鶴見和子という学者の名前だけは知っていた。和服姿が印象的だったので。
その後、和歌を詠む、とも聞いたが、学者の和歌なんかガチガチな理屈っぽいものだろうと気にも留めなかった。これが大間違いだった。
以下は鶴見和子が最晩年、病床で詠んだ和歌だそうです。
・春立てば佳き物語よむに似て よみがえりくる遠き日の想い
・信絶えし遠き人よりおだやかな てがみとどきぬそのままにおく
・形見なる小袖をひろいまた落とす 保名(やすな)よ我は汝(なれ)となりしか
・遠き日に燃えしことあり遠きより しずかなるたよりとともに老いにき
そして、突然、口語体に変わります。
・今にして思えばこれでよかったと 負け惜しみでなくこれでよかった
歌人の佐佐木朋子氏の解説によると、上から02年2月、5月、03年5月、9月16日17日の由。鶴見和子自身の恋物語を回想した和歌らしい。順に、
・懐かしい想い出、
・「おだやかな手紙」で起きた煩悶、
・治まらぬ心の揺れ、
・老いてもなお感ずる葛藤の深さ、
・別れを自ら納得させようとする心、
と読み取れるそうだ。
最後の口語体和歌は、思わず作ってしまったのではないか、とも。
以上は鶴見和子の最終歌集「山姥(やまんば)」に載っているそうだが、もう一首。
・岐路に立ちし二十四の我この道を 選びしことをうべなう現在(いま)は
鶴見和子はアメリカ留学中、日米が開戦し24歳で帰国した由。
お見事な一生だった、と今更ながら思った。
この記事は朝日新聞12月1日(月)朝刊掲載「朝日歌壇」頁の「うたをよむ」を参考にしました。
「山姥」は、半身不随となっても行動する学者であり続けた人の面目躍如たる作品集で、
生老病死の全てが詰って唸りをあげている、そうです。
ウィキ記事は、「脚注」を是非お読み下さい。
実はブログのリニューアルを考えておりまして、森男さんの意見もお伺いしたいと思っております。
super-tengu@ezweb.ne.jp
上記アドレスまでご連絡いただいてよろしいでしょうか?捨てアドレスなので、森男さんからメールを頂戴したらすぐに変更します。
ご無沙汰しております
おコメント有り難うございます
森男は ふにゃ太郎さまの「慢性疲労症候群日記」の隠れ愛読者でした
また今日の記事では「雨宮処凛が行く!」を紹介して下さいまして 感激しております
イケナイことかも知れませんが 大笑いしました
こういうアナーキーなブログも必要ですね
ブログを改装される とか
無理せず ゆっくりやって下さいね
楽しみにしてますよ
敢えて ガンバレ とは書きませんね
super-tengu@ezweb.ne.jp
いや実は、ブログを××××にしようかと・・・。
いつもありがとうございます。
最後の口語体の歌、私好きです。
これでよかった・・と思っていたいです私も。
山姥・・是非読んでみたいです。
おやすみなさいませ。
是非「日々の暮らしの中」での らべままさまの歌を お詠み下さい 楽しみにしておりますよ