを産んでるのかどうかはよく解らない。
 卵や産まれても金魚に食べられてしまうのかも知れない。



★ こちらが『メダカ』である。

 いま、鉢を3つ、バケツを二つ合計5つで飼っている。

   

 


 5つでというより、ごく最近5つになったというほうが正しい。

 こんな鉢に冬を越したクロメダカが5匹ほどいたのだが、6月初めに仔どもが2匹ほど生まれているのを発見、それからいろいろとやり出したのである。

 卵を産むメスは2匹いて、ちゃんと観察していたら、その2匹が毎朝腹に10~20個ほどの卵を抱いているのだが、午後には藻に産み付けてしまって、腹の卵は見えないのである。

 翌朝はまた同じように腹に卵を抱えていて『メダカは毎日卵を産む』というのは本当なのである。

  


 そんな多分卵がついているであろう藻をバケツの中に入れておくと、小さなメダカがいっぱい泳ぎだすのである。

 もう既に100匹ぐらいになったので、新しくたらいを買ってきて、この中に入れている。

  

 
バケツのなかには、小さなメダカが入っていて、毎朝それが増えるというか新たな仔どもが生まれるので、2週間ほどしたら大きなたらいのほうに移しているのである。

 気を付けて見ないと解らぬほど小さいのだが、6月に産まれてた仔どもは昨日から、腹に卵を抱くようになったのである。

 この調子なら、この秋までに何匹のメダカになるのかワカラナイのだが、
 これくらい『お金が増えたらいい』が『メダカが増える』のも結構楽しくて、
 1日に何時間も観ているものだから『熱中症』にならぬように気を付けてはいるのである。


  

  
 今バケツの中には、メダカもいっぱいだが、未だ卵のついた藻があるので、
 毎日その数は増えるのである。

 こんなバケツを2つ用意していて10日ぐらいで藻のローテーションをして、
 元の親のところに藻を返しておけば、また毎日新しい卵を産み続けるのである。


★こんなにいっぱい増えるはずなのに、池のメダカは一向に増えないのは、卵のうちに金魚に食われてしまっているのかも知れない。

 自然界はまさに「弱肉強食」それでもエビはアレだけ増えるのは『湧く』ほど卵を産むのだと思う。
 ずっと昔、明石公園の外堀一面が真っ白くなって、何かと思ったら『エビの大群』だったことがある。

 メダカも弱い魚だから、どんどん卵を産むのだと思う。

 何か今はメダカブームで、珍しいメダカは何十万もするらしいが、
私のメダカ』はそんなメダカではないが、
同じように『可愛い』と思って育てているのである。

 来年は何とか池で自然にメダカが増えないかなと思っている。
 『食われる以上の数』のメダカを入れたらいいはずである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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JNCC ご存じでしたか?

2019-08-08 06:02:47 | 発想$感想

★ 二輪の世界に色濃く関わってきた私だが、
 『JNCC』という言葉に初めて出会った。

先日、全英オープンで優勝した渋野日向子さんのことを書いて、ツイッターにも投信したら、GP spectater さんから、こんなメッセージを頂いたのである。
『父親の悟さんはJNCCにも出ているライダーだそうです。」
  

 

 
 その JNCC が解らなかったので、Googleで検索したら、
 こんなホームページが現われたのである。
  


その中にある JNCCの解説文の抜粋である。


JNCCとは Japan National Cross-Country の略で、モーターサイクルを用いたチュアライダーによる全日本MCクロスカントリー選手権です。 ・・・・

・・・・JNCCが開催する XC はクローズドされた丘陵地や森、そして時には岩地や湿地帯等 自然のフィールドをバイクで駆け抜けるという、多くのストレスを抱えた現代人に「明日の活力を与える」と言っても過言でない、ワクワクドキドキの冒険がちりばめられた、心躍る魅力に溢れた競技なのです。

・・・・XCは自然との共存と調和を常に念頭に置いています。 
使用する競技車両は厳しい排気ガス規制をクリアしているのでその排気は非常にクリーンであり、ありのままの自然の中を走るため競技開催の為に木々を伐採し消失させる事もありません。 
そして毎年確実に厳しくなっていく騒音規制にも厳格に対応し成長するこのXCは、正に社会との調和に配慮したモータースポーツと言えるでしょう。


★そんな競技に渋野日向子さんのお父さんは出ている二輪ライダーでもあるらしい。
渋野さんは一躍スターダムにのし上がって毎日のテレビにも出てくるし、
お母さんのニュースもいろいろあるのだが、

お父さんのお名前は、渋野悟さん。
年齢は51歳、岡山市の水道局員ですが、実は若い頃は砲丸投げと円盤投げの国体選手でした。
アスリートの血は父親から受け継いだのですね。
そんなお父さんの出身大学は、スポーツの名門・筑波大学。
お母さんとの馴れ初めも、大学の陸上競技部の先輩・後輩の間柄だったそうです。
 
とあった。


★ただ、今回は渋野一家の話ではなくて、
お父さんもやっておられるという JNCCの話 なのである。

 JNCCのホームページに載っていた写真の数々である。

 







 こんな写真を見て、
私は1960年代のMCFAJの富士山麓朝霧高原伊豆丸の山高原での全日本モトクロスを想いだした。
当時は常設コースではなくて、大自然の中でのモトクロスだった。

 今も未だこんなに各地で開催されているようである。


 
 日本には未だこんな美しい自然がいっぱいだし、
そんな中を『二輪を愛する』若者たちが、それもアマチュアの人たちが走るというコンセプトが素晴らしい。

 『情報は発信するところに集まる』という。
 この『JNCC』という私にとっての新しい情報は、
二輪のレースが好き、ただただ好き、それだけです」と言われる 
GP spectater さんから頂いたものである。
 

 GP spectaterさん、ホントにありがとうございました。


   

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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『ネパールのテコンドーチーム』 の 三木合宿

2019-08-07 06:29:11 | 発想$感想

★パラリンピックにテコンドー競技が取り入れられているようである。
 
 テコンドーそのものをよく解ってはいないのだが、韓国発祥の競技で、空手と似ているぐらいの理解しかないのだが、

来年のパラリンピックに出場する『ネパールのテコンドーチーム』が
三木山総合公園にある総合体育館で合宿をするということは以前から知っていた。

 それが昨日から8月10日まで行われるというのである。

   


昨日、ジムに行ったら『9時半からネパールのテコンドウの合宿がありますよ
とこんな団扇を頂いたのである。



     



 いつもランニングしている体育館でそれは行われるというので、
 練習のスタートから30分ほどを観てきたのである。

 それをこんな動画に1分間に纏めてあるので、まずはご覧ください。


 
 

 


★ネパールから来られたこんなチームを地元の三木で応援しているのは、
 NPO Laliguras というNPO法人の方たちで、
   こんなTシャツや


   
 

 こんなチラシを作って応援しているのである。
   

 
    こんなNPO法人で、理事長の方は 水場あけみさん と仰るのだが、
    私は全く忘れていたが、
 『新井けんじさんの緑が丘夏祭りでお会いした』 と仰るのである。

  


 そのネーミングの『ラリグラス』とは

 『ラリグラスとはネパール語でシャクナゲのことで、
 特に赤いラリグラスはネパールの国花ともなっている』 

 元々、ネパールとは関係があっての応援のようである。

 写真は練習スタートの時点だが、
 左側が選手たち、右側の真ん中が水場さんなのである。

 
 
  



★ 三木市の教育委員会のスポーツ課の方も来られていたし、 
  NPO法人ラリグラス理事長の水場あけみさんは、新井謙治さんとも繋がってる    ようだし、私とも面識があるとも仰るので、

 『ネットでも応援しますよ』と言ったので、こんなブログをアップしているのである。 

ところでパラリンピックに出場する3人の選手のうちお二人は15歳の若さで、
特に女性のパレシャさんは、『メダルも有望とか言っていた。

  

 そんな彼女の練習風景がいっぱい入っているので、
 15歳のそんな彼女、もう一度動画で是非、ご覧になって下さい。 


 未だ10日までいるそうだから、また何かあれば改めてご報告してみたい。

  

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渋野日向子 全英オープン優勝

2019-08-06 06:36:00 | 発想$感想

★『しぶのひなこ』と読むらしい。

 まずは優勝おめでとう。

    
    


 正直、今まで知らなかった選手である。
 最終日をトップで迎えたというので、テレビで実況を見ることにした。


  

 
夜の11時の放送スタートなので、7時ごろから一度寝て11時前に起きて、テレビを観ていたのだが、

トップで2打差を持ってのスタートだったが、3番でまさかのダボ、さらに8番でも寄せを失敗してのボギーで、
後ろから追っかけてきたアメリカのサラスに2打差もつけられたし、同スコアで並んだ選手たちはみんな世界のトップクラスばかりなので、
これはもう優勝はダメかな』と後半10番までは観たのだが、そのあとは寝てしまったのである。
   

 
朝起きて、結果を見たら
 『まさかの優勝

 メデイアの取り上げ方も、非常に好意的なのは、彼女のプレーぶりを見ているとよく解る。
 樋口久子さんにつぐ日本人二人目の『メジャー優勝者』の貫禄みたいなものは全然なくて、誰にでも好かれるタイプなのである。


   

 『スマイリング・シンデレラ
 コースで見せる『スマイル』も、観衆と気軽にかわす『ハイタッチ』も、なかなかよかったのである。

    
★テレビの画面から撮った写真である。

 常に淡々とプレーしていたし、特にドライバーの思い切りがいいし、びっくりするほど、よく飛ぶのである。

    




 日本でも一躍スターになるのだろう。

 確か昨年デビューした新人なのである。

 日本のスポーツ選手、ホントに世界レベルでの活躍は素晴らしい。


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 Kawasaki の耐久レース   雑感

2019-08-05 06:36:35 | M/Cレース

★ 二輪車新聞は今回は鈴鹿8時間耐久特集号だった。
 一面のトップをKawasaki が飾っている。

  


 1993年の優勝から実に26年ぶりの鈴鹿8耐・優勝で何かやっとカワサキも耐久レースで『一人前』になったというような感じもあるのだが、

 今年も世界耐久レースでは『カワサキフランス』が2018-2019の年間王者に輝いていて、ずっと以前から耐久レースの世界では、カワサキは確固たる地位を築いていたのだが、何故か鈴鹿だけが勝てなかったのである。



 1990年代から、『ル・マン24時間耐久常勝チーム』であった『カワサキ・フランス』だったのだが、何故か『高速耐久の鈴鹿』だけは制覇できなかったのである。
 
 カワサキ・フランス・チームを立ち上げた当時カワサキフランス社長だった遠藤治さんは、今回のカワサキの8耐優勝の私のFBの記事にこんなコメントを寄せて下さっているのである。

kawasaki Franceが、耐久世界チャンプになっても、スズカで勝てないばかりに、日本では、オールカワサキとして、盛り上がらなかつたこと、欲求不満の世界チャンプだつたこと、些か苦い思い出でした

 確かに、ホントに無敵を誇ったカワサキ・フランスをしても、鈴鹿を制することは出来なかったし、周囲が期待するので、当事者としては余計に『苦い想い出』になるのかも知れない。

 同じ耐久レースでも、8時間と24時間では全然その性格は異なるのだろう。


★振り返ってみると、カワサキは元来『耐久レース』にはいろいろご縁があり、
 カワサキが正規にロードレースに進出し、カワサキとして大槻幸雄さんが監督、田崎雅元助監督という初めての監督を指定してレースに臨んだのは、1965年6月の鈴鹿アマチュア6時間耐久レースだし、このレースで初めて金谷秀夫が歳森康師とのコンビでレースデビューしているのである。

 1990年代の鈴鹿も、4時間・6時間耐久はカワサキが常勝と言ってもいいほど優勝しているのだが、8耐は93年にラッセル/スライト組での優勝はあったが、それ以降は26年間も優勝できなかったのである。

 そういう意味で、今年の優勝はホントによかったと思っている。

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