3.瀬野八、天神川-ロコ萌えな広島と分断された可部線
白市で09:16に乗った始発の快速シティーライナーは15分で八本松に着く。
山陽本線は以前の“青春18きっぷ”の旅で完乗しているので、
この区間も通過しているが、今回は瀬野八を体感するために敢えて八本松で下車した。
“瀬野八”とは山陽本線瀬野駅から八本松の間にある大山峠のことで、
22.6‰の上り急勾配が連続して続く区間であり、
この区間の通過には山陽鉄道が敷設した時代からずっと補助機関車を要していた。
非電化時代には蒸気機関車が、直流電化してからは電気機関車が後方に連結し、
本務機を補助する形でプッシュプル運転をする。
かつては旅客列車も補機が必要だったが、現在は115系が自力で通過している。
現在瀬野八補機として使用されているのは、
EF60型を改造したEF67型1号機から3号機までの3両と、
EF65型を改造したEF67型101号機から105号機の5両である。
基本番台は自動解放機能を有し、走行中に連結を外して自動開放する機能を有しているが、
現在は自動開放自体が中止されているために、基本番台と100番台の運用上の区別はない。
直流電機は国鉄時代の基本色は青だが、
特別な任務のEF67型は広島色とも云えるもみじ色を纏っている。
この電気機関車は以前にJR貨物広島車両所の一般公開で1号機の公開展示を見かけているが、
実際に走っているところはまだ見たことがない。
今回の旅はEF67型電気機関車の取材も楽しみの一つであった。
現地に行くまでは瀬野で連結し、八本松で開放しているのかと思って、
この駅に行けば留置されているEF67型を見かけることができると思っていたが、
実際には八本松の隣の西条駅で留置されているのを車窓から見かけた。
八本松で駅取材したあとにホームで下り列車を待っていたら、
西条駅で見かけた105号機が単機回送されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e3/007a965d3b1e3e73b1dd41e3a354b1e8.jpg)
このあと瀬野駅に行ったが、ここでもEF67型を見かけることはなかった。
本当は瀬野駅に隣接するスカイレールにも乗ろうかと思ったが、
天候が悪く、ポツポツと雨も降ってきたためにこれは諦めて先を急ぐことにした。
スカイレールは懸垂式モノレールの一種で、車体自体は小さくロープウェイのようである。
瀬野駅からみどり坂と呼ばれる住宅街を登る急勾配に対応するために、
宅地を開発した会社などが出資して設立した会社が運営する。
住宅地販売の目玉として開発会社が鉄道を敷設するケースは、
千葉県の京成ユーカリが丘駅からユーカリが丘線を直営する山万などのケースがある。
しかしここは幾つかの会社が共同出資して作ったスカイレールという会社の運営である。
予定では瀬野から広島へ行き、昼食と余剰時間を広島電鉄の車両取材に当てるつもりでいたが、
広島に向かう途中、一つ隣の天神川駅を過ぎたところでたくさんの機関車を目撃する。
そこで予定を急遽変更して、広島から呉線で天神川に戻った。
ここでは偶然、事業車両のクモヤ145-1102を目撃する。
これは収穫だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/5d/3aa7244a00572c732e06e3cedb580755.jpg)
そのほかにもEF67型102号機、EF66型38号機、DD51型853号機、
EF210型15号機、EF67型104号機などの電気機関車、ディーゼル機関車、
車庫の中ではあるがEF67型3号機も見かけることができた。
そのほか取材中にEF210型15号機+EF67型101号機のプッシュプル、
EF210型147号機などの貨物牽引が通過した。
十分取材して広島に戻り、昼食に「ひろしまお好み物語駅前ひろば」内の「電光石火」という店に入り、
店内人気ナンバーワンという“夢”1,260円、ウーロン茶210円などを喰う。
今度は可部線に乗り、終点の可部駅を目指す。
平日の昼間にも拘わらず、立ち客がいるほど混んでいた。
2両編成の105系が単線区間を走る。
もともとは可部駅から先、三段峡までの46.2kmの非電化区間が存在したが、2003年11月30日で廃止された。
以前は気動車による直通運転もされていたようだが、それでも利用客は伸びずに廃止になったという。
同じ可部線を名乗りながら、広島から可部までの区間は広島通勤圏内とされて発展していったものの、
非電化区間は利用客の減少に悩み、地元の存続運動も虚しく廃止され、
第三セクター化もされずにバス転換となってしまった。
可部駅も駅舎のある正面口は寂れた田舎の駅といった様相だが、
駅の反対側には国道54号に接してバスターミナルが設置されており、
郊外へのターミナル駅の役割を果たしている。
また可部-三段峡間は廃止になったものの、一部の線路はそのまま残されており、
バスターミナルへは三段峡への線路を踏切で渡らなければならない。
しかし路線は廃止されているため、踏切は現存しているが、それが閉まることはない。
可部駅で24分の取材後、再び上り線で広島方面に戻る。
しかし広島までは行かず、一つ手前の横川駅で下車する。
可部線は運行上は広島-可部間となっているが、広島-横川間は山陽本線と重複しており、
ここから山陽本線下り方面を目指すのなら、横川駅の方が便利である。
この駅はかつて広電取材の時に2度訪れていて、旧駅舎も新駅舎も取材済みである。
そのため改札は出ずにそのまま山陽本線下りの列車に乗り込み、岩国駅を目指すのだ。
※この文章はgooブログ「林檎乃『とほほ・・・。』ブログ」と
ぷらぷらレール「れいの日記」、同時公開です。
ご了承下さい。
白市で09:16に乗った始発の快速シティーライナーは15分で八本松に着く。
山陽本線は以前の“青春18きっぷ”の旅で完乗しているので、
この区間も通過しているが、今回は瀬野八を体感するために敢えて八本松で下車した。
“瀬野八”とは山陽本線瀬野駅から八本松の間にある大山峠のことで、
22.6‰の上り急勾配が連続して続く区間であり、
この区間の通過には山陽鉄道が敷設した時代からずっと補助機関車を要していた。
非電化時代には蒸気機関車が、直流電化してからは電気機関車が後方に連結し、
本務機を補助する形でプッシュプル運転をする。
かつては旅客列車も補機が必要だったが、現在は115系が自力で通過している。
現在瀬野八補機として使用されているのは、
EF60型を改造したEF67型1号機から3号機までの3両と、
EF65型を改造したEF67型101号機から105号機の5両である。
基本番台は自動解放機能を有し、走行中に連結を外して自動開放する機能を有しているが、
現在は自動開放自体が中止されているために、基本番台と100番台の運用上の区別はない。
直流電機は国鉄時代の基本色は青だが、
特別な任務のEF67型は広島色とも云えるもみじ色を纏っている。
この電気機関車は以前にJR貨物広島車両所の一般公開で1号機の公開展示を見かけているが、
実際に走っているところはまだ見たことがない。
今回の旅はEF67型電気機関車の取材も楽しみの一つであった。
現地に行くまでは瀬野で連結し、八本松で開放しているのかと思って、
この駅に行けば留置されているEF67型を見かけることができると思っていたが、
実際には八本松の隣の西条駅で留置されているのを車窓から見かけた。
八本松で駅取材したあとにホームで下り列車を待っていたら、
西条駅で見かけた105号機が単機回送されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e3/007a965d3b1e3e73b1dd41e3a354b1e8.jpg)
このあと瀬野駅に行ったが、ここでもEF67型を見かけることはなかった。
本当は瀬野駅に隣接するスカイレールにも乗ろうかと思ったが、
天候が悪く、ポツポツと雨も降ってきたためにこれは諦めて先を急ぐことにした。
スカイレールは懸垂式モノレールの一種で、車体自体は小さくロープウェイのようである。
瀬野駅からみどり坂と呼ばれる住宅街を登る急勾配に対応するために、
宅地を開発した会社などが出資して設立した会社が運営する。
住宅地販売の目玉として開発会社が鉄道を敷設するケースは、
千葉県の京成ユーカリが丘駅からユーカリが丘線を直営する山万などのケースがある。
しかしここは幾つかの会社が共同出資して作ったスカイレールという会社の運営である。
予定では瀬野から広島へ行き、昼食と余剰時間を広島電鉄の車両取材に当てるつもりでいたが、
広島に向かう途中、一つ隣の天神川駅を過ぎたところでたくさんの機関車を目撃する。
そこで予定を急遽変更して、広島から呉線で天神川に戻った。
ここでは偶然、事業車両のクモヤ145-1102を目撃する。
これは収穫だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/5d/3aa7244a00572c732e06e3cedb580755.jpg)
そのほかにもEF67型102号機、EF66型38号機、DD51型853号機、
EF210型15号機、EF67型104号機などの電気機関車、ディーゼル機関車、
車庫の中ではあるがEF67型3号機も見かけることができた。
そのほか取材中にEF210型15号機+EF67型101号機のプッシュプル、
EF210型147号機などの貨物牽引が通過した。
十分取材して広島に戻り、昼食に「ひろしまお好み物語駅前ひろば」内の「電光石火」という店に入り、
店内人気ナンバーワンという“夢”1,260円、ウーロン茶210円などを喰う。
今度は可部線に乗り、終点の可部駅を目指す。
平日の昼間にも拘わらず、立ち客がいるほど混んでいた。
2両編成の105系が単線区間を走る。
もともとは可部駅から先、三段峡までの46.2kmの非電化区間が存在したが、2003年11月30日で廃止された。
以前は気動車による直通運転もされていたようだが、それでも利用客は伸びずに廃止になったという。
同じ可部線を名乗りながら、広島から可部までの区間は広島通勤圏内とされて発展していったものの、
非電化区間は利用客の減少に悩み、地元の存続運動も虚しく廃止され、
第三セクター化もされずにバス転換となってしまった。
可部駅も駅舎のある正面口は寂れた田舎の駅といった様相だが、
駅の反対側には国道54号に接してバスターミナルが設置されており、
郊外へのターミナル駅の役割を果たしている。
また可部-三段峡間は廃止になったものの、一部の線路はそのまま残されており、
バスターミナルへは三段峡への線路を踏切で渡らなければならない。
しかし路線は廃止されているため、踏切は現存しているが、それが閉まることはない。
可部駅で24分の取材後、再び上り線で広島方面に戻る。
しかし広島までは行かず、一つ手前の横川駅で下車する。
可部線は運行上は広島-可部間となっているが、広島-横川間は山陽本線と重複しており、
ここから山陽本線下り方面を目指すのなら、横川駅の方が便利である。
この駅はかつて広電取材の時に2度訪れていて、旧駅舎も新駅舎も取材済みである。
そのため改札は出ずにそのまま山陽本線下りの列車に乗り込み、岩国駅を目指すのだ。
※この文章はgooブログ「林檎乃『とほほ・・・。』ブログ」と
ぷらぷらレール「れいの日記」、同時公開です。
ご了承下さい。