林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗12.

2025-01-22 | 鉄道・旅行

 12.東急池上線洗足池と石川台の駅取材

昼食を喰うためにいったん鎌田まで行ったため、
上り列車で取材済みの長原のひとつ手前、洗足池まで行く。

東急洗足池路駅は相対式2面2線の高架ホームを有する池上線の駅である。
1番線は下り蒲田方面、2番線は上り五反田方面が使用する。

1927年8月28日に雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)から、
桐ヶ谷(現・廃止)まで延伸時、同時に開業した。

駅名は中原街道を挟んだ北側に位置する洗足池に由来する。
洗足池は湧水池であり、4箇所の湧き水により出来たと云われている。
この地は古くは“千束”と呼ばれていて、
それがこの池の由来となっているようである。

洗足池まで行って取材してから駅に戻り、
隣の石川台まで行く。

東急石川台駅は相対式2面2線の地上ホームを有する池上線の駅である。
1番線は下り蒲田方面、2番線は上り五反田方面が使用する。
上下線で駅舎は独立していて、それぞれ改札があり、
改札内の移動は不可能である。

1927年8月28日に雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)から、
桐ヶ谷(現・廃止)まで延伸時、同時に開業した。
開業時の駅名は“石川”だったが、
翌年の1928年4月13日に“石川台”に変更された。
駅名は開業時の駅所在地である荏原郡池上村大字雪ヶ谷字石川に由来する。
この付近を流れる呑川はでは古くから「石川(石川原)」と呼ばれていて、
その「石川」がそのまま地名や駅名になったとも云われている。

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗11.

2025-01-21 | 鉄道・旅行

 11.蒲田の昼食と1000系「きになる電車」

長原からそのまま蒲田まで来て、ここで昼食を喰うことにした。
蒲田はJRと東急が駅を設置しているが、駅ビルは独立している。

東急蒲田駅と並ぶ「グランデュオ蒲田西館」。
蒲田を駅取材したのは2002年8月15日で、
今から22年前には西口の駅ビルは「西館サンカマタ」という駅ビルだった。

 ※西館サンカマタ
 ※撮影日時 2002/08/15 15:48:37

当時からJRの発車ベルは蒲田行進曲のテーマだった。

東急の方は当時から東急ストア蒲田店の中にあり、変わっていない。
池上線と多摩川線のホームが並んでいた。

当時の東急蒲田駅のホームの様子。
ホームに停車しているのは7700系で、
1987年から営業開始した通勤形車両である。
7700系は1962年から運用を開始した7000系の改造車である。
7000系は冷房設備がなく、電装品や内装の老朽化などが進んでいたが、
一方で車体はステンレス製で腐食などもなく、
強度的にも問題がないことから、これを流用し、
台車や電装品など総取り換えし、内装もリニューアルした。
7000系と区別するために赤い帯が着けられている。

東急蒲田駅を出てJR蒲田駅西口を横目に見ながら、
蒲田駅前をいろいろと回ってみて、
「麺屋なおと」というラーメン専門店を見つけ、
ここに入店して醤油らぁ麺950円を喰う。

昼食を喰って再び東急蒲田駅に入場する。
池上線のホームには旗の台で見かけた黄色と紺のツートン車両を見つけた。
この時は情報がなかったが、家に帰って調べてみると、
これは1000系107編成を2016年3月18日に、
デハ3450形が纏っていた旧東急電鉄標準色を復活させたもので、
戸越銀座駅木になる駅プロジェクトの一環として、
車内の吊革を木製に変更している。
この車両も「きになる電車」と名付けられた。
たぶん“木”と“黄”を掛けているのだろう。
側面にはとかつての東急を意味した“T.K.K.”の表示もある。
この車両を十分に取材して、ここから再び池上線の駅取材を遂行していく。

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗10.

2025-01-20 | 鉄道・旅行

 10.東急池上線長原と蒲田の駅取材

大崎広小路で駅取材して、今度は1番線ホームに行く。
ここで7000系に乗って長原を目指す。

大崎広小路の隣の五反田は既に取材済みなので、
今度は下り方面の旗の台の隣の長原に行く。

長原駅は相対式2面2線の地下ホームを有する池上線の駅である。
1番線は下り蒲田方面、2番線は上り五反田方面が使用する。

長原駅が出来たのは1927年8月28日に、
雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)から、
桐ヶ谷(現廃止)まで延伸した時に同時に開業した。
駅名は開業当時の所在地の荏原郡馬込村字長原に由来するが、
開設前の予定では“馬込”であったが、
のちに“長原”の仮称が付けられ、正式に採用された。

開業時は地上ホームだったが、近接する環七通りの踏切解消のため、
1965年12月1日より地下化工事が開始され、
1968年6月9日に上下線ともに地下化され、
1973年11月30日に地下化工事は完了した。

長原で駅取材が完了したのは10:48a.m.で、
そろそろ昼食の時間だったためにこの先の取材は午後に廻し、
10:50蒲田行きに乗り込み、終点まで行く。

東急蒲田駅は頭端式5面4線の高架ホームを有する。
池上線と東急多摩川線が2線ずつ使用する。
各線路の両端にホームが接する形で設置され、
片側を降車ホームとして使用することで、
スムーズに乗り換えが出来る構造になっている。
1番線、2番線は池上線が使用、
3番線、4番線は東急多摩川線が使用する。
JR蒲田駅に隣接して建っている東急ストア蒲田店の、
2階部分にホームが設置されている。

蒲田に最初に駅を造ったのは国鉄(現・JR東日本)で、
1904年4月11日に東海道本線の駅が開設された。
現在の池上線にあたる池上電気鉄道が、
蒲田に駅を設置したのは1922年10月6日で、
当時から乗降分離を採用し、相対式2面2線で設置されていた。
翌年の1923年11月1日には目黒蒲田電鉄が、
目蒲線(現・東急多摩川線)が1面2線のホームを設置する。

東急は1918年9月2日に設立された田園都市を祖として、
1922年9月2日に同社の鉄道部門を分離独立させたのが目黒蒲田電鉄である。
同年10月2日には五島慶太氏が専務取締役に就任した。
五島慶太氏は武蔵野電気鉄道取締役と兼任していて、
武蔵野電気鉄道は1924年10月25日に社名を東京横浜電鉄に変更し、
1934年10月1日に目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道を合併、
1939年10月1日に目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄を吸収合併し、
同年10月16日に目黒蒲田電鉄は東京横浜電鉄に社名を変更した。
五島慶太氏は小田急電鉄、京浜電気鉄道などの社長に就任し、
1942年5月1日に東京横浜電鉄に小田急、京急を合併、
社名を東京急行電鉄に変更した。
1944年5月31日には京王電気軌道を合併、
戦後の1948年6月1日に小田急、京急、京王などが分離され、
現在の形になった。
目蒲線は2000年8月6日に目蒲線は目黒から武蔵小杉を目黒線、
多摩川から蒲田を東急多摩川線に系統分離された。

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗9.

2025-01-17 | 鉄道・旅行

 9.東急池上線荏原中延と大崎広小路の駅取材

旗の台で五反田方面の2番線ホームに行き、
謎の塗色の1000系に乗り込み、隣の荏原中延まで行く。

東急荏原中延駅は相対式2面2線の地下ホームを有する池上線の駅である。
1番線は下り蒲田方面、2番線は上り五反田方面が使用する。

開業は雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)から桐ヶ谷(現・廃止)までの延伸と同時で、
開業当時は地上駅だったが、1979年12月1日から連続立体交差事業が開始、
戸越銀座から旗の台の間を半地下化するもので、
1989年3月19日に地下ホームが使用開始された。

駅名は開業当時の所在地名の荏原郡荏原町大字中延に由来する。
町名の“荏原”と大字の“中延”を複合させて命名されたが、
一説によると池上電気鉄道と当時ライバル関係にあった目黒蒲田電鉄との因縁で、
当初は駅名を“中延”にする予定だったが、
目黒蒲田電鉄(現・大井町線)が先に“荏原町”と“中延”駅を開設したため、
それに対抗して“荏原中延”と名付けたとされる。

このあと2番線から2つ先の大崎広小路まで行く。
隣の戸越銀座は2020年11月8日に取材済みだ。

東急大崎広小路駅は島式1面2線の高架ホームを有する池上線の駅である。
1番線は下り蒲田方面、2番線は上り五反田方面が使用する。

駅所在地は東京都品川区大崎四丁目で、
駅前を走る山手通りの大通りを意味する広小路と合わせて命名された。
昭和中期には廃止された桐ヶ谷を復帰させて、
桐ヶ谷から大崎広小路を含む五反田までを廃止し、
泉岳寺線として桐ヶ谷から泉岳寺までを敷設、
都営三田線と相互直通運転する構想があった。
しかしこの計画は東急が半蔵門線との相互直通することとなり、
中止された。

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗8.

2025-01-16 | 鉄道・旅行

 8.東急目黒線奥沢の駅取材と池上線への乗り換え

元住吉で駅取材して、09:24発の各駅停車浦和美園行に乗り込んだ。
次の取材先は5つ先の奥沢で、9分の乗車だった。

東急奥沢駅は、相対式2面2線の地上ホームを有する目黒線の駅である。
画像は北口で、南口とは駅舎が独立し、連絡通路が設置されている。
南口駅舎には1番線ホームが隣接して下り日吉方面が使用、
北口駅舎には3番線ホームが隣接して登り目黒方面が使用する。
1番線と3番線の間に上り方面の通過線がある。
奥沢に駅が出来たのは1923年3月11日に、
目黒から丸子(現・沼部)の区間が開通したのと同時に開業した。
かつてはたんしき1面1線と島式1面2線の計2面3線構造で、
単式ホームが現在の南口に隣接する1番線下りに相当する。
上りは主に島式ホームの2番線を使用し、
3番線は日吉方面が行き止まりになっていて、
奥沢の始発終着の列車のみが使用していた。
2022年2月26日に北口新駅舎と跨線橋が使用開始された。
2番線に相当する通過線が開始されたのは同年3月12日からである。
開業当時の駅所在地は荏原郡玉川村大字奥沢で、
「奥沢」とは「呑川の下流地方から見て奥深い沢地」の意である。
この付近を流れる呑川の支流の九品仏川(古くは丑川)流域を区別して、
「奥深い沢」の意でこの地名になったという。

目黒線での取材予定は元住吉、新丸子、奥沢、洗足、西小山で、
西小山から徒歩3分、143mの距離にある「西洋料理杉山亭」で昼食を喰うことにしている。
しかし奥沢で駅取材が完了したのは9:43a.m.で、
あと2駅で開店の11:00a.m.には時間が余りすぎる。
そこでここでの昼食は断念して池上線での駅取材を先行させることにした。
昼食は池上線沿線で探すことにしよう。

奥沢09:48発の各駅停車西高島平行で隣の大岡山まで行く。
ここで大井町線に乗り換え、2つ先の旗の台まで行く。

ここは池上線との乗換駅で、この駅は2013年5月5日に取材済みで、
ここ以外の大崎広小路、荏原中延、長原、洗足池、石川台、
雪が谷大塚、御嶽山、久が原、千鳥町、池上、蓮沼、蒲田を取材していく。

旗の台で池上線に乗り換えた時にやってきた車両が、
紺と黄色のツートンで、見たこともない塗色だった。

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗7.

2025-01-15 | 鉄道・旅行

 7.東急目黒線新丸子と元住吉の駅取材

新横浜をSuicaで出場し、東急ワンデーパスで再入場してホームに降り、
やってきた急行和光市行きに乗り込む。
この列車は日吉から東急東横線に直通し、
渋谷から東京メトロ副都心線に直通して和光市まで行く。
神奈川県から埼玉県まで1都2県を直通する。
ただ、この列車は取材予定の新丸子には停車しない。
そこで武蔵小杉で下車して各駅停車に乗り換えて新丸子まで行く。

東急新丸子駅は、島式2面4線の高架ホームを有する、
東横線及び目黒線の駅である。
2系統とも別路線として重複している区間に位置している。
方面別ホームを採用しており、
1番線は東横線下り、2番線は目黒線下り、
3番線は目黒線上り、4番線は東横線上りが使用する。
画像は東口で、高架下に駅機能が集約されている。

東急電鉄は渋沢栄一らによって1918年9月2日に設立された、
宅地開発の田園都市株式会社の鉄道部門が、
1922年7月22日に独立して目黒蒲田電鉄を祖とする。
東横線は1910年6月22日に設立された武蔵電気鉄道が免許を取得、
武蔵電気鉄道は1924年10月25日に目黒蒲田電鉄の傘下に入り、
この時に社名を東京横浜電鉄に改称した。
東京横浜電鉄によって1926年2月14日に神奈川線の路線名で、
丸子多摩川(現・多摩川)から神奈川(現・廃止)の区間が開業した。
新丸子もこの時に開業した。

開業時は地上ホームだったが、1985年7月31日に下り線が高架化、
1986年9月17日には上り線が高架化された。
開業時は東横線のみの路線だったが、
2000年8月6日に目黒線の運行が開始された。
駅設置当時の所在地は橘樹郡中原町大字上丸子であったが、
目蒲線(現・東急多摩川線)丸子(現・沼部)があったため、
混合を避けるために新丸子になったと云われている。

新丸子で駅取材後、急行に乗車したために飛ばしてしまった、
元住吉を目指して09:01発の元町・中華街行に乗り込む。

東急元住吉駅は、島式2面4線の高架ホームを有する、
東横線及び目黒線の駅である。
2系統とも別路線として重複している区間に位置している。
方面別ホームを採用しており、
2番線は東横線下り、3番線は目黒線下り、
4番線は目黒線上り、5番線は東横線上りが使用する。
上下線の外側にホームのない通過線があり、
正確には2面6線構造となっている。
そのため、1番線と6番線はホームはないが付番されている。
東急新横浜線や相鉄線から直通する列車は目黒線のみ発着し、
東横線は元住吉は通過する。

ホームは2階、改札は3階に設置されている。
元住吉も1926年2月14日に丸子多摩川(現・多摩川)から、
神奈川(現・廃止)の区間が開通したのと同時に開業した。

駅所在地は神奈川県川崎市中原区木月一丁目だが、
かつてこの辺りは橘樹郡住吉村であった。
駅開業直前の1925年に住吉村は中原町に合併されたため、
地元の要請もあり、駅名に“住吉”を残すこととして、「元住吉」となった。

通過する都営三田線6500系を後追い撮影する。
2022年5月14日から運用開始された新型車両で、
6300系と比べると四角さが目立つ。

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗6.

2025-01-14 | 鉄道・旅行

 6.新横浜の朝食と羽沢横浜国大への往復

JR武蔵小杉駅は南武線の駅として1927年11月1日に開業した。
現在の横須賀線は貨物専用の品鶴線として敷設されたが、
のちに横須賀線に流用された経緯があり、
そのため長らく南武線とは接続しておらず、
横須賀線には駅は設置されていなかった。
川崎市などの要望もあり、
2010年3月13日に横須賀線にホームが設置された。
武蔵小杉には東急にも駅があり、
戦時中の1945年6月16日に南武線と東急東横線との交差部に、
東急電鉄が臨時駅を設置したのに始まり、戦後の1947年1月1日に、
東急東横線の武蔵小杉が一般旅客駅に格上げとなった。
2000年8月6日に東急目黒線が開業、
複々線化され東急のホームが1面2線から2面4線になる。
貨物線だった横須賀線は旅客線の武蔵小杉駅に乗り入れは想定されておらず、
そのため同一駅でありながら、約250m離れており、
動く歩道などが設置されている。

横須賀線のホームには新南改札があるが、
南武線への通路上には網島改札改札もあり、
東海道新幹線の下を地下通路を通って南武線のホームに至る。
南武線ホームを突っ切り、北改札口から東急東横線の改札に向かう。

東急武蔵小杉駅の券売機で、東急ワンデーパス780円を購入し、
この切符で改札を入場、予定より早い06:53発の新横浜行きに乗り込んだ。
横須賀線のホームで駅名標の取材もしたが、
それでも横須賀線が到着してから、
東急の電車に乗り込むまで18分もかかっている。
日吉から新横浜線直通の東横線で新横浜まで行く。

JR新横浜駅は島式1面2線の地上ホームを有する横浜線の駅である。
また東海道新幹線にもホームがあり、島式2面4線の高架ホームを有している。
東海道新幹線開業の1964年10月1日に同時に開業した駅で、
横浜線と東海道新幹線は斜めに交差している。
東海道新幹線は原則として東海道本線に併設されているが、
横浜では東海道本線を離れて新横浜に駅が設置されている。
東海道新幹線ありきの駅で、そのためホームの付番も東海道新幹線からになっている。
1番線、2番線は上り東京方面、2番線、4番線は新大阪方面が使用する。
現在は全ての列車が停車するが、開業当時は「こだま」のみが停車していた。
在来線は4番線が横浜線上り、5番線が下りとなっている。
開業当時は横浜線は単線で、周囲は田園地帯だったが、
神奈川や東京西部地区からの東海道新幹線乗換駅として、
1985年3月14日には横浜市営地下鉄ブルーラインも開業した。

相模鉄道の都心アクセス計画によって、
東急と相鉄が相互に新線を敷設して新横浜の地下で接続、
2023年3月18日に東急新横浜線と相鉄新横浜線の駅が出来た。
これによって両線が相互乗り入れし、相鉄から東横線を通じて横浜、
目黒線を通じて目黒へ直通運転を開始された。
相鉄と東急は島式2面3線の地下ホームを有しており、
1番線と2番線が相鉄新横浜線下り方面、
3番線と4番線が東急新横浜線上り方面が使用する。
中線の2番線と3番線は同一の線路に接しており、折り返し列車などに使用される。

東急新横浜線で新横浜まで来て、東急ワンデーパスで改札を出る。
予定していた「星乃珈琲店・新横浜店」が見つけられず、
駅に近かった「ドトールコーヒー・新横浜駅前店」で朝食を喰う。
モーニングセットA450円でアイスコーヒーを選択した。
朝食を喰ってから再び地下の東急・相鉄共有の改札口をSuicaで入場、
07:49発の西谷行きに乗り込み、隣の羽沢横浜医大に行く。

横浜国大駅は相対式2面2線の地下ホームを有していて、
1番線は下り相鉄本線方面、2番線は上りが使用する。
上りはホームを出たところで分岐し、直進すると新横浜方面の地下に行き、
分岐するとそのまま地上を走り、JR東海道貨物線に接続するJR直通線となる。
ここは2020年1月11日に訪問済だが、
当時は正面がまだ工事中だったため、完成を待ってこのタイミングで再訪問した。
当然、相鉄新横浜線の羽沢横浜国大から新横浜までの乗り潰しの意味もある。

ホームは地下だが、JR線へは分岐して地上に出るため、
少しだけトンネルが途切れる部分がある。
羽沢横浜国大08:16発の各駅停車高島平行きに乗り込み、隣の新横浜まで行く。
この列車は東急目黒線で目黒まで行き、都営三田線に直通して西高島平まで行くため、
本当はこのまま乗っていたいのだが、Suicaで入場したため、
新横浜まで出場記録を着けなければならず、
地下ホームから地上まで行ってSuicaで改札を出て、
東急ワンデーパスで再入場した。
東急新横浜線、相鉄新横浜線の乗り潰しは完了、
ここからは東急ワンデーパスで東急の駅取材に挑戦する。

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗5.

2025-01-10 | 鉄道・旅行

 5.計画決定と普通車の横須賀線直通総武快速線-旅の始まり

東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗と、
未取材の東急の駅取材の計画を策定した。
横須賀線直通の総武快速線は武蔵小杉にも停車する。
ここは東急目黒線も接続していて、
ここで東急ワンデーパスを購入することにした。
東急ワンデーパスは当日に限り、
始発から22:30まで東急全線が乗り放題になるという企画切符で、
価格はおとな780円である。
東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗のみ事前に時間を決め、
あとの駅取材は現場判断で時間を決めていくことにする。
また、津田沼の「スシロー・ロハル津田沼店」で、
この日の晩酌用の寿司を受け取り予約しているため、
9:00p.m.前に津田沼に到着する総武快速線直通の横須賀線に乗る必要があり、
帰りの時間のみ決めることとして、以下のような計画を立てた。

05:30幕張-総武緩行線・上り(6)-05:36津田沼[12]
05:48津田沼-総武緩行線・上り・久里浜行(47)-06:35武蔵小杉[29]

 ※東急ワンデーパス 780円購入

07:04武蔵小杉-東急目黒線・新横浜行(10)-07:14新横浜[58]

 ※朝食/星乃珈琲店・新横浜店 07:00 - 21:00

08:12新横浜-相鉄新横浜線・西谷行(3)-08:15羽沢横浜国大[35] \230
08:50羽沢横浜国大-相鉄新横浜線・浦和美園行(4)-新横浜 \230

 【駅取材】

東急新横浜線/新綱島、新横浜

目黒線/元住吉、新丸子、奥沢、洗足、西小山

 ※昼食/西洋料理杉山亭 11:00 - 15:00
   東急目黒線西小山駅 徒歩3分、143m

 【駅取材】

池上線/五反田、大崎広小路、荏原中延、長原、洗足池、石川台、
    雪が谷大塚、御嶽山、久が原、千鳥町、池上、蓮沼、蒲田

 【駅取材】

東横線/綱島、大倉山、妙蓮寺、白楽、東白楽、反町

 ※夕食/らー麺つけ麺 みやがわ 17:00 - 20:30
   東急東横線東白楽駅 徒歩1分、59m

19:45横浜-横須賀線・上り/総武快速線・下り(64/1:04)-20:49津田沼

 ※スシロー・ロハル津田沼店 21:00予約

この計画で5月26日日曜日に予定を実行することにした。
天候によっては当日朝にでも中止して延期することも顧慮していたが、
当日は午前中は雲が多いものの、午後から日差しも見える天気予報で、
予定通り実行することにした。

当初は武蔵小杉までグリーン車で行くとも考えていたが、
思ったよりも空いていたので、普通車で武蔵小杉まで行った。

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗4.

2025-01-09 | 鉄道・旅行

 4.相鉄都心直通プロジェクト・パート2と東急電鉄未取材駅

相模鉄道は悲願だった都心への乗り入れを実現するために、
相鉄本線西谷からJR東海道貨物線横浜羽沢駅付近へ、
約2.7kmの相鉄新横浜線を新設し、湘南新宿ラインへの相互乗り入れを計画、
それが2019年11月30日土曜に開業した。
相模鉄道は更に新横浜線を延伸し、新横浜駅までの4.2kmを延伸、
東急電鉄も日吉から新横浜までの区間3.6kmを建設し、
新横浜で直通する工事が2022年度下期を目標に進められ、
2023年3月18日に開通した。
東急新横浜線は目黒線、東横線と直通し、目黒や渋谷へ乗り入れが開始された。
更に東急東横線は渋谷から副都心線、更に池袋から西武有楽町線、
和光市から東武東上線へと乗り入れている。
一方東急目黒線は目黒で都営三田線、東京メトロ南北線に乗り入れ、
南北線は鳩ヶ谷で埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線に乗り入れている。

そこで相鉄新横浜線と東急新横浜線を乗り潰し、
そのあと東急電鉄のみ取材駅を取材する計画を立ててみようと思った。
東急電鉄の未取材駅は以下の通りである。

  東横線/24.2km全13駅

 新丸子、元住吉、綱島、大倉山、妙蓮寺、白楽、東白楽、反町

  目黒線/11.9km全13駅

 西小山、洗足、奥沢、新丸子(東横線と重複)、元住吉(東横線と重複)

  東急新横浜線/5.8km全3駅

 新綱島、新横浜

  田園都市線/31.5km全27駅

 池尻大橋、三軒茶屋、駒沢大学、桜新町、用賀、二子新地、高津、梶が谷、
 宮前平、たまプラーザ、江田、市が尾、藤が丘、青葉台、田奈、つくし野、
 すずかけ台、南町田グランベリーパーク、つきみ野

  大井町線/12.4km全16駅

 大井町、下神明、戸越公園、中延、荏原町、北千束、緑が丘

  池上線/10.9km全15駅

 五反田、大崎広小路、荏原中延、長原、洗足池、石川台、
 雪が谷大塚、御嶽山、久が原、千鳥町、池上、蓮沼、蒲田

  東急多摩川線/5.6km全7駅

 沼部、下丸子、武蔵新田、矢口渡、蒲田(池上線と重複)

  世田谷線(軌道線)/5.0km全10駅

 ※全駅取材完了

  こどもの国線/3.4km全3駅

 恩田、こどもの国

東横線は13駅中8駅、目黒線は13駅中3駅、東急新横浜線は3駅中2駅、
田園都市線は27駅中19駅、大井町線は16駅7駅、池上線は15駅14駅、
東急多摩川線は7駅中4駅、こどもの国線は3駅中2駅が未取材、
軌道線である世田谷線は全駅取材完了である。

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗3.

2025-01-08 | 鉄道・旅行

 3.相模鉄道の悲願-都心直通プロジェクト

1990年のいずみ野線いずみ中央延伸で、
何とか大手私鉄の仲間入りを果たした相模鉄道だが、
それでも大手の中では路線の長さでは38.0kmと最も短く、
最長の近鉄の501.1kmと比較すると約13分の1である。
しかも首都圏の大手私鉄の中では唯一東京に乗り入れていない。
ほかの大手私鉄は山手線に接している。

 東武鉄道/東武東上線池袋駅
 西武鉄道/新宿線新宿駅、池袋線池袋駅
 京成電鉄/本線京成上野駅、日暮里駅
 京王電鉄/京王線新宿駅
 東急電鉄/東横線渋谷駅、目黒線目黒駅、池上線五反田駅
 京浜急行電鉄/本線品川駅
 小田急電鉄/小田原線新宿駅

しかし相模鉄道は起点が横浜で山手線はおろか、東京都にも乗り入れていない。
相模鉄道にとって都心乗り入れは悲願とも云える。
相模鉄道とJR新宿湘南ラインを直通させ、新宿まで相互乗り入れする計画が、
2000年代になって計画され、工事が続いていた。
それが2019年11月30日土曜に開業した。
工事主体は独立行政法人鉄道・運輸機構で、
国と神奈川県及び横浜市が費用を3分の1ずつ負担している。
新宿湘南ラインの一部である東海道貨物線横浜羽沢駅付近から分岐し、
相鉄本線西谷駅との間に約2.7kmの相鉄新横浜線を新設し、相互直通運転を開始した。
また2022年度下期を目標に東急目黒線日吉へ連絡線約10.0kmを新設、
東急とも相互直通し、目黒線で目黒、東急東横線で渋谷に直通する予定もある。
相鉄・JR直通線用として、相鉄では12000系、20000系を新造、
JR東日本では埼京線用E233系7000番台を改造している。
また東急でも既に乗り入れ用として3020系が誕生している。

さすがに年末は忙しくてなかなか行く機会がなかったが、
年が明けた第2週の土曜日、この日は土曜日直も入っていなかったため、
この相鉄・JR直通線の乗り潰しに挑戦することにした。

2020年1月11日土曜日、予定を決行することにした。
細かな時間は設定せず、新宿から始発で羽沢横浜国大に行き駅取材、
相鉄新横浜線から相鉄本線に乗り入れ、三ツ境で下車して駅取材、
海老名まで出て車両取材して昼食を喰う。
帰りはJR相模線で茅ヶ崎に出て、東海道本線で大船まで戻る。
ここで総武快速線直通の横須賀線に乗り換えて帰った。

 ※「相鉄・JR直通線の完乗2.」及び「相鉄・JR直通線の完乗3.」の一部を再録
 ※初出:2020-06-02及び2020-06-03

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗2.

2025-01-07 | 鉄道・旅行

 2.相模鉄道の設立と歴史-JR相模線との関係

相模鉄道は神奈川県に路線を所有する大手私鉄である。
横浜から海老名までの24.6kmの本線、
本線二俣川から分岐して湘南台までを結ぶ11.3kmのいずみ野線からなる。
設立は1917年12月18日で、直接敷設したのは現在のJR相模線である。
1921年9月に茅ヶ崎から寒川までの区間が開業、
その後も延伸工事が進められ、1931年4月には橋本まで延伸した。
一方、現在の相鉄本線に当たる区間を敷設したのは神中鉄道で、
神中軌道という社名で設立し、1919年6月に神中鉄道に改名された。
1926年5月12日に厚木から二俣川までの区間が開通した。
同年12月1日には星川(現・上星川)まで延伸、
1927年には北程ヶ谷(現・星川)まで延伸、
1929年には西横浜駅まで延伸を果たした。
1931年10月25日に西横浜から平沼橋まで、
省線(現・横須賀線)側線を借り入れて営業、
1933年12月27日に横浜まで延伸、全通した。
しかし業績不振のため1939年9月に東急横浜電鉄の傘下に入り、
同社社長の五島慶太氏が社長に就任、再建を図ることとなった。
1941年1月20日に相模国分(現・相模国文信号所)から海老名までの新線工事に着手、
同年11月25日に完成、小田急小田原線に乗り入れ相模厚木(現・本厚木)へ乗り入れも開始した。
1943年4月に子会社の合理化のために神中鉄道を相模鉄道に合併させたが、
1944年6月に戦時体制下における輸送力安定化のために、
東海道本線と中央本線のバイパス線である相模線が国有化されてしまい、
相模鉄道には神中鉄道が敷設した区間のみが残ることとなった。
1942年5月1日、東京横浜電鉄は陸上交通事業調整法により<
小田急電鉄、京浜電気鉄道を合併、社名を東京急行電鉄に改称、
1944年5月31日には京王電気軌道も合併している。
しかし戦後、1947年に相模鉄道は東急系列から独立、
1948年6月に小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が分離された。
いずみ野線が建設されたのは戦後になってからで、
1976年4月に二俣川-いずみ野間が開通し、
1990年4月にいずみ中央まで延伸、
この開通により日本民営鉄道協会における大手としての要件を満たし、
同年5月31日に大手民鉄としての認定を受ける。
1999年3月に小田急江ノ島線湘南台まで延伸していずみ野線は全通した。

 ※「相鉄・JR直通線の完乗1.」を再録
 ※初出:2020-06-01

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗1.

2025-01-06 | 鉄道・旅行

 1.2024年乗り潰しの状況と首都圏の新規敷設路線の乗車計画

日本の旅客鉄道の乗り潰しにずっと挑戦しているが、
2024年1月1日現在でJRグループでは、
在来線、新幹線を含めて未乗車区間はない。
その後、3月16日土曜日に北陸新幹線が敦賀まで延伸した。
同時に並行在来線が分離され、
金沢から大聖寺までの石川県内がIRいしかわ鉄道に、
大聖寺から敦賀までの福井県内がハピラインふくいに継承された。
中小私鉄、第三セクターは全線乗り潰し済み、
路面電車は宇都宮ライトレールの宇都宮芳賀ライトレール線全線が未乗車、
地下鉄は福岡市地下鉄の七隈線の天神南から博多までの区間が、
2023年3月27日に延伸していて、これも未乗車である。
宇都宮ライトレールの宇都宮芳賀ライトレール線は、
2024年4月14日に乗り潰しが完了している。
大手私鉄では2023年3月18日に相鉄と東急の相互乗り入れが開始、
相鉄は羽沢横浜国大から新横浜まで、
東急は新横浜から日吉までが延伸され、
日吉から東横線、目黒線に直通運転を開始している。
また、厳密に云えば鉄道ではないかもしれないが、
2017年7月5日の九州北部豪雨で被災し、
添田から夜明の区間でBRTに転換された「BRTひこぼしライン」の、
専用道区間の彦山から宝珠山までの区間も乗り潰しておきたい。

北陸新幹線とIRいしかわ鉄道の延伸開業部分とハピラインふくいは、
年内に1泊2日で計画したい。
福岡市地下鉄七隈線の天神南から博多までの区間と、
「BRTひこぼしライン」の専用道区間は、
一般道走行の添田から彦山、宝珠山から夜明も含め、
来年夏の青春18きっぷで、1泊2日で乗り潰ししたい。

一方で、相鉄は羽沢横浜国大から新横浜までと、
東急は新横浜から日吉までの区間は首都圏で日帰りが可能であり、
近いうちに計画を実行していきたい。
それでも、ただ、横須賀線直通の総武快速線で横浜まで、
横浜線に乗り換えて新横浜に行き、東急新横浜線で日吉、
相鉄新横浜線で羽沢横浜国大まで往復して、
同じルートで戻るだけではさすがに能はない。
相鉄に関しては全ての駅で駅取材が完了している。
そこで東急線ワンデーパスを使用し、
相鉄線には別料金で往復し、この区間の乗り潰しが終わったら、
あとは東急電鉄各線の未取材駅を取材することにする。

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休日おでかけパス-ボトムスと東海道本線乗り潰しの旅16.

2024-12-24 | 鉄道・旅行

 16.戸塚の夕食と横須賀線の角ハイボール-旅の終わり

戸塚に到着し、駅取材してからここで夕食を喰う。
到着した時には既に日が傾き始めていた。
予定していた食堂がランチタイムのみだったため、
同じトツカーナの中にあるとんかつ店に入店した。
これで予定は全て完了で、あとは帰るだけである。
17:08久里浜行きの横須賀線下りで隣の大船まで行く。

西口でペデストリアンデッキに出て、大船観音を見る。
大船観音は曹洞宗の大船観音寺の巨大な白衣観音像で、
胸像であるため、森の木々から顔だけが見える。
改札に入場してここから総武快速線直通の横須賀線で帰ることにする。
しかし湘南新宿ラインと交互のホームを利用し、
更には東京折り返しで横須賀線の区間のみのダイヤもあり、
少し時間が空くことになった。
そこでスマホで調べてもう一度改札を出て、
大船ルミネの中にある「崎陽軒」に行って、
昔ながらシウマイ15個入660円を購入する。
これは今夜の晩酌のつまみとしよう。

再々入場し、17:55発の成田空港行きを待つ。
ホームの券売機でグリーン券情報1,000円を購入し、Suicaに写す。

ホームで電車の到着を待っている間に非常ベルが鳴り出す。
駅員や警備員が足早に状況を調べていた。
誰かが「緊急停止ボタン」を押したようで、
そのための警報がホーム拾に鳴り響いていた。
電車を待っていると「××駅で緊急停止ボタンが押されたため、
一時運転を見合わせております」と放送されることがたまにあるが、
自分がいる駅で鳴ったのは初めての経験だった。
結局、問題はなく、その後直ぐに運転は再開された。

ホームに降りる前にNewDaysで角ハイボールとつまみを購入した。
8分遅れで発車したグリーン車の車端部に座り、
角ハイボールでブレイクしながら津田沼まで行く。
大船から総武快速線直通の横須賀線に乗り込む時は、
大船軒で鰺の押寿しを購入し、
これをつまみに角ハイボールを飲むのを楽しみにしているのだが、
今回は戸塚でとんかつを喰ってしまい、
腹がいっぱいだったので鰺の押寿しは断念し、
角ハイボールだけでブレイクしたのだ。
津田沼で総武緩行線に乗り換え帰宅した。

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休日おでかけパス-ボトムスと東海道本線乗り潰しの旅15.

2024-12-23 | 鉄道・旅行

 15.東海道本線鴨宮と戸塚の駅取材

二宮で駅取材して2つ先の鴨宮を目指す。
14:37は「遅れ5分」と電光掲示板に表示されていた。
構内アナウンスによると、「平塚、茅ヶ崎間の踏切で、
人立ち入りの影響で遅れが発生しています。」とのこと。
この電車を待って鴨宮まで行く。

鴨宮でここまで乗ってきたE231系近郊形を見送り、
ここから駅取材を開始する。

JR鴨宮駅は島式1面2線の地上ホームを有する。
1番線は上り東京方面、2番線は上り熱海方面が使用する。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。

東海道本線は当初は現在の御殿場線経由で国府津と沼津の区間は結ばれていた。
国府津から熱海までは1920年10月21日に熱海線として開業、
この時、現在の鴨宮の場所に酒匂川信号所が開設された。
酒匂川信号所は1922年4月1日に酒匂川信号場に解消、
この信号場が1923年6月1日に駅に昇格して鴨宮となった。
丹那トンネルの完成により、1934年12月1日に熱海と沼津の区間が直通、
熱海線を含むこの区間が東海道本線となり、
御殿場経由の山線は御殿場線として東海道本線から分離された。
駅名は駅所在地の神奈川県小田原市鴨宮に由来する。

鴨宮は「新幹線の発祥地」とされている。
そのことを表す0系がトンネルを出てくるモニュメントも設置されていた。
脇の解説には以下のように書かれていた。

   新幹線の歴史

 新幹線は日中戦争時の一九三〇年代、
 輸送力増強の手段に「弾丸列車計画」として発案され、
 昭和十五年に計画が承認され工事がスタートしたものの、
 その後、太平洋戦争の戦況悪化で工事が頓挫しましたが、
 現在の新幹線は土地の買収や工事が進展していた区間を利用しました。
 鴨宮区間もその一つでした。
 昭和三十九年十月十日の東京オリンピックの開催に合わせるように、
 十月一日に開業しました。
 新幹線は昭和三十七年、鴨宮と綾瀬を結ぶ区間が試験線となり、
 この試験線は開業に際し、新横浜-小田原の一部として、
 現在、使用されています。
 東海道線鴨宮駅に隣接された試験基地は「鴨宮モデル線区」と呼ばれ、
 現在「新幹線発祥之地」と制定された記念碑が建立されています。
 夢の超特急と言われた東海道新幹線が昭和三十九年に開業して、
 早や四十五年の月日が経とうとしています。
 しかしながら、鴨宮が日本の新幹線の発祥地である事を知る人が、
 段々と少なくなって参りました。
 そこで、私共は、世界一早い・世界一正確で・世界一安全な乗り物、
 夢の超特急と言われた東海道新幹線の歴史を正しく、
 後世に伝えていく為に『新幹線発祥の地・鴨宮』の記念碑を建立し、
 地域のシンボルとして、
 又、世界にも誇れる歴史的にも貴重な遺産を風化させない為に、
 ここに記念碑を建立いたします。
 又、事業基金は全額を皆様方からの温かい浄財によって賄われました。
 ご協賛を賜りました方々のお名前を碑に刻み未来永劫その証を称えます。

     平成二十一年四月吉日
   「新幹線の発祥地・鴨宮」碑建立事業実行委員会
         会長 高橋 隆一郎(下府中地区自治会連合会会長)

鴨宮で北口、南口を取材し、再入場する。

ホームからはビル越しに微かに富士山を見ることも出来る。
15:15鴨宮発の上野東京ライン・高崎行きに乗り込む。
ダイヤは乱れていたが、この列車はほぼ定刻通りにやってきた。
これに乗って戸塚まで戻る。
定刻通りに来たが、平塚で遅れている特急の通過待ちで、
定刻より4分遅れで発車し、戸塚まで行った。

JR戸塚駅は島式2面4線の地上ホームを有する。
また、横須賀線も接続していて、方面別ホームを採用している。
1番線は横須賀線上りと湘南新宿ライン北行、
2番線は東海道本線と上野東京ラインの上り東京方面が使用する。
3番線は東海道本線下り熱海方面、
4番線は横須賀線下りと湘南新宿ライン南行が使用する。

戸塚は1887年7月11日に、
横浜から国府津まで開通したのと同時に開業した。
横須賀線開通後は横須賀線直通も停車するようになる。
駅名は駅所在地の神奈川県横浜市戸塚区戸塚町に由来する。
この地は東海道の戸塚宿のほぼ中心地であった。
地下には横浜市営地下鉄ブルーラインの駅がある。

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休日おでかけパス-ボトムスと東海道本線乗り潰しの旅14.

2024-12-20 | 鉄道・旅行

 14.東海道本線大磯と二宮の駅取材

橋本から乗り込んだ相模線は13:37に茅ヶ崎に到着した。
茅ヶ崎も駅取材済みだったので、
改札は出ずにそのまま東海道本線に乗り込んだ。
予定の14:01より1本早い13:41に乗り込むことにした。
ホームで待っていると、構内アナウンスがあり、
「・・・このあと30分近く運転間隔が開きます。」と云っていた。
理由の部分は聞き逃してしまったが、ダイヤが乱れているらしい。
それでも今回は予定をこなせるところまではこなそうと思った。
どうにもならなかったら撤収すればいい。
明日も休みなので、最終的には終電で帰宅できればいいのだ。
ダイヤでは13:41に茅ヶ崎を出て平塚で4分停車し、
13:53に大磯に到着することになっている。
しかし平塚での停車時間が長引き、大磯到着は約7分遅れだった。

ここまで乗ってきたE233系近郊形を見送り、
大磯駅の駅取材を開始する。

JR大磯駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り熱海方面、2番線は上り東京方面が使用する。
改札は南側に瀟洒な駅舎があり、ホームとは跨線橋で結ばれている。
この駅舎は2009年2月6日に、経済産業省近代化文化遺産に認定された。

大磯は1887年7月11日に横浜から国府津まで開通と同時に開業した。
東海道本線が計画されていた当時はここに駅を造る予定はなかったが、
海水浴場が大磯に開設されることになり、開業に至った。

駅には「東海道五拾三次之内 大礒 虎ヶ雨」が設置されていた。
歌川広重の浮世絵シーズの大磯宿を描いたものである。
解説には以下のように書かれていた。

 高麗山の裾野に沿って続く東海道と大磯宿の家並み、
 海岸線は小余綾の磯である。
 宿場のはずれには、境界を示す牓示杭がたち、
 宿場の坂道を旅人がのぼっていく。
 この坂にある井戸水を汲んで、
 遊女が化粧したことから化粧坂と呼ばれた。
 曽我物語に登場する曽我十郎と恋仲であった虎御前のゆかりの地である。
 「虎ヶ雨」とは、十郎を悼んで流した虎御前の涙雨、
 仇討ちを果たした十郎が亡くなった五月の雨である。

“小余綾の磯”とは、「こよろぎ・・・」と読み、この辺りの古い地名のことのようだ。
改札を再入場し、ホームで待っていると特急「踊り子」が通過していった。

特急「踊り子」は東京駅を発着する東海道本線の特急で、
熱海から伊東線経由で伊豆急行の伊豆急下田と、
三島から伊豆箱根鉄道駿豆線の修善寺まで行く編成がある。

 ※東京駅に停車中の185系「踊り子」。
 ※撮影日時 2003/08/10 7:59:25

かつては国鉄時代に183系特急形直流電車の後続として、
通勤需要にも応需した特急形として誕生した185系が使われていた。
しかし1982年に誕生した車両は経年劣化や設備の古さは否めず、
グレードの高い251系「スーパービュー踊り子」が登場した。

185系の置き換えとしてE257系がリニューアル工事を施され、投入された。
E257系は0番台は中央本線特急「あずさ」、「かいじ」として、
500番台は房総特急として内房線「さざなみ」、外房線「わかしお」、
総武本線「しおさい」、成田線「あやめ」などに充当されていた。
中央本線特急にE353系が投入されたことや、
房総特急の減便などで余剰車が発生し、
経年劣化が否めなかった185系を置き換えることになった。
0番台は「踊り子」用に2000番台、波動需要に5000番台、
500番台は「踊り子」用に2500番台、波動需要用に5500番台が誕生した。

大磯を14:10発のダイヤの列車は14:25頃に到着した。
これに乗って予定通り二宮に行く。

JR二宮駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り熱海方面、2番線は上り東京方面が使用する。
画像は北口で、橋上駅舎化されている。

東海道本線が横浜から国府津まで延伸したのは1887年7月11日だが、
この時、二宮には駅は設置されなかった。
ここに駅が出来たのは1902年4月15日である。
1906年8月1日には二宮から秦野まで湘南馬車鉄道(後の湘南軌道)が開通したが、
1935年10月9日に休止、1937年8月25日に廃止された。
湘南軌道の秦野駅は小田急小田原線の秦野とは別の駅である。
駅名は所在地の神奈川県中郡二宮町二宮に由来している。

このあと更に下り2つ先の鴨宮を目指した。

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