4.関西本線の完乗とおおさか東線への挑戦
加茂駅で駅取材してからすでに停車していた大和路快速に乗り込む。
大和路快速は関西本線の終点であるJR難波まで行くが、
途中の王寺で下車してカレー専門店「横浜・王寺店」で昼食を喰う。
予定ではこのあと12:07始発の関西本線でJR難波まで行くことになっていたが、
11:54に入線し、11:55発の快速に何とか間に合ったため、そのまま乗り込む。
普通列車で行く予定が快速に乗ったため、
早めの列車に乗った時間も合わせて25分早めにJR難波に到着するため、
予定にはなかったJR難波で駅取材する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b9/840effb00d8b480bf9a87393c4af25e1.jpg)
JR難波は関西本線の終点であるが、地下ホームのため地上はOCATになっている。
OCATとは大阪シティーターミナルの略である。
関西本線は加茂からJR難波まで大和路線の愛称がつけられていて、
電化路線で223系などが充当されている大阪近郊の所要路線として機能している。
天王寺から今宮までの1.0kmは大阪環状線と併走する形になる。
今宮からは効果から一気に地下に入ってJR難波は地下ホームという形になる。
ここに於いてJR関西本線の完乗は完了した。
駅取材しても予定より早めに折り返し電車に乗り込み、久宝寺まで行く。
久宝寺で南北の駅舎取材をするが、南口のロータリーの脇には以下のような石碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/db/9167fb6b387c6c319abb459c23d933ca.jpg)
そこには以下のように書かれていた。
久宝寺遺跡跡の碑
当時は、古大和川の長瀬川と平野川に挟まれた扇状地性低地にあり、
東西1.6km、南北1.7kmに広がる久宝寺遺跡の一角を占める。
遺跡の北部では、古墳時代初頭に遡る我が国最古の準構造船が発見され、
港津的な役割が窺われるが、朝鮮半島に祖形をもつ土器が出土していることから
国内のみならず海外との交流が想定される。
西部では、 河内でも珍しい前方後方墳が検出されている。
飛鳥時代には物部氏との深い関係が『日本書紀』に記載されているが、
廃仏派の守屋滅亡後の七世紀前半には市内最古の渋川廃寺が建立された。
ここJR久宝寺駅前に広がる市街地は、かつて国鉄竜華操車場であったが、
昭和六十一年に廃止となり平成九年以降、
八尾市竜華都市拠点土地区画整理事業の再開発に伴い発掘調査が行われた。
調査では、弥生時代後期から古墳時代の住居跡や墓域、奈良時代から中世の住居跡が見つかったが、
八十基に及ぶ古墳時代初頭の墳墓群や割竹形木棺をもち底部穿孔壺を置いていた久宝寺一号墳、
平野部では珍しい横穴式石室をもつ後期の七ツ門古墳が検出され、注目を集めた。
また古墳時代中期には大規模な合掌形の堰が河川に築かれており、
河内平野の開発に、新たな技術を備えた人々が積極的に
導入されたことが考えられることなど貴重な発見があった。
平成十七年十月八日 やお文化協会建立
久宝寺からおおさか東線を完乗して放出まで行く。
おおさか東線は元々片町線の貨物支線の城東貨物線であったが、
これを改造の上旅客転用して関西本線久宝寺と片町線放出を結ぶ路線として、
路線を第三セクターの大阪外環状鉄道が第三種鉄道事業者として所有し、
JR西日本が二種鉄道事業者として車両を運行する。
将来的には放出から新大阪まで路線を延長する予定になっている。
放出からさらに片町線、JR東西線と乗り潰しに挑戦していく。
ちなみに「放出」は「はなてん」と読み、放出は難読駅名としても有名なのである。