雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ヤフーの 意識調査  雑感

2019-08-04 04:54:54 | 発想$感想

★ ヤフーの意識調査は、結構見ている。

 世の中の人たちの考え方がよく解ってオモシロい。
 
● 今年のボーナスが上がったのか下がったのか?
 前回も同じような比率の回答率だったと思うが、
 『ボーナス自体がない』が45%もあってびっくりしたが、世の中はサラリーマンばかりではないのである。
自分自身が年金生活者で『ボーナス自体がない』層なのに、それを感じていないのである。
 
 然し、約半分はボーナスを貰っているサラリーマンだということか。
 日本独特かも知れぬが、『ボーナス』は大いに助かったのである。

 



● 今も尚続いている『吉本興行問題

 吉本興業社長の会見には『納得いかない』人たちが殆どだが、
 今の吉本興業の経営環境なら、どんな社長さんが出てきても、なかなか『納得いく内容』にはならなかっただろう。

 吉本興業自体が、今の経営環境を改善すべきなのかな?
 と思っている。

 一言で言えば『旧い』のかな?
 昔は通っても、今の時代にはなかなかムツカシクなってしまったのだろう。

 

 



● これはスポーツの世界である。

 『佐々木投手が優勝戦に投げなかった』のは私は納得できなかったし、
 張本さんや、かっての優勝監督など、旧い人たちは、『納得できない』が主流を占めたのだが、

 『75%もの人が納得』というのは、まさにびっくりだった。

 こんな問題は、背景にいろいろな問題も含んでいて、一概にどちらが正しいのかは、その人の考え方なのだろうが、やはり『世の中は変わったな』と思った。

 『夏の甲子園大会』自体がいろんな問題を含み過ぎている。
 『夏祭り』 が熱中症を恐れて、あちこちで中止になっている。
 今の甲子園大会は、地方を代表する野球を愛する少年たち大会だったはずだが、このままだと『全国の野球学校の大会』になってしまう。
 一般の若人たちが『青春の一瞬を野球に』というような純粋さに欠けている。
 『将来のプロを目指すには』 確かに故障は問題なのである。
 然し甲子園は、プロを目指す人たちだけの大会ではあって欲しくないのである。

 こんなことを言うので『老害』と言われてしまうのかも知れない。
 でも、私は今でも、『優勝戦、佐々木投手に投げて欲しかった』と思っている。
 

 




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親ばか  爺馬鹿   雑感

2019-08-03 06:04:14 | 発想$感想

★世に『親ばか』とはよく言われる。

 曰く


正式には子煩悩という。

親が自分の子どもに対して愛着を示すのは至極当然であるが、その度を超した状況を親バカという。
如かしながらどこまでが普通でどこからが親バカか、という明確な線引きは難しい。


何度もこのブログで、孫たちのことを取り上げているので、
既に普通の『爺馬鹿』のレベルには達していると思うのだが、
 
今春、孫の一人がアメリカでサッカーのプロになった。
未だ、トップチームでバリバリの活躍には至っていないのだが、
それでも『プロ』にはビックリなのである。

アメリカでは『プロの新人のレベルの情報』でもネットの中にビックリするほど大量に拡散されるので、そんな『ネット情報』を黙って見ているのは、なかなかムツカシクて、シェアして紹介しようと思うのは、人情である。

 
★今年プロになった 孫の門野真也が、ごく最近、別のチームにフォワードの助っ人として、3ヶ月の『レンタル移』になったのだが、そんな新人の情報も結構詳しく発信されるのである。

その移籍第1戦に後半残り10分で0-1で負けてるときに投入されて、すぐに『同点ゴール』を記録したというのがニュースになった。

それはこんなゴールだが、 確かに間違いなく、素晴らしいゴールなのである。 
その得点シーンの動画、是非クリックを・・・・

 


そこから先がアメリカ独特のシステムで、
毎週の試合から『3つのゴール』を選んで、ネット上でどれが一番だったか、投票が行われるのだが、その一つに選ばれていたのである。

 


 
そんなことになると、親としては放っておけないのだろう。
娘婿も娘もFacebook上で、『是非一票を』と周囲に応援依頼していたのである。

その結果、お蔭様で,
今週の Goal of the WeekのWinnerに選ばれたらしい。

 


 


 そんなことで、私もそれをシェアして、ブログにアップしているのである。


 真ん中の後ろの方の黄色いシューズが門野真也だが、
 そこから前のスペースに走り込んで、左前にいるウィングからのパスを


  
 
二人のデフェンスに挟まれながら
そのままゴール右隅に正確蹴り込んでいるのである。

 



★大学では得点王にもなった真也だが、
 プロの世界では記念すべき第1号の得点が
 Goal of The Week のWinner に選ばれてよかったなと思っている。

 1年後には、2年目の契約更新となっていくのだろうか?

 
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最近の日常生活

2019-08-02 06:46:36 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 今年になって、何となく毎日の生活が『落ちついてきた』ような気がする。
 
 別の言い方をするなら、
 『1日は24時間だが、その殆どを自分の意思通りに使えるようになった
 とでも言えるのかなと思っている。

 それが『いいのか? 悪いのか?』は今のところ自分ではよく解らない。
 『ひと(他人)とお付き合いをする』のも決して嫌いではないのだが、

 『一人でいて退屈する』ことは滅多にない。 
 『何かをする』ことを見つけるのは、得意なほうだと言っていい。


 今日から8月、木曜日である。 
 1週間のうち『木曜日は一番予定がない日』だと言っていい。 
 2年前から始めている体育館のジムが毎週休みなのである。


★1週間のうち5日ほど、ジムに通っている。
 
 毎朝8時10分に家を出て、筋トレ・ランニング・水泳のフルコースの時は11時まで、水泳をやらぬ時は10時半までは、家にいないので、粗っぽく言えば『半日は潰れる』訳である。


 運動をするとこんな効果があるという。



 

 私がやってる運動は、高齢者としては、時間も実質2時間と長いし、50メートルダッシュなどを含めて、結構高いレベルだが、毎日ジムに来ている高齢者の仲間から見るとそんなにきつくもないと思っている。
80歳近い人がフルマラソンに出るというし、毎日10キロ近く走ってる人もいる。
そんな周囲の人を見て『負けないように』頑張っているだけである。

 記事を読むとこのように書かれている。
 
加齢によって筋肉量、筋力、身体機能の低下がみられることをサルコペニア(加齢性筋肉減弱症)といいます。
また、「筋力の低下、活動量の低下、歩行速度の低下、易疲労性、体重減少」のうち、3つ以上該当する場合をフレイルといいます。

 これは大丈夫だと思っている。
  『フレイル』の中に体重減少という項目があったのにはびっくりした。
 そしてこのように続いている。
 
そのため、高齢期には適切な運動を行い、筋肉量の増大や筋力強化、歩行能力や身体機能の向上を図ることはサルコペニアやフレイルを予防し、高齢者の健康寿命を延ばすことにつながるのです。
 


★午後からはパソコンの前に座っている時間も長いのだが、Facebook やTwitterの情報を見たり、毎日のブログのアップなど、時間が余れば『パンダ碁』を打つから退屈など一切しない。 最近 Instagram はなぜか消されてしまって出来なくなってしまったが、あまり気にはしていない。その時間がTwitterのほうに流れただけである。

 Googleでの検索も結構やる。
世の中のニュースなどちょっと気になることがあれば、Googleでさらに詳しく調べたりする。

今日・木曜に、ネットで見ていたものの中にこんなのがあった。

 日本人の平均寿命がまた延びたというのだが、年齢ごとの『平均余命』が出ていた。

 

 85歳の男性はあと6年程は生きるというから、私も90歳は迎えられるかも?
 と思ったりしている。

 
★それにしても8月に入って暑いなと思ったら、あと半月の予報が出ていた。

 

  
 やはりこの1週間が一番暑そうなのである。
 エアコンを掛けているのに、今部屋の室温は29.1度である。

 

このブログを書くのに、いろんなデーターを Googleで集めたり表を切り取ったりすると、ちょっと時間もかかるのだが、会社で『レポート』を纏めているようなもので、自分としては『結構楽しい時間』だし『時間つぶし』にもなっている。

 

このgooのブログには、こんなリアクション機能がついていて、単なる『いいね』だけではなしに、『役立った』『応援』などと読者の方からの評価が入ったりするので、それがまた励みにもなったりするのである。



 
  これがいま 入ってる評価で『役立った』が二つあるのがいい。

         


 いろいろやってたら、4時になった。
 今から『パンダ碁』でも打ち、メダカを眺めて、風呂に入ったら、

 阪神ー中日が始まる。 
 この3連戦なかなかオモシロい。
 一昨日は阪神を、昨日は市立西宮出身の新人が投げてたので、中日を応援してたのだが、今夜は藤浪が投げるそうだから阪神が勝てばいいなと思っている。

 その程度の『いい加減な阪神ファン』なのである。



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 カワサキの変遷 西明石地区の変遷

2019-08-01 06:15:04 | 発想$感想

★カワサキの二輪事業は川崎重工業の明石工場がそのベースである。
 
 明石の西、所謂『西明石』にあるのだが、

 私が入社したころ(昭和32年)の川﨑航空機工業はこんな感じだったのである。

 昭和31年のこんな珍しい航空写真を、Facebook でたまたま繋がっている
 宇野健一さん がほかの写真と共に、わざわざ送って下さったのである。

 これは貴重な写真だと思う。
 多分、こんな写真は会社にもないのではと思うし、
 私自身こんな時代の写真を見るのは初めてことなのである。

  

 
 
 昭和31年ごろとあるから私が入社した当時の写真である。

 財産課に配属されたので、入社早々課長に連れられて会社の土地を見に回ったことがあるのだが、西の方(この写真では上の方)は実際のところ行ってみてもよく解らなかったぐらい広かったのである。
40万坪以上あったと言われていたから、現在の3倍ぐらいの広さだったのである。
 
 戦時中の工場は全て爆撃で完全に破壊されていて、通称3研と呼ばれていた総合事務所(写真の下から二つ目)とずっと上にあるエンジンの運転場が戦前の建物としては、残ったくらいなのである。


ほかの建物は、昭和27年の会社再開以降に新しく建てられたものである。
一番下が 歯車工場(四角い建物)で、総合事務所の向う側が、当時東洋で唯一の米軍のジェットエンジンのオーバーホール工場、その向こうの屋根にマークの入っている建物はヘリコプターの格納庫である。

 当時は、会社の経営自体が非常に厳しくて、爆撃でやられた工場の鉄骨や、戦前の旧い機械を売ってたり、それではとても足りなくて、40万坪の土地を売り食いして、繋いでいたのである。

その後昭和35年に、新しく単車事業をスタートさせたのだが、
この時点では未だその計画すらなかった時代なのである。


 これがほぼ現在の写真だと思うので、60年も経つと世の中は変わるものである。
  

  

★まずは、カワサキの当時の明石工場の話から入ったのだが、
宇野健一さんが言ってこられた本筋は、
 当時の西明石のまちや、西明石駅の話なのである。

今は西明石駅は新幹線も止まる立派な駅なのだが、私が入社したころの昭和32年当時は未だ明石駅から西明石駅は分線になっていた支線の終点で、姫路に行くには一度明石に戻って、もう一度山陽本線に乗り換えないと行けなかったのである。

西明石駅の歴史を調べてみたら
 
● 1930年(昭和5年)「明石操車場」として開設、1944年(昭和19年) 4月1日 「西明石駅」となるのだが、当時は川崎航空機社員専用として駅舎があったのみ 
 
 戦後1946年(昭和21年)4月に一般旅客用の駅として開業 

● 1961年(昭和36年)6月 - 橋上駅舎の使用を開始 

 1972年(昭和47年)3月 - 山陽新幹線の新幹線の駅として西明石駅が開業



★ 以上のように、西明石駅は、当初は川崎航空機の社員専用駅としてスタートし、戦後は一般にも公開されるのだが、

宇野健一さんは当時から、西明石に住んでおられて、この西明石の町や西明石駅の変遷を近くでご覧になってこられて、いろんな想い出もお持ちなのである。

 私はそんなに詳しくは覚えていないのだが、入社当時は明石から西明石まで電車で通っていたし、この一番下の写真の橋は、確か今も残っている陸橋で、この橋を渡り切ったところに明石工場の西門の入口があったのである。

多分昭和36年頃だと思うが、私もこの橋を渡って通勤した記憶もあるような気がするのである。




 
 
 写真に添えて、宇野健一さんは、こんな文章を添えて頂いている。  

 
私は今から65年前の1954年、三木町から引っ越してきました。 
まだ西明石は田舎で、駅の南側が中心で望海中学をはさんで川崎航空機と国鉄官舎がおおきなところ、我々の西明石町は当時、花園町で住所は和坂(かにがさか)と言われていました。 中学生でしたが神戸の生田中学に入学、省線電車で通学していました。高校は明石高校に入り、自転車通学に変わりました。 
そのころの西明石駅はまだ、川崎のために出来た引っ込み線で、西明石が終点、山陽本線の電化以降、そして新幹線の駅ができるとなって大きく様変わりがしました。
 神戸大学に入ってからは教養課程が姫路分校であり、明石駅まで普通電車に乗って、姫路方面の汽車に乗り換えるという時代が続きました。
懐かしい思い出です。 
そのころは、川崎は航空機でジェットエンジンのテストとかなんといって、一日中モノすごい騒音で悩まされました。

 確かに、ここに書かれている通りで、当時のジェットエンジンの運転はすさまじかったのである。 
それが許されていた昔の出来事なのである。

 文中にある和坂は、確かにその通りで、『かにがさか』と呼んでいた。
今の明石工場の正規の住所は 明石市川崎町1-1 なのだが、昔は『和坂1-1』だったような気がする。
 
 その読み方も今はその字の通り『わさか』と言われているらしいが、昔の明石の人も私自身も 和坂を『かにがさか』 と読んでいたのである。

 
Googleで調べたら、こんな風に出てくるのである。
  


 宇野さん、いろいろとありがとうございました。
 
こんな貴重な写真は、間違いなく川崎重工業の現役諸君も、初めてだと思います。西明石駅が川崎航空機の社員の専用駅だったことなども、
それが明石駅からの分線だったことなども、ご存知なかったのでは。







コメント (2)
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