林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

青春の旅立ち-山陽山陰の旅 3

2009-07-31 | 鉄道・旅行
3.瀬野八、天神川-ロコ萌えな広島と分断された可部線

白市で09:16に乗った始発の快速シティーライナーは15分で八本松に着く。
山陽本線は以前の“青春18きっぷ”の旅で完乗しているので、
この区間も通過しているが、今回は瀬野八を体感するために敢えて八本松で下車した。
“瀬野八”とは山陽本線瀬野駅から八本松の間にある大山峠のことで、
22.6‰の上り急勾配が連続して続く区間であり、
この区間の通過には山陽鉄道が敷設した時代からずっと補助機関車を要していた。
非電化時代には蒸気機関車が、直流電化してからは電気機関車が後方に連結し、
本務機を補助する形でプッシュプル運転をする。
かつては旅客列車も補機が必要だったが、現在は115系が自力で通過している。
現在瀬野八補機として使用されているのは、
EF60型を改造したEF67型1号機から3号機までの3両と、
EF65型を改造したEF67型101号機から105号機の5両である。
基本番台は自動解放機能を有し、走行中に連結を外して自動開放する機能を有しているが、
現在は自動開放自体が中止されているために、基本番台と100番台の運用上の区別はない。
直流電機は国鉄時代の基本色は青だが、
特別な任務のEF67型は広島色とも云えるもみじ色を纏っている。
この電気機関車は以前にJR貨物広島車両所の一般公開で1号機の公開展示を見かけているが、
実際に走っているところはまだ見たことがない。
今回の旅はEF67型電気機関車の取材も楽しみの一つであった。
現地に行くまでは瀬野で連結し、八本松で開放しているのかと思って、
この駅に行けば留置されているEF67型を見かけることができると思っていたが、
実際には八本松の隣の西条駅で留置されているのを車窓から見かけた。
八本松で駅取材したあとにホームで下り列車を待っていたら、
西条駅で見かけた105号機が単機回送されていた。



このあと瀬野駅に行ったが、ここでもEF67型を見かけることはなかった。
本当は瀬野駅に隣接するスカイレールにも乗ろうかと思ったが、
天候が悪く、ポツポツと雨も降ってきたためにこれは諦めて先を急ぐことにした。
スカイレールは懸垂式モノレールの一種で、車体自体は小さくロープウェイのようである。
瀬野駅からみどり坂と呼ばれる住宅街を登る急勾配に対応するために、
宅地を開発した会社などが出資して設立した会社が運営する。
住宅地販売の目玉として開発会社が鉄道を敷設するケースは、
千葉県の京成ユーカリが丘駅からユーカリが丘線を直営する山万などのケースがある。
しかしここは幾つかの会社が共同出資して作ったスカイレールという会社の運営である。
予定では瀬野から広島へ行き、昼食と余剰時間を広島電鉄の車両取材に当てるつもりでいたが、
広島に向かう途中、一つ隣の天神川駅を過ぎたところでたくさんの機関車を目撃する。
そこで予定を急遽変更して、広島から呉線で天神川に戻った。
ここでは偶然、事業車両のクモヤ145-1102を目撃する。
これは収穫だった。



そのほかにもEF67型102号機、EF66型38号機、DD51型853号機、
EF210型15号機、EF67型104号機などの電気機関車、ディーゼル機関車、
車庫の中ではあるがEF67型3号機も見かけることができた。
そのほか取材中にEF210型15号機+EF67型101号機のプッシュプル、
EF210型147号機などの貨物牽引が通過した。
十分取材して広島に戻り、昼食に「ひろしまお好み物語駅前ひろば」内の「電光石火」という店に入り、
店内人気ナンバーワンという“夢”1,260円、ウーロン茶210円などを喰う。
今度は可部線に乗り、終点の可部駅を目指す。
平日の昼間にも拘わらず、立ち客がいるほど混んでいた。
2両編成の105系が単線区間を走る。
もともとは可部駅から先、三段峡までの46.2kmの非電化区間が存在したが、2003年11月30日で廃止された。
以前は気動車による直通運転もされていたようだが、それでも利用客は伸びずに廃止になったという。
同じ可部線を名乗りながら、広島から可部までの区間は広島通勤圏内とされて発展していったものの、
非電化区間は利用客の減少に悩み、地元の存続運動も虚しく廃止され、
第三セクター化もされずにバス転換となってしまった。
可部駅も駅舎のある正面口は寂れた田舎の駅といった様相だが、
駅の反対側には国道54号に接してバスターミナルが設置されており、
郊外へのターミナル駅の役割を果たしている。
また可部-三段峡間は廃止になったものの、一部の線路はそのまま残されており、
バスターミナルへは三段峡への線路を踏切で渡らなければならない。
しかし路線は廃止されているため、踏切は現存しているが、それが閉まることはない。
可部駅で24分の取材後、再び上り線で広島方面に戻る。
しかし広島までは行かず、一つ手前の横川駅で下車する。
可部線は運行上は広島-可部間となっているが、広島-横川間は山陽本線と重複しており、
ここから山陽本線下り方面を目指すのなら、横川駅の方が便利である。
この駅はかつて広電取材の時に2度訪れていて、旧駅舎も新駅舎も取材済みである。
そのため改札は出ずにそのまま山陽本線下りの列車に乗り込み、岩国駅を目指すのだ。

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薄切りロースカツと再びの千葉駅周辺の鉄道遺構

2009-07-30 | 鉄道・旅行
今年の初めから入院、その後通院していた千葉県がんセンターであるが、
7月16日の腫瘍血液内科に続き、今日で歯口科の治療も終了した。
これで9月のCT検査まではここに来ることもない。

病院の帰りに千葉そごう10階の「とん亭」に行き、
今日は最後ということでちょっと奮発して薄切りロースカツ御膳1,680円を喰う。



ご飯と味噌汁がおかわり自由なので、今日も思わずおかわりしてしまった。
そして結果的に・・・喰い過ぎた。
腹ごなしに散歩することにしたが、前回行った千葉公園まで歩を進めてみる。
前回、千葉公園が「鉄道第一連隊演習所跡」であり、
そこに「池の対岸に架橋演習に使用したコンクリート製の橋脚」や、
「トンネル工事演習に使用したコンクリート製のドーム」があることを公園の案内板で知った。
架橋演習用のコンクリート製の橋脚はすぐに見つかったのだが、
コンクリート製のトンネルドームがいくら探しても見つからなかった。
そこで今日はこれを探すことにした。
前回、公園の内部は隈無く探したが見つからなかったため、
今日は公園の外周を探してみるとにした。
暫く歩いて千葉都市モノレールの千葉公園駅まで行くと、公園事務所の敷地の中にあった。
公園事務所の中だから、直接目の前まで行くことは出来ない。
仕方がないので、敷地外から撮影。



事務所の職員のものと思われるクルマが邪魔だが、それは仕方がない。
ちゃんと一般公開して欲しいものだ。
このあとついでにこの前見つけたC型タンク飽和蒸気機関車を見に行った。
今日は快晴で夏の日差しが照りつける厳しい陽気だったため、
公園を歩いていると汗が止まらなくなった。
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青春の旅立ち-山陽山陰の旅 2

2009-07-29 | 鉄道・旅行
2.“予感”と雲の絨毯-旅の始まり

何時も“青春18きっぷ”の旅の時はそうなのだが、今回も初電での旅となる。
総武緩行線幕張駅の上りの初電は04:40である。
起床は午前3時台のため、起きられるかどうかが一番心配であった。
そのため前日は酒も飲まず、早めに寝ることにした。
何とか3:50a.m.に起床して、慌てて支度をして家を出る。
改札口で「ありがとうございます JR東日本 7.24 幕張駅」の検印を押して貰い、
いよいよここから青春の旅の始まりである。
しかしJRでの旅は2つ隣の津田沼までである。
ここで下車して予約しておいた京成バスの空港リムジンバスを待つ。
「青春18きっぷ」を利用しているのだから浜松町まで行き、
そこから東京モノレールを利用した方が安上がりなのだが、
朝が早いこともあってリムジンバスで羽田空港まで行くことにした。
家を出る時には曇りだったが、ここで05:05の朝一番のリムジンバスを待っている間に雨が降り出した。
天気予報でも旅行期間中は中国地方は雨になっていて、
飛行機に乗る前から雨に降られたことでちょっといやな予感がした。
結果的にはこの予感が見事に当たってしまうことになる。
平日だったが、予約していない乗客も全て乗れた。
このリムジンバスは事前に電話で予約していた客が先に乗り、
席が余っていた時には予約していない乗客が乗ることになっているのだが、
今まで乗れない乗客は見たことがない。
バスが走り出すと雨は止み、京成津田沼駅でさらに乗客を乗せたあと、湾岸道路を羽田空港まで行く。
湾岸道路は途中、大井で新幹線の車両基地が見える。
平日だったが朝早いために羽田空港に到着したのは予定時間06:20ぴったりだった。
早速手荷物検査のゲートに行ったが、
Skipでチェックインしようとしたら受付に行けといわれる。
どうやら座席の指定を受けていなかったようで、それで通れなかったようである。
座席指定機で指定を受け、再び手荷物検査ゲートに行き、今度は素直に通れた。
昨日ANAから来た「搭乗前日のお知らせ」では「搭乗口63」と連絡を貰っていたのだが、
手荷物検査のゲートで「搭乗口変更」で「新搭乗口105」になっていた。
羽田空港で搭乗口が3桁の場合は1階で、バス移動ということになる。
売店で空弁を購入しようと思ったが、ほとんどが入荷待ちになっていたため、
階段で2階に上がり、ここの売店で「牛すき鰻のひつまぶし弁当」980とお茶を購入し、
飛行機に乗る前に空港のベンチで喰う。
この弁当は四季楽庭の羽田空港限定販売の空弁である。
ANA671便のボーイング777-200に乗り込んで広島空港を目指す。
ゲートが変更になったため、バス移動で全員の搭乗が遅れ、その分離陸が遅れてしまった。
機内は朝一便のためか、多少座席に余裕があった。
地上は厚く雲が垂れ込めていて、何時雨が降り出してもおかしくない空模様だったが、
離陸して雲の上に出るとそこは快晴だった。
当たり前のことだが、この快晴の青空を見ると地上の曇天が嘘のように思える。



雲がない時は地上の様子が見えるのだが、
これだけ雲が多いと地上は全く見えず、眼下には白い雲が広がっている。
まさしく雲の絨毯といった感じだ。
地上に降りると再び日差しのない暗く曇った世界が広がっている。
広島空港の到着予定は08:15だったが、離陸が遅れたために着陸も結局15分遅れになってしまい、
そのため山陽本線白市駅への芸備バスも、予定していた08:29には間に合わなかった。
1本あとの08:55のバスで白市駅に行く。
この駅は既に取材済みのため、そのまま再び“青春18きっぷ”で入場し、
09:16白市駅始発の快速「シティライナー」5339Mに乗り込む。
ここから山陽本線をひたすら西を目指す。
最初の目的地は八本松である。

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青春の旅立ち-山陽山陰の旅 1

2009-07-28 | 鉄道・旅行
1.卑怯な秘境-青春の旅の計画

今年はずっと病気療養中で通院以外に全く外出しておらず、
今月になってやっと外出が解禁となり、日帰りで鉄道取材に出掛けたりしていた。
しかしやはり泊まりがけでないと近隣の鉄道しか取材できないし、
それに帰ることを気にせずとことん気の済むまで取材するためには、
やはり泊まりがけで出掛けなければならない。
そこで色々と計画を立て、今回は中国地方の取材に行くこととした。
最初はプチ湯治として松江温泉でゆっくりすることを考えていたが、
治療の結果がどんどんいい方向になり、旅行が現実味を帯びてくると、
やはり鉄道取材を優先させ、今まで手薄だった中国地方の、
そのなかでも山陽本線の幾つかの駅しか取材したことのない山口県に集中しようと思った。
山口県の駅の中でも特に行きたかったのが小野田線本山支線である。
この支線に列車が走るのは1日に片道5本である。
下り列車だと以下のようになる。

 06:39宇部新川-1223M-07:04長門本山
 07:25雀田-1323M-07:30長門本山
 16:28雀田-1325M-16:33長門本山
 17:14雀田-1327M-17:19長門本山
 18:12雀田-1329M-18:17長門本山

上り列車は長門本山に07:04に着いた列車が07:10に折り返し、
07:30が07:38に折り返して宇部新川に行く。
同様に16:33到着の列車が17:03に折り返し、
17:19が17:45、18:17が18:37と支線内を折り返し運転し、最後に宇部新川まで行く。
よくみると夕方の方が折り返しまでに時間がある。
このエリアの通勤事情に考慮していることが伺える。
しかし途中でおなかが痛くなって早退しても、定時まで電車が来ない。
駅でのたうち回るしかないようだ。
自然光で取材するためには夕方4時台、5時台、6時台の列車より、
朝の7時台の列車の方がいいと判断し、1223Mに雀田から乗り込む計画を立てた。
また中国エリアで秘境線に近い存在が木次線である。
全区間で1日12本、しかも出雲横田-備後落合間は下りが3本、上りが4本しかない。
まさしく秘境路線と云える。
そんな中でDL牽引の観光列車「奥出雲おろち号」も走る。
今回はこの列車にも乗りたい。
山口線の「SLやまぐち号」と合わせてこれらの観光列車を満喫する旅にしたいと思った。
しかし1ヶ月前にJR幕張駅のみどりの窓口でマルスを叩いて貰ったが、
両方の列車とも満席になっているとのことだった。
とほほ・・・。
そこで「SLやまぐち号」は新山口駅で車両取材をすることとし、
「奥出雲おろち号」はダイヤの関係で車両取材すらできないので断念した。
そして最後に出雲市から東京への帰還には寝台特急「サンライズ出雲」を使用することにした。
今回の旅ではこれに乗ることも大きな目的の一つである。
寝台特急「サンライズ出雲」はJR化以降に新造された寝台電車285系を使用する列車で、
それまでのブルートレイン使用の「出雲」と併用する形で1998年に登場した。
ブルートレイン「出雲」は京都から山陰本線に入るのに対し、
非電化区間を走れない「サンライズ出雲」は伯備線経由で米子に行く。
暫くは2つの“出雲”が併用されていたが、2005年にブルートレイン「出雲」はとうとう廃止されてしまった。
「富士」「はやぶさ」が廃止された今、
「サンライズエクスプレス」は東京より西を走る唯一の定期夜行列車となってしまった。
285系は7両固定編成で東京-出雲間の「サンライズ出雲」として使用されるほか、
東京-高松間の「サンライズ瀬戸」としても使用され、
瀬戸大橋線を渡ってきた「・・・瀬戸」と伯備線で遙々山越えをしてきた「・・・出雲」は岡山で連結され、
14両編成の大所帯で東京まで夜の東海道本線をひた走る。
ブルートレインの「出雲」にはとうとう乗れなかったが、
「サンライズ出雲」には一度乗ってみたいと思っていたのだ。
今回の計画ではこれに乗ることを計画に組み込んだ。
そして以下のような計画を決定した。

7月24日(金)

06:55羽田空港発のANA671便で広島空港に行き、芸備バスで白市駅へ。
山陽本線の八本松、瀬野で駅取材し、広島で広電取材と昼食。
可部線を終点の可部まで行って駅取材、横川から再び山陽本線で岩国へ。
岩徳線で櫛ヶ浜まで行き、再び山陽本線で厚狭まで行き、
厚狭ステーションホテルで一泊する。

7月25日(土)

06:34厚狭発の山陽本線で小野田、小野田線で雀田まで行き、
06:53着06:59発の小野田線本山支線で終点の長門本山まで行く。
ここで折り返しの6分間に駅取材して雀田まで戻り駅取材。
小野田線を宇部新川、宇部線を宇部岬と駅取材して新山口まで。
無念の快速「SLやまぐち号」取材して、
そのあとの山口線で山口乗り継ぎで益田まで行く。
ここから山陰本線で浜田乗り継ぎで出雲市まで行き、
スーパーホテル出雲駅前に一泊。

7月26日(日)

08:42出雲市始発で松江まで行き駅取材、
戻って宍道から木次線で終点の備後落合まで行き、
折り返して出雲横田へ行って駅取材。
16:03始発で宍道まで戻り、山陰陰本線で出雲市まで戻り、
18:55出雲市始発の寝台特急「サンライズ出雲」で翌朝07:08に東京に到着する。

計画を立てた段階では、幾ら梅雨明けが遅れたとしても、
7月24日には梅雨が明けて改正の中で取材ができるだろうと目論んでいた。
しかし梅雨明けは例年より早かったものの、この目論見は見事に外れて、
悲惨な目に遭うことになってしまったのである。

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青春の旅立ち-山陽山陰の旅 序

2009-07-27 | 鉄道・旅行
7月24日金曜日から3泊3日半で旅行に行ってきた。
今回は“青春18きっぷ”を使っての旅であった。
予定では飛行機で広島に降りて山陽本線から山口線を経由して山陰本線に行き、
寝台特急「サンライズ出雲」で帰ってくることになっていた。
今回の旅は病み上がりの最初のお泊まりの旅でもあり、
あまり無謀な計画にはしないように心掛けた・・・つもりであった。
しかし今回の旅はずっと雨に悩まされる旅になってしまった。
雨が降っているところを選んで旅をしたと云っても過言ではない。
この週末は九州北部と山口県で記録的な集中豪雨があり、
その中の旅となってしまい、計画は悉く変更を余儀なくされ、
当初の予定通りにいったのは最初の飛行機と最後の寝台列車、
時間的なことまで含めれば最初から最後まで予定通りに行かなかった。
今までの鉄道取材の旅の中でも最も予定通りに行かなかった旅である。
逆にポジティブに考えれば、一番“青春”を満喫した旅と云えるかもしれない。
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E-10

2009-07-26 | カメラ・写真
オリンパスのデジタルカメラE-10は、
2000年10月に発売されたレンズ固定式のデジタル一眼レフカメラである。
レンズ固定式ながら、当時20万円を切る実売価格は、画期的なものだった。
画素数は400万画素、光学ズームは35mm換算で35~140mmと、
今から考えると広角側も望遠側も中途半端で、
32MBのバッファしかなく、連写が4枚までしかできなかった。
だから1枚撮影すると、読み込みの時間を稼ぐために、
3つ数えてから次のシャッターを切らなければならなかった。
それでも当時は一眼レフのデジタルカメラは雲の上の存在だったので、
この機種は素人でも一眼レフを楽しめる時代を切り開いた、
フラッグシップと云えるデジタルカメラであった。



このカメラを購入したのは2001年2月で、
それから最初の画像を撮影したのが同年2月25日である。
このカメラを手にしたことで、
本格的に写真の世界に踏み込んでいったとっても過言ではない。
このカメラと出会っていなかったら、今の林檎乃麗は存在していなかったかもしれない。
それからこのカメラを持って鉄道写真を撮りに色々なところに旅をした。
今から考えると広角側も望遠側もかなり厳しいものであったが、
それでも当時はこのカメラに満足していたし、このカメラで多くの写真を撮ったものであった。
2005年4月16日にクルマで外房線の取材に出掛けた。
既に取材済みの駅を抜かして順番に撮影していき、
茂原駅で駅取材をした時に当然このカメラが壊れてしまった。
シャッターを押した時にミラーが戻らなくになってしまったのだ。
結果的にこんな画像しか撮れなくなってしまった。



この時は既に後続のCanon EOS 10Dを購入して実践投入していたので、
修理はせずにそのまま永眠ということにした。
最後の画像には“de9360”というファイルナンバーを付番した。
本当は10000枚の保存画像を撮影したところで現役引退を考えていたのだが、
そのは前についに力尽きてしまった。
それでもこのカメラと出会ったことは、その後の本格一眼レフへの軌跡になったことは間違いないし、
その時に撮影した経験や、実際の画像は今でも自分の宝物だと思っている。

OLYMPUS E-10で撮影した画像を公開するブログを立ち上げた。
勿論、今よりもカメラの性能は劣るし、技術的にもかなり未熟だが、
それでも撮影する楽しさを十分に堪能している。
林檎乃麗の写真画像の原点とも云える作品群である。

風のphotograph
http://ameblo.jp/reiringono/
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機関の詩-かまのうた-

2009-07-25 | 鉄道・旅行
鉄道車両は基本的に機能性を追求して造られている。
500系新幹線のロケットのようなスタイルも、
N700系新幹線の特有のデザインも機能性を追求した結果、生み出されている。
しかし最も無骨な機能美を有しているのは、やはり蒸気機関車であろう。
一般的にSLと呼ばれて親しまれている蒸気機関車は、
その煙が嫌われ、国鉄時代に無煙化の旗印の下に、
多く廃車され、ディーゼル機関車や電気機関車への置き換え、
そして旅客列車では電車の開発が進んでいった。
しかしSLを愛する人々もやはり多くいて、
一部の保存機が動態復元され、北海道から九州まで、観光列車として走っている。
また民間でも大井川鉄道や真岡鐵道、秩父鉄道など、
SLの運行を観光の目玉として成功している会社もある。
その構造から運転や整備には特別な技術が必要になり、
後継者がいないことが今後の運行の支障になるという話もあるが、
鉄道遺産としてただ博物館に飾るのではなく、
動態保存してその走る勇姿を将来の子供たちにも伝えていって貰いたい。
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7:00a.m.の魔法

2009-07-24 | 日記
今は病気療養中のため、自家用車は売却してしまったのだけれども、
以前は土曜日直などはクルマで会社に行っていた。
その時、何時も不思議に思っていたことなのだが、
それは7:00a.m.の時報を聞くと、自然と渋滞になるような気がすることだ。
それまではスムーズに流れていた道路も、
ラジオで7:00a.m.の時報が流れると、必ず前を走っている車のブレーキランプが点る。
電車と違い、クルマの場合は出発時間の微妙なズレで、
同じルートでも7:00a.m.の時報を聞く場所は毎回違う筈である。
それでも不思議に7:00a.m.の時報と共に、渋滞が始まるのだ。
何時も7:00a.m.を過ぎると渋滞が始まると多くのドライバーが思い込んでいて、
時報と共にブレーキを踏むことがさらに次の渋滞の原因になっているのかもしれない。
いずれにしろ、7:00a.m.の時報には、渋滞を引き起こす魔法がかけられているように思えるのだ。
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千葉「麺屋黒船 千葉中央店」

2009-07-23 | 飲食店
病院の帰りに昼食を喰うため、千葉駅東口からC-oneを歩いていった。
本当は「一蘭」に行こうと思ったのだが、
今日は診察に時間がかかってしまい、千葉に着いたのが0:00p.m.を回った後だった。
平日ではあるが、さすがにこの時間になると券売機の前に列が出来ていたので、
「一蘭」は諦めて、京成千葉中央駅近くにある家系のラーメン店に行こうと思った。
入ったことはないのだが、以前に通りかかった時に場所は確認してあった。
その家系のラーメン店に行く途中に目にしたのがこの「麺屋黒船」という店である。



店の前には「味噌麺」と「醤油麺」のオレンジの垂れ幕がかかっている。
味噌ラーメン好きには、食指の動く演出である。
そこで家系のラーメン店は次回にまわすとして、今回はこの店に入ってみた。
垂れ幕は「味噌麺」と「醤油麺」だが、実際入ってみると、塩ラーメンやつけ麺のメニューもあった。
また辛味噌麺という設定もある。
オーダーは味噌麺650円、味玉100円。
暫くして、味玉が入った味噌麺が来る。
味玉は切らずにそのまま入っていた。
半熟の場合、黄身がスープの中に入るのを嫌う人もいるので、この判断は正しい。



麺は少し透明がかったよくある平打ち麺で、
スープは赤味噌ベースに細かな大蒜が浮いている。
味噌ラーメンではどうしても白味噌ベースが多いような気がするのだが、
赤味噌ベースのスープには納得した。
味に何かが加えられているように思えるのだが、それが何なのかは分からなかった。
チャーシューはウエルダンで、大きさは十分だが、個人的な好みには合わない。
それでも平均点は取れている店で、値段もそれほど高くないし、気楽に入れる店である。
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皆既日食

2009-07-22 | 社会
22日は日本で日食が観察できる。
国立天文台のホームページによると、「奄美大島北部、トカラ列島、屋久島、種子島南部など」では、
怪奇日食・・・じゃなかった、皆既日食が観察できるという。
日食とは地球と太陽の間に月の軌道が重なり、
地上から見ると太陽が欠けて見えるのものである。
日本列島の多くの場所で太陽の一部が欠けて見える部分日食が観察され、
日本列島南部の奄美や屋久島、種子島では太陽と月が完全に重なる皆既日食になると云う。
また皆既日食になると「空は、程度は日食ごとに違いますが、
夕方・明け方の薄明中のように暗くなり、明るい星ならば見ることができます。」とある。
日本では「1963年7月21日の北海道東部で見られた皆既日食以来、実に46年ぶりです。」とのことである。
それだけ皆既日食は珍しいことなのだ。

今年はガリレオが天文観察をしてから400年目になると云う。
地動説が確立し、日中も月が空にあることが分かっている現代だからこそ、
皆既日食になってもその理屈が理解できる。
しかしまだ天動説が信じられていた頃の人々は、皆既日食をどのように感じたのだろうか。
まさしく“怪奇”日食と思ったのではないだろうか。

日本の神話では天照大神が最高神とされる。
天地創造の神、伊弉諾尊からその支配権を譲られ、
天界である高天原を支配するのだ。
しかし日本の神話は世界のほかの神話、宗教と比べて変わったところがある。
それは最高神が女性であるということだ。
男女平等という発想が皆無だった時代にこれは画期的なことだ。
これは日本の神話の源典となった「古事記」が推古天皇紀で終わることに由来するのかもしれない。
いずれにしろ、天照大神が高天原を支配し、
地上界である葦原の中つ国に素戔嗚尊が降りるきっかけになったのが天岩屋のエピソードである。
素戔嗚尊が天界で暴れたために恐れをなして天照大神が天岩屋に隠れてしまう。
太陽神が隠れてしまったために天界も地上界も闇に包まれてしまったのだ。
信仰の対象としてではなく、一般論として日本の神話が全て事実とは云えないと思う。
天岩屋のエピソードも創作であろう。
しかし以前にも書いたが、人間は全く存在しない嘘をつくということは不可能である。
嘘をつくためにはその元となる真実が必要である。
創作で書かれた日本の神話も、その元となる部分には真実がある筈だ。
地動説を知らない古代の人々がこの話を創作するために元となった真実、
これがたぶん皆既日食ではなかったかと思う。
地動説を知らない当時の人々にとってはそれこそ天変地異かと思うほどの驚きだったに違いない。
その当時の人々にとっては神話とし残されるべき真実だったのだ。

今はコンピュータが発達し、難しい演算が可能になったことは今更いうまでもない。
太陽や地球、月の軌道から将来の皆既日食の日時や場所を計算できる。
次回の皆既日食は「2035年9月2日に北陸・北関東などで見られる」という。
これから将来の皆既日食の時期と場所が計算可能なら、
逆にこれまで皆既日食が見られた年月日と場所も計算が可能ではないだろうか。
「古事記」が成立したのは712年といわれている。
それ以前に起こった皆既日食の場所を計算すれば、
「古事記」のこのエピソードが何処で経験された真実を元に創作されたかが分かる。
日本の歴史がどの辺りまで記録として、記憶として残っていて、
それが「古事記」に取り入れられたかが分かるのかもしれない。

天照大神は日本の最高神であり、最高神としては珍しく女神である。
「古事記」の最後に登場する推古天皇は日本で初めての女性の天皇である。
推古天皇の即位には実子の竹田皇子の擁立のための中継ぎ的役割が大きいといわれているが、
いずれにしろ女性が天皇になったのは画期的なことであった。
神話上の人物である天照大神は別として、
日本の歴史の中で推古天皇以前に活躍した女性の歴史上人物が一人いる。
それは「邪馬台国」の女王「卑弥呼」である。
これは中国の「魏志倭人伝」の記述によって現在にも知られているところである。
ところで「邪馬台国」の「邪」は訓読みでは「よこしま」となり、
「卑弥呼」「卑」は訓読みでは「いやしい」であり、いずれもいい意味の言葉ではない。
何故、このような文字が使われたのかというと、
根本に中華思想があるからではないかと思われる。
つまり中国こそがその名の通り、世界の中で最も華やかな場所、栄えている場所であり、
その他の周辺国家には服従か、破滅かを迫っていたのである。
当時の邪馬台国は中国に貢ぎ物をして、国家として認めて貰い、「親魏倭王」の金印を貰った。
中国語はアルファベットや平仮名、片仮名のような表音文字を持たない。
それを漢字で代用するのである。
そのため、音のみで使用して意味の関係ない漢字が使われることがある。
「邪馬台国」や「卑弥呼」もその類なのだろう。
中国、当時の「魏」でも属国の音を表すのに、
中華思想によって意図的にあまりいい意味でない文字を選んだのだ。
「魏志倭人伝」の伝えるところによると、
「邪馬台国」は弥生時代にあたる1世紀から3世紀辺りに存在した国家で、
もともと男性の王が国を治めていたが騒乱が続き、
「卑弥呼」が王となって国の混乱が収まったという。
卑弥呼は占いによって国家を治め、弟が実質的な政務を執り行ったという。
卑弥呼の死後、男性の王が後継になったが再び国が混乱し、
壱与という女性が王になり、再び国が落ち着いたという。

勿論、研究者の所説はあるし、推論にしかならないが、
「邪馬台国」をローマ字に置き換えると“yamatai”となり、「大和」の“yamato”と、
最後の母音が違うだけということが分かる。
邪馬台国があった1世紀から3世紀と、大和朝廷が成立したといわれる6世紀との間には、
300年くらいの時間的な隔たりがある。
文字がなかったこの時代は人から人に言葉で伝えるしか歴史の伝承方法がなかったため、
その間に母音の一部が変化してもおかしくない。
また「卑弥呼」は占いによって国を治めていたと伝えられているが、
これは神の言葉を伝えるとされる古来の「巫女」に近い。
そう考えると「ひみこ」は「日巫女」の意と考えるのが妥当ではないだろうか。

この説を採ると「天照大神」と「卑弥呼」の類似点を多く見ることが出来る。
卑弥呼の死後、男の王が立ったが国が乱れたため、壱与という女の王が立って再び国が落ち着いたという。
これが「古事記」の天岩戸の源典になったと考えると、
皆既日食の時期が卑弥呼が生存していた時代と重なるかどうかを調べ、
その時期に何処で皆既日食が確認できたかを調べれば、
邪馬台国のあった場所も特定できるのではないだろうか。
邪馬台国の場所については大きく九州説と近畿説があるが、この論争にも決着がつくかもしれない。
「魏志倭人伝」では、邪馬台国に至るまでの道程を詳細に記述しており、
それの解釈によって九州説と近畿説が出てきているが、
これが何処まで正確に書かれているかは分からない。
「倭国に行くのはすごぉ~く大変でした」ということを強調するための記述と見ることも出来る。

日本は縦割りが大好きで、行政だけでなく、学問の世界も縦割りが横行している。
天文学は天文学、歴史学は歴史学、文学は文学といったジャンルに固執して、他の学問をなかなか取り入れようとしない。
しかしそれでは手詰まりになってしまうし、本当の意味での学問の価値も見いだせない。
新しいアプローチで研究すると、今まで不明だったことが案外簡単に分かるかもしれないと思うのだ。
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千葉「M's Kitchen」

2009-07-21 | 飲食店
JR千葉駅の構内にあるカレー専門で、「万葉軒」の隣にあるのが「M's Kitchen」という店。
看板には「Home made Curry & Meal M's Kitchen」と書かれている。
実際に外観上も「NRE MANYOUKEN」という看板でくくられていて、
同一系列の店だということが分かる。



千葉駅の「万葉軒」は国鉄時代から千葉駅構内で駅弁や駅蕎麦を販売していた業者で、
国鉄の分割民営化後にNREと共同で「NRE万葉軒」として店舗経営を行っている。
NREは国鉄時代の「日本食堂」がベースとなったJR東日本のグループ会社で、
主要な駅の駅弁販売業者がこのような形になっている。

内房線で通勤をしていた時期には毎朝「万葉軒」でカレーうどんを喰っていた。
特別高級ではないが、ここのカレーうどんは毎日喰っても飽きないこなれた味である。
それは多くの駅蕎麦店がカレーは業者のレトルトを暖めて出すだけに対し、
ここは常に暖めてある専用の鍋から掛けてくれるので、味が違います。

隣の「M's Kitchen」も店内は完全に別の作りになっているが、
厨房は共用になっていて、蕎麦のセットメニューなどの複雑なものは、
「M's Kitchen」の側の厨房で作っているようである。

昨日、江ノ電取材の帰りにここにより、くじらカレー780円というものを喰った。
これは以前から千葉駅を通る度に気になっていたもので、
一度喰ってみたいと思っていたものである。
店の外には以下のように書かれている。

 南房総市千倉町 和田浦漁港ハクダイ食品より「くじらカレー」780円

鯨は子供の頃はよく給食に出たメニューで、
とくに“くじらのオーロラ煮”が好きだった。
今は世界的な捕鯨禁止の運動により、鯨の肉が手に入りにくくなっているが、
昔は牛肉や豚肉よりも安価で、安いという理由で鯨が給食によく使われたものである。
そこで今回はこの「くじらカレー」をオーダーした。



確かに今食べても懐かしいという気はするのだが、
特別に美味いものだという意識はない。
カレー自体は美味しいのだが、珍しさだけで高価なカレーの仲間入りをしているような気がする。
それでも久しぶりに鯨を喰って満足した。
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海へ-湘南に吹く風

2009-07-20 | 鉄道・旅行
海の日の今日は、海の似合う鉄道の取材に行こうと思い、
鎌倉・江ノ島フリーきっぷ2,700円を購入して江ノ電の取材に行った。
千葉に出て、「万葉軒」でカレーうどん330円を喰い、始発の快速で東京へ。
ここから東海道線に乗り換えて大船まで行く。
この切符は往復の普通料金に加えてフリー区間は乗り降り自由になる。
その中に湘南モノレールも含まれていたので、行きはこれで終点の江の島まで行った。
ここから江ノ電江ノ島駅に行き、取材開始する。
江ノ電は既に駅取材は完了しているので、今回は車両取材のみである。

江ノ電は1900年11月25日に江之島電気鉄道として設立された。
最初は軌道として建設されていったが、
1928年7月1日に現法人である江ノ島電気鉄道に譲渡され、
1944年には地方鉄道法に基づく鉄道に変更した。
戦後に東急グループから離脱し、小田急グループになる。

まずは鎌倉まで行って鶴岡八幡宮の大鳥居などを取材し、そのあと藤沢まで完乗する。
JR藤沢駅の「蕎麦処 さがみ茶屋」でかき揚げうどん420円喰い、
このあと鎌倉高校前に行って車両取材する。
ここは江ノ電の路線の中でも最も海に近い区間で、
道を挟んで直ぐ海岸線が広がり、サーファーが波と戯れている。
湘南に吹く風を感じながら、今日、営業投入されている全車両を車両取材する。



そのあと腰越駅に行き、さらに併用区間で車両取材する。
江ノ電は現在は地方鉄道となっているが、
もともと軌道法で敷設された経緯があって併用区間が設置されている。
江ノ島駅を出てから直ぐに供用区間に入り、腰越駅の直前でまた専用軌道に入る。
道路幅もさほど広くなく、通行に当たっては係員が交通整理をしている。
このあと江ノ島駅に行って待合室を取材し、
さらに小田急片瀬江ノ島駅や、江ノ島の入口付近まで行って写真を撮る。
鎌倉まで出て、大船軒の「鰺の押寿し」960円やビールなど買って、
総武快速線千葉駅まで直通の横須賀線のグリーン車に乗って帰る。
千葉駅で「M's Kitchen」に行き、くじらカレー780円喰う。
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ホームページ更新

2009-07-19 | 更新情報
「林檎乃麗鉄道写真館ANNEX」を第219回更新しました。

駅名表示板コレクションに関ヶ原駅、名古屋駅、岐阜駅を公開いたしました。

http://www16.tok2.com/home/reiringono/

「Station-駅から始まる物語」を第148回更新しました。

500.JR川越線川越駅を公開いたしました。

尚、「Station-駅から始まる物語」の本年分の定期更新は終了いたします。
次回は2010年1月再開を予定しています。

http://ringono.nengu.jp/

「旅の徒然に」を第127回更新しました。

「駅弁コレクション」の特別付録空弁に「おこわ十二ヶ月 寿徳庵 松阪牛おこわおにぎり」の1データを公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/
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ホームページ更新

2009-07-18 | 更新情報
「REI RINGONO Home Page」を第343回更新しました。

「REI RINGONO Essay」に「林檎乃麗日記 水無月2009」を公開いたしました。
リンクを更新し、リンク切れのページを削除しました。

http://www.asahi-net.or.jp/~ez9t-sn/

「林檎乃麗鉄道写真館ANNEX」を第218回更新しました。

車両図鑑・JR編/通勤形電車にE331系京葉線、近郊形電車に311系東海道線、
特急電車に373系「伊那路」、
車両図鑑・私鉄編/大手私鉄の近畿日本鉄道に620系養老線、1810系名古屋線、
中小私鉄の豊橋鉄道に1800系渥美線、
第三セクターの名古屋臨海高速鉄道に1000形あおなみ線を公開いたしました。

http://www16.tok2.com/home/reiringono/

「Station-駅から始まる物語」を第147回更新しました。

499.東京臨海高速鉄道東京テレポート駅を公開いたしました。
245.JR横須賀線鎌倉駅を更新しました。

http://ringono.nengu.jp/

「旅の徒然に」を第126回更新しました。

「駅弁コレクション」の特別付録空弁に「牛めし」の1データを公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/

「林檎乃麗鉄道辞典」を第3回更新しました。

「林檎乃麗鉄道辞典」を更新いたしました。
「電気機関車図鑑」を更新いたしました。
「蒸気機関車図鑑」を更新いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/
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千葉「味噌屋せいべえ・千葉駅前店」

2009-07-17 | 飲食店
昨日の病院の帰りに「味噌屋せいべえ」という味噌ラーメン専門店に行った。
ここの名刺には「拉麺ライス専門店 味噌屋せいべえ千葉駅前店」と書かれており、
コンセプトとしてはラーメンライスをウリにしているわけである。
オーダーは味噌ラーメン700円に煮玉子100円をトッピング。
ここは店名通り、ラーメンには無料でライスを付けられるようになっていて、
当然無料ライスもオーダーする。
程なくしてラーメンとライスがやってくる。



ここは店の看板にも「濃厚完熟味噌拉麺」と書かれているとおり、
味噌ラーメンの中でも特に濃厚なスープであり、
ラーメンをおかずにライスを喰うのにちょうどいいような仕上がりになっている。
逆に云うとラーメン単品のオーダーでは少しきついかも知れない。
そういった意味では看板に偽りなしだ。



チャーシューもトロトロまで煮込んであって、しゃきしゃきのもやしもラーメンライスにはよく合う。
昔から味噌ラーメン好きで、いろいろな店の味噌ラーメンを食べてきたが、
その中でも濃厚な味では一、二を争うと思う。
若い人にはいいかもしれないが、年配の人や女性にはちょっと不向きかも知れない。
そのせいか、1:00p.m.過ぎに行ったのだが、店はさほど混んでいなかった。
ラーメンの方向性が確立しているため、逆に客層が絞られてしまっているのだろう。
屋号は「味噌屋せいべえ」だが、塩ラーメンのメニューもあった。
折角味噌ラーメンで看板を出しているのなら、
「味噌一」のように味噌ラーメン一本で勝負して欲しかった。
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