「Station-駅から始まる物語」を第1733回更新しました。
1.JR総武本線千葉駅を加筆修正および画像追加いたしました。
「電車」を第677回更新しました。
「新幹線」に「N700系4000番台『のぞみ』」の画像を添付しました。
「Station-駅から始まる物語」を第1733回更新しました。
1.JR総武本線千葉駅を加筆修正および画像追加いたしました。
「電車」を第677回更新しました。
「新幹線」に「N700系4000番台『のぞみ』」の画像を添付しました。
「Station-駅から始まる物語」を第1732回更新しました。
458.JR外房線土気駅を加筆修正および画像変更いたしました。
「電車」を第676回更新しました。
「新幹線」に「N700系3000番台『のぞみ』」の画像を添付しました。
「Station-駅から始まる物語」を第1731回更新しました。
38.JR京葉線千葉みなと駅を加筆修正および画像追加いたしました。
「駅名標コレクション」を第452回更新しました。
「な」に横浜市営地下鉄グリーンライン中山駅を新規公開いたしました。
http://signboard.gionsyouja.com/
「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第655回更新しました。
「廃車&保留車 気動車」の同和鉱業片上鉄道キハ312を公開いたしました。
http://encyclopedia.shikisokuzekuu.net/
「気動車」を第929回更新しました。
国鉄一般形にキハ40 536の画像を添付いたしました。
キハ40系列一覧表を加筆修正いたしました。
「REI RINGONO status」を第342回更新しました。
「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に幕張「田所商店・本店」後編を新規公開いたしました。
https://status.garyoutensei.com/
「Station-駅から始まる物語」を第1730回更新しました。
309.東急電鉄祐天寺駅に画像追加いたしました。
2024年5月4日土曜日みどりの日に、
休日おでかけパスを使用して、
主に神奈川県内の新型車両、転籍車両の取材と、
南武線稲城長沼の実物大ボトムス立像取材、
そして東海土本線の休日おでかけパスのエリア内の、
未取材駅の駅取材を実行した。
横須賀線直通の総武快速線で横浜まで行き、
鶴見線、南武支線で車両取材、南武線でボトムス立像の取材を含み、
稲城長沼、南多摩、谷保の駅取材して、
八王子から横浜線、相模線で車両取材しながら東海道本線に移動、
大磯、二宮、鴨宮、戸塚と駅取材した。
戸塚から大船に移動して総武快速線直通の横須賀線で帰宅したが、
大船に移動する前に戸塚で夕食を喰うことにして、
事前に調べた戸塚駅西口のトツカーナ内の「菊屋食堂」に行く。
店の前までいって目が点になった。
4月6日から「土日営業時間 11:00~16:00(LO 15:45)」になっていた。
少し遅いランチタイムまでで、夕食には対応しなくなったようだ。
とほほ・・・。
仕方が無いので同じトツカーナの中で、
別の階にあったとんかつ店「山かつ」に行く。
メインのとんかつは「健康熟成豚」と「宝山豚」があり、
「宝山豚」とは山かつやグループ店舗のかつ泉を運営する、
せんざんのホームページによると、
かつ泉のオリジナルブランド豚のようである。
しかし今回は健康熟成豚の中から、
ヒレかつ定食・中(4個)1,280円+消費税128を注文した。
こちらも十分に柔らかく美味しかった。
健康熟成豚のヒレかつ定食にはヒレかつの数により、
小(3個)1,130円と中(4個)1,280円があり、
中(4個)1,280円をチョイスした。
ご飯、みそ汁、お新香が付く。
※参考:かつ泉ホームページ https://www.katsusen.jp/
※参考:せんざんホームページ https://www.senzan.co.jp/
2024年5月4日土曜日みどりの日は、
休日おでかけパスを使用して、
鶴見線、相模線のE131系や南武支線のE127系、
南武線稲城長沼の実物大ボトムス立像、
東海道本線の切符有効区間内の未取材駅の取材に出掛けた。
総武快速線で横浜まで行き、京浜東北線で鶴見に行き、
鶴見線にはE131系1000番台を取材、
朝食後に川崎に移動して南武線尻手で南武支線E127系取材、
稲城長沼の実物大ボトムス立像を取材後、
予定外の南多摩、谷保と取材し、立川から中央快速線に乗り換え、
八王子まで来て、ここから横浜線で橋本まで行き、
相模線E131系500番台を取材することにしていた。
その前に八王子で昼食を喰うことにしていて、
事前にネットで調べておいた「元祖敏々亭びんびん・本店」に行く。
ここは八王子らーめんの店のようである。
八王子に到着して南口出てた。
南口から野猿街道沿いに行ったところに店はあり、
野猿街道の入口には案内看板も設置されていた。
看板には「元祖八王子らーめん」と「八王子つけ麺」と書かれていた。
八王子ラーメンって何だろう・・・。
場所は野猿街道から30mの距離であり、
八王子駅南口からも徒歩5分の近さである。
到着したのは11:10p.m.過ぎだったが、既に満席に近かった。
ここは券売機方式で、ねぎちゃーしゅーめん1,050円と、
考えて半ライス100円も購入した。
カウンターの席に案内されてラーメンが出来るのを待つ。
座ったカウンターの前には、「敏々亭びんびん・創業三十年」の張り紙があった。
そこには以下のように書かれていた。
八王子で愛されて三十年
伝統を守り続けた味が
ここにあります。
豚骨と野菜をベースに
じっくり時間をかけて
煮だしたスープ
継ぎ足して作り出した
秘伝のタレ
八王子らーめんに
欠かせぬ玉ねぎは
北海道産を使用
これまでも、これからも
お客様の笑顔と永遠に
八王子ラーメンの正確な定義はよく分からないが、
玉ねぎを使うのが特徴のようである。
入店から7分程でラーメンが提供された。
粗めに刻まれた長葱がたっぷり載っている。
スープは醤油味で、葱で見えないが下にチャーシュー。
ほかにメンマや海苔などのトッピング。
凭れないように半ライスも頼んだが、
それほど強烈な味ではなかった。
むしろ、普段使いにちょうど良いラーメンである。
2024年55月4日土曜日みどりの日に、
休日おでかけパスを使用し、
鶴見線E131系1000番台や南武支線E127系、
相模線E131系600番台の車両取材を中心に、
南武線稲城長浜の実物大ボトムス立像取材、
更には東海道本線の切符の範囲内の未取材の駅取材に出掛けた。
横須賀線直通の総武快速線で横浜まで来て、
京浜東北線に乗り換えて鶴見まで移動、
ここでJR鶴見駅と京急鶴見駅の駅再取材、
鶴見線E131系1000番台の車両取材をした。
このあと南武線に乗り換えるため、
京浜東北線で川崎まで移動するのだが、
その前に朝食で入ったのが鶴見ミナール内にある、
「Wendy's First Kitchen鶴見ミナール店」である。
本当は別の店で朝食を喰うつもりでいたが、
偶然、見つけて予定を変更し、ここに入ることにした。
店の前の看板には「ウィンデーズモーニング」として、
ソーセージエッグ&チーズサンド 390
ブレックファーストベーコネーター 510
B・E・L・T(ベーコンエッグレタストマト) 450
ベーコンエッグ&チーズサンド 390
ブレックファーストサンド 450
のメインになるメニューが紹介されていた。
更にセットメニューとして、
コンビ +110
ハッシュセット +190
も載っていた。
コンビはウィンデーズモーニングを注文した客に限り、
+110円でドリンクを付けられるというもの。
ドリンク単品で頼むより「最大230お得!」である。
ハッシュセットはその名の通り、ドリンクに加え、
ラウンドハッシュドポテトが付く。
これは「最大340お得!」出そうである。
単品のラウンドハッシュドポテトも190円なので、
ドリンク無料ということも出来る。
そこでブレックファーストサンド450円と、
ハッシュセット 190円を注文した。
ここは無人レジがあり、ここでタッチパネルでオーダーし、
料金を払うとレシートとともに呼出番号の書いた紙を渡される。
この番号がレジ前の大型モニターに表示されたら、
カウンターに商品を取りに行く方式である。
ところで「Wendy's First Kitchen」とは、どういうことか。
「Wendy's」も「First Kitchen」も以前に単独の店としては利用したことがある。
何時から一緒になったのだろうか。
家に戻ってから調べてみると、2つの会社の合併ではなく、
「Wendy's」がファストフードの形態に業態変更する過程で、
同業者の「First Kitchen」を買収し、
「First Kitchen」の店舗で「Wendy's」の商品も販売する戦略で、
2つの会社が完全にひとつになったということではない。
お客様番号809が表示され、カウンターに取りに行く。
ドリンクはアイスコーヒーをチョイスした。
「Wendy's First Kitchen」のホームページによると、
ブレックファーストサンド 420円
トマト、レタス、玉ねぎのフレッシュな野菜と
スパイシーなポークパティを組み合わせた、
肉と野菜をバランスよく楽しめる逸品。
ウェンディーズオリジナルのポークパティとバンズを使用した
日本オリジナルのメニューです。
と書かれている。
考えてみると、ファストフードのハンバーガーを食べたのはどれくらいぶりだろう。
マクドナルドのモーニングで、ソーセージエッグマフィンはたまに喰うけれど、
バンズを使ったハンバーガーを喰うのは、ほとんど記憶がない。
朝の鶴見で、久しぶりのハンバーガーを堪能した。
16.戸塚の夕食と横須賀線の角ハイボール-旅の終わり
戸塚に到着し、駅取材してからここで夕食を喰う。
到着した時には既に日が傾き始めていた。
予定していた食堂がランチタイムのみだったため、
同じトツカーナの中にあるとんかつ店に入店した。
これで予定は全て完了で、あとは帰るだけである。
17:08久里浜行きの横須賀線下りで隣の大船まで行く。
西口でペデストリアンデッキに出て、大船観音を見る。
大船観音は曹洞宗の大船観音寺の巨大な白衣観音像で、
胸像であるため、森の木々から顔だけが見える。
改札に入場してここから総武快速線直通の横須賀線で帰ることにする。
しかし湘南新宿ラインと交互のホームを利用し、
更には東京折り返しで横須賀線の区間のみのダイヤもあり、
少し時間が空くことになった。
そこでスマホで調べてもう一度改札を出て、
大船ルミネの中にある「崎陽軒」に行って、
昔ながらシウマイ15個入660円を購入する。
これは今夜の晩酌のつまみとしよう。
再々入場し、17:55発の成田空港行きを待つ。
ホームの券売機でグリーン券情報1,000円を購入し、Suicaに写す。
ホームで電車の到着を待っている間に非常ベルが鳴り出す。
駅員や警備員が足早に状況を調べていた。
誰かが「緊急停止ボタン」を押したようで、
そのための警報がホーム拾に鳴り響いていた。
電車を待っていると「××駅で緊急停止ボタンが押されたため、
一時運転を見合わせております」と放送されることがたまにあるが、
自分がいる駅で鳴ったのは初めての経験だった。
結局、問題はなく、その後直ぐに運転は再開された。
ホームに降りる前にNewDaysで角ハイボールとつまみを購入した。
8分遅れで発車したグリーン車の車端部に座り、
角ハイボールでブレイクしながら津田沼まで行く。
大船から総武快速線直通の横須賀線に乗り込む時は、
大船軒で鰺の押寿しを購入し、
これをつまみに角ハイボールを飲むのを楽しみにしているのだが、
今回は戸塚でとんかつを喰ってしまい、
腹がいっぱいだったので鰺の押寿しは断念し、
角ハイボールだけでブレイクしたのだ。
津田沼で総武緩行線に乗り換え帰宅した。
15.東海道本線鴨宮と戸塚の駅取材
二宮で駅取材して2つ先の鴨宮を目指す。
14:37は「遅れ5分」と電光掲示板に表示されていた。
構内アナウンスによると、「平塚、茅ヶ崎間の踏切で、
人立ち入りの影響で遅れが発生しています。」とのこと。
この電車を待って鴨宮まで行く。
鴨宮でここまで乗ってきたE231系近郊形を見送り、
ここから駅取材を開始する。
JR鴨宮駅は島式1面2線の地上ホームを有する。
1番線は上り東京方面、2番線は上り熱海方面が使用する。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。
東海道本線は当初は現在の御殿場線経由で国府津と沼津の区間は結ばれていた。
国府津から熱海までは1920年10月21日に熱海線として開業、
この時、現在の鴨宮の場所に酒匂川信号所が開設された。
酒匂川信号所は1922年4月1日に酒匂川信号場に解消、
この信号場が1923年6月1日に駅に昇格して鴨宮となった。
丹那トンネルの完成により、1934年12月1日に熱海と沼津の区間が直通、
熱海線を含むこの区間が東海道本線となり、
御殿場経由の山線は御殿場線として東海道本線から分離された。
駅名は駅所在地の神奈川県小田原市鴨宮に由来する。
鴨宮は「新幹線の発祥地」とされている。
そのことを表す0系がトンネルを出てくるモニュメントも設置されていた。
脇の解説には以下のように書かれていた。
新幹線の歴史
新幹線は日中戦争時の一九三〇年代、
輸送力増強の手段に「弾丸列車計画」として発案され、
昭和十五年に計画が承認され工事がスタートしたものの、
その後、太平洋戦争の戦況悪化で工事が頓挫しましたが、
現在の新幹線は土地の買収や工事が進展していた区間を利用しました。
鴨宮区間もその一つでした。
昭和三十九年十月十日の東京オリンピックの開催に合わせるように、
十月一日に開業しました。
新幹線は昭和三十七年、鴨宮と綾瀬を結ぶ区間が試験線となり、
この試験線は開業に際し、新横浜-小田原の一部として、
現在、使用されています。
東海道線鴨宮駅に隣接された試験基地は「鴨宮モデル線区」と呼ばれ、
現在「新幹線発祥之地」と制定された記念碑が建立されています。
夢の超特急と言われた東海道新幹線が昭和三十九年に開業して、
早や四十五年の月日が経とうとしています。
しかしながら、鴨宮が日本の新幹線の発祥地である事を知る人が、
段々と少なくなって参りました。
そこで、私共は、世界一早い・世界一正確で・世界一安全な乗り物、
夢の超特急と言われた東海道新幹線の歴史を正しく、
後世に伝えていく為に『新幹線発祥の地・鴨宮』の記念碑を建立し、
地域のシンボルとして、
又、世界にも誇れる歴史的にも貴重な遺産を風化させない為に、
ここに記念碑を建立いたします。
又、事業基金は全額を皆様方からの温かい浄財によって賄われました。
ご協賛を賜りました方々のお名前を碑に刻み未来永劫その証を称えます。
平成二十一年四月吉日
「新幹線の発祥地・鴨宮」碑建立事業実行委員会
会長 高橋 隆一郎(下府中地区自治会連合会会長)
鴨宮で北口、南口を取材し、再入場する。
ホームからはビル越しに微かに富士山を見ることも出来る。
15:15鴨宮発の上野東京ライン・高崎行きに乗り込む。
ダイヤは乱れていたが、この列車はほぼ定刻通りにやってきた。
これに乗って戸塚まで戻る。
定刻通りに来たが、平塚で遅れている特急の通過待ちで、
定刻より4分遅れで発車し、戸塚まで行った。
JR戸塚駅は島式2面4線の地上ホームを有する。
また、横須賀線も接続していて、方面別ホームを採用している。
1番線は横須賀線上りと湘南新宿ライン北行、
2番線は東海道本線と上野東京ラインの上り東京方面が使用する。
3番線は東海道本線下り熱海方面、
4番線は横須賀線下りと湘南新宿ライン南行が使用する。
戸塚は1887年7月11日に、
横浜から国府津まで開通したのと同時に開業した。
横須賀線開通後は横須賀線直通も停車するようになる。
駅名は駅所在地の神奈川県横浜市戸塚区戸塚町に由来する。
この地は東海道の戸塚宿のほぼ中心地であった。
地下には横浜市営地下鉄ブルーラインの駅がある。
「Station-駅から始まる物語」を第1729回更新しました。
223.JR東海道本線大井町駅を加筆修正および画像追加いたしました。
「駅名標コレクション」を第451回更新しました。
「か」に横浜市営地下鉄グリーンライン川和町駅を新規公開いたしました。
http://signboard.gionsyouja.com/
「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第654回更新しました。
「廃車&保留車 気動車」の同和鉱業片上鉄道キハ303を公開いたしました。
http://encyclopedia.shikisokuzekuu.net/
「電車」を第675回更新しました。
大手私鉄の東急電鉄に「1000系台池上線」の画像を添付いたしました。
「REI RINGONO status」を第341回更新しました。
「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に幕張「田所商店・本店」前編を新規公開いたしました。
https://status.garyoutensei.com/
「Station-駅から始まる物語」を第1728回更新しました。
137.JR横浜線新横浜駅を加筆修正および画像追加いたしました。
14.東海道本線大磯と二宮の駅取材
橋本から乗り込んだ相模線は13:37に茅ヶ崎に到着した。
茅ヶ崎も駅取材済みだったので、
改札は出ずにそのまま東海道本線に乗り込んだ。
予定の14:01より1本早い13:41に乗り込むことにした。
ホームで待っていると、構内アナウンスがあり、
「・・・このあと30分近く運転間隔が開きます。」と云っていた。
理由の部分は聞き逃してしまったが、ダイヤが乱れているらしい。
それでも今回は予定をこなせるところまではこなそうと思った。
どうにもならなかったら撤収すればいい。
明日も休みなので、最終的には終電で帰宅できればいいのだ。
ダイヤでは13:41に茅ヶ崎を出て平塚で4分停車し、
13:53に大磯に到着することになっている。
しかし平塚での停車時間が長引き、大磯到着は約7分遅れだった。
ここまで乗ってきたE233系近郊形を見送り、
大磯駅の駅取材を開始する。
JR大磯駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り熱海方面、2番線は上り東京方面が使用する。
改札は南側に瀟洒な駅舎があり、ホームとは跨線橋で結ばれている。
この駅舎は2009年2月6日に、経済産業省近代化文化遺産に認定された。
大磯は1887年7月11日に横浜から国府津まで開通と同時に開業した。
東海道本線が計画されていた当時はここに駅を造る予定はなかったが、
海水浴場が大磯に開設されることになり、開業に至った。
駅には「東海道五拾三次之内 大礒 虎ヶ雨」が設置されていた。
歌川広重の浮世絵シーズの大磯宿を描いたものである。
解説には以下のように書かれていた。
高麗山の裾野に沿って続く東海道と大磯宿の家並み、
海岸線は小余綾の磯である。
宿場のはずれには、境界を示す牓示杭がたち、
宿場の坂道を旅人がのぼっていく。
この坂にある井戸水を汲んで、
遊女が化粧したことから化粧坂と呼ばれた。
曽我物語に登場する曽我十郎と恋仲であった虎御前のゆかりの地である。
「虎ヶ雨」とは、十郎を悼んで流した虎御前の涙雨、
仇討ちを果たした十郎が亡くなった五月の雨である。
“小余綾の磯”とは、「こよろぎ・・・」と読み、この辺りの古い地名のことのようだ。
改札を再入場し、ホームで待っていると特急「踊り子」が通過していった。
特急「踊り子」は東京駅を発着する東海道本線の特急で、
熱海から伊東線経由で伊豆急行の伊豆急下田と、
三島から伊豆箱根鉄道駿豆線の修善寺まで行く編成がある。
※東京駅に停車中の185系「踊り子」。
※撮影日時 2003/08/10 7:59:25
かつては国鉄時代に183系特急形直流電車の後続として、
通勤需要にも応需した特急形として誕生した185系が使われていた。
しかし1982年に誕生した車両は経年劣化や設備の古さは否めず、
グレードの高い251系「スーパービュー踊り子」が登場した。
185系の置き換えとしてE257系がリニューアル工事を施され、投入された。
E257系は0番台は中央本線特急「あずさ」、「かいじ」として、
500番台は房総特急として内房線「さざなみ」、外房線「わかしお」、
総武本線「しおさい」、成田線「あやめ」などに充当されていた。
中央本線特急にE353系が投入されたことや、
房総特急の減便などで余剰車が発生し、
経年劣化が否めなかった185系を置き換えることになった。
0番台は「踊り子」用に2000番台、波動需要に5000番台、
500番台は「踊り子」用に2500番台、波動需要用に5500番台が誕生した。
大磯を14:10発のダイヤの列車は14:25頃に到着した。
これに乗って予定通り二宮に行く。
JR二宮駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り熱海方面、2番線は上り東京方面が使用する。
画像は北口で、橋上駅舎化されている。
東海道本線が横浜から国府津まで延伸したのは1887年7月11日だが、
この時、二宮には駅は設置されなかった。
ここに駅が出来たのは1902年4月15日である。
1906年8月1日には二宮から秦野まで湘南馬車鉄道(後の湘南軌道)が開通したが、
1935年10月9日に休止、1937年8月25日に廃止された。
湘南軌道の秦野駅は小田急小田原線の秦野とは別の駅である。
駅名は所在地の神奈川県中郡二宮町二宮に由来している。
このあと更に下り2つ先の鴨宮を目指した。
13.横浜線と相模線E131系500番台
八王子で昼食を喰い、駅舎取材してから再入場する。
ここから横浜線で橋本を目指す。
予定より早めに家を出たため、前倒しで予定をこなしていたが、
八王子で乗り込んだ横浜線は予定通りの12:00発だった。
12分の旅で橋本に到着する。
ここでの乗り換え時間は27分で、今回は改札から出ず、
相模線に乗り換えてそのまま車両取材だけすることにした。
※君津駅停車中のE131系0番台
※撮影日時 2021/08/29 13:47:26
E131系はローカル線区の短編成運用を目的に開発された、
近郊形直流電車で、0番台は2021年3月13日に登場、
房総半島で使用されていた209系2000番台、2100番台の一部を置き換え、
内房線と外房線の運用方法を見直しし、
内房線木更津と外房線上総一ノ宮で運行されるようになった。
房総地区は103系や209系2000番台、2100番台など、
他線区の車両の転入が多かっただけに、
オリジナル新型車両が投入されたのは大きなインパクトがあった。
0番台は成田線、鹿島線などにも投入され、
2両編成×12本=24両が幕張車両センターに配属された。
600番台は日光線、宇都宮線の205系置き換えのため、
3両編成×15本=45両が登場、が小山車両センターに配属された。
運用区間が寒冷地のため、霜取りパンタグラフや、
雪かきのスノープロウが装着されているなど、寒冷地仕様になっている。
2024年4月14日日曜日の宇都宮ライトレールの取材時に、
JR宇都宮駅で見かけたが、まだ車両取材は出来ていない。
※鶴見駅で折り返し待ちのE131系1000番台
そして鶴見線には2023年12月24日に登場、
205系1100番台を置き換え、運用を開始した。
3両編成8本=24両が登場し、鎌倉車両センター中原支所に配属された。
相模線には500番台として4両編成として登場、
205系500番と同様の2M2Tとなっている。
橋本方がクモハE131となっていて、
そのためE131系としては唯一の付随車が連結されている。
4両編成×12本=48両が国府津車両センターに配属された。
相模線は4両編成での運行のみで、前面に貫通扉はあるものの、
連結での営業運転の機能は装備されていない。
橋本駅始発の相模線に乗り込み、茅ヶ崎まで行く。
乗車時間は58分で、茅ヶ崎到着は13:37だった。
12.八王子の昼食と人生初の職質の思い出
予定より1本早い南武線で立川まで来て、
中央快速線に乗り換えて八王子まで行く。
JR八王子駅は中央本線(中央東線)の駅であり、
運行上は中央快速線が使用される。
また東神奈川が起点で八王子が終点の横浜線と、
八王子が起点で倉賀野が終点の八高線も接続する。
京王線も八王子駅があるが、北口から約400mの距離にあり、直接の連絡はない。
島式3面6線の地上ホームを有し、
1番線を八高線、2番線から4番線を中央快速線、
5番線、6番線を横浜線が使用する。
中央快速線と横浜線のホームの間にJR貨物八王子総合鉄道部があり、
これはかつての八王子機関区で、
平坦区間用の機関車と山岳区間用の機関車の付け替えが行われていた。
八王子の地名の由来には諸説があるが、古事記の説には以下のようにある。
黄泉の国から戻った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊ぎから生まれた天照大神(あまてらすおおみかみ)、
月読命(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)。
高天原を治めていた天照大神のところに素戔嗚尊がやってきた時、む高天原を奪いに来たと勘違いされ、
身の潔白を晴らすためにお互いの持ち物から子を産むことを提案し、
素戔嗚尊は天照大神の鬘(かずら)の勾玉から天津日子根命(あまつひこねのみこと)、
左の角髪(みづら)の勾玉から正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(のさかつあかつかちひあめのおしほみみのみこと)、
右の角髪の勾玉から天之菩卑能命(あめのほひのみこと)、
別名、建比良鳥命(たけひらとりのみこと)、
左手の玉から活津日子根命(いくつひこねのみこと)、
右手の玉から熊野久須毘命(くまのくすひのみこと)の五柱の男神を生み、
天照大神は素戔嗚尊の十拳剣(とつかつるぎ)から多岐都比売命(たきつひめのみこと)、
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、別名、狭依比売命(さよのびめのみこと)、
多紀理毘比売命(たきりびめのみこと)、
別名、奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)の三柱の女神を生んだ。
このことで素戔嗚尊の身の潔白は証明されたが、調子に乗って高天原で大暴れしたため、
天照大神は天の岩戸に身を隠してしまった。
この五柱の男神と三柱の女神を祀ったのが八王子の地だというものだ。
※かつてのJR八王子駅南口。
※撮影時刻 2003/06/07 12:37:14
※かつてのJR八王子北口全景。
※撮影時刻 2003/06/07 12:32:23
南口は駅ビルが建った現在の様子からは想像も出来ない程、
住民に密着した駅の趣があった。
一方で北口は現在と変わらないが、
2003年当時はまだ八王子そごうが入っていて、
そこだけが現在の様子と違う。
ここで留置されていたHD300-30ディーゼル機関車や、
偶然通りかかったE257系5000番台「あずさ」を取材する。
E257系5000番台は0番台を種車とした波動需要用だ。
もともとE353系登場までは「あずさ」に充当されていたわけで、
臨時列車とは云え“元サヤ”に戻ったということか・・・。
八王子で改札を出て南口に行き、事前に調べていた、
「元祖敏々亭びんびん・本店」で、
ねぎちゃーしゅーめん1,050円、半ライス100円を喰う。
八王子駅南口に戻って駅舎取材する。
この時、ココイチを見つけた。
「カレーハウスCoCo一番屋八王子駅南口店」は、
人生で初めて入ったココイチである。
ここのココイチを見て、人生で初めての職質を受けたことを思い出した。
2001年5月19日土曜日のことである。
当時の状況を日記を元に再構成しておこう・・・。
2001年5月19日土曜日
ホリデーパスは2,040円で東海道新幹線500系のぞみ、
相模線205系最終バージョン、八高線103系を撮影に出掛ける。
まずは東京駅に行って500系のぞみを撮影する。
ホリデーパスでは特急や急行には乗れないので、
新幹線のホームには入場出来ない。
そこでホリデーパスで一度駅の外に出て、入場券で入場し直した。
500系新幹線はそれまでの新幹線車両の概念を逸脱した、
正しく未来の鉄道という感じである。
子供の頃に図鑑で見た21世紀の未来の鉄道という感じである。
まあ、もう21世紀になっちゃったけれど・・・。
8:54a.m.青梅特快で立川に向かった。
ここで若いサラリーマン風の男から「いい写真撮れますか」と声を掛けられる。
おいらの持っていたOLYMPUS CAMEDIA E-10を見て、
その人はOLYMPUS CAMEDIA E-100RSの購入を検討しているという。
E-100RSの方が使い勝手がいいんじゃないんですかと答えておく。
この後八王子に行って、ここで更に写真を撮る。
電気機関車や八高線の209系を撮っていたら、刑事から声を掛けられる。
スーツを着た男が背広の内ポケットから警察手帳を見せ、
カメラを持っている人に声を掛けているという。
逆に何があるのか訊いてみると、
10:40a.m.頃天皇陛下が乗った特急列車が八王子駅を通り過ぎるので、
その間は写真の撮影を控えて欲しいと云われる。
本物の刑事から声を掛けられたのは初めての経験。
警察手帳は紐でスーツに繋がれていた。
隙をついて盗まれたりしないようにするための工夫なのだろう。
たぶん、立川駅で声を掛けてきた人も私服刑事だったのかもしれない。
そこで10:30p.m.に横浜線に乗り込み橋本まで行く。
ここで205系最終バージョンの撮影する。
205系は山手線などで採用されている車体で、
その後総武線や埼京線でも採用された。
京葉線や武蔵野線に採用された205系は前面のデザインが全く替わった。
205系は既にもう製造されていないが、
相模線に採用されたバージョンが最終バージョンで、
205系はフルモデルチェンジが2回もあった。
橋本で205系を撮影し、八王子に戻って南口に出て、
「カレーハウスCoCo一番屋八王子駅南口店」でフライドチキンカレー600円を喰う。
待っている間にビール350円も飲んでしまう。
八王子駅で八高線の103系を撮影する。
八高線の103系はウグイス色で、山手線のイメージカラー。
山手線が既に205系に移り変わっているため、
ウグイス色の103系はここでしか見ることが出来ない。
予定を変更して立川に戻り、ここから南武線で尻手に行き、南武支線の101系に乗る。
101系は初めての鋼製国電で、今の電車の基礎となった記念すべき車両。
現在では南武支線に6両が残るのみ。
尻手から浜川崎まで行ったが、鶴見線がちょっと前に出たばかりで、
1時間近くないことから鶴見に出て京浜東北線に乗るのを諦めて、
尻手まで逆戻りし、隣の川崎から東海道線で東京に戻る。
東京駅10番線のkioskで缶ビールとシーチキンのおにぎりを買う。
ベンチでシーチキンのおにぎりを喰いながらビールを飲むのが好き。
八王子で南口と北口で駅舎取材をしてからに再入場、
事前の予定通りの12:00始発の横浜線に乗り込む。
橋本まで行き、相模線の新型車両を取材するのだ。
11.予定外の南武線駅取材-南多摩と谷保
朝、早めに支度して家を出たため、
前倒しで予定をこなしていた。
稲城長沼で再入場し、下り立川行きを待つ。
予定では10:30稲城長沼発で立川に行き、
中央快速線で八王子まで行くことにしていた。
ここで11:00a.m.開店のラーメン店に行くことにしており、
早すぎると八王子での食事の予定も狂ってしまう。
乗り込んだ立川行きは09:54で、予定より36分早い。
そこで予定にはなかったが、
隣の南多摩で下車し、駅取材することにした。
JR南多摩駅は島式1面2線の高架ホームを有する南武線の駅である。
1番線は下り立川方面、2番線は上り川崎方面が使用する。
画像は北口で、高架下に駅機能が集約されている。
南武鉄道が1927年11月1日に延伸した時、終着駅として開業した。
開業時の駅名は大丸で、現在地より300mほど川崎寄りにあった。
大丸は1931年に多摩聖蹟口場に改称、
1934年10月21日に開業した南多摩川貨物駅を、
1939年9月14日に多摩聖蹟口が併合し、
現在地に移転して南多摩駅に改称した。
駅前には稲城市の「大河原邦男プロジェクト」の一環として、
「ヤッターマン」に出てくるメカのヤッターワンが設置されていた。
さすがに実物大というわけにはいかなかったが、
リアルアニメとは逆のタツノコプロのゆるいアニメのデザインが設置されていた。
ヤッターワン
偶然見つけたこれを取材し、南口を取材して再入場する。
まだ時間があるため、未取材の谷保でも下車する。
JR谷保駅は、相対式2面2線の地上ホームを有する南武線の駅である。
1番線は下り立川方面、2番線は上り川崎方面が使用する。
画像は北口で、橋上駅舎化されている。
南武鉄道が1928年12月11日に屋敷分(現・分倍河原)まで延伸した時、
この時、谷保も同時に開業した。
1979年に橋上駅舎化されるまでは、
南口側にのみ駅舎があった。
現在の駅所在地名は東京都国立市大字谷保字御経塚だが、
開業当時は谷保村だったため、この駅名になった。
谷保とは「湿地帯の多い台地」の意で、この近辺では稲作が盛んだった。
鎌倉時代後期には既に「谷保郷」という地名があった。
もともとの読みは「やぼ」と読まれていたが、
南武鉄道開通時に「やぼ」が「野暮」に聞こえるのを嫌って、
「やほ」と名付けたといわれている。
谷保で再入場し、10:35の立川行きに乗り込む。
これは元来の予定のダイヤより1本速い電車である。