林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅20.

2022-10-31 | 鉄道・旅行

 20.短絡計画の万葉線取材-雨の撤収と空白の午後

2日目、11月22日月曜日は平日だったため、
乗り込んだ電車は高校生で混雑していた。
富山で乗り込んだ時にはまだ雨は降っていなかったが、
20分の乗車で高岡に到着した時にはポツポツと雨粒が落ち始めていた。
取材前にLAWSON高岡駅北口店でビニール傘715円を購入、
万葉線の高岡駅電停に行って予定通りの08:30高岡駅発に乗り込む。
乗り込んだ車両はデ7070形7073号車で、
1967年製造の車齢50年以上の“チンチン電車”だった。

12分で志貴野中学校前に到着する。
今回は往復するだけなので運賃200円は現金で清算する。
この電停は高岡市出身である藤子・F・不二雄氏の、
「藤子・F・不二雄ギャラリー」の最寄り電停であるため、
上下線の電停ともドラえもん装飾を施したドラえもん電停になっている。
このギャラリーは高岡市立美術館内にあり、
志貴野中学校前電停から徒歩約10分の距離にある。
電停取材を終えて上り電車を待っていると、
突然激しい雨が降ってきた。
高岡駅まで戻ってSuicaで入場し、
側線に停まっている国鉄形気動車を取材する。

雪国らしく気動車だけでなく、ラッセルディーゼル機関車も停まっていた。
これらを十分に取材し、富山に戻ろうと思ったら、
隣のホームにIRいしかわ鉄道所属の521系が入線してきた。

今は北陸新幹線延伸開業に際して分離された北陸本線の石川県の区間は、
倶利伽羅から金沢までの17.8kmで、その分車両も2両編成×5本=10両しかない。
ほとんどがあいの風とやま鉄道の車両であるため、
IRいしかわ鉄道の車両を目撃するのは希である。
北陸新幹線は敦賀延伸されたらたぶん所属車両のバランスも変わるだろう。
これらを十分に取材し、09:48高岡始発の富山行で終点まで戻る。
富山に到着するとキハ120系が停車していたのでこれを取材する。
これで今回の旅の予定は全て終了していた。
帰りの新幹線までの時間が完全に空白になってしまった。

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2022-10-30 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第229回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「愛知県」に名古屋「味仙・JR名古屋駅店」を新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「Station-駅から始まる物語」を第1529回更新しました。

35.JR京葉線検見川浜駅を加筆修正および画像追加いたしました。

http://ringono.nengu.jp/

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2022-10-29 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第228回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「愛知県」に枇杷島「ブルペン」を新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「駅名標コレクション」を第374回更新しました。

「も」に新京成電鉄新京成線元山駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅19.

2022-10-28 | 鉄道・旅行

 19.富山スモーキーハイボールとますまおすし-富山の夜と朝

インテック本社前電停で取材を終え、
16:39南富山駅前行きに乗り込み隣の富山駅電停まで行く。
余談だが、隣のオークスカナルパークホテル富山前電停は、
岩瀬浜方面のみ停車し、富山駅方面は通過するため、
インテック本社前の南富山駅前方面の隣は富山駅電停となる。
富山駅に着いてまずはとやマルシェに行き、
夕食として「白えび亭」で白えび天丼1,260円を喰う。
喰い終わって外に出ると、完全に夜の帳が降りていた。

とやマルシェやおみやげ処で酒やつまみなどを購入し、
コインロッカーから荷物を取り出して、
予約していた富山地鉄ホテルにチェックインする。
部屋は禁煙・スーペリアシングルで、
「★スーペリアシングル早割2WEEKプラン♪♪(朝食付き)」、
料金は6,100円を予約していた。

部屋に入ってカメラのメンテナンスをしてから、
ますのおすしをつまみに、日本酒や缶ハイボールを飲む。
源のますのおすしは今まで何度か食べたことはあるが、
今回は「富富富」の新米を使用した期間限定品である。

日本酒は富山駅のおみやげ処で購入した、
若鶴酒造の「玲碧 苗加屋」300ml、
精米歩合55%、アルコール分16度と、
「若鶴 生貯蔵酒 辛口 玄」300ml、
精米歩合67%、アルコール分14度以上15度未満である。
更に若鶴酒造が造った「HARRY CRANES Craft Highball」も購入する。
“富山スモーキーハイボール”と書かれている。
缶の裏には、

  北陸でただひとつの、
  ウイスキー醸造所から。

 戦後の1952年よりウイスキー製造を開始し、
 スモーキーなウイスキーにこだわってきた
 三郎丸醸造所によるクラフトハイボールである。
 今までになかった本格的なハイボールを目指し、
 吟味を重ねてたどり着いたスモーキーな香りと
 キレのある飲み口をお楽しみ下さい。

と書かれている。アルコール分は8%である。
缶のデザインもシックでかっこいい。

翌日は早めに起きてシャワーを浴び、
6:30a.m.を待って2階まで降り、朝食会場「ラガール」に行く。
朝食はバイキング形式で、マスク着用、アルコール消毒と手袋を着用、
一方方向で料理を取っていく。

焼き鯖、つぼ煮、鰤大根、ます寿司、昆布蒲鉾、玉子焼、漬物、梅干し、サラダなど。
お替わりも入口から入り、新しい手袋を着用するようになっている。

牛すじカレーとコーヒーを追加して部屋に戻る。

朝のうちはまだ雨は降っておらず、曇りだった。
部屋に戻って歯を磨き、支度をして富山地鉄ホテルをチェックアウトする。
今日も再び荷物をコインロッカーに預け、
07:52富山発のあいの風とやま鉄道線で高岡まで行く。
切符がないのでSuicaを使用する。

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅18.

2022-10-27 | 鉄道・旅行

 18.富山港線取材-東岩瀬とインテック本社前

粟島(大阪屋ショップ前)から再び下りに乗って、
終点の2つ手前の東岩瀬に行く。

富山港線は富岩鉄道によって1924年7月23日に、
富山口(現・廃止)から岩瀬港(現・岩瀬浜)までの区間が敷設、
1928年には富山口から富山まで延伸され全通した。
部分開業の時にはここには駅が無かったが、
岩瀬港(現・岩瀬浜)に不便を感じていた旅客からの要望で、
部分開業より2ヶ月後の1924年9月20日に、
「越中岩瀬」の駅名で開業した。

東岩瀬はJR時代の駅舎がそのまま保存され、
休憩室として利用可能になっている。

またJRのホームも一部残されていて、
JR富山港線時代の面影を唯一感じることができる。

駅の横に設置された看板には以下のように書かれている。

  東岩瀬駅

 旧富山港線時代から唯一残る駅舎。
 富岩鉄道の駅として開業した当時からの駅舎は
富山ライトレールへの運行移管後も保存されており、
 2007年に改修され休憩施設として利用されている。
 旧ホームは、旧駅舎に差し掛かっている区間が保存されている。

  東岩瀬駅の歩み

 1924年(大正13年)富岩鉄道の越中岩瀬駅として開業。
 1941年(昭和16年)富岩鉄道の富山電気鉄道への路線譲渡(富岩線)
 1943年(昭和18年)国有化により、国鉄富山港線の駅となる。
 1950年(昭和25年)東岩瀬駅に改称。同時に、北陸本線東岩瀬駅が東富山駅に改称。
 1987年(昭和62年)国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
 2006年(平成18年)3月1日廃止。
            4月29日富山ライトレールの駅として再開業

国鉄、JR西日本の普通鉄道時代は単式1面1線構造だったが、
富山ライトレール転換の時に2面1線の千鳥配置に変更された。
1番線岩瀬浜方面は踏切を挟んだ反対側にあるが、
2番線は富山駅旧駅舎の反対側にある。

旧駅舎のホームには柵が設置されているが、
2番線ホームからは旧駅舎がよく見える。

このあと上り富山駅方面に乗り込み、最後に残ったインテック本社前に行く。
東岩瀬からインテック本社前までは21分の乗車時間で、
東岩瀬はまではまだ自然光で十分写真が撮れたが、
インテック本社前に到着した時には16:24で、既に日が暮れかけていた。

自然光撮影には限界ではあったが、これで富山港線の再取材は完了した。
空には上昇する光が見えた。

飛行機にしては角度が急すぎる。
もしかしたらロケットかミサイルなのかもしれない。(嘘!)

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅17.

2022-10-26 | 鉄道・旅行

 17.富山港線取材-越中中島と粟島(大阪屋ショップ前)


競輪場前電停から上りに乗り換え、越中中島に行く。
ここは構内踏切を挟んで千鳥配置にホームが設置されている。

ここは富岩鉄道が部分開業した1924年7月23日に同時に開業した。
開業当時は「奥田中島」の駅名だったが、
戦時買収により1943年6月1日に路線が国有化されたのと同時に、
駅名を「越中中島」に改称した。
ここで下車すると、ホームの外にいた猫が上がってきた。
次の電車の待ち時間の間、ずっとこの猫と遊んでいた。

少し離れた位置でこちらを気にしている。

近づこうとすると背を向ける。

こちらが諦めるとまた誘ってくる。
このツンデレ感が溜まらなく愛おしい。
この子のおかげで待ち時間があっという間であった。

このあと隣の粟島(大阪屋ショップ前)に行く。
相対式2面2線構造になっている。

この電停はJR富山港線が廃止され、富山ライトレールに移管された時、
新規に電停を敷設したうちのひとつである。
電停名通り、大阪屋ショップ粟島店の駐車場に隣接している。

ここの電停は富山市を中心に富山県、石川県にチェーン展開している、
スーパーマーケット大阪屋ショップがネーミングライツを取得、
有償譲渡されたが、店名が括弧書きの中になったため、
販売価格を減額、正式名称は「粟島」で「粟島(大阪屋ショップ前)」は愛称とされたが、
駅名標が「粟島(大阪屋ショップ前)」となっているため、
括弧付きの電停名が多く使われているようである。

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅16.

2022-10-25 | 鉄道・旅行

 16.富山港線取材-萩浦小学校前と競輪場前

蓮町(馬場記念公園前)から隣の萩浦小学校前まで行き、下車する。
萩浦小学校前電停は相対式2面2線構造である。

富岩鉄道が現在の富山港線を敷設したのは1924年7月23日で、
に富山口(現・廃止)から岩瀬港(現・岩瀬浜)の部分開業だった。
1928年には富山口から富山まで延伸され全通した。
部分開業、全通時にこの場所には駅はなかったが、
1936年12月27日に西ノ宮信号所が開設され、
ここで分岐して岩瀬埠頭(のちの富山港、現・廃止)まで支線が設置される。
1939年2月8日に西ノ宮信号所を廃止、日満工場前駅として開業する。
富岩鉄道は1941年12月1日に路線を富山電気鉄道に譲渡、
富山電気鉄道は陸上交通事業調整法によって、
1943年1月1日に富山県内の鉄道を統合して富山地方鉄道となった。
同年6月1日に富岩線は戦時買収により国有化され、
路線名が富山港線となり、同時に駅名も大広田に変更された。
国鉄分割民営化の直前、1986年11月1日に富山港までの支線が廃止された。
富山港線も旅客減少から廃止も検討されることになり、
富山市が中心となって設立された第三セクターの富山ライトレールに引き継がれ、
2006年3月1日にJR西日本富山港線は廃止、
同年4月29日より富山ライトレールとしてLRT化された。
2020年2月22日に富山ライトレールは富山地方鉄道に吸収合併、
同年3月21日に富山港線は富山軌道線と相互直通が開始された。
相互直通開始とともに電停名を萩浦小学校前に変更した。

国鉄、JR西日本時代、普通鉄道の大広田駅は単式1面1線だった。
富山ライトレールに転換するにあたり、
近接する場所に相対式2面2線ホームが設置された。

確認は取れていないが、富山港までの支線があった時代、
その名残かもしれない無駄な鉄道用地が確認出来る。
また、枕木は一部新品が使用されているものの、
多くは国鉄時代からのものと思われる、
朽ちた木の枕木が残っている。

萩浦小学校前を取材して、二つ先の競輪場前まで行く。
ここはその名の通り、富山競輪場に隣接する駅である。

ここに駅が出来たのは1959年4月18日で、
競輪場利用者のための仮乗降場として開業、
国鉄分割民営化後、JR西日本に引き継がれた時に、
仮乗降場から臨時駅に昇格した。

画像の待合室が完成したのは1993年6月19日で、
国鉄、JR西日本時代は富山競輪開催日のみ客扱いをしていたが、
2006年4月29日に富山ライトレールに転換されたのと同時に、
常設駅として競輪開催に関係なく停車することになった。
これもLRT化の恩恵と云えるだろう。

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅15.

2022-10-24 | 鉄道・旅行

 15.富山港線取材-犬島新町と蓮町(馬場記念公園前)

ここからは午前中、残した電停の取材に挑戦する。
時間的に全て取材できるか分からないが、
光量的に限界まで取材することにする。
まずは犬島新町に行く。
千鳥配置のホームが設置されている電停で、
高屋敷田踏切を挟んで上下のホームが千鳥式に配置されている。

犬島新町は国鉄時代には駅はなく、
富山ライトレールに転換されたのと同時に電停が設置された。
この付近は線路が真っ直ぐ延びていて、
隣の電停も遠くに見ることが出来る。

隣の蓮町(馬場記念公園前)電停を出た富山方面の電車が見える。
これを見送り、岩瀬浜方面の電車を待って乗車する。
そして隣の蓮町(馬場記念公園前)電停に行く。

ここは1924年7月23日に富岩鉄道が敷設された時、
同時に「蓮町」の名称で駅が設置された。
富山ライトレール時代も「蓮町」の電停名だったが、
富山地方鉄道に吸収合併後の2020年3月21日に、
電停名を「蓮町(馬場記念公園前)」に変更された。
この電停も千鳥配置にホームが設置されている。
1番線の岩瀬浜方面を出ると道路を挟んで電停名にもある、
馬場記念公園が広がる。

公園の前には銅板で「馬場記念公園の由来と経緯」が設置されていた。

  当地は、富山市東岩瀬町の素封家馬場はる様の篤志により、
 大正十三年四月に開設された公立七年制の旧制富山高等学校の校舎跡地である。
  同校はその後、昭和十八年三月三十日に官立に移管され、
 さらに昭和二十四年四月七日に国立富山大学文理学部となったが、
 昭和三十七年三月に五幅キャンパスに移転したため、
 廃校となり旧校舎は取り壊された。
  長年多くの学生や学校関係者、そして地域住民から親しまれた伝統ある学園の地は
 昭和四十六年四月に市民の憩いの場として解放され、
 馬場はる様の遺徳をしのび、馬場記念公園と命名された。

公園の中はちょうど銀杏が黄色く色づいていた。

ここで少しまったりしてから再び電停取材に挑んだ。

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2022-10-23 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第227回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「愛知県」に今池「熟成豚骨ラーメン専門一番軒・今池店」を新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「Station-駅から始まる物語」を第1528回更新しました。

1800.JR成田線新木駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/

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2022-10-22 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1527回更新しました。

1799.JR成田線東我孫子駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「旅の徒然に」を第633回更新しました。

「駅弁コレクション」の「西日本エリア」に「柿の葉寿司・詰合せ五個入り」の1データを公開いたしました。
「全国普通鉄道 乗り潰しの旅」のJR東日本、大手私鉄、中小私鉄を一部改稿しました。

http://ringono.web.fc2.com/

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅14.

2022-10-21 | 鉄道・旅行

 14.富山港線取材-トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前(五福末広町)と富山大学前

中町(西町北)電停から電鉄富山駅・エスタ前まで戻り、
駅前で昼食を喰えるようなところを探す。

とやマルシェの中も考えたが、
以前来た時に気になっていた「ガッツリ!えびすこ」に行き、
富山ブラックラーメン850円を喰うことにした。
そのあと5系統でトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)に行く。

この電停は富山電気軌道時代の1916年11月22日に、
「新大橋西詰」の名称で開業した。
富山電気軌道は1920年7月1日に路線を富山市に譲渡、
富山市営軌道の路線となった。
1937年4月10日に電停名を「富山大橋西詰」に改称、
その後、時期は不明だが越中鉄道新富山駅の最寄りのことから、
電停名を「新富山駅前」に改称した。
しかし越中鉄道の路線を引き継いだ富山地方鉄道射水線が
1980年4月1日に廃止されると、
電停名を「新富山」に変更した。
「新富山電停」時代の2008年7月27日にここを訪問している。

 ※新富山電停時代のトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)
 ※撮影日時 2008/07/27 10:03:45

2012年3月24日に大学前寄りに120m移動、五福交差点東詰へ移設された。
2015年3月14日、富山トヨペットがネーミングライツを取得、
電停名が「富山トヨペット本社前(五福末広町)」に変更された。
その後、富山トヨペットが企業統合により本社を移転、
本社のあった場所はトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前となったことから、
2021年1月1日、電停名を「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前」と変更した。

移転後は複線に相対式ホームが設置される形の電停になっている。

次に隣の富山大学前電停に行く。

ここは呉羽線の終点の電停で、現在の呉羽線は1.4kmの区間だが、
もともと呉羽線は呉羽公園までの区間が敷設されていた。
開業は富山電気軌道時代の1916年11月22日で、
開業時は富山大学前に「大学前」電停があり、
ここは五福公園五福野球広場の最寄りから、
1954年3月20日に「球場前」の電停名で開業した。
1969年10月1日に球場前から大学前の区間が廃止され、
球場前電停が新たに「大学前」の電停名に変更された。
ここも2008年7月27日に訪問していている。

 ※大学前電停時代の富山大学前
 ※撮影日時 2008/07/27 10:21:52

ここから5系統の電車を待って乗り込み、
このあとは再び富山港線の取材に入る。

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅13.

2022-10-20 | 鉄道・旅行

 13.富山港線取材-丸の内と大手モールと中町(西町北)

岩瀬浜を10:46に出た富山大学前行きは、11:20に丸の内に到着する。
乗り込んだ列車は岩瀬浜と富山大学前の区間を往復する5系統だった。

今回は事前に調べたとんかつ店で昼食を喰うことにしていて、
最寄りの電停はグランドプラザ前である。
グランドプラザ前電停は富山都心線の運転系統なので、
富山駅でも乗り換えられるが、支線の終点の丸の内でも乗り換えられる。
富山都心線は新規開業区間は国際会議場前からグランドプラザ前だが、
運用上は本線、支線と繋がり一方向の循環路線となっている。
丸の内から本線、支線を循環する3系統に乗り換え、
大手モールで下車した。

ここから事前に自宅でプリントアウトしておいた地図を見て、
予定していたとんかつ店を目指す。
しかし幾ら歩き回っても目指していたとんかつ店にたどり着けなかった。
その途中で中町(西町北)に偶然たどり着き、そこを取材する。

結局、予定していたとんかつ店は見つけられず、
仕方がないので駅前まで行き、ここで飲食店を探すことにした。

現地では全く気付かなかったのだが、
地図上では最寄り電停はグランドプラザ前なのだが、
降りた電停は大手モールで全くの勘違いだった。
しかも大手モールから交差点を左折してグランドプラザ前に至るため、
地図上にはない城址大通りに出てしまい、パニクった。
勿論、南北の移動のつもりで東西に移動しているため、
予定していたとんかつ店には辿り着く筈もなかった。

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅12.

2022-10-19 | 鉄道・旅行

 12.富山港線取材-城川原と岩瀬浜

城川原電停も富岩鉄道が1924年7月23日に、
富山口(現・廃止)から岩瀬港(現・岩瀬浜)までの区間が開業した時、
同時に開業した駅であり、車両基地も併設していた。
1943年6月1日に国有化されたが、
国鉄時代の1955年1月16日に富山運輸区が設置され、
国鉄末期まで車両基地だけでなく、運輸区も設置されていた。
その流れでLRT化され、
富山ライトレールに転換された時にはここに本社が設置された。
富山地方鉄道に合併後は南富山運転区城川原管理所となった。

ホームは相対式2面2線構造で、構内踏切で結ばれている。

旧本社の1階は待合室にもなっていて、
路面電車としては珍しく、室内で列車を待つことが出来る。
壁には「頑張れ!富山ライトレール」と書かれた額と、
「七色のポートラム」の歌詞が掲げられていた。

牧野好男作詞、佐藤進作曲と書かれているが、
残念ながらこの歌を聴いたことはない。
富山県民ならお馴染みの歌なのだろうか。

このあとそのまま終点の岩瀬浜まで行く。
岩瀬浜も富岩鉄道が路線を敷設した時、
終点として岩瀬港の名称で開業した駅である。

現在は電停ホームの反対側がバス停となっており、
電車の到着とあわせて出発するフィルダーバスが運行されている。
ここが終点として、車止めが設置されている。

岩瀬浜駅は富山ライトレール転換直前、
JR西日本富山港線時代の2005年7月22日に訪問している。

 ※JR富山港線岩瀬浜駅
 ※撮影日時 2005/07/22 8:43:38

この時は475系が充当されていた。

 ※岩瀬浜駅ホーム停車中の475系
 ※撮影日時 2005/07/22 8:41:10

475系は国鉄急行形457系列の交直流電車で、
交流区間が60Hzのみ対応の電動機出力120kW、抑速ブレーキ搭載のグループである。

 ※JR西日本時代の車止め。
 ※撮影日時 2005/07/22 8:47:27

ここを十分に取材して、10:46富山大学前行きの列車に乗り込み、
昼食を喰うためにまずは丸の内電停を目指す。

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅11.

2022-10-18 | 鉄道・旅行

 11.富山港線取材-奥田中学校前と下奥井

龍谷富山高校前(永楽町)を取材して隣の奥田中学校前に行く。
ここは富山ライトレール時代から供用区間と専用区間の境目の駅である。

路上から大きく90度カーブして専用区間に入り、
直ぐに電停が設置されている。

国鉄、JR西日本時代の富山港線はここから直進して北陸本線に合流していた。
富山ライトレールに転換された時、ここから先の区間を廃止して、
路面電車として道路区間を走行する形態に変更、
ここから先の供用区間は富山ライトレールによって新設された。
そのため、鉄道としてはここに0キロポストが設置されている。

線路には地上設備が設置されているのが見える。

これは地上子と呼ばれる装置で、
この部分を通過することによってと列車の位置を確認出来る。
ここからは富岩鉄道によって敷設された区間になる。
富山ライトレールに転換された時に鉄道事業法適用区間と、
軌道法適用区間の境目として電停が設置された。

次に隣の下奥井に行く。
ここは1927年6月1日に富岩鉄道が路線を敷設した時に、
同時に駅が設置された場所である。

国鉄、JR時代は相対式2面2線構造で列車のすれ違いも可能であったが、
のちに単式1面1面構造に変更された。

現在は千鳥式2面1線構造である。
千鳥式とは上下線のホームが千鳥足のようにずれて設置されるもので、
路面電車などでは十字路に設置する電停の場合、
交通渋滞を緩和するため、
右左折車両の少ない側に電停を設置したりする時に採用される。
このあと3つ先の城川原電停に向かう。

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅10.

2022-10-17 | 鉄道・旅行

 10.富山港線取材-オークスカナルパークホテル富山前と龍谷富山高校前(永楽町)

富山駅北口で偶然見つけた9600形9628号機を取材し、
改めてここから富山地方鉄道富山港線の取材をする。

富山港線を最初に敷設したのは富岩鉄道で、
1924年7月23日に富山口(現・廃止)から、
岩瀬港(現・岩瀬浜)までの区間が敷設された。
1928年には富山口から富山まで延伸され全通した。
富岩鉄道は1941年12月1日に路線を富山電気鉄道に譲渡し、
路線名を富岩線に変更、富岩鉄道は解散した。
富山電気鉄道は陸上交通事業調整法によって、
1943年1月1日に富山県内の鉄道を統合、
会社名を富山地方鉄道に変更した。
しかし富岩線は戦時買収により国有化され、国鉄富山港線となった。
国有化されたものの、北陸本線は交流電化区間、
富山港線は直流電化区間であったため、
直流電車で折り返し運転され、北陸本線からの直通の設定はなかった。
旧型電車廃車後には交直流電車が使用されたものの、
直通されることはなく、国鉄分割民営化後はJR西日本に引き継がれ、
旅客減少から廃止も検討されることになり、
富山市が中心となって設立された第三セクターの富山地方鉄道に引き継がれた。
2006年3月1日にJR西日本富山港線は廃止され、
奥田中学校前から供用区間に入り、富山駅北までの区間を新設、
同年4月29日より富山ライトレールとしてLRT化された。
北陸新幹線金沢延伸に併せ、在来線も高架化され、
富山地方鉄道史内線と直通運転が計画され、
2020年2月22日に富山ライトレールは富山地方鉄道に吸収合併された。
富山港線は戦時買収されてから77年経って再び富山地方鉄道の路線になった。
同年3月21日に富山港線は富山軌道線と相互直通が開始された。

2020年3月21日の相互直通の準備として、
北口駅前まで乗り入れていた富山北電停は、
オーパードホールの横に仮設の電停を設置して、
駅前工事のために場所を提供した。

 ※仮設時代の富山ライトレール富山駅北電停
 ※撮影日時 2019/09/15 13:41:17

この仮設の富山駅北電停は2020年3月21日の、
富山軌道線の相互直通によって廃止された。
しかし富山駅とインテック本社前の間に電停があった方が、
オーバードホールや富山市総合体育館、富岩運河環水公園、
富山県美術館などへのアクセス利便性がいいとして、
旧・富山駅北仮設電停の近くに2021年3月21日に電停が新設された。

電停は命名権をオークスカナルパークホテル富山が取得、
電停名は「オークスカナルパークホテル富山前」となった。
ここを取材して2つ先の龍谷富山高校前(永楽町)に行く。

ここはインテック本社前と奥田中学校前の間に新設された電停で、
龍谷富山高校を運営する学校法人藤命名権を命名権を取得、
電停名が「龍谷富山高校前(永楽町)」となった。

この区間もバス停はあるものの、富山ライトレール時代は電停間が長く、
近くにある高校生にとっては通学にも便利だろう。
今回の富山旅行はこの2つの電停の取材と、
富山駅から廃止された富山駅北仮設電停の区間の乗り潰しだった。
この時点で今回の旅行の目的は達成された。

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